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遠くギリシャに発見され確立の一歩を踏みだした人性が、今日、どれほどの変化を示しているであろうか 〜 坂口安吾 「堕落論」(1946年)


今朝のデザートのオレンジも美味かった。しかしあのオレンジ色の政党はいかにも不味い。拙者が住む北関東の地方都市(人口数万, 「田舎」町)でも, 何年も前から各戸にチラシが投函されるようになり(最初の1枚を歴史の記録として保管しておけばよかったかもとも思うが, 「何年も前から」なのか「何年か前から」なのか, とにかく数年前からの話だ), その度にうちのカミさんに「これ一見当たり障りのない政治ビラに見えて実は極右だからね」とちらっと挟まれたり端の方に書かれたりしている右翼(拙者は自身は左向きの方だろうが「右翼」一般は別に嫌いではない)や極右や外国人排斥を匂わせる, 確信させる文言など指差しつつ話していた。まぁ年輩者を含む層には紙媒体(とSNS)を, 若年層にはSNS(と紙媒体)等いろいろと「工夫」しながら, 時間をかけて名前と「主張」の全国津々浦々での浸透を図ってきたのだろうと察する。

今月の参院選を眺めながら, いつの間に日本は此処まできたのかとの感を強くしたのだが, しかしまぁ「こんな日本に誰がした」と言われれば, あっさり一言二言で済ませるのなら, 自民と創価学会・公明だよ, 自民関連で言えば安倍晋三や「安倍晋三」的なものをのさばらせてきた, 蔓延らせてきた, その跋扈を許してきた朝日や読売などの日本のメインストリームのメディアだよ, 自分の頭で考えることを無視なり軽視なりしてきた日本の教育現場だよ, と答えていいのだろうと思う。ナンだ, 一言二言じゃないじゃんかよ。 

「堕落」しないで, ただ単に社会の底が抜けていた日本

暑い。そして, 参院選が終わった。「参政党」だの「日本保守党」だの「国民民主党」だの「日本維新の会」だの, しょーもない政党群が 雨後の筍のように勢いをつけて(筍は美味いんだが連中は確実に不味い)。

酷いなぁ。参政党。近年の夏の猛暑よりもよほど不快だ。近年の夏の酷暑よりもよほど酷い。批判者をあからさまな排他, 排除, 排外の論理で(ああいいうの "論理" と呼べるのか?)「嫌なら日本から出ていけ」「非国民」(戦後80年, 2025年にこの三文字かよ)と罵り, 「核武装は安上がり」「教育のための徴兵制」などとトンデモ発言するような輩(やから!)。そんな連中に多くの支持者が集まり, 実際に票が入り, 連中の一部が議席を得.. 。一部.. いや, 多過ぎるだろ。

「世界史」, 復習。ああいう連中が選挙で勢力を拡大していくってのは, 戦前の日本よりも, 戦前のドイツの方が 恰好の例だ。

ドイツ共和国(通称ヴァイマル共和国)の国会における国民(国家)社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の議席数は、1928年には12(399議席中。第一党は社会民主党で153)であったが、世界恐慌の最中の1930年選挙で、一挙に107に増大した(第一党はまだ社会民主党で143)。そして1932年7月の選挙で、230議席を占めついに第一党となった(第2党の社会民主党は133)。同年11月選挙では196に減ったが、第一党は維持した。その結果、1933年1月、ヒンデンブルクは、ナチ党党首のヒトラーを首相に任命し、ここにヒトラー内閣が成立することとなった。

政権を獲得したヒトラーは、議会における絶対多数を目指し、3月5日に再度の選挙を実施することにした。そこで単独過半数を得るためには敵対する政党に打撃を与えることが必要と意図したのであろう。1933年2月27日に発生した国会議事堂放火事件を共産党の犯行としてでっち上げ、翌日には大統領緊急令を出し、ヴァイマル憲法で保障された基本的人権を 緊急事態を口実として 停止した。その上で3月5日の選挙を実施したが、ナチ党は288議席(得票率43.9%)にとどまりヒトラーが期待した単独過半数は実現できなかった。社会民主党は120、共産党は前回89からは減ったものの81を確保、他に中央党74、国家国民党52など、となった。<数字は山本英行『ナチズムの時代』1998 世界史リブレット49 山川出版社 p.21>

