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京都の名刹🌸特別展「京都・真如堂の名宝」龍谷ミュージアム→三井記念美術館

洛東に伽藍を構える真正極楽寺こと「真如堂」は、平安時代に戒算上人が開いた天台宗の古刹です。本尊は比叡山から遷した阿弥陀如来で、都の念仏信仰を代表する寺院として栄えてきました。本展では真如堂に伝わる仏像や仏画、経典、近世絵画に、真如堂創建当時の都の平安仏を加えた約100件をご紹介します。

この展示会は、4/18~6/14は京都・龍谷ミュージアム、7/4~8/30は東京・三井記念美術館となっています。

https://x.com/ryukokumuse/status/2047155379134693472

真如堂の詳細なNOTEは次の通り。

年に一度、本尊を見仏できます。本尊は阿弥陀如来立像で、脇侍は千手観音立像と毘沙門天立像です。


▼公式/メディア情報

 龍谷ミュージアムの図録も良いが、高いなと思う方は次はいかが??

▼展示会の概要

本展では、真正極楽寺(真如堂)の創建から現代に至る千年の歩みを、比叡山や三井家との関わり、そして都の仏教美術の精華を通して辿ります。本尊「うなずきの弥陀」にまつわる女人救済の伝承から、応仁の乱後の再興を支えた豪商・三井家との深い絆まで、寺に伝わる国宝・重文を含む名品を一堂に展示。創建当時の平安彫刻の名品も併せて紹介し、今も人々の信仰を集め続ける真如堂の歴史的意義と、豊かな造形美の魅力を浮き彫りにします。

第1章:真如堂の創建と「うなずきの弥陀」

本章では、真正極楽寺(真如堂)の創建と、本尊「うなずきの弥陀」の由来を紹介しています。比叡山の戒算上人が、慈覚大師円仁作の阿弥陀如来を一条天皇の母・東三条院の離宮に移したのが寺の始まりです。円仁が「女人救済」を願うと、仏像が首を振って応えたという伝承が「うなずきの弥陀」の名の由来です。会場では、寺の歴史を記した重文『真如堂縁起』や、慈覚大師ゆかりの品々を通してその信仰の原点を辿ります。

第2章:真如堂に伝わった仏教美術の精華

本章では、真如堂に伝来した多彩な仏教美術の精華を紹介しています。平安時代から江戸時代に至るまでの地蔵菩薩像や不空羂索観音像といった彫像に加え、浄土教の信仰を象徴する「阿弥陀来迎図」や「仏涅槃図」などの絵画が数多く並びます。特に、鎌倉時代の名工・院蓮による阿弥陀如来立像や、緻密な「刺繍釈迦三尊来迎図」は見どころです。千年の歴史の中で守り伝えられてきた、天台浄土教の豊かな造形美と深い信仰の広がりを辿ります。

第3章:真如堂の歴史と三井家

本章では、応仁の乱などの荒廃を経て再興を遂げた真如堂の歩みと、豪商・三井家との深い絆を紐解きます。真如堂は時の権力者や民衆から厚い信仰を集め、数多くの名品や古文書が伝来しました。江戸時代、三井家は真如堂を菩提寺の一つとして手厚く保護し、本堂の再建や寺宝の寄進に尽力しました。三井家歴代の肖像彫刻やゆかりの品々を通し、寺院の護持に大きな役割を果たした名家の歴史とその信仰の姿を紹介します。

第4章:真如堂創建当時の都の仏像

真如堂が創建された平安時代中期(10世紀から11世紀頃)の京都とその周辺における仏教彫刻の様相を展望します。当時の都では、円熟味を増した優美な和様彫刻が確立されつつありました。近隣の寺院に伝わる阿弥陀如来、地蔵菩薩、薬師如来などの諸尊を展示し、当時の人々が寄せた祈りの形を浮き彫りにします。真如堂の創建という歴史的事象を、同時代の優れた造形遺品群と比較することで、当時の信仰空間を立体的に再現します。

▼▼▼仏像感想▼▼▼

 特別展では、京都や滋賀に伝わる10~11世紀の仏像も合わせて紹介する。寺外初公開のものも多く、常時10点以上を観覧できる。中には、10世紀後半に制作された真如堂の本尊の特徴を模倣したものも複数並ぶ。

