121.アラゴン王アルフォンソ二世
画像は以下のウィキペディアから転載。
今回もリアルキャメロットたちの「結婚しました」話です。
知らない人たちの婚姻話や系図は心底どうでもいい話ですが、ここに出てくるのは竜の精霊メリュジーヌの子孫を誇るような、ドラマの登場人物を気取る「痛い人」たちです。
というと大げさすぎる断定ですが、わたしたちは歴史上の人物をありがたがる傾向にあるので、ハリウッド病に罹った痛い人たちのリアルドタバタ劇、くらいの認識でちょうどいいかと思います。
実際、アーサー王たちと自分を同列に扱ったりかっこいい国章をこしらえたりしていたのですが、冷静に考えると子供のごっこ遊びと同じです。
ですがこの「患者」が権力者の場合、「痛い人」だけでは済まされません。
有名な獅子心王リチャード一世などは、自分たちが悪魔の子孫であることをむしろ誇っていました。
社会的婚姻については以下で脱線しまくりながらお伝えしています。お家の位を上げるには、「どの家の女と結婚するか」が重要になってきます。
今回はアルフォンソ二世を中心にスペインの「結婚しました」をお伝えするのですが、スペインはレコンキスタのお膝元というだけではなく、婚姻関係においても意外なほどにフランスやイングランドと絡んでいます。
もちろん十字軍や「騎士団」、エルサレムにもです。
「フランス」とスペイン
前回お伝えしたとおり、コンラート三世(一〇九三年~)はホーエンシュタウフェン朝初のローマ王(ドイツ王)でした。
このコンラートの母アグネス・フォン・ヴァイプリンゲンは、夫のフリードリヒ一世が死んだあと、オーストリア辺境伯レオポルト三世(一〇七三年~)と再婚しました。

そしてアグネスは、ゲルトルート・フォン・バーベンベルクを産みました。

ゲルトルートはボヘミア公ヴラジスラフ二世と結婚し、姉のポーランド王妃リクサ・シロンスカはカスティーリャ王およびレオン王のアルフォンソ七世(一一〇五年~)と結婚しました。

アルフォンソ七世はこのNoteでもたびたび登場していますが、レーモン・ド・ブルゴーニュ(一〇七〇年ごろ~)とウラカの息子です。純スペイン産ではありません。
ウラカは有名なアルフォンソ六世(一〇四〇年ごろ~)とコンスタンス・ド・ブルゴーニュの子です。やはり純スペイン産ではありません。

アルフォンソ六世とコンスタンスの婚姻は、クリュニー修道院の仲介で成立しました。
このコンスタンスは、クリュニーの偉大な修道院長、クリュニーのユーグの姪にあたります。

当時のクリュニー修道院は、スペインを含むヨーロッパ地域において強大な政治力を発揮していました。
第一回十字軍を開始させたローマ教皇ウルバヌス二世(一〇四二年~)は、かつてクリュニー修道院の有力な修道院長でした。
そしてウルバヌス二世は、クリュニーのユーグから多大な影響を受けた人でもあります。
アルフォンソ六世の妻コンスタンスもまた、ウルバヌス二世への影響力を通じ、十字軍遠征に重要な役割を果たした女です。
それがレコンキスタのお膝元、スペインの地に嫁いだわけです。政治以外のなにものでもありません。
やはり婚姻において注目すべきは女です。そして「白人女の美しさ」も、冗談のようで冗談ではない重要な要素です。

なおクリュニー修道院は、以前何度もお伝えしたように、「テンプル騎士団の背後にある騎士団」だったと疑われています。
そしてこれも何度もお伝えしているように、クリュニー修道院を創建したのはアキテーヌ公ギヨーム一世(八七五年~)です。
ギヨーム一世のギレム家は、オータン伯ティエリーことナルボンヌのラビ・マヒルを祖とします。つまりユダヤ人です。
当時はユダヤ人への当たりが強かったので、たびたび「らしくない」名前に改名したりしていました。
ローマ教皇さえもです。
「イングランド」とスペイン
一一〇九年にアルフォンソ六世が死ぬと、娘のカスティーリャ王妃ウラカは、レオン、カスティーリャ、ガリシアの三王国の統合王位を継承し、息子アルフォンソ七世の将来を確かなものにしようと考えました。
一一一一年、コンポステラ司教兼トラバ伯のディエゴ・ヘルミレスは、サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂において、六歳のアルフォンソ七世をガリシア王として戴冠、聖別しました。
アルフォンソ七世とリクサ・シロンスカのあいだには、サンチャ・デ・カスティーリャという娘がいました。
このサンチャは、アラゴン王アルフォンソ二世(一一五七年~)と結婚しました。