新たに招集された議会でヒトラーは1933年3月24日に全権委任法を成立させた。中央党が賛成に回り、出席できた社会民主党議員は反対したが、その大部分と共産党議員はすでに逮捕されて出席できなかった(議員の不逮捕特権さえ奪われていた)ために賛成多数となったのだった。それは議会の立法権を制限して内閣に対し無制限の立法権を賦与するという、三権分離・民主政治の原理を否定することであり、実質的なナチ党一党支配が成立、そのもとで全ブルジョワ政党は自発的に解散し、6月に社会民主党、7月に共産党が禁止され、ドイツの議会政治は解体された。

https://www.y-history.net/appendix/wh1504-076.html

選挙期間中にラサール石井氏が言った言葉を借りれば, 確かに「日本の社会の底は抜け」てしまったかのようだ。底が抜けたら大変だね。底があるうちは這い上がる術もあろうが, 底が抜けたら, ただ堕ちる「だけ」ではないか。

1945年の敗戦の後, 結局 中途半端に堕ちた日本は, したがって「堕ちる道を堕ちきること」が出来なかった日本は, したがって「他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだす」ことなど出来るはずもなく, となれば「自分自身を発見し、救」うことなど "夢のまた夢"(ありゃ, 安吾から引いてたのに秀吉が.. いやいや此処では「吐かない」いや「儚い」「はかない」の意でなく, 「到底実現しそうにない」の意, 脱線!), それどころか, 安吾曰くの「上皮だけの愚にもつかない物である」「政治による救いなど」(さえ)も出来ないまま, 戦後80年近くの歳月を経て, 日本は「堕ちる道を堕ちき」らないまま, ただ単に, 無自覚なままその社会の底が抜けるという離れ技, 離れ業をやってのけたのであった。いや, 無自覚なんだから「やってのけた」のではなく, 気づいたら社会の底が抜けていたという。いや, 気づいてもいず, 社会の窓が開いていて, 何処かの国から国際刑事裁判所に公然わいせつ罪で訴えられ(笑), それはともかく, 社会の窓が開いているので, 外から見たら日本の社会の底が抜けていたことがわかり, 丸見えで.. ああ無残。安吾の「堕落論」の「堕落」とは全く違う種類の "堕落" の惨状が見えてしまったのであった。

まぁしかし, かなり以前から 「日本の社会の底」 は 「抜けていた」 と思うけど。

靖国神社 (1869-1945-2001-2020) 〜 ネオナチまがいの排外主義者が首都で18万票を獲得する国 (2020)

5年前の夏。

「朝鮮人を皆殺しにしろ」、「日本が嫌いな韓国人、ぶち殺してやるから出て来い」、「日本が嫌いな日本人は叩き殺す」と街中で叫ぶネオナチまがいの極右排外主義者が首都で18万票を獲得する国の敗戦75周年記念日 〜 そして靖国神社 (1869-1945-2001-2020)

同じく, 5年前の夏。

「半島からやってきたC鮮民族」 などという醜悪な言辞で 批判したい対象を揶揄するような人物と 「相互フォロー」する気などさらさらないので, 念の為

去年の秋。

政治上の改革は一日にして行なわれるが、人間の変化はそうは行かない。 遠くギリシャに発見され確立の一歩を踏みだした人性が、今日、どれほどの変化を示しているであろうか。

坂口 安吾(1906〈明治39〉年10月20日 - 1955〈昭和30〉年2月17日)

「堕落論」の起

「堕落論」の結

よくよく考えたら, 日本の外だって 既に社会の底は抜けていた 〜 アメリカの惨状, ヨーロッパの惨状, 西洋の惨状

そうだよ。よくよく考えたら, 日本の外だって, 既に社会の底は抜けていたよ。少なくとも, アメリカ合州国とかヨーロッパ(の多くの国)の惨状など, ある意味, つまり世界大の悪影響を踏まえれば, 日本のそれよりも相当に酷いもんだ。まぁ比較してもナン(近頃しばらく食してない, そろそろ食いたいインドのあれ!)の意味もないが。

🇺🇸 〜 🇮🇱 への巨額の軍事援助だけでは飽き足らず, "名実ともに"「戦争犯罪人」のネタニヤフを連邦議会に招き「演説」を "拝聴", 今や 世界一の恥知らず国家 🇺🇸