  • 阿弥陀如来

    • 印相に注目!!基本的に真如堂の阿弥陀如来の右手は親指と中指をつけて、薬指を曲げているのだが、仏像によってはそうなっていないものもある

    • 髪は清凉寺式釈迦如来のようになっている

    • 額は狭いものが多いが、バランスが良いためか、違和感はない

真如堂 #法輪院

19:木造阿弥陀如来立像 @ 院蓮作:鎌倉・建長5年(1253):★★★★☆

 もしかして快慶工房のものかもな?と期待していた三尺阿弥陀だったが、修理の際に胎内から銘文が見つかり、鎌倉時代の13世紀半ばに院派仏師・院蓮作が判明したようだ。右指は親指と人差し指をつけるベーシックな印相。衣文はY型になっている。前のめり具合が高い位置に安置され、見上げる感じで近いところから拝む設計にしたのだろうと思った。

 体内から墨書が見つかり、京都を中心に活躍した「院派」の有力仏師、院蓮(いんれん)の作であることと、1253(建長5)年に制作されたことが明らかになった。
 それまでは、顔立ちや玉眼などから運慶・快慶に連なる奈良仏師「慶派」の作と想像されてきた。制作者と制作年が判明した意義について、石川知彦副館長は「当時の慶派の作風が、院派にも影響を及ぼしていたことが分かる」と語る。

真如堂 #喜運院

20:木造阿弥陀如来立像:鎌倉時代 13世紀

 台座から像を立たせる方法が特殊で、足の裏がきれいに見られるという。足と台座をつなぐ部分は足の裏にほぞを作って台座にはめ込む。しかしこの像は足の裏ではなく、本体部分に金属の棒を埋め込んで台座に固定している。仏像の足裏には仏足文が描かれることも多く、石川副館長は「この像には描かれていないが、ほぞを作ると仏足文が表現できない。だから、足裏にほぞを作ることがはばかられたのではないか」と分析する。

 本展では展示されないが、真如堂の本尊「阿弥陀如来立像」は、喜運院の立像同様に足裏にほぞがない。この本尊が制作されるまで、日本で作られる阿弥陀如来は坐像ばかりだったという。本尊が作られる直前、清凉寺(私のNOTE)に阿弥陀如来の立像が中国から持ち帰られて話題をさらった。石川副館長は「清凉寺の像を参考にして、真如堂の本尊は阿弥陀如来の立像で作られた。その後、日本でも阿弥陀如来立像が当たり前に作られるようになった。その点でも非常に重要な仏像だ」と話している。納得!!

#真如堂 (真正極楽寺)

 創建は平安時代の984年。比叡山延暦寺を総本山とする天台宗に所属し、正式名称は「真正(しんしょう)極楽寺」。正真正銘の極楽の霊地という意味で、本堂を表す「真如堂」が通称として広まった。都の念仏信仰の中心として栄えたという。

5:木造阿弥陀如来立像:江戸時代 17~18世紀/6:木造阿弥陀如来立像:江戸時代 18世紀:★★★☆☆

出開帳時の御前立だったようで、本尊を忠実に模刻しているとされる。本尊が来なかったのは残念ですね。本尊御開帳は次のNOTEを参照ください。(★秘仏公開★女性の願いを叶える「真如堂」安倍晴明念持仏!藤原詮子と一条天皇の思い|やんまあ

「うなずきの阿弥陀」の造形美
 
この立像の最大の特徴は、その名の通りわずかに首を前に傾けた(うなずいた)ポーズにあります。

  • 慈愛の表現: 多くの阿弥陀如来像が直立不動で超然としているのに対し、この像は「人々の願いを聞き届ける」という一歩踏み込んだ姿勢を見せています。江戸時代の仏像らしい、親しみやすさと装飾性のバランスが取れた造形です。

  • 截金(きりかね)の繊細さ: 17〜18世紀の作ということもあり、衣の文様などに施された細かな金箔の意匠が、お堂の静謐な空気の中で鈍く光る様子は、非常に格調高いものがあります。

鑑賞の余韻としての背景
 
この像には、比叡山の戒算上人が「修行者の守護」を願った際、阿弥陀様が首を振って拒否し、「女人救済(すべての人々を救うこと)」のために下山することに同意してうなずいた、という伝説があります。

