なぜ、動き続けたのか。──離島デジタル挑戦の1年目 【島ICT#06】/離島のデジタルデバイド編
サーバーが止まり、教室が沈黙したあの一週間。 それでも、諦めることはなかった。 あの経験を経て、私はもう一度、自分がなぜこの島で動き続けているのかを見つめ直した。 ここでは、その“原点”をたどってみたい。
前回の話👇
勤務した離島の当時のICT環境👇👇
離島の小学校で,一小学校教諭が当時の島のデジタルデバイドに挑戦しました。 今から約20年以上前の2002年(平成14年)赴任1年目のお話です。
※注:本文中の一部地名や商品名等は仮名(かめい)にしています。
1. 20年前の挑戦を、いま書き起こす理由
これまでこの連載では、赴任した離島でのデジタルデバイドの現状と、それを少しずつ打開していく試みをたどってきた。 もちろん、ここで記していることは、20年以上前の出来事を資料をたどりながら再構成しているものだ。 すでに終わった話ではあるが、当時、「この不便さを何とかできないか」「自分の動きで何かが変われば」と強く願っていたことは確かである。
当時の挑戦がどのように最終的な成果につながったのか、明確に説明することは難しい。 もちろん3年後にそれなりの出来事があったのだが・・・。 ただ、そのたびごとに自分なりに動き、試み、失敗と発見を繰り返したことだけは間違いない。
2. 島の3つの連載、それぞれの“つながり”
現在、noteでは三つの連載を並行して執筆している。 ひとつは島での暮らしと学校の日常を描く「離島の小学校編」、 もうひとつは総合的な学習の時間の実践を中心にした「離島の総合的学習編」、 そして、ICT環境改善への試みを記した「離島のデジタルデバイド編」である。
いずれも同じ島の同じ学校を舞台にしており、内容は密接に関わっている。 特にこの「デジタルデバイド編」は、総合的な学習の時間の実践と深く結びついていた。 なぜなら、子どもたちの学び自体がWebページを活用したICT実践であり、「マイタウンマップ・コンクール」への挑戦とも重なっていたからだ。
マイタウンマップコンクールについて👇👇
コンクール入賞は結果であり、当初から約束されていたものではない。 ただ、その成果が確かに次の挑戦を後押ししたことは間違いない。 出会い、つながり、運──それらすべてがプラスに働き、前へ進めてくれた。
いま思えば、この三つの連載は、それぞれ別の出来事を描いていながら、同じ根を持っていたのだと思う。 そして実際には、デジタルの取り組みであっても、その多くが「離島の学校編」や「総合的学習編」の中に姿を現していく。 ICTは生活や学びから独立して存在するものではなく、その隣で息づき、溶け込み、動き続けていたからだ。
3. デジタルデバイドも、暮らしの一部だった
いまだ記録は、「赴任1年目」の途中である。 総合的な学習の話も、島での生活記も、書き進めるほどに時間がかかる。 それだけ、この島での3年間が自分にとって濃密で、後の教育観に深く影響した時間だったのだと思う。
この「デジタルデバイド編」は、一見するとICT整備の記録である。 だが、あの頃の自分にとっては、生活そのものが挑戦の連続だった。 学校の行事、宿舎での暮らし、地域との交流── そのすべてが、通信環境の改善や学びの形と結びついていた。
前年、本土勤務のときにBBS交流の手応えを得ていた。 けれど、この島の衛星回線では同じことが再現できない。 “できたはずのことが、ここではできない”という事実が、毎日の授業や暮らしの判断にじわりと影響した。
前勤務校でのBBS活用実践👇👇
たとえば、連絡一つにも船便やファクスに頼らざるを得ない。 調べた成果を外に示したくても、更新や公開の経路が限られる。 だからこそ、「情報を共有するしくみ」を自分たちの手で用意する必要を強く意識するようになっていった。
そして、夜遅くまでPCに向かいながら、“学びとは何か”を自分自身が問い直す時間も増えていった。
つまり、島での出来事はどれも単独では存在していなかった。 「学び」「暮らし」「ICT」が互いに影響し合い、連動しながら前へ進んでいたのである。
要は──島での生活すべてが、デジタルデバイドを越えていく力を育てていたのだと思う。
4. 一枚の申請書に込めた願い
資料を整理していたところ、1年目の6月頃に書いた教育実践助成の申請書が見つかった。 そこには、当時考えていた構想が明確に記されていた。 締切が6月末であったことからも、この段階で既に一定のビジョンを描いていたことがわかる。
申請書の「活動・研究の意義、目的」の欄にはこうある。
デジタルデバイドにある青波町(仮名)で、児童たちがふるさとの自然や生活のすばらしさを再発見し、 島内LANを構築して地域住民に情報発信を行う。 そのことにより、児童に発信の喜びや表現力、自信を育てる。 さらに地域の方々との相互交流を図り、豊かな心情と交流への意欲を高める。
つまり私は、「総合的な学習の時間」と「地域ネットワークづくり」を結びつけようとしていたのだ。
5. 島をつなぐ仕組みを、教室から考えた
申請書の「活動内容」には、次のような構想が書かれていた。
対象:青波島小学校5・6年生(6名)と、島のお年寄りを中心とする住民
ねらい:地域のよさを再発見し、その成果をWeb形式でまとめ、イントラネットで発信すること
特徴:離島の住民は一般的なインターネット接続が不可能であるため、閉じた島内LANを構築して交流を実現する
当時、学校では中学校が文科省指定の衛星通信ネットワークを持っており、それを一部借用することで時間制限はあったが,閲覧やメール送信は可能だった。 しかし、独自のWeb公開は不可能であり,使用も学校だけに限定されていた。 そこで私は、島内限定のイントラネット(擬似インターネット)を作り、住民と学校を結ぶ仕組みを試みようとしていた。
6. 動き続けることが、答えだった
申請書の「期待される効果」には、こう記されていた。
この活動を通じて、児童の調査観察能力、表現力、コミュニケーション能力が育つと考えられる。 また、情報活用能力やコンピュータリテラシーも向上するであろう。 さらに、イントラネットを通じて地域住民との交流が盛んになり、学校と地域の信頼関係が深まる。 地域住民が擬似インターネットを体験することにより、IT社会に触れるきっかけとなる。 その結果、地理的に不便な地区にも注目が集まり、社会的に状況改善が期待される。
まさに、当時私が描いていたゴールそのものだった。 1年目の目標は「総合的な学習の実践」と「島内イントラネット構築」──それが、離島のデジタルデバイド解消への最初の一歩だった。
次回(デジタルデバイド編07)へ続く👇
勤務した島の基本状況👇👇
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