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台湾メシ 中国料理オタク目線の台湾料理

台湾料理については、台湾華語や台湾語を自由自在に操る日本人や、出張や旅行で台湾に何度も行っている人、日本語が堪能な台湾人など、多くの人が、詳しく書いているので、台湾に住んだ事がない筆者が台湾の料理について語るのは、おこがましいかもしれないが、昔、特に厦門駐在中はよく行ったし、中国料理オタクとしては、台湾の料理も外せない。という訳で台湾料理について。

台湾の歴史

台湾の歴史は移民の歴史で、多彩な食文化を育んできた。まず台湾と中国、諸外国との関係の歴史を簡単に見てみよう。

台湾と中国、諸外国の関係の歴史(Google Mapsを利用して筆者作成)

①8000年前くらいから17世紀以前に中国福建省から渡ったオーストロネシア系の人たちの子孫が原住民。原住民で一番人口が多いアミ族、台湾を代表する歌手、張恵美はプユマ族、映画『セデック・バレ』のセデック族、カバラン・ウイスキーの名前の元になったクバラン族(カバラン族)など16の民族が認定されている。
2026年7月30日追記: 2026年7月30日にシラヤ族が認定され17になった。

台湾の原住民
アミ族(アミス族、パンツァハ族とも)、 タイヤル族(アタヤル族とも)、ブヌン族、 プユマ族、ルカイ族、ツォウ族、サイシャット族、タオ族(ヤミ族とも)、サオ族、クバラン族(カバラン族とも)、タロコ族、サキザヤ族、セデック族、カナカナブ族、サアロア族、シラヤ族

②大航海時代に西洋勢力が東アジアに到達、16世紀、ポルトガル人が台湾を訪れ美しさに感嘆し「イラ・フォルモサ(麗しい島)」と言った事からフォルモサは台湾の別名となった。17世紀、オランダが台湾に進出、台南にゼーランディア城(安平古堡)を建設。また基隆にスペインが上陸、淡水にサント・ドミンゴ城(紅毛城)を建設するなどしたが、オランダがスペイン駆逐。その後、オランダ勢力も駆逐されたので現在の台湾の料理への直接的な影響は無いが、サツマイモなど新大陸からもたらされた作物は東アジアの料理に大きな影響を与えた。

③明末清初、明の遺臣で日本生まれの鄭成功(国姓爺、母親は平戸出身の日本人、田川氏)は厦門を拠点として清に抵抗していたが、1662年ゼーランディア城を陥してオランダ勢力を駆逐、拠点を台南に移し、鄭氏政権を樹立。1683年に鄭氏政権3代目が清に降伏、台湾は清の統治下に入る。鄭氏政権樹立以降清末までに閩南(福建省の漳州、厦門、泉州)から移民した漢人の子孫が台湾のマジョリティになる。

台南安平古堡(ゼーランディア城)の鄭成功像

④同時期、客家も多く移民。客家は広東省、福建省、江西省にまたがる地域に分布、台湾への移民は広東省梅州からの移民が多かった。閩南系と客家系を合わせて本省人と呼ぶ。日本統治時代に客家系の人たちは「広東人」と呼ばれ客家語は「広東語」と呼ばれたが、粤系、粤語の事ではないので、日本統治時代の資料を読む時は注意が必要。

⑤日清戦争後、台湾は日本に割譲され、1895年から1945年まで日本統治時代となり、多くの日本人が台湾に渡り、農業、食材、調理法に影響を与えた。日本人技師の八田與一は東洋一の烏山頭ダムを完成させ、不毛の嘉南平野に水路を巡らせ、広大な穀倉地帯に変えた。
台湾映画『一八九五』『セデック・バレ(賽德克·巴萊)』『KANO』、日本のアニメ『パッテンライ!! 〜南の島の水ものがたり〜』などはこの時代が舞台。パッテンは八田の台湾語読み。