  • 動的な瞬間: 静止しているはずの木像から「動き」や「物語」を感じさせるのは、当時の仏師の技術力の賜物です。特に横から拝見した際の、そのわずかな角度の絶妙さに、江戸時代の職人のこだわりが凝縮されています。

18:木造 地蔵菩薩立像:平安時代後期 10世紀:★★★☆☆

 まるでスキージャンプの踏み切り直前のような前傾姿勢ですか?というぐらい前傾姿勢である!?元大元師堂に安置されていた一木で彫眼、持仏は左手に宝珠と来れば、右手は錫杖だが、錫杖は持っていなかったところに平安時代の名残だと思った。そうだ、浄瑠璃寺(私のNOTE)の地蔵菩薩立像などと同じだと気づく。

21:木造 地蔵菩薩立像:鎌倉時代 13世紀:★★★★☆

 こちらは鎌倉時代の地蔵菩薩立像で、右手には錫杖を持っていた。18の後ろにあるので、数回行ったり来たりして見比べるべき。

 「鎌倉地蔵堂」に祀られる地蔵菩薩立像は、鎌倉時代(13世紀)に制作された、能の「殺生石」の物語に由来する歴史ある名像。家内安全、福寿、延命、さらには冤罪を晴らすなど、心の病を癒すご利益があると信仰されている。

22:木造不空羂索観音立像:室町時代 16世紀:★★★★☆

書院に安置されており、寄木造・漆箔の像。本尊の阿弥陀如来立像や親鸞聖人像とともに書院の仏間に安置されている。展示の説明には肥後定慶の仏像を意識しているとあった。確かに~と思うのであった。

肥後定慶と読んで、どれくらいの人が、なるほど!!と気づくのかと呟いた。肥後定慶は運慶の次男坊で、運慶・快慶の次世代エースである。代表作は国宝になった大報恩寺ですね。現存してコンプリートしている変化六観音は唯一無二です。

 不空羂索観音は、宗派によって変化六観音に入る。基本的には藤原氏が大好きな観音である。あらゆる衆生を漏らさず救うという強い意志を感じさせる名品。鹿皮を纏い、複数の腕で羂索(投げ縄)を持つ複雑な姿ながら、均衡の取れた立ち姿に職人の技術が光る。平安期の重厚な地蔵菩薩、江戸期の動的な阿弥陀如来の中間に位置する本作は、装飾性と写実性が調和し、時代ごとの信仰の形の変遷を象徴するような、凛とした存在感を放っている。

23:木造 釈迦三尊像 釈迦如来坐像・普賢菩薩騎象像・文殊菩薩騎獅像:江戸時代 17世紀:★★★☆☆

美しい!!茶所に安置されている。

24:木造 妙見菩薩倚坐像:江戸時代 17世紀:★★★☆☆

新長谷寺に安置されている。元々は吉田山にあったお堂で神仏分離令でここに遷ったかと。つまりは吉田神社(私のNOTE)の神宮寺のものという解釈で良いかと思う。

ちょっと本NOTEは写真が少ないので寺に拝観したときの写真をどうぞ!!

次の写真に妙見菩薩倚坐像は居ない気がする。右側の閉じた厨子っぽいな・・。

 最後に、上の写真に「藤原山陰」とある。分かった!今でも吉田神社に藤原山陰を祀る「山蔭神社」がある。そこから来たんだ!!と思う。。。

70:木造 三井高利夫妻坐像:江戸時代 17世紀/71:木造 三井高平坐像 @ 平櫛田中作:昭和20年(1945)/72:木造 三井高房坐像:江戸時代 18~19世紀:★★☆☆☆

 三井家に伝わる木造坐像(肖像彫刻)です。それぞれの像は異なる時代や作者によって制作された、三井家ゆかりの貴重な文化財。三井家は真如堂を菩提寺にしていたこともあり、繋がりが強いようですね。

73:木造 摩多羅神坐像(宮殿入) @ 駒井柳朝作:江戸時代 18世紀:★★☆☆☆

真如堂の摩多羅神坐像(18世紀)は、江戸時代の仏師・駒井柳朝の手による、極めて独創的で異彩を放つ。天台密教の秘神らしい神秘性を湛えつつ、宮殿に収まるその姿は、江戸期特有の精緻な工芸技術と装飾美の極致を示している。他の仏像とは一線を画す、どこか超越的で不敵な表情や、独特の法衣の質感は、見る者を圧倒する「個の力」を持っている。