つまりアルフォンソ七世は、アラゴン王アルフォンソ二世の義父です。
アルフォンソ二世はアラゴン王ラミロ二世(一〇八六年~)とアニェス・ダキテーヌの孫で、このアニェスは「トルバドゥール(吟遊詩人)」として知られるアキテーヌ公ギヨーム九世(一〇七一年~)の娘です。

そしてギヨーム九世は、アリエノール・ダキテーヌの祖父にあたります。

このフランスの二人はよくいえば「文化人」で、ギヨーム九世は最初のトルバドゥール(吟遊詩人)といわれています。

そしてアリエノールは、物語作家や年代記作家などを保護し、いわゆる中世ヨーロッパの宮廷文化を花開かせた人です。
さらにアリエノールの娘マリー・ド・シャンパーニュは、クレティアン・ド・トロワに依頼して『ランスロまたは荷車の騎士』を書かせました。
このクレティアン・ド・トロワは、イギリスのアーサー王物語にフランスのランスロットと聖杯を追加し、中世騎士道物語の題材の一つとして定着させた人です。
先に出てきた自称「悪魔の子孫」獅子心王リチャード一世は、アリエノール・ダキテーヌとイングランド王ヘンリー二世の息子です。
アリエノールは宮廷を通じ、アーサー王物語をヨーロッパ全土や東方に広めました。
旦那のヘンリー二世もアーサー王物語を気に入り、一一八四年には火災に遭ったグラストンベリー修道院の再建資金を援助したりしました。
この物語推しはもちろん政治の一環ですが、推奨し拡散したのは「物語の力」を知っていたからこそです。
しつこいようですが、現代人(とくにアメリカ人)もまた、ハリウッドに支配されています。
ドラマアニメ映画の影響で一番わかりやすいのが「恋愛」です。病気になったら医者に行く、薬を飲む、という行動と同じように、わたしたちはある年齢においては必ず恋愛をしなければなりません。
ですが現実の世界は、わたしたちが楽しく恋愛できる世界ではありません。人間や動物は恋愛する生き物ではないからです。
その歪みが政治とビジネスを動かします。「求愛」する動物などを見せつけられると、自分も恋愛しなければ、という脅迫観念が強化されます。
単純に、指輪が売れたりします。ですがダイヤモンドはただの石で、希少でもなんでもありません。
またいうまでもなく、セレブたちの裏には仕掛け人がいます。そして仕掛け人たちは、いまも昔も秘密の仲良しクラブに属していたりします。
これも世のあり方の基本ですが、たいていの日本人は理解できない「陰謀論」です。百歩譲っても「理解しがたい話」です。
理解しがたいのは、「西洋人」の価値観が根っこにあるからです。いまの世界を牛耳っているのは「西洋人」なので、現代を知りたいと思えば連中の歴史を学ばなければなりません。
西洋人の価値観といえば、キリスト教です。すると宗教の歴史も学ばなければならなくなります。
そしてオカルトの存在を知ることになります。
一から調べるのが面倒な向きは、このNoteを頭から読んでみてください。
アルフォンソ・ジョルダン
アルフォンソ二世の義父、アルフォンソ七世は、全スペイン皇帝(エル・エンペラドール)の称号をはじめて用いた人です。
このアルフォンソも詩人の後援者で、おそらくトルバドゥールのマルカブリュも支援していました。

アルフォンソ七世は一一二五年までに、かつてイスラム教徒が支配していたトレド王国を継承しました。
トレドはかつて西ゴート王国の首都で、「白人」たちの地を奪還したのはアルフォンソ七世の父、アルフォンソ六世です。
一一二六年、母親のウラカが死んだあと、アルフォンソ七世はレオンで戴冠し、すぐにカスティーリャ王国の奪還を開始しました。
当時カスティーリャは、武人王アルフォンソ一世(一〇七三年ごろ~)が支配していました。

こちらのアルフォンソは、アルフォンソ七世の母ウラカと結婚していました。狭すぎる世界です。
一一二七年、タマラの和平によって、アルフォンソ一世はアルフォンソ七世の統治を承認しました。
一一二六年三月にアルフォンソ七世が即位した際、トゥールーズ伯レーモン四世の息子アルフォンソ・ジョルダン(一一〇三年~)がアルフォンソ七世の宮廷にいました。

