見出し画像

時間がなくて英語学習できないはただの言い訳

※この記事の内容を解説する音声コンテンツも用意しています。音声派やながら聞き派の方はこちらをどうぞ:

☆☆☆

note 記事を見て回っていると、「忙しい人のための隙間時間活用」や「忙しい自分がどのように英語学習したか」みたいな、英語学習のタイムマネジメント系の記事をよくみつけます。英語学習したいが時間がなくて困っている人がいて、そのニーズを捉えるためにタイムマネジメント系の記事が生産されている、という構図のように思えます。

たた、そのような構図は実際にはなく、時間がないは単なるウソです。今回の記事では、英語学習の時間がないとぼやく人の心理について簡単に解説します。

時間がないはウソ

語学学習に限った話ではありませんが、「時間がなくてできない」はたいていの場合ウソです。ものすごいざっくりというと、「時間がない」の正体は「やりたくない」であり、他の予定やタスクの優先順位と比較した場合での、その人の中での英語学習の優先順位が単に負けているだけです。

語学学習の優先順位はその人の中で無意識的に低く設定されがちであり、その理由には主に以下のようなものがあります:

  • 語学学習は緊急案件ではない

  • 語学学習の成果はすぐに見えない

  • 語学学習の成果が見えてもその先が見えない

  • 語学学習をしないと誰かに怒られるわけではない

対して、家の掃除とか、洗濯とかのタスクについては、上記の項目とは正反対の性質を帯びています。掃除や洗濯は緊急であり、成果が即座に確認でき、やらないと誰かに怒られます。そのため、そのようなタスクが英語学習よりも優先されることは、自然です。

関連:【語学】学習の毎日継続や習慣化はどうでもいい

時間は弾性的

ところで、How to gain control of your free time というけっこう有名な TED トークで、次のような説明があります。

…And what this shows us is that time is highly elastic. We can not make more time, but time will stretch to accommodate what we choose to put into it…

https://youtu.be/n3kNlFMXslo

定まった時間の中に予定を割り当てるのではなく、自分の中に優先事項がすでにあり、それに応じて時間が伸び縮みする、という話です。動画の中では、すごい忙しい女性が帰宅したら家で水漏れが発生していた、その女性はふだん、7 時間の時間なんて「作れるはずがない」と感じているであろうが、事実として水漏れ(明らかに緊急度の高い案件)に対応するための 7 時間の時間が「生まれた」と説明されています。

思考停止は何も前進させない

英語学習をしたいという感情があるが、「じっさいにはできていない」というそれと矛盾する事実が目の前にある場合、人は、この矛盾を解消しようとするために何かしらの理由を「後から」こしらえるようになります。人間は互いに相容れないふたつ以上のものごとを受け入れることが苦手であり、矛盾を解消するこの動きは、「認知的不協和の解消」と呼ばれます。

英語学習の時間がないことにすれば、英語学習をしたいけど時間がないからしかたなくできていない、と合点できますし、その後の心持ちもスッキリします。思考停止ワードは目の前にある矛盾をすぐに解消できる、正確には、解消したことにできるので、多くの人が、何かこまったことがあるとすぐに思考停止ワードを使って矛盾を処理しようとします。

ただ、思考停止ワードでスッキリした後に、なにか事態が好転すると思いますか。気持ちの面では即座に晴れやかになったかもしれませんが、英語学習を前進させるという観点から見た場合、何も進んでいないのは火を見るよりも明らかです。

時間がないなどの思考停止ワードの魅力は、「それ以上考えなくてもよくなること」であり、省エネです。思考停止ワードをつかうとそれ以上頭を使って考えなくなりますし、もちろん行動にもつながらないのですが、「行動をしない決断」を固め、「何も行動をしないという行動」につなげることは可能です。「私には才能がないから」とか、「あの人はセンスがあるから」とか、そのような、時間がないに類する思考停止ワードも簡単に、現実をつぶさに観察せずに言えますし、なおかつそれで、納得したような気分に自分が浸れます。

