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【往復書簡】KEACONさま from 近藤弥生子。北風と太陽 #6

暮らしや収納について発信されているKEACONさんと始めた、noteでの往復書簡。

▶︎近藤弥生子さま from KEACON。不登校になる原因がちょっと分かった気がする #1
▶︎KEACONさま from 近藤弥生子。優等生に課せられた問い、なのかも #2
▶︎近藤弥生子さま from KEACON。THE優等生だった過去と胸のうち #3
▶︎KEACONさま from 近藤弥生子。よそ様のお宅に初めて上がった時のような気持ち #4
▶︎近藤弥生子さま from KEACON。力を抜くことを教えてくれた人 #5

これまでのやり取りはこちらから

KEACONさん、
台湾に行った時の写真、ありがとうございました。2007年の台北の風景、空気感まで伝わってきましたし、何より産毛取りを体験している大学時代のKEACONさんの白塗りどすっぴんには、ハートを撃ち抜かれました!

タクシーの中から撮られた写真で、エアコンの吹き出し口のところにぶら下がっているのはたぶん、「玉蘭花ユィランホア」かなと思いました。台湾の街中では針金を通して飾りやすくされた玉蘭花が手売りされています。とってもいい香りがするので、タクシーの車内で芳香剤代わりにぶら下げられていることも多いんです。KEACONさんが乗ったタクシーの車内はいい香りだったのかな?と想像したりしました。

玉蘭花、買ったばかりでまだ花が開いていない状態だとこんな感じです。

バイト先で知り合われたパート事務員のAさんとの思い出、じーんとしながら読みました。

「ルールは必ず守るもの、手を抜くのはよくないこと」という価値観を握りしめて社会に出ていたなら、苦しいときに力を抜くことを自分自身に許すことができなかっただろうし、力を抜いた自分を責めていたかもしれません。

【往復書簡】近藤弥生子さま from KEACON。力を抜くことを教えてくれた人 #5

KEACONさんはこう書かれていたけど、KEACONさんにとっての苦しい時って、どんな時だったんだろう? 実際に力を抜きたいほど苦しい時ってあったのかな。いずれにせよ、そのタイミングでお守りになるような言葉に出合えて、本当に良かった。「いざとなったら逃げてもいい」と思えたら、すごく心が軽くなりますよね。

一方で、30代で事務職のパート勤務、二回り上の既婚者の恋人がいて、クレームには「私は社員じゃないから分かりません」と答えていたAさんのことも気になります。上からそう言うように指示されていたのかもしれないし、自分で線を引いていたのかもしれない、という感じなのでしょうか。

高校生とか大学生の頃は、パートでも、正社員でも、「働く大人たち」って同じように見えていたけれど、大人になると、それぞれの立場で発される言葉から、その人の価値観や置かれている背景が透けて見えてきますよね。

街歩きしていて見かけた、立派な玄関と春節飾り。台湾は今週末から春節休暇に突入です。

反抗期だった私の視野を広げてくれた、おばちゃんの存在

「人生の通りすがりで偶然出会えた人が、自分自身の価値観に影響を与えていること」で考えてみたら、今から30年ほど前、私が高校生だった頃に出会った、あるおばちゃんのことを思い出しました。

またちょっと長くなるんだけど、聞いてもらえますか?

九州出身の両親のもとに福岡で生まれた私は、国家公務員として森林の研究をしていた父の仕事の都合で茨城県内を何度か引っ越しながら育ちました。

最も長く暮らしたのは、かつての父の勤務先で、水戸市内にあった森林の研究をするセンターの広大な敷地内です。(今は別の場所に移転しています)

さまざまな木を植えて研究する施設だったので、家の周囲はちょっとした森のようになっていました。キジや野うさぎと一緒の暮らしはとても幸せなもので、私はその場所が大好きでした。

木々に囲まれて育ったからか、
木や植物がのびのびしている台湾は、とっても居心地が良いんです。

ところが、センターがあった場所に茨城県庁舎が移転してくることになり、木々は切り倒され、私たち家族は別の場所(同じ県内の日立市)に引っ越すことになりました。

転校したのは中学三年生になるタイミングで、私は大きなショックを受けました。当時、私の生活の中心にあったのは、寝る間も惜しんで続けてきた吹奏楽部でした。やっと三年生になって、自分たちの代で大会で成績を残そうと思っていた矢先の転校に、目の前が真っ暗になったような気持ちでした。

これまで家族のように慣れ親しんできた木々が切り倒されることにも心を傷めていた矢先、この県庁舎の移転新築工事に大規模な汚職が絡んでいたことが発覚したのです。当時の県知事がゼネコン側から巨額の賄賂を受け取り、起訴されました。(その後、一審公判中に元知事は亡くなり、ゼネコン幹部は贈賄罪で有罪が確定)