トゥールーズ伯レーモン四世の死後、一族の領地とトゥールーズの地は、トリポリ生まれのアルフォンソ・ジョルダンに継承されました。
レーモン四世といえば第一回十字軍です。アルフォンソ・ジョルダンは、生後ヨルダン川で洗礼を受けたのでジョルダンと呼ばれるようになりました。
このアルフォンソ・ジョルダンは、レーモン四世と三番目の妻のエルビラ・デ・カスティーリャのあいだにできた息子です。
母のエルビラはアルフォンソ六世の娘で、レーモン・ド・ブルゴーニュと結婚したウラカとアンリ・ド・ブルゴーニュと結婚したテレサの姉妹です。
ちなみにレーモンはコンスタンス・ド・ブルゴーニュの甥で、アンリはレーモンの従兄弟にあたります。
この二人がアルフォンソ六世の娘と結婚したことで、サンティアゴ騎士団、カラトラバ騎士団、モンテサ騎士団、聖ジョージ騎士団、キリスト騎士団などのテンプル騎士団の生き残りとなる騎士団を生み出すことになりました。
一一一九年、アルフォンソ・ジョルダンは、一一一四年にアキテーヌ公ギヨーム九世が要求していたトゥールーズに侵攻して一部を奪還し、一一二三年までには完全な支配を確立しました。
次にアルフォンソ・ジョルダンは、プロヴァンスにおける権利を守るため、バルセロナ伯ラモン・バランゲー三世と戦わなければならなくなりました。
一一二五年、アルフォンソ・ジョルダンはようやく和平を成立させました。そして一一四七年、アルフォンソ・ジョルダンは第二次十字軍に出発しました。
ある意味宿命です。乱暴にいえばRPGにおけるメインに近いサブクエストです。
一一四八年にアッコンに到着しましたが、アルフォンソ・ジョルダンは同地で仲間の中に敵をつくってしまったため、十字軍に参戦できませんでした。
アルフォンソ・ジョルダンはカエサリアで死亡し、その後毒殺説が流れました。
この毒殺容疑は通常、フランス王ルイ七世の妻アリエノール・ダキテーヌか、ボードゥアン二世とアルメニアのモルフィアの娘、エルサレム女王メリザンドが犯人だとされています。
アルフォンソ・ジョルダンはトリポリ伯レーモン二世のライバルで、このレーモン二世はボードゥアン二世の娘オディエルナと結婚していました。
身内のライバルなので排除したのではないか、という話ですが、さすがはメリュジーヌがらみの人たちです。
『アルフォンソ皇帝年代記(Chronica Adefonsi imperatoris)』によると、アルフォンソ・ジョルダンとスエロ・ベルムデスは、反対派勢力からレオンの街を奪い、アルフォンソ七世に引き渡しました。
また『年代記』には、「トゥールーズ伯アルフォンソは、あらゆる事柄においてかれ(アルフォンソ七世)に従順であった」と記されています。
ちなみにアルフォンソ・ジョルダンがスペインに長期滞在する際に同行したと思われる人物に、トルバドゥールのマルカブリュがいます。
一枚岩ではない
一一三四年、武人王アルフォンソ一世は、後継者を残さずに死にました。
アルフォンソ一世は生前、自分の王国をテンプル騎士団と聖ヨハネ騎士団に遺贈すると遺言状に残していました。
もはやおなじみのパターンです。
アラゴンとナバラの貴族たちは、この遺贈を拒否しました。こちらも意外によくあるパターンで、王侯貴族全員が修道院や秘密結社的組織に入り浸っていたわけではない、ということがわかります。
そして貴族たちはアルフォンソ一世の遺言を無視し、ナバラではモンソンの伯爵ガルシア・ラミレス(一一一二年ごろ~)が選出され、アラゴンではアルフォンソ一世の弟でロダ=バルバストロ司教だったラミロ二世(一〇八六年~)を還俗させ王位につけました。


ラミロ二世は、レオンとカスティーリャのアルフォンソ七世を抑えて選出されました。還俗というのは俗世に戻るという意味で、アルフォンソ七世はよほど望まれていなかったようです。
そこでアルフォンソ七世は武力行使に出ました。幾度かの小競り合いのあと、アルフォンソ七世は連合軍を破り、ナバラとアラゴンを服従させました。
アルフォンソ七世は、バルセロナ伯ラモン・バランゲー三世の娘ベレンゲラ・デ・バルセロナと結婚していました。
なのでアルフォンソ七世は、ナバラとアラゴンを服従させたあと、ラモン・バランゲー三世が旧バルセロナ辺境伯領を統一するための戦争を支援しました。
そしてラモンは晩年、テンプル騎士団に入りました。
旧バルセロナ辺境伯領といえば、カール大帝とギヨーム・ド・ジェローヌです。
アラゴン王のラミロ二世は、娘のペトロニーラをラモン・バランゲー三世の息子のラモン・バランゲー四世(一一一三年ごろ~)と結婚させました。

