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◆特別展◆北野天満宮と刀剣乱舞「北野天神」国宝&重文乱舞!京都国立博物館

 国宝・重要文化財48件を含む約140件を「天神信仰」「北野天満宮の歴史」「北野天満宮と芸能・文化」の3章立てで構成。天神信仰の成立から広がり、芸能・文化への影響までを、日本各地のゆかりの社寺に伝わる貴重な品々で総合的に紹介する大規模な展覧会。

 また、京都国立博物館と北野文化研究所の調査によって発見された作品や、日本各地の天満宮・天神社、社寺に伝わる名品の数々から、これまであまり語られてこなかった天神信仰の多様な側面と、これらが日本文化の中で果たしてきた重要な役割が本展で紐解かれます。

 てな感じで、大ボリュームのダラダラ書きっぷりの記録です。このNOTEが書いていることは次の通りです。

  • 史上初! 全巻公開の「承久本」絵巻の見どころ

  • 気に入った展示と解説

  • 仏像好き必見! 大報恩寺(千本釈迦堂)や慶派・院派の繋がり

  • 刀剣ファンへ: 髭切・膝丸の撮影ポイント

  • 独自視点: 菅原道真のルーツは「出雲」と「アマテラス」?

  • 100年間誰も疑わなかった定説が、一回の内覧会で覆った話

二つほど、他の人は書かないであろう息抜きを入れています。これで1.23倍ほど展示会が楽しめるかも。

  1. ▼コラム:菅原道真を辿ると出雲大社宮司に繋がりアマテラスに行きつく

  2. ▼コラム:天神アマテラスと天神菅原道真▼

 最後に「#刀剣乱舞ONLINE」とコラボし、ロビーに人気キャラクターの等身大パネルが登場。ショップではコラボグッズを販売、館内レストランではコラボメニューも提供している。刀剣ファン垂涎の企画が目白押しのよう。ただ、初日あたりに行った人は大変だったよう・・・。

変更履歴

  • 2026/05/14:TOP画像変更

 内覧会に先立つ開会式では、京博の松本伸之館長が「最新の知見を取り入れながら天神信仰ゆかりの品々を広く集めた。展示の4割が国宝、重要文化財と質の高い内容で、またとない機会をお楽しみいただきたい」とあいさつ。田中隆之・読売新聞大阪本社社長らがテープカットを行った。
(中略)
 内覧した同志社女子大の 朧谷おぼろや 寿名誉教授(古代史)は「承久本は同じ場面を描く他の絵巻よりサイズ、スケールとも圧巻だ」と語り、地蔵院(西京区)坊守の藤田薫さんは「普段遠くからしか眺められない仏像が、細部まで間近で見られてよかった」と振り返った。

※地蔵院(西京区)は私のNOTE「紅葉&苔&竹のコントラストが絶品「地蔵院(竹の寺)」一休さん生誕の地-阪急嵐山線-|やんまあ」参照です。

https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20260418-GYO1T00029/

 2027年は903年から1125年目にあたる年であり、北野天満宮では25年ごとに行われている「半萬燈祭」を開催。特別展「北野天神」はこの「半萬燈祭」を前にして開催される展覧会となる。

「萬燈祭の天神美術について」も書かれた北野天満宮のPDFの記事をリンクしておきます。

 大きな見どころは3点ある。1点目は、国宝「北野天神縁起絵巻(承久本)」の全巻・全場面の公開。1つの展覧会ですべてを公開するのは史上初となる(会期中巻き替えあり)。数多く残る天神絵巻の中で同本は現存最古かつ最大(総長約80メートル、縦52センチ)で、北野天満宮の「根本縁起」かつ最重要の社宝である。道真の生涯と死後の霊威、さらには天神として祀られていく過程をつづった内容で、火災や落雷といった天変地異、地獄での生々しい描写、怨霊から神へと転じる劇的な場面など、ダイナミックなストーリーが展開する。東洋美術史家のアーネスト・フェノロサ(1853~1908年)は手紙の中で、同本を「ダンテの『神曲』に比肩する」旨を書いたという。

国宝「北野天神縁起絵巻」全巻全場面を初公開 「刀剣乱舞ONLINE」コラボも大盛況 京博の特別展 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

なら博の吉野・大峯山展に北野天満宮の鬼像が出ています!ということで、半券で安くなります!!

私の「北野天満宮」NOTEは次の通りです。


▼公式/メディア情報

▼菅原道真の生涯

展示会でもあった漫画が公開されています。やっぱプロは違うな・・。(https://www.kyohaku.go.jp/jp/learn/assets/guides/2026_kitanotenjin_manga.pdf

▼特別展の説明

2026年、京都国立博物館で開催される特別展は、菅原道真を祀る天神信仰の成立と展開を、全国の天満宮・寺社に伝わる名品でたどる大規模展である。国宝「北野天神縁起絵巻」をはじめ、彫刻・絵画・書跡・刀剣・武具など多彩な文化財が一堂に集結し、神仏習合や中世の信仰世界、さらに芸能・学問の神としての広がりまでを立体的に紹介。北野天満宮を中心に、地域を越えて受け継がれてきた信仰と文化の奥行きを体感できる内容となっている。

第1章 天神信仰(作品番号1〜49)

菅原道真の実像から神格化までをたどる章。遺品や古記録、天神像を通して、怨霊として恐れられた存在がやがて学問の神へと変化していく過程を紹介する。さらに御託宣や縁起類により、信仰が広がっていくダイナミズムを読み解く。

失意の中、延喜三年(903)に薨去した菅原道真は、半世紀後の天暦元年(947)に北野の地に祀られます。当初は怨霊でしたが、しだいに善神としての性格を帯び、永延元年(987)に一条天皇より「北野天満大自在天神」の神号を贈られました。この章では人間・道真が天神となる足跡、そして神仏習合により長谷寺や天台宗と関わりを持ち、十一面観音信仰と深く結びついていく様子をご紹介します。

https://www.oricon.co.jp/news/2449730/

第2章 北野天満宮の歴史(作品番号50〜89)

北野天満宮を中心に展開した天神信仰の核心に迫る章。国宝「北野天神縁起絵巻」をはじめとする多様な縁起絵巻や記録類から、中世における信仰の広がりと、社頭の発展・都市文化との関係を立体的に描き出す。

菅原道真が北野の地に神としてまつられるまでの草創の由来と、その霊験説話をまとめた絵巻物が「北野天神縁起絵巻」です。この章では、北野天満宮に伝来した国宝《北野天神縁起絵巻(承久本)》をはじめ、国宝・重要文化財に指定されている「北野天神縁起絵巻」の多くが一堂に会します。また、長い歴史を誇る同宮は幅広い階層の人々から篤い崇敬を集めて繁栄し、幾たびもの社殿の造営や寄進を受けてきました。これら京都の地域社会との結びつきを、北野天満宮に伝来する古記録からたどります。

https://www.oricon.co.jp/news/2449730/

第3章 北野天満宮と芸能・文化(作品番号90〜134)