2027年1月に『摩多羅神 密教中心に信仰された謎神』を出すので、おお~と思った。

京都: #大念寺

4:木造阿弥陀如来立像@重文:鎌倉・仁治4年(1243):★★★☆☆

真如堂の阿弥陀像に似た快慶風の繊細な衣の表現や、左手の結印(来迎印)が特徴的な約80cmの寄木造り。

 今回、本尊は展示されないが、鎌倉時代に本尊を模してつくられた大念寺(京都府大山崎町)の阿弥陀如来立像(重文)や、江戸時代に真如堂の本堂を再建する費用を工面するため江戸や大坂で行われた出開帳に向けてつくられた阿弥陀如来立像が公開される。

京都の古刹・真如堂の至宝が一堂に 龍谷ミュージアムで特別展始まる [京都府]:朝日新聞

京都: #穴太寺

7:木造阿弥陀如来立像:江戸時代 18世紀:★★★★☆

本尊と酷似しており左手は親指と中指・薬指を曲げている。

→寺の詳細NOTE

京都: #福田寺

86:木造地蔵菩薩立像:平安時代前期 9~10世紀:★★★★☆

京都市南区の寺ですね。なんだこの地蔵菩薩の表情は誰なのか・・妖怪人間ベム・ベラ・ベロ~の顔だ!と思ったのですが・・・。失礼しました。。

ある夜、行基菩薩の夢に2人の僧が現れます。行基菩薩は僧たちにいざなわれて園林にたどり着き、この地の大木をもって二尊像を作るよう告げられます。
夢から覚めた行基菩薩が、僧たちに教えられた地を訪ねてみると、そこには夢に見た園林がありました。念仏を唱えて霊験を祈ったところ、2本の樫の木からまぶしい光とともに釈迦如来と地蔵菩薩が示現。行基菩薩は2本の樫の木をもって釈迦如来と地蔵菩薩を刻み、二尊を安置する精舎を建立しました。それこそ、福田寺と伝わります。

福田寺:https://www.fukudenji.com/aboutfukudenjitemple#dataItem-lwknm49n

→寺の詳細

滋賀: #若王寺

87:木造如来立像(伝弥勒仏):平安時代後期 10世紀

一方で、若王寺は近隣の式内社·佐久奈度神社(さくなどじんじゃ)の神宮寺であったとされます。佐久奈度神社は、瀬田川を象徴する神·瀬織津姫(せおりつひめ)を祭神とします。本像は後頭部の細かい彫刻を省略し、粗いノ三跡を残しますが、このような特殊な表現は本像が本地仏(ほんじぶつ·神の本体·正体)であるためとする説もあります。

琵琶湖文化館:http://www.biwakobunkakan.jp/db/db_02/db_02_022.html

佐久奈度神社の神宮寺だったんですね。

京都: #正法寺

88:木造阿弥陀如来立像:平安時代後期 10世紀:★★★☆☆

金が多く残っているが金泥ではなく金箔感が強く、前のめり具合が強い。檜材の一木造で、鎌倉時代ではないので彫眼。肉髻が小さくなだらかで、目鼻立ちが小さく、天台系仏像の特徴が見られる。金箔が残っているが、衣の部分は素地が現れているのが面白い。

→寺の詳細NOTE

んっ?どこの「正法寺」と思っていましたが、八幡市のものでした。

滋賀: #西教寺

89:木造薬師如来立像:平安時代後期 10~11世紀:★★★☆☆

本堂の左脇壇に安置されている平安仏。平安時代の薬師如来立像だな~と思わせる風貌で、衣文は神護寺などの薬師如来立像に似ていると思った。

西教寺 ―大津の天台真盛宗の至宝―(https://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/news/2106.html