年をとったことを理由にして英語学習をあきらめることをする人もいますが、それも同じで、年齢を重ねたから、もう手遅れでムリであるということにしたい、という「目的」がありきで、その目的にかなう事実である「年を取ったから」という理由が後から鳴り物入りで登場してきます。

※ちなみに、僕は、「むしろ逆では?」と感じる派です。抽象的思考を得意とする中高年ほど英語の本質に近づきやすくなりますから、「じいさんばあさんになってから英語学習する」ほうがナチュラルな気はします。

話は横道ですが、最近になり多くの人が口にするようになったAIもそうです。AIがあるから英語学習をしない、という論調を出す人も出てきましたが、それも、AIがある⇒英語学習しない、ではなく、英語学習しない、という目的ありきで、その後にAIという都合のいい理由が捏造されています。「英語学習をしなくてもいい理由をほしがる人がいて、その人たちが英語学習をしなくてもいい理由としての『AI』が出てきたことを喜んでいる」というのが実態です。

AIがあるから英語学習をしないと言う人は、AIがなくても英語学習をしません。「時間がない」のような、後付けで捏造される理由とAI云々の話は同じで、「英語学習をしなくてもいい理由がほしい人たち」がそのような言葉を求めているために、AIがどうのこうのみたいな話が表に出ているわけです。

語学学習をするロジックは、「語学学習をしたいと思う⇒する」です。したいと思う人本人の意思ありきであり、自分の身のまわりにAIが転がっているかどうかは、まったく関係ありません。「したいと思ったけど、身の回りになにか道具が存在しているから、それをやめる」というのは、おかしな流れです。

自分にマーケティングをしかける感覚

思考停止には魅力があり、そのため人々は無意識レベルで思考停止したがるのですが、それは常に回避すべきアンチパターンです。思考停止はものごとを何も前進させないことは、すでに確認しました。英語学習をするにしてもやめるにしても、「おかしな理由を捏造してことを一層ややこしくすること」は常に歓迎されません。

もし、英語学習をするのであれば、「自分で自分にマーケティングをしかける」という感覚が個人的にはおすすめです。

マーケティングとは、見込み顧客とコミュニケーションをとり、販売(クロージング)にむすびつける活動全般のことです。マーケティングという言葉自体に抵抗を感じる人や、押し売りを連想する人もいるとは思いますが、マーケティングの考え方から得られる知見や考え方は、さまざまな領域に応用できます。

マーケティングの最終目的はクロージングであるといえますが、その最終地点に一直線にいたることはあまり多くなく、たいていの場合、「中間コンバージョン」と呼ばれる中継地点をいくつか経由します。これは高額の商品などで特に当てはまることであり、資料請求や問い合わせ>無料相談やトライアル>購買のように、すごろくのマスを進むようなすがたを連想できます。

この、「CTAを複数設置して中間コンバージョンを達成し、最終的にはクロージングにいたらせる」という流れなのですが、なんだか英語学習に似ていませんか。行動喚起(CTA)とは、大きな流れの中で何かを一歩前進させる何かしらの行動を促すことなのですが、これを、英語学習に取り組む自分自身にうながすことができるというのが、僕の考えです。

ここまでの話を聞くとわかると思うのですが、時間がないなどの言葉で、自分で自分に思考停止ワードを投げかけて自分の動きを止めるのは、「逆マーケティング」といえそうです。行動を促すのがCTAなのですが、思考停止ワードは、行動を止める「逆CTA」であるといえます。

要するに、自分の内外にCTAを適宜配置し、逆CTAをていねいに取り除くのが、英語学習を素直に進めるための工夫の一つになる、ということです。「英語学習をする」という大前提があるのであれば、それを邪魔する逆CTAは、無条件で排除すべきです。