天神が「学問・芸能・武芸の神」として信仰された側面を紹介する章。和歌・連歌・能楽資料や絵画、刀剣・武具などを通じて、文化の中心としての北野社の役割を明らかにし、人々の祈りが芸能や武の世界へ広がった様相を示す。

現在では受験合格祈願の神社として絶大な人気を誇る北野天満宮ですが、これは奥深い天神信仰の一側面でしかありません。菅原道真は学問のみならず、和歌や芸能、戦勝祈願の神としても敬われ、北野の地は各時代において芸能と文化の一大発信拠点の役割を担ってきました。この章では北野天満宮に奉納された品々や、往時の賑わいを伝える名品を通じて、同宮が日本文化に与えた影響を紐解きます。

https://www.oricon.co.jp/news/2449730/

まとめ

https://www.kyohaku.go.jp/jp/learn/assets/home/tayori/tayori230.pdf

▼▼仏像感想文(★は私のオススメ度)▼▼

#大報恩寺

 北野天満宮の神宮寺の仏像たちの一部は、ここに流れている。

41. 仏像:千手観音立像@重文:1軀:平安時代(10世紀):★★★☆☆

北野天満宮の参拝後に訪れたい大報恩寺ですね。千手観音立像は、平安時代らしい端正で穏やかな表情が印象的で、近づくほどに多くの手が織りなす造形の密度に引き込まれる。一本一本の腕に宿る意味を思うと、「すべてを救おうとする意志」が静かに伝わってくる。華やかさよりも、祈りの本質を感じさせる一体で、北野天神の知の信仰ともどこか響き合う余韻があった。

図録によると法性寺の十一面観音立像@国宝に近い作例で、一材からできているとのこと。

81. 仏像:十一面観音立像(六観音菩薩像のうち)@運慶次男坊・肥後定慶作&国宝:1軀:鎌倉時代(1224):★★★★★

 私を仏像好きに誘った国宝ですね!!元々は重要文化財でした。六道を表現した六観音で仏師は運慶次男坊・肥後定慶!!運慶・快慶次世代のエースですね。中世以前で唯一生き残っている変化六観音!!応仁の乱の難を逃れた理由は、北野天満宮の神宮寺に安置されていたことも大きいと思う!!菅原道真の怨念恐るべし?

過去の九州国立博物館での展示会では写真OKでした。

82. 仏像:傅大士坐像および二童子立像@院隆作&重文:3軀:室町時代(1418):★★★★★

 北野天満宮の寺・経王堂ゆかりの仏像。経王堂の輪蔵に安置されていた。
異色の三尊。経典を広めた在家信者・傅大士の静かな威厳と、両脇の童子の生気ある表情でニコッとしているのが対照的で印象深い。写実と物語性が交差し、室町時代の仏像らしい柔らかな人間味がにじむ構成。信仰の広がりを感じさせる、どこか親しみのある一組。最後に、千本釈迦堂には快慶、行快、肥後定慶と慶派の仏像が多いのだが、この仏像は院派・院隆作であることから、鎌倉時代は慶派で室町時代は院派という組み合わせも面白い。

東博のサイトに写真があります。

最後に、経王堂の輪蔵は、明治初期に愛媛県新居浜市の瑞応寺に移築され、現存しています。

→寺の詳細:変化六観音のすべてあり!国宝!!

#曼殊院

  • 947年から957年、是算国師(ぜさんこくし)を開山に迎え、創建

  • この是算国師は菅原家だったので、明治維新まで「天神さん」で親しまれ、曼殊院は北野天満宮(私のNOTE)を管理していた門跡でもある

42. 仏像:十一面観音立像:1軀:平安時代(12世紀):★★★☆☆

 すらりとした立ち姿に、平安仏らしい優美さが際立つ一体。穏やかな面相と柔らかな衣文が、静かな祈りの空気をまとわせる。頭上の十一面も過度に主張せず、全体の調和を崩さない品格が印象的。華美ではないが、長く見ていたくなる落ち着きと美しい平安仏。
 小さいのは一木造りからだろう。この仏像は北野天満宮に安置されていた。菅原家繋がりであり門跡であることから、ここに遷ったのだろう。菅原道真こと北野天神の本地仏は十一面観音で、長谷寺の影響か右手には錫杖を持つ長谷寺式十一面観音立像が多い認識だが、与願印となっているところも見どころかと。

→寺の詳細

#平等寺

43. 仏像:十一面観音坐像:1軀:南北朝時代(14世紀):★★★★★

 十五面ある・・・小さいが懸仏とすると大きい。坐像ならではの安定感と、やや写実へと傾く時代性がにじむ一体。穏やかながらも芯のある表情に、動乱期の祈りの深さを感じる。頭上の十一面は整然と配され、全体に引き締まった印象。静けさの中に、時代の気配が宿る観音像。ただ、かなり下に目線があるので光背の高いところか念持仏なのではとも思うわけで。。
 最後に、この仏像は、北野天満宮から東寺の塔頭・観智院に遷り平等寺に遷ったとする。

→寺の詳細

 二尊形式の十一面観音は北野天満宮から東寺を経て平等寺に来られたそうな。。。興味深いですね。

私のNOTE

#北野天満宮

15. 仏像:鬼神像:★★★★★

平成13年、本殿内陣の修復作業に伴い、長きにわたる眠りから目覚めた神像群です。科学的な年輪年代測定の結果、959年から968年頃に伐採された木材が使用されていることが判明しました。これは北野天満宮が創建(947年)されて間もない時期に制作されたことを物語る、極めて貴重な一次資料です。

特筆すべきは、その「彫り口」です。表面には力強い「ノミの跡」が残されており、その作風は、後述の天満神社(比良宮)に伝わる天王立像と驚くほど共通しています。同じ時代の同じ息遣いを感じさせるその造形は、「比良の託宣を経て、同じ仏師の手によって一連の守護神たちが造られたのではないか……」という、歴史のロマン溢れる想像を駆り立てずにはいられません。

この像は一軀ではなく、多様な姿を持った集団です。

  • 凄まじい憤怒の形相を浮かべるもの

  • どこかコミカルで愛嬌のある笑顔を見せるもの

  • 修験道の「蔵王権現」を彷彿とさせる力強い姿のもの

今にも動き出しそうな動勢を秘めたこれらの姿は、かつて畏怖された「雷神(怨霊)」と、後に国家を守護する「善神」へと昇華していく天神信仰の激動期を象徴しています。一説には、道真公の眷属とされる「16万8000の悪神」を具現化したものとも言われています。

一方で、古記録には「鬼神のような姿の像が、現代のお地蔵さんのような身近な守護対象として安置されていた」という趣旨の記述もあり、当時の人々がこの異形たちに抱いた「畏怖」と「親しみ」の混在を感じさせます。

北野天満宮の内陣参拝ではガラスケースなしで見仏できます。

44. 仏像:厨子入十一面観音および四脇侍立像:1基:室町時代(15世紀):★★☆☆☆

北野天満宮の御旅所・四之保社(新長谷寺)、一之保社に安置されていた。小さい厨子に入っており本尊は長谷寺式十一面観音立像で、脇侍は長谷寺と同じで「雨宝童子立像」と「難陀龍王立像」。その前には地蔵菩薩立像と不動明王立像となっている。