見たな~と思ったら大津市歴史博物館ですね。

→寺の詳細NOTE

しかし、2026年の西教寺は、いろいろ仕掛けてきますね~。

京都: #長源寺

90:木造薬師如来立像@重文:平安時代後期 10世紀:★★★★☆

 延暦寺本堂の薬師如来立像を模造しているとする。顔は小さく、衣文はY型である。

→長源寺@京都 薬師如来立像@重文
 京博の仏像ゾーン(1階)のトップバッターですね。衣文がYっており、奈良・室生寺、京都・神護寺などに多い、古刹の旧式薬師如来ですね。薬師如来の多くは坐像なんですけど、立像を複数展示しているのも、この展示会の見どころかも!
 この手の形が「天台系薬師」なんだそうな。ということで、天台系薬師を見比べ!!が見どころ
ですね。
 さて、延暦寺の根本中堂には、その昔は薬師如来立像が多く安置されていたそうで、その様式がこの長源寺の薬師如来なんだそうな。

★仏像展★伝教大師1200年大遠忌記念特別展「最澄と天台宗のすべて」in京博
https://note.com/yanma_travel/n/n88e916a1c34c#cf73e758-ec17-4140-aa28-28c5ea7882e9

→寺の詳細NOTE

どっちだろうか??京都市のほうだと思うけど。

京丹波町にもある・。

滋賀: #九品寺

91:木造聖観音立像:平安時代後期 10世紀:★★★☆☆

『大津の文化財』によりますと、概要は「両手の肘から先と両足先を除く大半を一材から刻み出し、体部背面から内刳(うちぐり)をほどこしている。丸々とした顔に伏せ加減の切れ長の目とめくれかえったような唇をあらわす。この表情や、着衣の重ね方や折り返し方、さらにはひだの刻み方にいたるまで、京都・八瀬文化財保存会所蔵の十一面観音立像に近く、同一工房の作であろう。制作時期の目安となるのは、正暦四年(九九三)頃の作ん考えられる甲西町善水寺(ぜんすいじ)の梵天(ぼんてん)・帝釈天像(たいしゃくてんぞう)で、本像もほぼ十世紀末の造立とみてよい。九品寺の客仏として伝来しているが、おそらく古代から中世にかけて大津東浦を支配した延暦寺(えんりゃくじ)の関連寺院の一堂に、本尊として安置されていたものだろう。」とあります。また同資料によりますと、像高172.4cm。滋賀県指定文化財(平成9年3月31日指定)です。なお甲西町は現在湖南市になっています。カラー写真あり。 

https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000102707&page=ref_view

→寺の詳細NOTE

大津市歴史博物館の仏像展以来ですね。

滋賀: #石山寺

92:木造阿弥陀如来坐像:平安時代後期 10~11世紀:★★★☆☆

 額が狭いというメモ。(執筆疲れで手抜き発生)

→寺の詳細NOTE

延暦寺 #松禅院

93:木造 普賢菩薩坐像:平安時代後期 10世紀:★★★☆☆

真如堂の塔頭・松禅院に伝わる「木造普賢菩薩坐像」は、10世紀(平安時代後期)の作とされる貴重な仏像。金泥の截金が美しい坐像ですね。小さいので正面から見るとふ~ンと思うが左右と後ろから見仏すると細かい細工に気づくことが出来る。『大津市歴史博物館開館 25 周年記念 企画展「比叡山 -みほとけの山-」』で出展されていますね。

京都: #恵福寺

94:木造阿弥陀如来立像:平安時代後期 10~11世紀:★★★☆☆

近くの法界寺(日野薬師)の塔頭寺院として創建された歴史を持ち、平安時代の仏像を複数所蔵している。関連寺宝: 同じく平安時代作とされる丈六(約2.68m)の「腹帯地蔵(木造地蔵菩薩坐像)」も有名で、安産祈願の寺として信仰されている。

→寺の詳細NOTE

ああ~通ったな~行っておくべきだったか・・。そんな旅行記は『パンと抹茶と藤の花|伏見から宇治へ、五感で楽しむ京都一日旅!そして153年ぶり秘仏公開&京都非公開文化財特別公開◆京都宇治③伏見山科⑫◆|やんまあ@旅行記』です。

京都: #法伝寺

95:木造阿弥陀如来立像:平安時代後期 10~11世紀:★★★☆☆

→寺の詳細NOTE

違うか・・と思ったが伏見区でした。

京都: #平等寺 (因幡堂)