🇺🇸, 🇮🇱 と共犯 〜 民主党が大量虐殺, 共和党が民族浄化, 地上最大の「悪魔」国家の役割分担

🇺🇸 🇮🇱 地上最大の「悪魔」同盟 〜 🇩🇪 ドイツも加えりゃ, 21世紀の真の「悪の枢軸」

「ならずもの国家」🇺🇸🇮🇱を擁護する「人類の恥」ヨーロッパ

「西洋」の 欺瞞 と 偽善 〜 さらば バーニー・サンダース, さらば リチャード・ドーキンス, くたばれ ユヴァル・ノア・ハラリ, くたばれ ボブ・ディラン, ついでに言うと, ぼのぼの は好きだが, U2 の ボノ は最低だ

ボノ, ね .. 以下, ついでに「小物」二人。

ボノを出すと, こいつも出したくなる。「沈黙してたら誤解されて『共犯者』扱いされた, ボク辛いよぉ」の トム・ヨーク .. お前バカなの? Bernie & Bono 同様, イスラエルから Benjamin Netanyahu だけ切り離して批判の Thom Yorke

アホや。

遠くギリシャに発見され確立の一歩を踏みだした人性が、今日、どれほどの変化を示しているであろうか。

僕は一寸(ちょっと), ギリシャに行くよ

って 42年前の夏のギリシャかよ。此処で「僕は一寸(ちょっと)」(細野晴臣)休憩。

イタリアからギリシャへと地中海を渡るフェリーで聴いていた 〜 ダイアー・ストレイツとピンク・フロイド

イタリアからギリシャに渡った, 1983年7月10日 〜 同年4月26日の日本出国以降を振り返り

僕は一寸(ちょっと), ギリシャで 休むよ

って 42年前の夏のギリシャかよ。此処で「僕は一寸(ちょっと)」(細野晴臣)休憩, 第二弾。

以下の 1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集 の「目次」42 ~ 50 が, ギリシャ(及び ギリシャ「関連」)。

僕は一寸(ちょっと)

僕は一寸

ひなたぼっこでも していきませんか
そこにまあ すわって
お茶でも飲んで 話を
どんな話を しゃべりましょうか
日の出づる国の 明日の事でも ..

僕は一寸 〜 細野晴臣, 1973年5月25日リリース "HOSONO HOUSE" より

1973年初夏, 2025年の夏よりはよほどマシだった時代の, 日本の歌。

「凋落」日本が 「飛ぶ鳥を落とす勢い」に見えた頃の 世界における立ち位置を, ダイアー・ストレイツ "Love Over Gold" (1982), ピンク・フロイド "The Final Cut" (1983) で振り返る

1983年7月, イタリア から ギリシャ に渡るフェリーの船上で聴いていた ダイアー・ストレイツ と ピンク・フロイド の曲から, (その頃は!)少なくとも経済面では「行け行けどんどん」に見えていた日本という国の, 世界における当時の立ち位置を振り返ってみる。

個人的には何度も振り返ってるんだけど。賢者 デカルト(1596年3月31日 - 1650年2月11日)曰く, 我思う、故に我在り。拙者, 思う(誰でもそう思うか, 笑), 過去あり, 故に今在り。で, 過去を振り返って, あらためて日本の今を知る。別に「温故知新」じゃないよ, 要は「過去」の日本(と世界)を振り返って見て, 日本(と世界)の「今」を認識する。過去を振り返って, 今を想う。今と未来を知るために, 今日も「振り向いて」日本と世界の過去を覗く。そんな拙者は, 

ちょっとふり向いてみただけの …

な, 

なんナンだ, 「異邦人」かよ。

それは 仕方ない(「シカタナイ」は日本人のワルイ癖, ウォルフレンが「人間を幸福にしない日本というシステム」で そう言ってたが)。

しかし, まぁそれはそれとして(このいい加減さが日本人, しかし日本の群衆の「いいかげん」さは怖いもんだ), 「音楽がなければ、人生はただの間違いだろう」と ニーチェ(1844年10月15日 - 1900年8月25日)も言っております。

最後に,

参政党 「参考」リンク

今日の最初の「序」章に記した通り, 「何年か前から」なのか「何年も前から」なのか, とにかくあのオレンジ党(オレンジ色, 橙色が気の毒だ)の浸透は気になっていたのだが, 正直, ここまで早く・速く勢力を得る, 勢力を拡大するとは予想していなかった。正直, さして興味も持たなかった(まぁ「甘かった」のだろう)。