ちょっとだけ考える

もうひとつ別の角度から説明を加えたいと思うのですが、まとまった時間を取ってそれを使わなければならないという、「まとまった時間信仰」みたいな心理も、本質の認識をブレさせてしまうひとつの要因になっているはずです。

多くの人が、英語学習をするためには学校に行ったり、書物を読んだり、英会話のためのまとまった時間を取ったりする必要があると考え、また、そのような時間を用意することが必要であると考えます。1日15分で~、とか、1日30分で~、のような言葉がかいてある参考書の類はよく目にしますが、あれも裏を返すと、「まとまった時間の中に英語学習を詰める必要がある」という暗黙の了解を前提としています。

そのような、まとまった時間ありきの考えの根底にあるのはやはり、「試験信仰」とでも呼ぶべきものでしょう。学校の定期試験のときに先生から与えられる「試験範囲」を漏れなく網羅的に、時間をかけてしっかりと対策することが理想のテスト対策であるとされており、ひろくまんべんなく、すべてを理解することが理想であるとされます。定められた期日までに、どこまでの範囲で、どれくらいの品質で成果を出すかが最初に定められる様子は、期待値や納期がクリアに設定されるホワイトカラーの仕事に近いです。

ただ、直感的にわかると思いますが、個人がやる語学学習と、ホワイトカラーの仕事というのはだいぶ性格が異なりますよね。語学学習には納期や要求品質のようなものはなく、また、成果物をクライアントに納品する、みたいな要素も入ってきません。語学学習とはどこまでいっても個人的な取り組みであり、「誰かの期待に応える」という要素はまったくありません。

僕はいつも、「語学学習に締め切りなどの計画を持ち込むとたいていの場合うまくいかなくなる」と言っていますが、今回の話もこれと関連していて、望ましい結果から逆算してなにかプロジェクトを進めるというのは、「お客さんなどの他人の意図が絡む場合の話」であり、どこまでも個人的な活動である語学学習には当てはまらないからです。

とすると、「語学学習は自分さえ満足すればよい」といえそうじゃないですか。語学学習はやり方や順番にしばりのない、自分勝手でわがままな活動であると断言してもよさそうですし、「他者」の要素はいっさい干渉してきません。ネットをながめると、「語学学習は甘くない!」とか、「毎日継続!」のようなことを会ったこともない誰かにきびしく言われる(?)すがたを多く目にしますが、そのような人たちの𠮟咤激励は、いっさい気にしなくてもよいことになります。

いままで知らなかった単語をひとつ見聞きして、その意味を何かしらの形で、ある程度理解できたとします。これは明らかに「成長」であり、ちょっと前の自分とは明らかに異なる「変化の差分」を認めることができます。いままで知らなかった単語の意味をひとつ知ったら、その時点で大喜びしていいはずですし、「今日はこの単語の意味を知ったぞ!」とはしゃいだり、それをSNSに投稿したりするのも十分アリです。

素直になる

僕はそのような、「単語の意味をひとつ知ってめっちゃテンションがあがること」のような流れを、「小さな成功体験の蓄積」と呼んでいるのですが、これをすこしだけ、ちょっと考えて意識してやるのがよいと感じています。

ここで言う「意識してやる」というのは、「無視しない」と同じです。なにか小さなことを理解したことを意識したり、理解の程度がより深まったことを意識することを怠らずに、成長の差分を意識し、喜ぶことをしたほうがいい、ということです。

小さな成長ごときで満足してはいけない、高いレベルにならないと話にならないと考えてしまうのはやはり、すでに述べたような、語学学習を受験やホワイトカラーの仕事みたいに考えてしまうことに関連すると思います。くどいようですが、語学学習はどこまでも個人的な取り組みですから、自分がやりたいようにやり、喜びたいように喜ぶのがよいと思います。

ここから先は

2,537字 / 2画像
この記事のみ ¥ 300

語学学習に役立てることが可能なメンバーシッププランです。お気軽にご利用ください。

読み放題プラン

¥500 / 月

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?