※本展示会では「雨宝童子立像」を「赤精童子」と表現しているが、有名な名前でNOTEする。

→神社の詳細

#長谷寺

47. 仏像:十一面観音立像@重文:1軀:鎌倉時代(13世紀):★★★★★

 すっと伸びる立ち姿に、鎌倉仏らしい写実性と張りのある気配が宿る一体。柔和な表情の奥にわずかな緊張感があり、救済への強い意志を感じさせる。整然と配された十一面も端正で、全体に引き締まった美しさ。静と動が同居する、見応えある観音像。

 見仏してビックリしたのが金銅仏であること。下から覗き込むとどこか法隆寺の救世観音立像だと思ってしまったのは私だけだろうか?聖徳太子の無念を恐れ包帯のようなものでぐるぐる巻きにされた国宝・救世観音を知った何者かが、救世観音を模して菅原道真の怨念を鎮めたのかと妄想してしまう。そして正面から見ると聖林寺・十一面観音立像@国宝に見えるのは偶然か?聖林寺の仏像は大神神社の仏像だった。神社の神宮寺に安置される十一面観音は険しい顔なのかもしれない。険しいではなく荒魂で表現するのがお約束なのか?

→寺の詳細

#天満神社

14. 仏像:天王立像@重文:1軀:平安時代(10世紀):★★☆☆☆

平安前期の造形様式を色濃く残す、重厚な木彫像です。10世紀という転換期の制作ながら、いまだ素朴な力強さを失っておらず、堂々とした立ち姿には古様ならではの厳格なエネルギーが宿っています。

特に注目すべきは、弾力性を感じさせる張りのある面相と、内側から押し出すような筋肉の質感を捉えた引き締まった体躯です。当時の彫刻に見られる「緊張感」が全体に漂っており、過度な装飾を削ぎ落とした控えめな表現が、かえって守護神としての純粋な威厳を際立たせています。

また、横から像を仰ぎ見ると、ライティングとの兼ね合いによって表面に残された「ノミの跡」がくっきりと浮かび上がります。 この荒々しくも迷いのない彫り跡は、当時の仏師が木と対峙した息遣いを今に伝えており、静かな空間の中でひと際強い存在感を放っています。

本展示会の各資料において「近江」や「比良天満宮」という地名・社名が登場しますが、これらは現在のこの神社を指していると考えられます。

比良天満宮について記載する。

天慶10年(947年)、この地に「天神の託宣」があったと伝えられています。その信託の内容は「比良の地に、天神(道真公)を祀るべし」というもので、その際、すでにこの地には天神像があったとも言われています。この託宣を受けた比良の神職(神良種ら)が、北野の地に社を構えたのが、現在の北野天満宮の始まりであるという一説が残ります。

一説には「比良宮」を白髭神社(私のNOTE)とする見方もありますが、ここに安置される「天王立像」の存在を忘れてはなりません。10世紀制作という制作年代は、まさに北野創建の時期と重なり、その作風には当時の比叡山延暦寺(私のNOTE)との深い思想的・美術的関係性が色濃く反映されています。比叡山の北東(表鬼門)を守護する比良山系の霊性と、当時の最新仏教文化が結びついたこの仏像の存在こそ、この神社を「比良宮」とするのが自然であろうとのこと。

#道明寺天満宮

48. 仏像:十一面観音立像@重文:1軀:奈良〜平安時代(8〜9世紀):★★★☆☆

 菅原道真の「菅原」は奈良・菅原町在住時に名前変更しており、菅原の前は「土師」氏である。道真のお祖母が出家した寺が道明寺であることから、天神以前に菅原氏は十一面漢音と繋がっていたのかも。
 古様を色濃く残す、素朴で力強い一体で私のNOTEではズングリムックリ系と表現している観音様。このズングリムックリ系の仏像を持つところは古寺である。
 量感のある体躯と簡潔な衣文に、奈良仏の流れを感じさせる。表情はどこか厳しさを帯びつつも、静かな慈悲がにじむのが印象的。整然と配された十一面も古式で、時代の息遣いが伝わる貴重な観音像。

→神社仏閣の詳細

すね日本で7体存在する十一面観音のひとつはここにある!国宝である十一面観音立像は毎月18日と25日に拝観することができる。また、重要文化財の十一面観音立像も安置し、そちらの仏師は菅原道真とか。そういえば、大報恩寺にも道真作の坐像が安置されている。

私のNOTE

神奈川 #荏柄天神社

荏柄天神社の本殿には、御祭神·菅原道真公のご神体として「木造天神坐像」と「木造天神立像」が安置されています。いずれも鎌倉時代から南北朝時代にかけて制作された貴重な神像で、現在は国の重要文化財に指定されています。

17. 仏像:天神坐像@重文:1軀:鎌倉時代(1261):★★★★☆

天神、即ち菅原道真の等身の神体像である。瞋怒の情を表し、両肩をそびやかし袖を大きく左右に張って安定よく坐す姿態からは気魄と神像らしい厳しさが感じられる。像内の銘文によって、弘長元年(一二六一)荏柄神主平政泰が願主となって造立したことが解り、しかも像内には脊椎骨や体毛の数なども書いている珍しい遺例で、東洋の解剖学の歴史の上でも貴重な資料である。
 附の天神立像は、主神の左右に十一面観音像と共に祀られていたと伝えられる。製作は南北朝頃と推定されるが、当社における天神像の特殊な安置状況を知る上で貴重である。

https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/5004

1261年に造立されたことが像内の銘文から明らかであり、「荏柄神主平政泰造立」と記されています。像高は約83.5センチで、木造彩色仕上げ。両袖
を広げて堂々と坐す姿は力強く、厳しい表情から「怒り天神」とも呼ばれています。眉間に深いしわを刻み、口を固く結んで前方を見据える面相には、瞋怒の感情が生き生きと表現され、学問の神としての威厳と畏怖を象徴しています。両肩を張り、衣の襞に力強さを感じさせる造形は、写実的な木彫技法の粋を示しています。

Xにも記されている通り、像内には背骨や肋骨などが朱書され、さらに木製の五臓六腑があり、さらに十一面観音もあったそうだ。

18. 仏像:天神立像@重文:1軀:鎌倉時代(13世紀):★★★☆☆

 南北朝時代(1336~1348年)ごろに造られたと考えられています。穏やかで柔らかな表情をもち、坐像の力強さとは対照的に静けさと安らぎを感じさせます。かつては十一面観音像とともに祀られていたと伝えられ、神仏習合の時代における天神信仰の深い広がりを今に伝えています。

奈良 #與喜天満神社

 元伊勢候補の一つでもある神社。
 長谷寺の神宮寺的な位置にある。祭神は菅原道真だがアマテラスもいる。長谷寺に初めて行ったときにアマテラスが降臨したとする話が長谷寺で流れていた。アマテラスが降臨した山に鎮座している。

16. 仏像:天神坐像@重文:1軀:鎌倉時代(1259):★★★★★

 鎌倉仏らしい写実性が際立つ天神像。って、神像です。日本最古の天神像です。衣のひだや姿勢に緊張感があり、ただの神像に留まらない人間的な気配が漂う。静かに座す姿からは、学問の神としての威厳と内面の深さがにじむ。菅原道真の実像に迫ろうとする意志が感じられる一体で、どちらかというと荒魂を表現している気がする。

お姿は奈良国立博物館『初瀬にますは与喜の神垣―與喜天満神社の秘宝と神像―』をどうぞ!