この結婚によって、アラゴンとバルセロナはアラゴン王国として統合されました。
一方、レオン王アルフォンソ七世の最初の妻は、お伝えしたとおりラモン・バランゲー三世の娘ベレンゲラです。
この人たちの子供に、レオン王フェルナンド二世(一一三七年~)がいます。

このフェルナンドは、サンティアゴ騎士団の創設者です。
フェルナンド二世の妹、つまりアルフォンソ七世の娘のコンスタンス・ド・カスティーユは、フランス王ルイ七世の二番目の妻になりました。
ルイの一番目の妻は、もちろんこのNoteのメインヒロイン、アリエノール・ダキテーヌです。

アルフォンソ七世の娘コンスタンス・ド・カスティーユは、マルグリット・ド・フランスの母です。

このマルグリットは、イングランドの若ヘンリー王(一一五五年~)と結婚しました。
若ヘンリー王は、ヘンリー二世とアリエノール・ダキテーヌの次男です。狭すぎる世界です。
コンスタンスの妹、つまりアルフォンソ七世とベレンゲラの娘サンチャ・デ・カスティーリャは、ナバラ王サンチョ六世(一一三三年ごろ~)と結婚しました。

このサンチョ六世は、ガルシア・ラミレスとマルガリータの息子です。狭すぎる世界です。
ガルシア・ラミレスの妻マルガリータは、ライグレの領主ギルベールと、ペルシュ伯ロトルー三世(一〇九九年~)の妹Juliana du Percheの娘です。
サンチョ六世の姉、ナバラのマルゲリータ(マルグリッド)は、シチリア王ルッジェーロ二世の四男、シチリア王グリエルモ(ギヨーム)一世(一一二〇年~)と結婚しました。
ルッジェーロ二世については回を設けてお伝えしています。
サンチョ六世の妹ブランカ・ガルセス・デ・ナバラは、フェルナンド二世の妹コンスタンス・ド・カスティーユの兄、サンチョ三世(一一三四年~)と結婚しました。
サンチョ三世とブランカの息子、アルフォンソ八世(一一五五年~)は、イングランド王ヘンリー二世とアリエノール・ダキテーヌの次女で獅子心王リチャード一世と若ヘンリーの妹エレノア・オブ・イングランドと結婚しました。


このアルフォンソ八世は、サンティアゴ騎士団の庇護者でもありました。
共通する要素
アルフォンソ七世は、一一五七年、ムーア人との戦争の最中に突然死にました。
妻のリクサ・シロンスカはその後、バルセロナ伯ラモン・バランゲー四世の甥、プロヴァンス伯レーモン・ベランジェ(ラモン・バランゲー)二世(一一三五年~)と結婚しました。
レーモン・ベランジェが死ぬと、さらに次の結婚話が進められました。
一一六六年ごろ、リクサは従兄でローマ皇帝のフリードリヒ・バルバロッサによって、トゥールーズ伯レーモン五世(一一三四年~)と婚約させられました。
このレーモン五世は、アルフォンソ・ジョルダンの息子です。
レーモン五世はリクサと婚約する前、フランス王ルイ六世の娘でブローニュ伯ウスタシュ四世の未亡人、コンスタンス・ド・フランスと結婚していました。
同時にリクサとレーモン・ベランジェの娘がレーモン六世と婚約しました。このレーモン六世はコンスタンス・ド・フランスの息子です。
レーモン五世はこの婚約によって、ホーエンシュタウフェン家との結びつきを強め、プロヴァンス伯領の完全な支配権を掌握しようとしたわけです。
ですがアラゴン王アルフォンソ二世の強い反対によって、どちらの婚約も破棄されました。
アルフォンソ二世はジェノヴァ人の支援を得て、レーモン五世に対して八年間に及ぶ戦争を開始しました。
戦争好きのアルフォンソ二世は当時、詩人として著名でした。
そして獅子心王リチャード一世の親しい友人でもありました。このリチャードも戦争好きで有名です。
この戦争好きな性格は、個性ではなく血のせいです。「人はなぜ戦争をするの?」ではなく、この血族たちがおかしいだけです。
一一六二年、五歳の時に父親が死ぬと、アルフォンソ二世はバルセロナ伯を継承するとともに、母親からアラゴン王位も継承しました。
そして現代の歴史家が「アラゴン王国」と呼ぶ国を形成しました。
アラゴン王国の政治的中心地はサラゴサでしたが、事実上の首都であり、文化、行政、経済の中心地はバルセロナでした。
現在のバルセロナ(カタルーニャ)では、フランス語がある程度通じるようです。カラタンという独自の言語もあります。
行ったことがないのでよそのブログの受け売りですが、カール大帝がスペイン(アル=アンダルス)に対する軍事拠点として占領した、という歴史を考えると興味深いものがあります。
十一世紀初頭にコルドバ・カリフ国が消滅したあと、アル=アンダルスで最も重要なタイファの一つ、サラゴサ・タイファが台頭し、偉大な芸術的、文化的、哲学的遺産を残しました。
タイファというのは「群小王朝」とも訳されますが、ようするに「イスラム版戦国時代の武将たち&国たち」のことです。
アルフォンソ二世は、誕生時には父親と同じくラモン・バランゲーと名づけられていました。
元ラモン・バランゲーのアルフォンソ二世は、一一六二年にバルセロナ伯とアラゴン王の両方を継承する際、母方の大伯父である武人王アルフォンソ一世を称えるため、またアラゴン人への配慮から、「アルフォンソ」と改名して即位しました。
アルフォンソ二世は、一一七四年にサンチャ・デ・カスティーリャと結婚しました。
二人の息子のうちの一人、ペドロ二世(一一七四年ごろ~)は、アラゴン王兼モンペリエ領主となりました。
娘のコンスタンサ・デ・アラゴン・イ・カスティーリャは、最初にハンガリー王イムレ(一一七九年~)と結婚し、次に神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世(一一九四年~)と結婚しました。