「子どもも自然も、大人の都合で振り回されてばかりだ。大人なんて、信じられない」ーー次第に、私は反抗期に入りました。

高校生になった私は、親と衝突し、家出を繰り返しながら、当時暮らしていた日立市から水戸市まで、片道30分ほどの電車通学をしていました。

そんななかで、あのおばちゃんと出会ったのです。

反抗期全開だった当時の私は、右耳に4つ、左耳に5つ、合計9つのピアスホールを空け、ミニスカートにルーズソックスというスタイルで通学していました。

親からは「みっともない」と厳しく叱られていましたし、ルーズソックスは高校の風紀担当の教師に見つかると、見せしめに皆の前で火を付けて燃やされました。下校中の駅で見張っていたその教師に見つかり、ホームまで追いかけられたこともあります。

そんな状況でしたから、電車内や駅、家に帰る途中で痴漢に遭っても、「そんな格好をしている方が悪い」と叱られるのは目に見えていました。夜、電車を降りた瞬間後ろからはがいじめにされ、人気のないホームの階段裏に連れ込まれて性加害されそうになった時も、帰り道に下半身裸の男に車で追い回された時も、誰にも言えませんでした。

でも、毎朝の電車で会うおばちゃんは違いました。

おばちゃんは、常磐線という福島県のいわき駅が始発の在来線の、始発近くの駅から乗って来るようで、毎朝、同じ車両の同じ場所に座っていました。

当時の私は、日立から水戸のそれぞれ違う高校に通う同年代の知人友人たちと毎朝同じ車両に乗り、おしゃべりしながら通学していたので、いつもそこに座っていたそのおばちゃんとも話すようになりました。

ある冬の朝、おばちゃんが私にプレゼントをくれました。

ジャスコというショッピングセンターの、プレゼント用の包装袋に入っていたのは、暖かそうな手袋でした。

自宅から駅まで自転車を漕ぎ、電車に乗り込んだ私の太ももは寒さで真っ赤になります。ミニスカートを履いている私の自業自得なのですが、おばちゃんは、私が寒そうにしているのを心配して、手袋をプレゼントしてくれたのでした。

他の大人たちのように、頭ごなしに私のミニスカートを叱りつけたりせず、おばちゃんが私を見ていてくれたことがとても嬉しくなった私は、踏み込みすぎないように気をつけつつ、おばちゃん自身のことを質問するようになりました。

そして分かったのが、おばちゃんは、汚職事件が発覚した茨城県庁舎の移転新築工事で派遣スタッフとして働くため、毎朝常磐線に乗って、水戸の現場まで片道二時間以上かけて通っているということでした。

「仕事があって助かる」と、おばちゃんは話してくれました。
でも、「この工事が終わったら仕事がなくなる」とも言っていました。
その仕事で得たお金で、私に手袋を買ってくれたのでした。

「私のことを見ようともせず、ルールばかりを押し付けてくる大人なんて嫌い」と思っていた高校生の頃の私に、「そんな私自身も、木だけ見て、森を見ようとしていなかった」と気づかせてくれたのは、名前も素性も知らない、おばちゃんの優しさでした。

汚職事件がなくても県庁舎は移転していたのだろうし、そこで大人たちを恨むのも視野の狭い話だと、子どもなりに薄々気付いてはいたけれど、おばちゃんのおかげでやっと現実を認め、受け入れられるようになりました。

これが、同じ時代、同じ世界で子育てするKEACONさんに私が伝えたいと思った「価値観を変えてくれた出来事」です。なにせ30年以上前の話だから、所々の記憶が自分の都合の良いように上書きされていると思うけれど。

当時は「北風と太陽」ってこんな意味なのかなと思ったりしたけれど、よくよく考えてみると、台湾もまさに、おいしい食べ物で「北風と太陽」やってるなって思ったりします。みんな結局、台湾のおいしい食べ物にコロリと魅せられちゃうんですよね。

この廟の境内では、何軒ものごはん屋さんが店を開くんです。
ガジュマルの大木の木陰で食べる朝食は最高です。
昨夜、ヨガの帰りに夜ごはんを食べようと立ち寄ったお粥屋さん。
夜9時半でも店内は満席、おかずもたくさん! 好きなおかずを選んでお粥と一緒に食べます。

➤ KEACONさんのお返事が来ました!


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近藤弥生子 | 台湾在住ノンフィクションライター こちらでいただいたサポートは、次にもっと良い取材をして、その情報が必要な誰かの役に立つ良い記事を書くために使わせていただきます。ありがとうございます!