『夜明けの18秒』episode 9 はじまりの今日へ【創作大賞2025・ファンタジー小説部門】
プロローグ・episode1 小さな違和感と、雪の降る日に
episode 2 不可逆な時間
episode 3 ひとりの記憶、ふたりの放課後
episode 4 記憶が目を覚ます時
episode5 旅のはじまりと、雪原の光
Episode 6 夜と昼の境界で
Episode 7 クレーンフェルトへの18秒
episode8 夜明けの駅と、約束の終わり
episode 9 はじまりの今日へ
夜明けの18秒が、確かに訪れた。
景色は、あの日と変わらない。
遠く聳えるセコイアの木の葉は、風にサラサラと音を立てた。白い息が、空へと吸い上げられていくその先で、 世界は、たしかに目を覚ましていた。その朝、この町に雪は降らなかった。
いつものように止まっていた時計台が、ゆっくりと針を進め始めた。カチ…カチ…。誰かが息をするたびに、確かに時間は前へと歩き出していた。
パン屋のレミさんは、久しぶりに焼きたての香りを店先に漂わせた。スノウブーツ屋のトコさんは、棚の奥から古びた型紙を引っ張り出して、新しい靴の革を裁ち始めた。
みんなは気づいていたのかもしれない。
誰も、口には出さなかったけれど…。
「ママー!昨日公園にいく約束したじゃない」
昨日という言葉を、初めて口にした子どもがいた。
”新しい明日を刻むために。時計修理屋 Cedie”
時計屋の店先に新たな看板が立っていた。明日という響きを恐れずに。セディさんの工房では、今日も小さな懐中時計が分解されていた。
雪解けの匂いと共に、どこかで誰かの吐息が聞こえた気がした。あたたかく、確かに生きた誰かの吐息。
『ナオ』
そんな声と、笑顔が、耳の奥で溶けていく。ヨアケはもういない。でも、僕はひとりじゃない。
ミーシャは、町の木の下で、空を見上げていた。誰も知らないうちに、ヤドリギの花が咲いていた。葉の影に隠れるように、小さな花が、静かにはじまりのしるし、を告げていた。毛並みにはうっすらと朝日が差し、風に乗って、何かを運ぶように瞬いていた。パーシは、そんなミーシャの姿を眺めている。
「あの子に必要だったのは、言葉じゃなかったんだ。時間の隣に黙っていてくれる存在。……まったく、おまえは大したやつだよ、ミーシャ」
パーシのその声は、風にまぎれてどこかへと消えていった。大人たちもまた、それぞれの時間を取り戻していた。
駅の古い看板には、うっすらと文字が浮かんでいた。かつて”終わりの町”と呼ばれたその名前は、あの時、雪にまぎれて消えかけていた。その上から、誰かが新しい言葉をなぞっている。
”クレーンフェルト ⸻”
世界は、静かに名前を変えた。
そして今、新しい朝がはじまる。
いつか、誰かに語ろう。
君がいたこと、今日があったことを。
世界は終わらない。
ただ、朝が来た。それだけのこと。
僕は、そっと目を閉じた。
6時41分18秒。
その時刻が、まだ胸の奥に残っている。
誰かが笑っていた音。
誰かと手をつないでいた気配。
手のひらに感じた、鼓動。
たった、一秒。
それだけで、人は変われるのかもしれない。
さあ、はじまりの今日を、生きよう。
大切な人と一秒を刻むために。
昨日と、共に明日を生きるために。
end.
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