96:木造薬師如来立像@重文:平安時代後期 11世紀

 ※東京のみ

→寺の詳細NOTE

京都: #誓願寺

97:木造毘沙門天立像:平安時代後期 11世紀

※東京のみ

→寺の詳細NOTE

滋賀: #園城寺 (#三井寺)

98:木造 不動明王坐像 @ 盛忠作:平安後期・長和3年(1014):★★★★☆

教科書的な不動明王坐像ですね。サクラの一材が珍しい。康尚の同聚院
を意識していると言われている。

両目を見開き上歯を出したいわゆる高雄曼荼羅様の不動明王像で、 均斉のよい穏やかな姿に表されます。
昭和六十二年度に行われた保存修理時に像内の銘文が知られ、 長和三年(1014)僧良海が発願し、 仏師僧盛忠が制作したことが明らかになりました。
特徴
像は両手までサクラの一材から彫られ、像底から内刳りし別材製の底板を当てています。 表面は現在ほとんど黒変していますが、肉身は群青、髪は丹彩で、 衣には繧繝を主とした種々の文様と截金籠目などが残り、当初は本格的な彩色が施されていました。 光背のほとんどと台座の最上段も当初のものです。

http://www.shiga-miidera.or.jp/treasure/bi/03.htm

→寺の詳細NOTE

京都: #頂法寺 (#六角堂)

99:木造毘沙門天立像:平安時代後期 11世紀:★★★★☆

本尊・如意輪観音坐像の宮殿脇に安置されている。小像の毘沙門天で邪鬼がスンとしている。

→寺の詳細NOTE

▼▼▼仏像以外で国宝・重要文化財▼▼▼

 仏像以外では、真如堂に伝わる国宝「運慶願経」は必見。1181年、平氏が東大寺や興福寺など奈良の仏教寺院を焼き払い、その復興には運慶ら奈良仏師が大きな役割を果たした。復興に向けて運慶の発願で作った法華経の写しが運慶願経。お経の軸には焼け残った東大寺の柱が使われている。

真如堂(真正極楽寺)

1:真如堂縁起 巻上 @ 絵:掃部助久国筆、詞:後柏原天皇宸翰 ◎:室町・大永4年(1524)/45:真如堂縁起 巻下 @ 絵:掃部助久国筆、詞:三条西実隆・定法寺公助筆 ◎:室町・大永4年(1524):★★★★☆

  • 本尊の由来: 慈覚大師が柏の霊木から阿弥陀如来像を刻んだ経緯や、円仁の入唐にまつわる物語が描かれています。

  • 応仁の乱の描写: 京都が戦場となった応仁の乱の生々しい様子が描かれており、歴史的に高い資料価値を持っています。

  • 制作背景: 真如堂住持・昭淳(しょうじゅん)の意向で制作され、詞書は後柏原天皇、三条西実隆など当時の朝廷の貴人や僧侶が揮毫した豪華な作品です。

  • 伝説・逸話: 額に白毫(びゃくごう)がない「うなずきの阿弥陀」の由来や、安倍晴明の復活場面などが描かれています。

掃部助久国(かもんのすけ ひさくに)
 室町時代後期(16世紀前半)に活躍した画工で、真如堂(真正極楽寺)の縁起絵巻を制作した人物として知られます。重要文化財『真如堂縁起』(3巻、1524年作)を描き、土佐派とは異なる独特の画風が特徴です

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さて、円仁と苗鹿明神というキーワードが多かった。苗鹿明神って??

苗鹿明神
滋賀県大津市苗鹿にある那華神社(なかじんじゃ)、あるいはその祭神を指します。比叡山の東麓に位置し、古くから比叡山延暦寺や日吉大社と深い関わりのある聖地です。
特に、比叡山中興の祖とされる慈恵大師(良源/元三大師)の誕生伝説と深く結びついており、歴史や伝説、信仰が重なり合う非常に興味深いスポットです。

44:法華経(運慶願経)巻第二〜七 @願賀筆 ◎:平安後期・寿永2年(1183):★★★★★

 度々、運慶や快慶などのエビデンスの1つとして出てくる「運慶願経」が出てきた。やっぱ読めなかった・・・。(;・∀・)

 奈良・興福寺の僧であった願賀によって書写されたと伝わる法華経で、いわゆる「運慶願経」の一部。運慶一門の造仏事業に際し、功徳を願って奉納された写経と考えられる。平安末期の端正な筆致をよく伝え、鎌倉仏師の活動と密教的・法華信仰が結びついた貴重な史料である。