現時点でも, 連中の具体的な中身・その詳細や, 連中のそもそもの成り立ちに関して, 自分は詳しい方では全くない(「パレスチナ問題」「パレスチナ/イスラエル問題」「イスラエル問題」に長年関心を寄せてきたものとしてあの党の代表とイスラエルとの関係などは視界に入ってきていたものの)。

世に「参政党」の中身をきちんと検証している資料は既にごまんとあるのだろうが(「五万」もあるかもね), 自分にはその中から此処で一番適切なものを選ぶほどの予備知識が十分あるとは言えない。しかしながら, 自分用も踏まえ, 今ざくっと検索して見つけたもの(リンク)を, 以下に並べておこうと思う。

*イスラエルに絡むのは特に以下の(4)

極右カルト参政党(1)神谷宗幣のはじまり

極右カルト参政党(2)高橋史朗の「親学」

極右カルト参政党(3)森友学園・統一教会

極右カルト参政党(4)キリストの幕屋

極右カルト参政党(5)小名木善行

極右カルト参政党(6)ジャンボタニシ

極右カルト参政党(7)加賀プロジェクト

極右カルト参政党(8)近代国家の否定

極右カルト参政党(9)ナチズム憲法

最後にもう一度, 歴史の復習

本章前項の最後は「極右カルト参政党(9)ナチズム憲法」。

「参政党」の主張は、もはやナチズムです。言葉のインフレを招くので、安易にナチスという言葉を使うべきではありませんが、参政党の主張には「ナチズム」と呼ばざるを得ない特徴があります。

https://note.com/booskanoriri/n/neb60a5bbbc60

「世界史」, 復習。「参政党」のような連中が選挙で勢力を拡大していくってのは, 戦前の日本よりも, 戦前のドイツの方が 恰好の例だ。

ドイツ共和国(通称ヴァイマル共和国)の国会における国民(国家)社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の議席数は、1928年には12(399議席中。第一党は社会民主党で153)であったが、世界恐慌の最中の1930年選挙で、一挙に107に増大した(第一党はまだ社会民主党で143)。そして1932年7月の選挙で、230議席を占めついに第一党となった(第2党の社会民主党は133)。同年11月選挙では196に減ったが、第一党は維持した。その結果、1933年1月、ヒンデンブルクは、ナチ党党首のヒトラーを首相に任命し、ここにヒトラー内閣が成立することとなった。

政権を獲得したヒトラーは、議会における絶対多数を目指し、3月5日に再度の選挙を実施することにした。そこで単独過半数を得るためには敵対する政党に打撃を与えることが必要と意図したのであろう。1933年2月27日に発生した国会議事堂放火事件を共産党の犯行としてでっち上げ、翌日には大統領緊急令を出し、ヴァイマル憲法で保障された基本的人権を 緊急事態を口実として 停止した。その上で3月5日の選挙を実施したが、ナチ党は288議席(得票率43.9%)にとどまりヒトラーが期待した単独過半数は実現できなかった。社会民主党は120、共産党は前回89からは減ったものの81を確保、他に中央党74、国家国民党52など、となった。<数字は山本英行『ナチズムの時代』1998 世界史リブレット49 山川出版社 p.21>

新たに招集された議会でヒトラーは1933年3月24日に全権委任法を成立させた。中央党が賛成に回り、出席できた社会民主党議員は反対したが、その大部分と共産党議員はすでに逮捕されて出席できなかった(議員の不逮捕特権さえ奪われていた)ために賛成多数となったのだった。それは議会の立法権を制限して内閣に対し無制限の立法権を賦与するという、三権分離・民主政治の原理を否定することであり、実質的なナチ党一党支配が成立、そのもとで全ブルジョワ政党は自発的に解散し、6月に社会民主党、7月に共産党が禁止され、ドイツの議会政治は解体された。

https://www.y-history.net/appendix/wh1504-076.html

ひなたぼっこでも していきませんか
そこにまあ すわって
お茶でも飲んで 話を
どんな話を しゃべりましょうか
日の出づる国の 明日の事でも ..

僕は一寸 〜 細野晴臣, 1973年5月25日リリース "HOSONO HOUSE" より

1973年初夏, 2025年の夏よりはよほどマシだった時代の, 日本の歌。

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