烏山頭ダムの八田與一像

⑥1945年、国民党政府が台湾を回復、大多数の日本人は台湾を去る。(関連映画 『海角七号 君想う、国境の南(海角七号)』)。1949年、大陸に中華人民共和国が成立、国民党政府は台湾に移る。この時に大陸各地から台湾に移り住んだ人たちが、いわゆる外省人。150万人が海を渡った。人民解放軍が厦門沖の金門島奪取を目論んで行われた古寧頭戦役で国民党軍が勝利、中国の台湾侵攻を阻止。1987年まで続いた戒厳令が解除され、民主化が始まった。

⑦台湾は元々米食文化圏で、それまで担仔麺など小麦粉食が無かった訳では無いが高価だった。戦後、アメリカの食糧支援を受け、大量の小麦が流入、小麦食文化が普及した。元々、牛は農耕の貴重な労働力であったため、牛肉も食べなかったが外省人の影響もあり、牛肉麺なども食べられるようになった。
また多くの外国人が仕事や旅行で訪れるようになった。インドネシアやベトナムなどからの出稼ぎ労働者も少なく無い。

⑧1958年から1979年まで人民解放軍が金門島を砲撃(金門砲戦)するなど戦争状態が続くが(関連映画 『戦酒(戰酒)』)、その後は砲撃もなく、2008年に雪解け、台湾と中国で「三通(通商、通行、通郵)」が、金門と厦門間で「小三通」が始まり、大陸との交流も始まった。但し、2008年以前も香港経由などで台湾と中国の交流はあった。

余談だが筆者の住む昆明には「台北街」があり、台湾の一部小吃を食べることができる。

雲南省昆明の台北街

台湾料理

上述のように台湾は閩南系本省人が多いが、原住民、客家系本省人、外省人、外国人も住まう多様性の社会だ。現在、台湾の人口は約2342万人、少し古いが1992年の各グループの比率は、閩南系73.3%、外省人13%、客家系12%、原住民1.7%(黄宣範『語言,社会與族群意識』1993)。

2019年、行政院は「言語権」は基本的人権に内包されているとし『国家語言発展法』を施行、台湾で使われている全ての言語が「国家言語」と認められた。筆者は、言語の尊重は台湾に住まう人々のそれぞれの文化が尊重されるのと同義で、それぞれの食文化も含まれると思う。

台湾の言語分布。この他、台北は華語も多い(臺灣家庭族語分佈地圖より、赤字は筆者が追加)

地域ごとの特徴はあるものの、このような多様性の中で、台湾料理は何かを、一言で言うのが難しい。強いて言えば、閩南系の料理がマジョリティだが、他にも様々な料理がある、と言ったところだろうか。

主な料理は(ごく一部)、閩南系の担仔麺滷肉飯、各種海鮮。客家系の新竹米粉三杯鶏。閩東(福建省福州)系の仏跳牆、胡椒餅。外省人の北京ダック、小籠包、紅焼牛肉麺、飯糰(台湾おにぎり)。原住民系の竹筒飯、炒山蘇などがある。

デザートや菓子は、仙草、愛玉子、豆花、芋圓、鳳梨酥(パイナップルケーキ)などがある。

飲みの物は凍頂烏龍茶、珍珠奶茶(タピオカミルクティー)などが有名だ。

また、台湾の調味料や香辛料も魅力だ。蔭鳳梨(パイナップルの漬物)、沙茶醬(サテーソース)、油膏(とろみ醤油)、馬告(アオモジ)などは料理に深い味わいを与える。

台湾料理の例(ごく一部)

紅蟳米糕(蟹おこわ)
蠔湯(牡蠣スープ)と蠔煎(牡蠣オムレツ)
炸花枝丸(イカ団子)
北京烤鴨(北京ダック)
蟹粉小籠包(上海蟹入り小籠包)
魚湯(魚のスープ)
葱油餅(葱パイ)
肉圓(肉団子をサツマイモ澱粉で包み、蒸して、甘辛タレをかけて食べる)
台湾式居酒屋「熱炒」の台湾ビールと鹹蜆仔(蜆の醤油漬け)
炒山蘇(シダの仲間シマオオタニワタリの炒め物)
台湾黒輪(台湾おでん)。黒輪オレン(O͘-lián)はおでんの台湾語の音訳、
宜蘭のブランド葱「三星葱」のアイス
アイスモンスター