→神社の詳細

以前、奈良・長谷寺で流れていたガイダンスより「アマテラスが降臨した」とあった。家に帰って調べたらこの神社だという。ということで数年ぶりに参拝した。
 長谷寺から渡される境内地図にも実は載っている由緒ある神社で、アマテラスの降臨伝説もあり、元伊勢説もある神社。

私のNOTE

▼コラム:菅原道真を辿ると出雲大社宮司に繋がりアマテラスに行きつく

小休憩。逆算しながら道真誕生と先祖を探る。結論から言うと「アマテラス次男坊・アメノホヒ→野見宿禰(相撲・埴輪)→ 土師氏(古墳造営)→ 菅原氏(学者)→ 道真(天神)」なんですよね。昔から由緒ある家柄です!!レッツ!神社仏閣を繋いでみた。出雲を怒らせると祟ります!!

  1. 死後に平安京で天災・飢饉が起こり人々は道真の祟りだ~と北野天満宮で祀る

  2. 平安京で藤原氏に罠で冤罪!!太宰府天満宮へ左遷。そしてお亡くなりに

  3. 土師氏から菅原氏:奈良から京都へ遷都直前!奈良で土師氏から菅原氏に名称変更!!

  4. 菅原道真誕生

  5. 野見氏から土師氏:出雲から奈良へ!もう天皇がお隠れになったら他の人の埋葬を止めよう!そうだ!埴輪をいれましょ♪で野見氏から土師氏

    • 『日本書紀』にて、垂仁天皇の代、殉死(お供を埋める)の悪習を止めるために、野見宿禰が粘土で人馬の形を作って埋める(埴輪)を提案し、その功績で「土師(はじ)」の姓を授かりました。

  6. ヤマトの強者に相撲で勝ったノミノスクネは中央・ヤマトへ

  7. 出雲に天孫降臨!出雲に寝返るアマテラスの次男坊

神社仏閣巡りをすると、必ずぶち当たる問題がある。一つは「菅原道真生誕地」である。アチコチにあるので、どこが本当なんだ!!と思うはずだ。
本NOTEでは、生誕したところ!!と謳っている神社仏閣を纏めてみた。

★纏め★菅原道真生誕地を追う-生誕地の神社仏閣巡り&道真作の仏像??もしかして菅原道真って5人いたとかw|やんまあ

 常に天皇のそばで、その代わりがいない特殊技能を持っていた集団。だから歴史の勝者・藤原氏も丁重に記録したのだろうか。今も昔も権力者は民を意識していると言えようか。

▼▼全展示品(地域&神社仏閣ごと)▼▼

 仏像以外はかなりトーンダウンします。m(__)m また、★マークがないのは、私の知識レベルなどから評価できなかったと思ってください。

京都府 #北野天満宮

No.5. 菅家文草 巻第十:1巻:江戸時代(17世紀):

菅家文草は、菅原道真が醍醐天皇に依頼されて編纂(900 年) した、自作の漢詩文集です。道真若年期から編集当時までの漢詩文が 600 作品ほどおさめららています。特に白居易『白氏文集』の影響が大きく、多くの語句・表現が引用されています。その引用の巧みさと流れるように麗しさは、後々までの漢詩文学の手本となりました。そして、この道真の集大成ともいえる菅家文草の編纂直後、道真は左遷されてしまうのです。後に編纂された『菅家後集』には、大宰府で詠まれた道真の漢詩文が集められており、左遷先での哀しみ・感傷・望郷の想いが描かれています。

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00006585/explanation/kanke
  • 承和12年(845):菅原道真公(菅公)御誕生

  • 嘉祥2年(849):菅公5歳にして和歌「美しや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞある」を詠む

  • 斉衡2年(855):菅公11歳にして漢詩「月夜に梅花を見る」を詠む

  • 貞観4年(862):菅公18歳にして文章生の試験に合格

  • 貞観8年(866):菅公22歳にして比叡山延暦寺円仁の『顕揚大戒論』の序文を書く

  • 貞観9年(867):菅公23歳にして文章得業生となる

  • 貞観12年(870):菅公26歳にして方略試に合格する

  • 元慶元年(877):菅公33歳にして文章博士となる

  • 仁和2年(886):菅公42歳にして讃岐守に任ぜられる

  • 仁和4年(888):阿衡紛議につき藤原基経に良識的な意見書を提出する

  • 寛平3年(891):帰京翌年、宇多天皇の信任を得て蔵人頭に任ぜられる

  • 寛平4年(892):菅公編による『類聚国史』が成立する。また『日本三代実録』の編纂に着手する

  • 寛平5年(893):菅公49歳にして参議に任ぜられる

  • 寛平6年(894):菅公50歳にして遣唐大使に任ぜられるも、唐の衰運などを理由に停止

  • 昌泰2年(899):菅公55歳にして右大臣に任ぜられる

  • 昌泰3年(900):『菅家文草』を成す

  • 昌泰4年(901):菅公、讒言により大宰権帥として大宰府へ左遷される(菅公57歳)

  • 延喜3年(903):『菅家後集』を成す。2月25日配所にて薨去(享年59歳)

No.12. 神記:1冊:室町時代(1488):

北野天満宮所蔵の「神記」(しんき)は、室町時代の長享2年(1488年)に記録された1冊の古文書です。この資料は北野天満宮の信仰や歴史を伝える重要な記録であり、同社が所蔵する貴重な史料群の一部を構成しています。

No.13. 道賢上人冥途記:1冊:江戸時代(19世紀):

平安時代中期の941年頃に成立した、日蔵(道賢)上人が冥土(地獄)で菅原道真の霊と会う物語です。北野天満宮の縁起(由来)の根幹をなす資料であり、怨霊であった道真が神(天神)へと昇華する過程を描いた重要な説話です。

 日蔵上人が冥土を巡り、地獄で火雷天神(菅原道真)に遭い、道真が「火雷火気毒王」という武装した姿で現れ、怨霊から神へと変わる過程を描く。 
 この物語は『扶桑略記』に引用されており、後の「北野天神縁起絵巻」の「日蔵 六道めぐりの段」の基となった。歴史的意義: 菅原道真が単なる怨霊から、北野の地に祀られる信仰の対象(天神)へと転換する大きなきっかけとなった作品である。

16万8000の悪神を従えていたらしい・・・コワッ・・・。

No.19. 束帯天神像(根本御影):1幅:南北朝時代(14世紀)/No.20. 束帯天神像(遺教院本):1幅:南北朝〜室町時代/No.23. 束帯天神像@梅屏祥廓賛:1幅:室町時代(1525)/No.24. 束帯天神像@元信印:1幅:室町〜桃山時代/No.25. 束帯天神像@伝雪舟筆:1幅:室町時代:★★★☆☆

現存最古級の天神像「束帯天神像(根本御影)」です!!