このフリードリヒ二世は、フリードリヒ・バルバロッサとブルゴーニュ女伯ベアトリス一世の孫にあたります。
フリードリヒ二世は三歳のとき、ルッジェーロ二世の娘で母親のシチリア王コスタンツァとの共同統治者としてシチリア王を戴冠しました。
また婚姻と第六回十字軍への関与によって、フリードリヒ二世はエルサレム王の称号も有していました。
アルフォンソ二世とサンチャのもう一人の娘レオノールは、トゥールーズ伯レーモン六世(一一五六年~)の四番目の妻になりました。
レーモン六世は、先にお伝えしたとおり、トゥールーズ伯レーモン五世とコンスタンス・ド・フランスの息子です。
そしてレーモン六世は以前、獅子心王リチャード一世の妹、ジョーン・オブ・イングランド(ジャンヌ・プランタジネット)と結婚していました。

今回もしつこく「結婚しました」を繰り返しましたが、既視感を覚えたはずです。
一部の王侯貴族は、アーサー王や聖杯、メリュジーヌなどの伝説とトルバドゥール(吟遊詩人)、キリスト教と修道院、そしてエルサレムや「騎士団」、というキーワードでつながっています。
非常に狭い世界ですが、ある意味ではこれが「歴史」における「中世ヨーロッパ」です。
そんな「中世ヨーロッパ」のイメージは、『指輪物語』やRPGなどで誇張され強化されています。保ちたい理由があるからです。
実際の中世ヨーロッパがどのような世界だったかは、残す価値がないとみなされていたため一次史料はほとんどありません。
アナール学派ル・ロワ・ラデュリの『モンタイユー』は、読み物としてもおもしろく非常におすすめです。ちがった中世ヨーロッパを垣間見ることができます。
誤解曲解を恐れずにいえば、わたしたちは歴史の授業で『指輪物語』を学んでいます。
「物語の力」は、いくら強調してもしすぎることはありませんが、一つ新しいことを付け加えると、映画ドラマアニメなどの物語は嘘です。
「そんなことはわかっている」といわれるでしょうが、嘘の話を受け入れると、今度は「この物語は事実を基にしています」がやってきます。映画ドラマアニメは嘘なので、嘘が土台である「真実の物語」もまた嘘です。
嘘のニュース報道も受け入れるようになります。だいたいテレビはいろんな色に光る箱です。
このようにしつこくお伝えすると、次は「そんなことはどうでもいいんだよ」となります。
ですがあるニュース報道を、嘘か誠か考えすらせずに取り入れていたころの自分を思い出してみてください。

マトリックスから指の先一つ出ている状態です。かつては頭の先からつま先まで完全にマトリックスの住人だったのではないでしょうか。
薬物も、急にやめると離脱症状が起きます。体が毒を必要としている状態になっているからです。
社会毒も同様で、「じゃあテレビは二度と見ない」などとやるといきなり陰謀論者になったりします。
「毒を食べているんだな」と思いつつ、いつものようにテレビを見ながら食事をすることです。大事なのは自覚があるかないかです。
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