筆者と台湾

筆者は会社勤めをしていた時、何年かヨーロッパにもいた事がある。ある時、出張で台北に行くと、厦門法人の社長も来ていて、「なんで(中国畑の)cloud君がヨーロッパにいるんだ?」と言う事で、厦門に引っ張ってくれた。ヨーロッパでも週末や長期休みには近隣諸国に行きまくり楽しかったが、厦門の生活はもっとウハウハだった。週末になると、中国国内のどこかだけでなく、対岸の金門島や金門島経由で台湾にもよく行った。

金門島の水頭埠頭は厦門の五通埠頭から30分。出入国手続きも大して時間がかからないので、週末の朝、「今日、ちょっと金門行っちゃおうかな〜」というノリで日帰りで行ったり、閩南の伝統的建築「燕尾」式の民宿に1泊したりした。厦門に帰る前にはセブンイレブンに寄り、日本式の蕎麦弁当などを買って帰ったりもしていた。

燕尾式建築
金門島のセブンイレブンで買って帰ったざるそば等

また、厦門から金門まで船で、金門の港から専用バスで金門空港まで行き、台北、台中、高雄など台湾各地まで飛行機で行くという「一条龍服務」サービスというのがあり、よく利用した。行ったのが一番多いのは台北、金門から飛ぶと台北から遠い桃園空港ではなく、市内の松山空港なので便利だった。台北のお目当ての一つは日本語の本で、必ず紀伊國屋とジュンク堂に行った。そしてもう一つのお目当ては、もちろん食べ物。台湾式居酒屋「熱炒」や夜市巡りも楽しかった。台湾料理だけでなく、日本料理も食べた。そして厦門に帰る前には台鉄弁当を買って帰るのがお決まりのパターンだった。

台北松山空港
台鉄排骨弁当

さて、2012年9月、尖閣諸島国有化により、中国各地で大規模な反日デモが行われた。9月15日には厦門でもデモが起きるなどした。身に危険はなかったものの、常時、警戒感を保つような感じだった。

空気が重く感じられたので、次の週末、金門島に行き一泊した。いつものように船で金門島に行き、民宿にチェックイン、ベッドに転がって天井を見ていると、なんだかホッとした。心の片隅にあった警戒感が消えたのが分かった。

たまたま同じ民宿にマレーシア華人の家族が泊まっていて、籍貫(祖先の出身地)が金門なので祖先の地を見に来たと言う。昔マレーシアにいたと言ったら、夜一緒に食べようと誘ってくれ、金門の料理を食べながら、楽しい時間を過ごした。しかし翌日、厦門に帰ると、やはり警戒感が出てきた。前日が楽しかっただけに、より重く感じた。そんな状態で1週間仕事をした。

折しも、その次の週末から、中国は国慶節休みだったが、中国国内旅行に行く気になれなかったので、台北に行った。烏来の温泉に行ったり、林森北路で飲んだりしてのんびり過ごした。これまで台湾は出張で行くところ、日本語の本や日本食材を買うところ、料理が美味しいところ、だったのが、この旅行の時に、心のオアシスに昇華した。

厦門を離れた後も、台湾にはちょこちょこ行っていたが、コロナの後は行っていない。現在、厦門と金門島を結ぶ厦金大橋を建設中で、2026年末には完成するらしいので、開通したら、厦門、金門経由で台湾に行きたいな、などと思っている。

参考文献/ウェブサイト

中華民国行政院『《國家語言發展法》—改善語言斷層危機、尊重多元文化發展』 https://www.ey.gov.tw/Page/5A8A0CB5B41DA11E/acb034c7-e184-4a39-be3f-381db50a6abe (2025年12月17日閲覧)

本土語言資源網 『臺灣家庭族語分佈地圖』 https://mhi.moe.edu.tw/instructions-for-use/TSMhiInstructionForUse-000006/  (2025年12月17日閲覧)


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