No.27. 神号「南無天満大自在天神」@後陽成天皇宸翰:1幅:桃山時代/No.28. 神号「南無天満大自在天神」@豊臣秀頼筆:1幅:桃山時代(1604):

No.36. 紺紙金字法華経:2巻1合:平安時代/No.37. 法華経:1巻:平安時代/No.38. 経塚出土遺物:1口1個:平安時代/No.39. 陶製壺:1個:平安時代/No.40. 金光明最勝王経@重文:1巻:鎌倉時代(1294):後宇多天皇

No.50. 北野天神縁起絵巻@国宝:9巻:鎌倉時代/No.51. 北野天神縁起絵巻@重文:3巻:鎌倉時代/No.54. 北野天神縁起絵巻:1巻:室町時代/No.55. 北野天神縁起絵巻@重文:3巻:室町時代:土佐光信/No.56. 北野天神縁起絵巻@重文:3巻:江戸時代:土佐光起:★★★★★★★★★★

 菅原道真が北野の地に神として祀られるまでの草創の由来と、その霊験説話をまとめた絵巻物。重要文化財の「弘安本」「光信本」「光起本」など多くの北野天神縁起絵巻が公開され、説話上の北野天神誕生の場面をじっくりと確認することができる。

 数多く残る天神絵巻の中で同本は現存最古かつ最大(総長約80メートル、縦52センチ)で、北野天満宮の「根本縁起」かつ最重要の社宝である。道真の生涯と死後の霊威、さらには天神として祀られていく過程をつづった内容で、火災や落雷といった天変地異、地獄での生々しい描写、怨霊から神へと転じる劇的な場面など、ダイナミックなストーリーが展開する。

 会期中、巻き替えながら9巻すべてを公開する予定で、同館の末兼俊彦主任研究員は「研究者でもすべてを見たことがある人はあまりいない。展示替えごとに5回来てもらえたら、全部見ることができます」と、リピート鑑賞を勧める。

 って、行けるかいっwwという突っ込みに対応すべく京博はパンフレットで結構見せてくれている。ちなみにニコニコ動画やYoutubeでは京博の人が解説している動画があるのだが、図録を買えば何回も来なくて良いよと言っている。(〃艸〃)ムフッ(https://www.kyohaku.go.jp/jp/learn/assets/home/tayori/tayori230.pdf

https://x.com/KitanoTenjin26/status/2051250581348745513
  • 【1巻】道真の誕生と神童ぶり

    • 幼少期から学問の才能を発揮し、詩歌に優れた「神童」として成長する様子。

  • 【2巻】貴公子としての成長と出世

    • 文武両道に励み、天皇の信任を得て異例の出世を遂げる。

  • 【3巻】円融天皇の信頼と危急

    • 朝廷での地位を確固たるものにする一方、藤原時平らの讒言(ざんげん)により、無実の罪を着せられる。

  • 【4巻】大宰府への流罪

    • 左遷され、京の邸宅の紅梅と別れを惜しみ(梅の飛翔伝説)、大宰府へ赴く。

  • 【5巻】大宰府での悲劇と薨去(こうきょ)

    • 無念のうちに大宰府で死去。その際、道真の怨霊が恐ろしい姿で現れる。

  • 【6巻】清涼殿落雷と怨霊の祟り

    • 雷神となった道真が清涼殿に落雷し、自分を陥れた藤原時平らに天誅を下す恐怖の場面。

  • 【7巻】天神としての神格化と物語

    • 朝廷が恐れをなし、道真の霊を北野の地に祀って「天神」として崇めるようになる。

  • 【8巻】北野天満宮の創建と霊験(利益)

    • 北野天神に参拝する人々や、病気平癒・学問成就などの奇跡(霊験)が描かれ、信仰の広がりを示す。

https://x.com/KitanoTenjin26/status/2051251811814908045

 なら博で行われている「吉野大峯」展で北野天満宮の鬼神が展示されていたり繋がりが強いのだが、北野天満宮も金剛峯寺の蔵王権現と繋がりがあるようで、セットで行くべき展示会になっている。なお、半券で安くなる設計もされています。

 さて、京博では2階でワークショップがあった。10分ほど説明を聞いて絵巻物を作ります。絵巻物を造る部屋の壁には縁起絵巻コピーがあり写真Okでした。

 大宰府に左遷された道真は、無罪です!!と祈ったそうな。

虚しいことに大宰府で亡くなります。牛が亡骸を運んでいます。

道真の祟りが京都を恐怖に貶める。冤罪を作った藤原氏関係者が次々に亡くなり、天皇がヤバいと・・・

絵巻物です。

 最後にフェロノサの手紙・記録・メモもあった。フェロノサといえば、日本の宝物のすばらしさを後世に残すべく国宝など設計した人物である。法隆寺・救世観音、聖林寺の十一面観音立像など岡倉天心とともに活動した人物である。

ではこの北野天神延喜式については、別で詳細に纏めようと思います。公開までお待ちください。

No.57. 天満宮御略伝:2巻:江戸時代:板谷広長

菅原道真の生涯と天神信仰の由来を、絵と文章でわかりやすく伝える絵巻・読本的作品。板谷広長らしい端正で気品ある筆致が光り、学問の神としての道真公の姿が親しみやすく描かれる。信仰資料であると同時に、江戸時代の人々が抱いた「天神さま」のイメージを知る手がかりとなる作品。

No.65. 北野宮曼荼羅図:1幅:室町時代:★★★★☆

北野天満宮の境内や神事、参詣風景を描いた曼荼羅図。単なる寺社絵図ではなく、「天神信仰の世界そのもの」を可視化したような一幅で、当時の人々の熱狂や祈りが細部から伝わってくる。社殿配置や祭礼の様子は史料的価値も高く、室町期の北野信仰の広がりを実感できる作品。

本殿の真ん中にどんと座っているのが天神さん。大きな鏡やたくさんの灯籠(とうろう)で囲まれているね。お参りする人もちょこちょこいて、今では見ない不思議なやり方をしてる人も。例えば本殿の左側の小さなお社をよく見ると、床下にうずくまってる女の人が...これはたぶん床下参篭(ゆかしたさんろう)という、中世にはやったお参りの方法なんだ。室町時代の不思議な空気感がただよってくるね。

特別展「北野天神」を見に行くリン♪ Part 1 - 虎ブログ

ちなみにですね、境内には神宮寺であろうものがあるので「経王堂」なのだろうか。この認識が正の場合、千本釈迦堂こと大報恩寺の仏像が安置されていたとなる。

あと、曼荼羅なので中央には菅原道真がいるのだが、とにかく大きい・・建物より大きいのが妻の感想です。

No.67. 狛犬:1対:鎌倉時代/No.68. 狛犬:1対:鎌倉〜江戸時代:★★★★☆

 玉眼の狛犬ですね。No67は白丈夫社のものなのでNo.68と比較して小ぶりである。

No.72. 本社指図:1巻:江戸時代/No.73. 社殿図:1舗:江戸時代/No.74. 釣灯籠:1対:桃山時代/No.75. 棟札:1枚:桃山時代/No.76. 懸鏡:1面:桃山時代:

No.77. 太刀@重文:1口:桃山時代:國廣

No.84. 絵馬@重文:1面:桃山時代:長谷川等伯/No.85. 絵馬:2面:桃山時代/No.86. 絵馬:1面:桃山時代:曾我直庵

 圧巻!!大きくてびっくりだった。桃山文化らしい華やかさと力強さが宿る大型絵馬。鮮やかな構図や大胆な描写には、当時の人々の願いや奉納文化の熱気が色濃く表れている。単なる奉納品を超え、時代の美意識や信仰を映す“民衆の芸術”ともいえる存在。豪壮な桃山の空気を今に伝える貴重な一面。

https://x.com/KyotoNatMuseum/status/2052223645691363776

No.87. 古記録:1冊:南北朝〜室町時代/No.88. 古記録:1冊:室町時代:

No.89. 西京神人文書@重文:複数:南北朝〜室町時代:

北野天満宮に属した「神人(じにん)」たちの活動や特権を伝える貴重な古文書群。単なる宗教資料ではなく、中世社会における寺社勢力と経済・流通の結びつきを知る重要史料でもある。争論や特権維持の記録からは、信仰の裏側にあった現実的な力関係も垣間見え、中世京都の空気を生々しく伝えてくる。

「神人(じにん)」
神社に属し祭礼や雑務だけでなく、流通や商業まで担った中世の特権的集団。北野天満宮の西京神人は、特に麹や酒造流通と深く結びつき、“北野社ブランド”を背景に京都経済へ大きな影響力を持った。文書群には、その特権や争論、流通支配の実態が記され、中世京都のリアルな社会構造が浮かび上がる。

北野西京神人
中世京都で強い影響力を持った、北野天満宮に属する「神人(じにん)」集団。祭礼や神事を支えるだけでなく、麹の製造・販売や酒造流通にも深く関わり、“北野社の権威”を背景に特権的な商業活動を展開した。特に室町時代には京都経済を左右するほどの力を持ち、神社勢力と都市経済が結びついた中世社会の姿を今に伝えている。

No.90. 連歌@重文:複数:室町〜江戸時代/No.91. 和歌@重文:複数:江戸時代:

No.94. 渡唐天神像:1幅:室町〜明時代/No.95. 渡唐天神像:1幅:中国明時代:

No.96. 歌仙図:2面:桃山時代/No.97. 歌仙図帖:1帖:江戸時代:

No.98. 雲龍図屏風@重文:6曲1双:桃山時代:海北友松

No.99. 李白陶淵明図:6曲1双:桃山時代:長谷川宗宅

No.100. 日本書紀@重文:2冊:平安〜室町時代:

No.101. 論語集解:2冊:室町時代:

No.102. 舞楽図@重文:2基:鎌倉時代:

No.103. 祭礼絵巻:1巻:江戸時代:

No.111. 社図屏風:6曲:江戸時代:

No.112. 大茶湯図:1幅:江戸時代:浮田一蕙

No.113. 太刀@重文:1口:鎌倉時代:恒次

流麗な反りと重厚な気配を備えた鎌倉太刀。武の時代らしい実戦性を感じさせつつ、どこか品格も漂う一口だった。さらに印象的だったのは、加賀前田家が北野天満宮を深く崇敬していた背景。前田家は菅原氏の流れを汲むとされ、学問の神・天神信仰との結びつきが強かったという。武家の名門と天神信仰が繋がる歴史に驚かされた。

No.114. 太刀@重文:1口:室町時代:師光/No.115. 太刀:1口:室町時代:清則/No.116. 太刀@重文:1口:鎌倉時代:助守/No.117. 太刀:1口:昭和時代:月山貞勝/No.118. 太刀:1口:江戸時代:金道/No.119. 薙刀:1口:江戸時代:為利/No.120. 短刀:1口:江戸時代:定長/No.121. 刀:1口:室町時代:兼常

No.131. 太刀(鬼切丸・髭切)@国宝:1口:鎌倉時代:★★★★★

源氏の重宝である“兄弟刀”の特集だ。「重要文化財《太刀 国綱ト銘ガアル(鬼切丸・髭切)》(京都・北野天満宮蔵)」「重要文化財《太刀 銘□忠(薄緑・膝丸)》(京都・大覚寺蔵)」の2振を同じケースに並べ中央に置いた“特別室”をつくった。兄弟刀はいずれも撮影OKで、そのことは会期前から大きな話題となっていた。さらにゲーム「刀剣乱舞ONLINE」とコラボし、ロビーに人気キャラクターの等身大パネルが登場。

国宝「北野天神縁起絵巻」全巻全場面を初公開 「刀剣乱舞ONLINE」コラボも大盛況 京博の特別展 | ラジトピ ラジオ関西トピックス


 京博はどの展示会も3階から降りていく順路だが、開場すると一目散に1階へ行く人がいた。ああ~仏像好きなんだ~と思ったが、刀剣ですね。写真OKなので誰もいないときに撮ろうという作戦ですね。ここからはChatGPT、Geminiに人消して!モザイクして!と指示した写真をどうぞ。最近はChatGPTの方が相性が良いなという感じ。AIは追い抜け追い越せの世界ですね。

→神社オマケ



京都府 #大報恩寺 :北野天満宮の仏像たち

※仏像は前述参照

No.80. 扁額「経王堂」:1面:室町時代:

 足利義満が北野の地に建立した「北野経王堂(願成就寺)」に掲げられていたものとされ、室町幕府の関連深い文化財です。1425年の墨書銘があり、書は足利義満の筆と伝えられています。北野経王堂は室町時代後期には大報恩寺の管理下に入り、この扁額も大報恩寺に伝わりました。

No.83. 北野経王堂一切経@重文:2帖:室町時代:

 北野天満宮に存在した「経王堂」に納められていた一切経。神社でありながら膨大な仏教経典を所蔵していた点に、かつての神仏習合の濃密さを感じる。天神信仰は学問神として知られるが、その背景には経典・教学世界との深い結びつきがあった。一切経は単なる蔵書ではなく、“祈りと知の集積”そのものだったのだろう。経王堂自体は四国に流れて現存しています。

→寺の詳細

京都府 #曼殊院 :北野天満宮との繋がり

No.30. 日吉山王垂迹神曼荼羅図:1幅:南北朝時代/No.31. 日吉山王垂迹神曼荼羅図:1幅:室町時代

日吉大社の十六柱を描いた神仏習合色の濃い曼荼羅図。山王信仰の広がりと複雑な神格世界が一幅に凝縮されている。興味深いのは、画面下に北野天満宮を象徴する“牛”が描かれている点。天神信仰との結びつきまで視覚化され、当時の寺社ネットワークや信仰の重なりが伝わってくる。神々の関係性を読み解くのが面白い作品。

