冬の京都旅!京都の節分!335年の封印が解ける岩倉へ!◆上京⑪左京⑱◆
2026年2月、雪の気配が残る洛北・岩倉へ。今回の旅の白眉は、「大雲寺」で335年ぶりに開かれた秘仏・十一面観音。紫式部が『源氏物語』の着想を得たとも伝わるそのお姿は、千年の時を超えて今を生きる私たちを静かに見つめていました。周辺では、惟喬親王が弟の安泰を願った「長谷八幡宮」や、古代の巨石信仰が息づく「山住神社」を巡り、この地に降り積もった祈りの層を肌で感じました。
舞台を移し、上京区・出水通では「七不思議」の探訪へ。福勝寺の節分限定「融通御守」を拝受し、千本釈迦堂では「おかめさん」の慈悲が鬼を改心させる温かな節分祭に立ち会いました。権力争いに敗れた親王の悲哀と、庶民が守り抜いた路地裏の信仰。光と影が織りなす京都の冬は、どこまでも深く、優しいものでした。
2026年の「#京の冬の旅」は3寺院だけ行きました。「#豊臣兄弟!」がテーマですね。
この旅行記の神社仏閣は写真中心です。神社仏閣の詳細はもうひとつのNOTEを参照ください。
▼ルート&見どころ
▽2026年02月03日(火):京都の節分
仕事でしたが、午後から私用を終わらせて 「#北野天満宮」と「#大報恩寺」の「#節分」へ!!北野天満宮は途中から参戦したので他力本願です。



#北野天満宮 :節分まつり
平日だから少ない!!ラッキーと思ったが節分祭は人込みでしたね。




豆を買いに行く。そろそろ梅の時期だな~と思いつつ、例年より早い気もするわけで。



豆まき開始された!!


お参りをして千本釈迦堂に行くことにした。


不定期に開店されています。開いていたらラッキーと思っていただいてはいかがでしょうか?


北野天満宮の詳細は次のNOTE参照です。(完全制覇「北野天満宮」梅/紅葉/パワースイーツ「東向観音寺」|やんまあ)
#大報恩寺 (#千本釈迦堂):節分まつり
北野天満宮の節分祭のメインディッシュが終わり千本釈迦堂へ!って地元の方はゴールデンコースなのだろう。同じ方向に向かって行く人たち。


御神酒を頂きます。って神社???

おおおお~本尊が御開帳されているじゃないか!!快慶の愛弟子・行快の釈迦如来坐像で、通常秘仏です。

節分祭が始まりました。北野天満宮でも舞っていた人のような・・・。



#京都 の #節分#北野天満宮 の後は #千本釈迦堂 こと #大報恩寺 の「おかめ福節分会」へ
— 京都やんまあ (@KyotoTrip_yanma) February 4, 2026
おかめさん登場で鬼は改心したので「福は内」しか言わないようだ。本尊も御開帳している。豆まきは落花生もばら撒かれるのでGET率が高い。
過去参拝記録:https://t.co/yu4hxRSeUz#kyoto #節分2026 https://t.co/mHXCuPiIJz pic.twitter.com/g8ilF3V2HT
山伏が法螺貝を吹くが力強くない・・高齢化だ・・・。おかめ像の前で法要が行われた。





鬼が暴れまくるが、おかめさんが鬼を退治する。大報恩寺ではおかめさんが鬼を改心させたとする。鬼はいない!!なので福は内のみである。






この後は豆まきになります。落花生が次々と投げ込まれます。GET率は高いかと思います。
通常の大報恩寺の詳細は次の通り(奇跡?快慶×行快の仏像たち「大報恩寺(千本釈迦堂)」運慶&快慶コラボ、肥後定慶×行快の次世代慶派を堪能|やんまあ)
#京都 の #節分 まとめ
▽2026年02月07日(土):335年ぶり御開帳&下鴨神社の奥宮へ!
ルート紹介です。
駐車場に車をとめて参拝開始。想像以上に狭い道もあるので気を付けてください。しかし、安い・・・。





ちなみに翌日はこの地域はドカ雪でした。。一日遅かったら無理だったかも・・・。
#実相院 :京都府京都市左京区岩倉上蔵町121
庭園が見どころですね。時期的なものもあり今回は拝観はしませんでした。参拝者用駐車場はあります。




翌日の風景を載せておきます。
もはやドカ雪の様相を呈して。#実相院 #雪景色 pic.twitter.com/C0e0aasXPk
— 実相院門跡 (@EGDAAUefauFcyKW) February 8, 2026
グーグルマップは無視して、北側の小径を抜けていくと神社の前に出る。
#石座神社 :京都府京都市左京区岩倉上蔵町302
後述する「山住神社」が本来の鎮座地で、971年に「大雲寺」を建立するにあたり、鎮守社として勧請したのが始まりとする。磐座好きは「山住神社」をどうぞ!!