 運慶願経は、1181年に平氏に焼き打ちにされた東大寺(私のNOTE)や興福寺(私のNOTE)の復興を願って運慶が法華経を書写させた。軸には焼け残った東大寺の柱が使われている。

53:慈円消息 @ 慈円筆 ◎:鎌倉・建暦元年(1211)

鎌倉時代初期、建暦元年(1211)に慈円が記した直筆の書状「慈円消息」は、宗教と政治が密接に結びついた中世社会の実態を伝える貴重な史料である。天台座主として朝廷や武家と関わった慈円は、寺院運営や人事、時局への認識を具体的に書き記しており、その内容からは冷静で理知的な判断力がうかがえる。後に著した歴史書『愚管抄』へとつながる思想の一端も読み取れ、単なる手紙を超えた“生きた歴史”を示す作品である。

48:安倍晴明蘇生図:江戸時代 17世紀

江戸時代17世紀に描かれた「安倍晴明蘇生図」は、平安の陰陽師安倍晴明の霊力を描いた説話絵である。晴明が急病で亡くなり冥界へ赴くと、閻魔大王のもとに至るが、そこへ不動明王が現れ、娑婆へ戻すよう強く直訴する。やがて晴明は蘇生し現世へ帰還する。史実ではなく後世の伝承をもとにした内容で、江戸時代における晴明信仰や陰陽道への憧れを反映した、宗教観と娯楽性が融合した作品である。

49:安倍晴明五行印由緒書 @ 忠淳筆:室町・文安5年(1448)

室町時代・文安5年(1448)に忠淳が記した「安倍晴明五行印由緒書」は、陰陽師安倍晴明に由来する五行印の起源と霊験を伝える文書である。五行思想に基づく護符の由来や効力が説かれ、災厄除けや加護をもたらすとされた信仰の実態がうかがえる。史実というより伝承的要素が強く、中世における晴明信仰の広がりと陰陽道の受容を示す貴重な資料である。宗教的実践と民間信仰が結びついた様相を伝えている。

▼まとめとオマケ

▽真如堂と三井家(菩提寺化の背景と遺構)

真如堂(真正極楽寺)が三井家の菩提寺(香華院)となった背景には、近江出身の商人である三井家の信仰と京都進出が深く関わる。三井家はもともと下鴨神社を氏神として崇敬していたが、京都での活動拡大とともに天台寺院である真如堂との関係を強め、先祖供養の場として定着していった。特に江戸時代以降、財力を背景に寺院再建や什宝寄進を重ねたことで、両者の結びつきは決定的となる。

境内には三井家一族の広大な墓所が形成され、家祖三井高利をはじめとする諸家の墓碑が並ぶほか、守護神を祀る社も残る。また享保2年(1717)の本堂再建にも大きく関与し、現在の伽藍景観の形成に寄与した。これらの遺構は、単なる檀那関係を超え、真如堂が三井家の精神的拠り所として機能してきた歴史を今に伝えている。

▽安倍晴明と真如堂

安倍晴明と真如堂(真正極楽寺)に、直接的な史実関係は確認されていない。しかし中世以降、両者は信仰の広がりの中で緩やかに結びついていく。晴明は陰陽道の象徴として、疫病除けや厄災消除の霊力を持つ存在とされ、その名は貴族から庶民まで広く浸透した。一方、真如堂は天台宗寺院でありつつ阿弥陀信仰を基盤に現世利益も重視し、多様な祈願を受け入れる場であった。

こうした環境において、五行思想や呪術的要素を伴う晴明信仰は寺院空間とも親和性を持ち、護符や縁起、由緒書などの形で取り込まれていく。「安倍晴明蘇生図」や「五行印由緒書」に見られるように、晴明は冥界すら動かす存在として再解釈され、その霊験は仏教的世界観とも融合した。結果として真如堂は、天台・浄土信仰に加え、陰陽道的要素も内包する多層的な信仰の交差点となり、中世から近世にかけての宗教文化の豊かさを今に伝えている。

▽最後に

本NOTEは京都開催の模様ですが、この後は東京に移ります。そう「三井記念美術館」で開催という所に、運命を感じませんか?

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