No.92. 渡唐天神像:1幅:室町時代:

→寺の詳細

京都府 #東福寺

No.93. 渡唐天神像:1幅:室町時代:

 宋へ渡ったという伝説的姿で描かれる「渡唐天神」。学問の神・菅原道真が禅宗文化と結びつき、中国文人のような姿へ変化しているのが興味深い。室町時代には禅林で特に崇敬され、知識・漢詩文・書の守護神として広く信仰された。神像でありながら、どこか禅僧や文人画のような静かな気品を漂わせる一幅。

→寺の詳細

京都府 #常照皇寺

No.26. 束帯天神像:1幅:室町時代:

 束帯姿で端然と座す天神像。官人としての菅原道真を強く意識した表現で、学者・政治家としての威厳が静かに漂う。渡唐天神のような禅的姿とは異なり、日本的な宮廷文化の空気を色濃く残しているのが印象的。室町時代の天神信仰が、多様な姿で展開していたことを感じさせる一幅。

No.34. 舎利講式:1巻:南北朝〜室町時代/No.35. 舎利講式@尊応法親王筆:1巻:室町時代:

→神社の詳細

京都府 #三千院

No.33. 天神講式@重文:1巻:室町時代:

 天神を讃え、その功徳や由来を語るための「講式」。僧侶による読誦を通して信仰を深める仏教儀礼の一種で、天神信仰が神道だけでなく仏教世界とも深く結びついていたことがよく分かる。三千院に伝わった点にも、天台系寺院と天神信仰の近さを感じる。読むための経文でありながら、中世の祈りと学問信仰を伝える貴重な文化財。

→寺の詳細

京都府 #宝積寺

No.29. 板絵神像@重文:1面:鎌倉時代:

 板に直接描かれた神像で、彫像とは異なる平面的な緊張感が印象的。鎌倉時代らしい引き締まった描線と、神としての威厳を保ちながらもどこか人間味を感じさせる表情が魅力。板絵神像は中世神道美術を知る上でも重要で、神仏習合の空気が色濃く残る。

→寺の詳細

京都府 #平等寺

→寺の詳細

京都府 #東向観音寺 :北野天満宮参道

No.11. 北野御託宣并記文縁起:1冊:室町時代:

 北野天満宮にまつわる神託や由来を記した縁起書。単なる伝承集ではなく、「なぜ天神が信仰されたのか」を人々へ伝える役割を持っていた。怨霊から学問神へと変化していく天神信仰の広がりや、中世の人々が神託をどれほど重視していたかも感じられる。北野信仰の精神世界を知る上で興味深い一冊。「近江」という文字が見えたのは、前述した滋賀の天満神社あたりの記載である。

No.21. 束帯天神像:1幅:室町時代:

 束帯姿で描かれた、もっとも“公家らしい”天神像。学問の神として親しまれる菅原道真だが、この姿には朝廷官人としての威厳や知性が色濃く表れている。静かに座す姿からは、怨霊神として恐れられた存在が、やがて文化と学問を守護する神へ変化していった歴史も感じられる。端正で気品ある天神像

→寺の詳細

京都府 #仁和寺

No.9. 理趣釈@淳祐筆&重文:1巻:平安時代(920):

 真言密教の重要経典『理趣経』を注釈した書物で、仁和寺らしい密教文化の厚みを感じさせる資料。注目すべきは、僧・淳祐による筆跡そのもの。流麗で品格ある書風には、単なる写経を超えた精神性が宿る。経典内容だけでなく、“書”としても価値が高く、学問と信仰が一体だった中世仏教世界を今に伝えている。

→寺の詳細

京都府 #京都国立博物館

No.7. 扶桑略記:1冊:江戸時代:

 日本の歴史を編年的に記した歴史書『扶桑略記』。もとは平安時代に成立した史書だが、江戸時代写本からも当時の知識人たちが古代史を重視していたことが伝わる。天皇・寺社・政変などが簡潔にまとめられ、中世以降の歴史認識にも大きな影響を与えた。単なる古記録ではなく、“日本という国の歴史像”を形作った重要な書物。

No.63. 北野本地絵巻断簡:1巻1幅:鎌倉時代:

No.110. 阿国歌舞伎図屏風@重文:6曲1隻:桃山時代:★★★☆☆

鴨川でも興行していたようです。天神様も基は出雲で、賀茂氏も基は出雲だと思っているので、出雲から京都の出雲で活動をしたのかなとも。

→京博

奈良県 #長谷寺 :十一面観音繋がりとは?

No.45. 長谷寺縁起絵巻:2巻:室町時代:

長谷寺の創建や霊験を物語として描いた絵巻。寺院縁起でありながら、説話や信仰世界が生き生きと表現され、中世の人々が観音霊場に寄せた憧れや祈りが伝わってくる。詞書と絵が一体となって展開する構成も魅力で、“読む”だけでなく“見る信仰”として機能していたことが分かる。長谷寺信仰の広がりを感じる。

吉野の蔵王権現登場!!!

  • 概要: 長谷寺の草創や本尊の十一面観音の霊験譚を描いた絵巻物。

  • 特徴: 本尊が近江国(現在の滋賀県)から洪水で流れ出た霊木を用いて造られた説話や、参詣者にもたらされた観音の霊験が描かれています。

  • 制作年代: 室町時代(15〜16世紀頃)。

  • 巻数: 本来は3巻構成(33段)の形式が多く、現存するものは上・中・下巻のセットや、部分的な断簡として所蔵されています。

No.47. 十一面観音立像@重文:1軀:鎌倉時代:

 ※前述「仏像の感想」で記載済み

No.123. 赤糸威鎧 大袖付@重文:1領:室町時代:

 長谷寺の鎮守社・與喜天満神社のものを長谷寺が預かっている。北畠氏に繋がる鎧で奉納したものとされている。作者は北畠教謙だが北畠の者ではない。。

 今回、この展示に際して京博の方が「伊勢の国司 北畠教謙」って誰やねん?と思っていたそうな。長谷寺にご挨拶に行ったら、展示することを喜ばれて、古門書を見せていただいたようだ。写真を撮らせていただき帰って調べてみたら、北畠氏とは関係ない人物だったようだ・・。

 具体的には北畠氏に家臣が造ったもの。オチとしては下賜された名前だったようで、北畠氏のものだと勘違いした専門家がおり、その後、誰も調べなかったようで定説になった。
 ということで、確かに後述のサイトにも「北畠教謙」とあるが「山村教謙」が正しいとか。

作品自体は「教謙」と記しており、「北畠氏」が奉納したことから「北畠教謙か?」というのが始まりだが、巡り巡って「北畠教謙"作"」になった。そして、誰も調べなかった・・・。伝言ゲームって怖いね。。以下の画像の左下の反転部分かと。

関西大学:長谷寺の大 鎧(https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/record/2001989/files/KU-1100-19700331-02.pdf

No.124. 白糸威鎧 大袖付@重文:1領:室町時代/No.125. 鷹羽威鎧 大袖付@重文:1領:室町時代/No.126. 三目札鎧 脇楯@重文:1領:室町時代/No.127. 藍韋威肩赤大袖@重文:1双:桃山時代:

→寺の詳細

奈良県 #天理大学附属天理図書館

No.8. 大鏡(千葉本)@重文:1帖:鎌倉時代:

大阪府 #道明寺天満宮 :道真が愛用した遺品

No.1. 伝菅公遺品:6件:唐〜平安時代/No.2. 伝菅公遺品付属品:4件:平安〜江戸時代:

 道真が愛用していた遺品と伝わる国宝!!

https://www.kyohaku.go.jp/jp/learn/assets/home/tayori/tayori230.pdf

No.32. 天神講式@伝尊円親王筆:1巻:南北朝時代:

No.49. 三引に笹枝散双雀鏡・鏡箱@重文:1面1合:鎌倉〜南北朝時代:

→寺の詳細

東京都 #東京国立博物館

No.52. 北野天神縁起絵巻(弘安本)断簡@重文:2巻:鎌倉時代/No.62. 北野天神縁起絵巻断簡:1幅:鎌倉時代/No.79. 北野経王堂図扇面@元秀印:1面:桃山時代:

No.107. 能面(金春宗家伝来)@重文:複数:桃山〜江戸時代/No.108. 能面 大天神@寶来作:1面:江戸時代/No.109. 能面 顰:1面:江戸時代/No.133. 綱絵巻:1巻:室町時代:

東京都 #大東急記念文庫

No.53. 北野天神縁起絵巻(弘安本)断簡@重文:3幅:鎌倉時代:

→大東急記念文庫

東京都 #前田育徳会

No.60. 荏柄天神縁起絵巻@重文:1巻:鎌倉時代:

荏柄天神神社の者のようです。

→前田育徳会

神奈川県 #荏柄天神社

No.10. 北野天神御伝并御託宣等:1巻:鎌倉時代:

 最古の道真伝。他にない天神伝がるのが特徴。

さて、道真の伝記や天神信仰の変遷を研究する際の重要史料としては、道真の詩文集である『菅家文草(かんけぶんそう)』と『菅家後草(かんけこうそう)』が著名ですが、これらに劣らず重要なのが、荏柄天神社の別当寺である一条院に伝来していた『北野天神御伝并御託宣等(ごでんならびに ごたくせんとう)』という史料です。
この史料は元禄2(1689)年に加賀藩五代藩主前田綱紀が、家臣に命じて書写させ、前半の「北野天神御伝」にあたる部分を『菅家伝(かんけでん)』、後半の「御託宣等」にあたる箇所を『聖廟雑記(せいびょうざっき)』と、名付けたことにより世に知られました。
『北野天神御伝并御託宣等』は、『具注暦(ぐちゅうれき)』という暦の紙背に記されています。この暦を利用した日記の4月13日条には、「祇園社焼失」という記載がありますが、『玉葉(ぎょくよう)』など他の史料の記事から、この祇園社焼失が承久2(1220)年のこととわかります。
このことから、『具注暦』が承久2年のもので、『北野天神御伝并御託宣等』の成立もそこからそれほど隔たらない時期と考えられます。つまり、鎌倉前期までさかのぼる天神に関わる記載ということになり、大変貴重です。

広報かまくら平成26年度10月1日号8面:https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kouhou/kamakura/h26/t141001-8.html

→神社紹介

千葉県 #国立歴史民俗博物館

No.4. 寛平御遺誡@重文:1巻:鎌倉時代:

No.6. 日本紀略:1冊:江戸時代:

 平安時代に編纂された歴史書『日本紀略』の写本で、高松宮家伝来の禁裏本(きんりぼん:天皇の蔵書)は良質な写本として知られています。

No.69. 隆房卿艶詞絵巻@重文:1巻:鎌倉時代:

→国立歴史民俗博物館

福岡県 #太宰府天満宮

No.3. 毛抜形太刀@重文:1口:平安時代:

 菅原道真公の佩刀(はいとう)として伝承し誉田八幡宮のもののようだ。平安時代の貴重な刀剣で、柄(つか)と刀身が一体となった「毛抜形」の先駆け的な作品であり、菅原道真の佩刀と伝えられる名刀。

→神社の詳細

山口県 #防府天満宮

国司・土師氏とのこと。そう!菅原氏は奈良で名前を変えており、元々は土師氏である。菅原氏の歴史は前述のコラムの通りです。

No.61. 松崎天神縁起絵巻@重文:2巻:鎌倉時代:

 1311年に制作された全6巻の国指定重要文化財です。菅原道真の生涯、怨霊化から神格化、そして防府天満宮の創建由来を描いたもので、中世のご当地縁起の先駆けとして高い歴史的・美術的価値を持ち、当時の生活や建築風景も描写されています。「天神縁起」はベーシックな話だけもあれば、ご当地も野畑利を追加されていることもある。この天神縁起はご当地物語を入れたさきがけのようだ。

No.128. 浅黄糸威褄取鎧 兜付@重文:1領:南北朝〜室町時代:

小札は錆地盛り上げ黒漆塗の本小札で、鉄一枚交ぜとする。威し毛は浅黄糸で、耳糸は不明、畦目と花緘は啄木組糸で、菱縫は紅糸である。仕立ては立挙の前が二段、後ろが三段、衝胴が四段で草摺は脇楯とも四間五段下り。金具廻、韋所は牡丹獅子文の藍染韋で包み、裏は五星文、獅子牡丹文染韋で包む。
小縁は紅五星韋をめぐらし、伏縫は白、浅黄、紫と白紺、紫の色糸で施す。化粧板は菖蒲韋包で、紅、白綾の水引を施し、鍍金の覆輪を廻らす。八双鋲は鍍金魚子地に桐枝文の毛彫地に桐紋鋲を打つ。栴檀板、鳩尾板および大袖は欠失。

https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/5935

No.129. 浅黄糸威鎧@重文:1領:南北朝〜室町時代/No.130. 紫韋威鎧@重文:1領:鎌倉時代:

→神社の詳細

大分県 #柞原八幡宮

No.122. 薙刀直シ刀@重文:1口:南北朝時代:

菅原道真は天満宮だが八幡宮の刀であるが、表は天満宮、裏が八幡宮としている面白いもの。もともとは大ぶりな「薙刀(なぎなた)」として造られたものを、後に茎(くき)を切り詰めて「刀(打刀)」の形に仕立て直したもの。柞原八幡宮は、古くから武家の崇敬が篤く、特に豊後(大分県)を治めた大友氏から多くの寄進を受けました。この刀も、そうした歴史の中で奉納された一振りであり、南北朝時代特有の力強く豪壮な姿を今に伝えています。

→神社の詳細

▼コラム:天神アマテラスと天神菅原道真▼

 ある神社の宮司は言う。実は元々はアマテラスだったと思っています。時代とともに天神信仰が流行ったので、菅原道真になったんだろうかと。天神!!そんな匂いを感じる神社が確かにあるんです。そんな神社を一部紹介します。すべての紹介は、またの機会に。

▼展示会終了後の振り返り

六道のシーンで「人間バーベキュー」の解説に爆笑してしまった・・・。




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