拝殿横を抜けて本殿に向かいます。



上賀茂神社周辺で多い「立砂」がここにもありますね。

摂社・末社に一角にキュートな釜犬がある。一言主神社だ!!賀茂氏は奈良から近くにある大田神社あたりに移動したとする。奈良・葛城との繋がりがここにある。



一言主神社の総本山が賀茂氏の本拠地・高鴨神社近くにあるので、賀茂氏の移動に伴い、一言主神をまつる人たちがこの地にやってきて祀るようになった可能性が高いとか。
出雲から奈良・葛城に移った賀茂氏は、京都に腰を下ろす。この地域に来るとその名残が多く残っている。この神社に葛城氏が大事にした神様がいるのも面白い。(★纏め★上賀茂神社/下鴨神社を本宮とする全国の賀茂社/鴨社/加茂社紀行【古代豪族シリーズ】|やんまあ)
詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。
#大雲寺 :京都府京都市左京区岩倉上蔵町305
詳細は『335年ぶり御開帳!紫式部が恋した「十一面観音立像」京都・岩倉『大雲寺』へ|やんまあ』です。
#山住神社 :京都府京都市左京区岩倉西河原町
社殿がなく、巨石を神々が降臨する磐座を御神体とした古代遺跡。旧称は、石座大明神・石座神社・石坐神社で、磐座のみで社殿はない。分霊を祀った山城・石座神社の御旅所になっている。山住神社は、背後にそびえる山を神南備山の磐座と崇めた古代信仰の場である。
三代実録の陽成天皇元慶4年(880年)の頃に「山城国正六位石座神授従五位下」と記述されていることから、それ以前から信仰されていたと考えられる。天禄2年(971年)に石座明神が、大雲寺鎮守の神として現在の石座神社に遷座されて以降は、山住の神と呼ばれ、石座神社の御旅所となっている。








ここもね。確かに小川があるので、そこで移動しているのかな。(熊は小川などで移動するようです)
詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。
#元八幡宮 :京都府京都市左京区岩倉上蔵町
こちらは「石座神社」と「山住神社」の間にある凄く小さな社。岩倉の八幡信仰において非常に重要な役割を持つ古社である。さて!どこの元八幡宮でしょうか?岩倉地域に残っているとしたら「長谷八幡宮」か「三宅八幡宮」となるのだが・・・。






詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。
#長谷八幡宮 :京都府京都市左京区岩倉長谷町1117
惟喬親王により八幡大神ならびに惟仁親王を洛北の地に鎮座された古社です。皇位から艮の方向にあるため、国家鎮護の神とされる。『山城名跡巡行志』には、「鳥居は西向き、一の鳥居は人家の傍らに在り、二の鳥居は社の前に在り、拝殿社は南向き、惟仁親王の勧請と伝える」とある。











詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。
857年(天安元年):
文徳天皇の第一皇子であり皇位継承問題に翻弄された 惟喬親王(これたかしんのう) が、菩提と弟・惟仁親王(のちの清和天皇)の安泰を祈念し、八幡大神(応神天皇)と惟仁親王を勧請して創建したと伝えられています。これが岩倉の氏神としての長谷八幡宮の始まりです。9~10世紀頃:
長谷八幡宮は、惟喬親王ゆかりの神社として宮中や貴族層からも崇敬を集めるようになり、岩倉地域の霊的基盤として地元民の生活信仰と結びつきました。平安時代(10世紀~11世紀):
社地は平安京の東北(鬼門)に位置しているため、王城守護のための社としての性格が強まり、朝廷からの信仰が厚くなりました。岩倉全域が八幡信仰圏としてまとまります。1000年代以降(中世):
鎌倉・室町時代を通じ、岩倉(長谷・中町・花園・三宅など)の広域な地域の氏神として崇敬され、地元の人々の祭礼・農耕・家門安泰の祈願が行われました。1570年代頃(戦国時代):
織田信長による比叡山焼き討ちの影響が洛中洛外に及ぶ中、長谷八幡宮も戦火の被害を受けた可能性があるとみられますが、地域の崇敬により再興され存続しました。1610年代~(江戸時代):
徳川幕府下で寺社領や祭礼制度が整備される中、岩倉の氏神として八幡信仰が安定的に保護され、定期的な祭礼が行われます。社務や祭事は地域共同体の文化として根付いていきました。1873年(明治6年):
近代社格制度において、長谷八幡宮は村社に列せられ、公式な神社としての体制が制度的に確立しました。戦後(20世紀中盤):
戦後の都市化・社会変動の中でも、長谷八幡宮は岩倉地域の氏神としての祭祀・地域行事を継承し続けました。1950年代~1980年代:
老朽化した社殿の修繕・整備が行われ、地域の篤い信仰に支えられて
境内環境の改善が進められました。2002年(平成14年):
境内・社殿の本格的な整備が進み、現在の姿となる社域構成の多くが整います。現在:
毎年10月に行われる「神幸祭」では、神輿が岩倉三宅町の御旅所まで渡御し、地域の伝統文化を現在に伝えています。
氏子地域の豊穣・安泰・家門繁栄を願う祭礼として広く親しまれています。
#三宅八幡宮 :京都府京都市左京区上高野三宅町22
この辺りは古くは小野郷と呼ばれ、小野氏の居住する地域だった。旧地には「元八幡宮」が残っている。しかし、神社の由緒には宇佐八幡宮から勧請とされ、元八幡宮の記載はない。







詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。(平安京より古く小野妹子と市川團十郎ゆかり「三宅八幡宮」本殿裏に裏参り【京都左京シリーズ/京都東山シリーズ】)
#御蔭神社 :京都府京都市左京区上高野東山207
葵祭(5月15日)に先立ち、神霊を山から下鴨神社へお迎えする神事が行われる。神社が立つ地は、太陽が直射する場所であることから「御蔭山」とも呼ばれ、賀茂の神々の荒魂が新しく生まれる聖域とされています。
平安時代の『源氏物語』の藤裏葉にも御蔭神社を示す「みあれ詣で給ふとて」とある。












詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。
〒606-0067 京都府京都市左京区上高野東山207
御祭神
下鴨神社の主祭神の荒魂
玉依姫命の荒魂
賀茂建角身命の荒魂
由緒です。
紀元前580年頃(所伝): 綏靖(すいぜい)天皇の御代、現在の御蔭祭のルーツとなる「御生(みあれ)神事」が始まったと伝えられる。
677年:山背国司が造営した賀茂神宮はこの地であったともいう。(社伝)
750年頃: 下鴨神社(下社)が分立。独自の降臨伝承に基づき、湧水の磐座があったこの地を神事の舞台として重視し始める。
818年:「西 神聖影山」の記述がみられる。(『山家要記』・「延暦寺文書」)
844年:太政官官符により賀茂御祖神社領東限は「寺田」(比叡山西麓と御蔭山北東麓の境)と定められる。
1161年: 下鴨神社の禰宜による記録『神殿舎屋之事』に「御蔭社」の名が登場。平安時代には既に確立された存在であったことがわかる。
1332年:御蔭祭について「御蔭山御行」の記述がある。(『下鴨社家古文書』)
1460年:御蔭山神事が中絶する。(『御祖神社御事歴以下明細調記』)
1507年: 室町時代の混乱期、原始的な磐座での「御生神事」が一時断絶する。
1622年:本宮式年遷宮の際に造替され、現在の社殿になる。
1693年: 下鴨神社の式年遷宮に伴い、社殿が再興(造替)される。
1694年: 断絶していた「御生神事」の行粧(行列)が復活する。
1758年: 台風による高野川の氾濫が発生。土石流により社地が埋没し、瑞垣や社殿の一部が流失する被害を受ける。
1830年: 文政の大地震により比叡山西峰が崩落。社殿が流失し、御生川(みあれがわ)などが土砂で埋まる甚大な被害が出る。
1834年: 災害を避け、旧社地から東へ約30m離れた高台(現在の地)に遷座。棟札が納められる。
1835年: 京都所司代・松平信順により、現在の社殿が完成。27回目の式年遷宮に合わせて造替された。
1884年: 明治政府の祭祀制度改革に伴い、それまでの「御生神事」の名称を「御蔭祭」に改める。
1997年: 境内周辺が京都市の「歴史的風土保全地区」に指定される。
2005年: 33回目の式年遷宮に伴い、本殿の解体修理が行われる。
2023年: 延期されていた第34回式年遷宮の「斎了奉告祭」が執り行われる。
▽2026年02月11日(水):冬の京都の旅
上京区の七本松通から西へ、烏丸通までの東西の短い通りを、「出水通(でみずどおり)」と言います。「出水」と字にあるように、昔、烏丸通の西に湧泉があって、その水が時々溢れることで道が浸水したことから、出水通りと呼ばれるようになりました。この通りの北側には、小さな寺院が密集していますが、いつの間にか、そこに七不思議が伝えられるようになりました。
#地福寺 :京都府京都市上京区七本松通出水下る七番町356
小穴のあいた石に五色の糸を通して奉納し、49日間祈願すると耳の聞こえないのが治ると言われている。



詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。
#慈眼寺 :京都府京都市上京区出水通七本松東入七番町341



詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。
#五劫院 :京都府京都市上京区出水通七本松東入七番町348
アフロ仏(私のNOTE纏め)と思わせつつ阿弥陀如来・・・。

詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。
#本昌寺 :京都府京都市上京区 出水通六軒町西入 七番町341
出水の七不思議「本昌寺」かつては平安京の大内裏。



詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。
#光清寺 :京都府京都市上京区七番町339
通常非公開!岩倉家の菩提寺「光清寺」重森三玲の庭と出水の七不思議”浮かれ猫”!!
出水七不思議の一つ、浮かれ猫の絵馬で知られる光清寺は、心和山と号し、臨済宗建仁寺派に属します。寛文9年(1669)伏見宮貞致親王が生母の菩提を弔うために聚楽の地に建立されました。はじめは天台・真言・華厳・禅の四宗兼学でしたが、その後、火災に遭い、宝永3年(1706)再建され、光清寺と改められます。









詳細は公式HP「光清寺について – 心和山 光清寺」をどうぞ。詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。
#華光寺 :京都府京都市上京区出水通六軒町西入七番町331
伏見城遺構!秀吉の毘沙門天「華光寺」出水七不思議"時雨の松"【京都上京シリーズ/出水通七不思議シリーズ】






詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。
#福勝寺 :京都府京都市上京区七番町323−1
豊臣秀吉の千成瓢箪「福勝寺」出水七不思議!大阪から京都へ【京都上京シリーズ/出水通七不思議シリーズ】
豊臣秀吉ゆかりの「ひょうたん寺」として知られ、出水七不思議の一つである「桜」や、節分の「宝船図」で有名な真言宗善通寺派の寺院です。
皇室の崇敬厚く、後陽成天皇の勅願所となる。豊臣秀吉の千成瓢箪を奉って武運を祈り、その遺徳を謝した秀吉が寺領を寄進したので瓢箪寺の通称で名高い。
寺門は九条家からの移築といい堂々の構え。一年に一度、節分の日に開門して、お目当ての「ひょうたんのお守り・七福招来」「宝珠尊融通御守」を授与する。




福勝寺で授与される、節分限定のお守り「宝珠尊融通御守(ほうしゅそんゆうづうおんまもり)」。弘法大師が中国で学んだ、貧苦の衆生を救済する「如意宝珠の修法」という秘法に由来します。如意宝珠をふたつ重ねた形が瓢箪に似ていることから、鎌倉時代頃に、瓢箪がお守りに用いられるようになったそう。かつては徹夜で並ばないと手に入らないといわれた、宝珠尊融通御守。現在は予約制になりました。当日申し込み分も用意されています。




山科にある「随心院(私のNOTE)」から譲り受けた牛皮華鬘もあった。確か兼務しているという説明があったかと思う。




本尊である薬師如来は別名「峰の薬師」ともいわれ、京都十二薬師霊場の一つに数えられている。本尊は50年に一度しか開帳されない秘仏となっており、前回は1985年の3日間だけ御開帳したようです。



詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。
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詳細は次のNOTE参照。
#玉蔵院 #福寿院 #観音寺 #極楽寺 #大雄寺 #浄圓寺
通常非公開寺院の前を通って元の場所へ。そのうち公開されるかなと。














詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。
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