🎻『街灯の下のバイオリン』
オレンジ色の街灯が、石畳の道にぼんやりとした円を描いていました。
その光の縁に腰を下ろし、盲目のストリートミュージシャン、
レンはバイオリンを奏でます。
彼の世界は暗闇でしたが、
夜の空気の冷たさや、
通り過ぎる人々の靴音、
そして時折混じる甘い香水の手がかりで、
街の輪郭を描いていました。
数ヶ月前から、決まった時間に**「彼女」**がやってきます。
彼女は決して声をかけません。
ただ、レンの足元にあるバイオリンケースの横に、
カサリと小さな音を立てて一輪の花を置くのです。
バラの日もあれば、ガーベラの日もありました。
指先で触れると、まだ露を含んだような瑞々しい花びらの感触が、
レンの心に小さな波紋を広げました。
🎻記憶の断片
ある晩、レンはふと、胸の奥に閉じ込めていた古い旋律を思い出しました。
それは、彼がまだ光を失う前、
幼い自分を抱きしめてくれた誰かが歌っていたメロディ。
長い年月、施設を渡り歩き、生きるために必死だった彼が、
無意識に封印していた温かな記憶です。
「今日は、これを弾いてみよう」
彼は吸い込まれるような夜の静寂の中で、ゆっくりと弓を引きました。
🎻奇跡の旋律
奏でられたのは、どこか切なく、
それでいて包み込むような優しさに満ちた子守唄でした。
幼子の眠りを誘うような、穏やかなスタッカート。
離ればなれになった寂しさを嘆くような、震えるトレモロ。
再会を祈るような、長く、深い重音。
弾き終えた時、レンは異変に気づきました。
いつもなら花を置いてすぐに立ち去るはずの気配が、
目の前で止まったまま動かないのです。
「霜が降りる前に」
濡れた石畳を照らす
街灯の明かり 失くしてしまったと思っていた調べを
僕は奏でる
その時 暗闇の中でささやきが聞こえたんだ 霜が降りる前の
遠い日の残響のような声が
皺の刻まれた手 一輪のカーネーション
母さん この長い憂鬱から
僕を歌い出して。。。
聞こえてきたのは、衣擦れの音。
そして、こらえきれずに溢れた、震えるような啜り泣きでした。
🎻言葉のない再会
「……その曲を、どこで?」
初めて聞いた彼女の声は、掠れていましたが、
レンの記憶にある「歌声」と同じ響きを持っていました。
レンはバイオリンを膝に置き、震える手で地面を探りました。
そこには今日も、一輪のカーネーションが置かれていました。
「母さん……?」
彼が小さく呟くと、温かな、皺の刻まれた手のひらが、
レンの頬を包み込みました。
二十数年前、貧しさと病ゆえに手放さざるを得なかった息子。
言葉では説明できない罪悪感と愛を抱え、彼女は毎日、
花に祈りを込めていたのです。
街灯の下、二人の影がひとつに重なりました。
言葉を交わさずとも、バイオリンが紡いだ旋律が、
途切れていた親子の時間を鮮やかに繋ぎ直していました。
「おかえり。もう、どこへも行かないわ」
その夜、街灯の光はいつもより少しだけ、暖かく見えました。
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