【小説】冷凍みかん 第2話
サボテンの根
ハナミズキの並木道、拍子をとって、小気味よいカーブを描く枝の先に、艶やかな新芽がぷくぷく出始めた。
どこもかしこも、美味そうな萌黄色に塗り替えられていく。
わが家の小庭でも、昨年の秋に植えたばかりのエキナセアが、他の植物たちより一足先に、透き通るような赤紫色の新芽をこしらえていた。
宿根草は、冬の間は成長を控え、春に新しく芽吹くための体力を温存する。また、落葉種であれば、寒くなると地上部の葉がすべて枯れ落ちて、根に栄養を蓄え始めるのだが、この新入りは、1月になってもまだ、葉先が少し色褪せた程度で、枯れずに踏ん張っていた。
2月、たった一晩だけ、氷点下4度まで下がったことがあった。1月にも氷点下になる日は多々あったのだが、ここまで下がるのは初めてで、たかだか2・3度の温度差を、嫌というほど思い知らされた。雪は降っておらず、乾き切った空気だけが、空一面に張り詰めている。本能的に、危機感のようなものが、ピリピリと肌に感じられるほど、冷たい夜だった。
翌朝、辛うじて寒さを耐え忍んでいた植物たちは、軒並みドロドロに溶け、エキナセアもまた、すっかり地上部が失くなっていた。あっという間に蹂躙され、この様子では、根も傷んでしまっただろうと思ったものの、ひとまず、暖かくなるまでは掘り返さないでおくことにした。
──そんな厳しい状況にありながら、翌月にはいち早く、初々しい新芽を覗かせてくれたのだ。
植物たちの、実直に生を全うする姿は、本当に逞しい。その眩しさを讃える一方で、無性に、焦燥感を駆り立てられた。
春の陽気に浮かれて、ガラス製の花瓶を2つ新調した。庭から摘んできた草花を、一輪挿しや小瓶に生けるのだが、丈の高い枝などになると、小ぶりな器では心許ないので、ブリキ製のじょうろに水を溜め、そこに挿して飾っていた。これはこれで存在感があって格好よいのだが、置き場を選んでしまうため、もう少し細身の、重心がどっしりした器がないか探していたのだ。
流行りものの、繊細さを極めた華奢なデザインではなく、むしろ、重く厚ぼったい形のものが欲しかったので、古道具屋を覗いてみることに。期待どおり、底の分厚いガラス瓶が、仕切りのある木箱にずらりと並んでいた。よりどりみどりの瓶たちの中から、それなりに高さのあるものを1本選ぶ。ふと顔を上げると、上の棚にもいくつか空瓶が置かれている。丸い胴体の上にくびれを作り、口の部分は皿のように広がった、風変わりな青いガラス瓶。ヒヤシンスやチューリップなど、球根花を育てるのに適したデザインだ。球根の水耕栽培なんて、小学生の頃の宿題以来だが、花の優美さとちぐはぐの、とぼけた形にひとめ惚れして、結局、2つの花器を迎え入れることにした。
会計の際、店主がおすすめしてくれたのは、意外にも、『サボテン』の水耕栽培。砂漠のイメージの強いサボテンだが、乾燥させた根をまるまる切り落とし、その断面を水に浸しておくと、水耕栽培に適した根が生えてくるのだそうだ。レジの横には、カラカラになった根をくっつけたまま、平皿にこんもり盛られたサボテンたち。まんまと、棘の具合いが好ましい子をひとつ、連れて帰ることになった。
青いガラス瓶を丁寧に洗い、水を注ぐ。サボテンの根を切り、ついでに、本体の汚れも落としてやる。黄色い色鉛筆の丸くなった芯先で、産毛のような柔らかい棘の間を、丹念に掃除する。しぶとい土埃に、まどろっこしくなって、そっと息を吹きかけながら、指で払いのける。ピンセットを使うべきなのだが、道具を介してでは、力の加減がいまいち分からないものだから、むず痒くなって、つい、手で直接触り始める。焼き芋でも冷ますように、右手へ、左手へと転がしながら、見逃した汚れがないか確認。転がすたびに、チクチクと小さな攻撃を感じるものの、そんなささやかな主張には、とっくに慣れてしまっていた。
過酷な環境でも育つことができるサボテンは、他の植物たちと比べてみても、飛び抜けた生命力を持っている。
新しい散歩道を開拓中、塗装の剥がれかけた木造アパートの前で、違和感のある光景に、思わずギョッとして立ち止まった。裏庭であろう敷地から、ズズッと背を伸ばして、2階のベランダへ頭をもたげている何かが目に入った。根元から、さらに何本もの腕を縦横無尽に広げ、2世帯分の窓を容易く覆わんばかりに立ちはだかるそれこそ、楕円形の茎を何列にも連ねた『ウチワサボテン』だった。放っておいたら、うっかり野生に還ってしまったのだろう。足元には、土塊同然に粉砕し、何もかもはみ出した植木鉢が、力強く地面にしがみつく根によって踏み散らされていた。
ガラパゴス諸島の特集で、リクイグアナが、ウチワサボテンを食べている映像を見たことがある。肉厚の顎の下には、小さな鋭い歯がびっしり隠れていて、に覆われた茎にかぶりついては、擦り潰すようにちぎって飲み込んでいく。短い前足も駆使して、夢中になって平らげていく食べっぷりを見ながら、きっと、棘を剥がしてしまえば、空豆のようなきめ細かい食感と、滑らかな舌触りを堪能することができるのだろうと想像したものだ。
原っぱでよく見かける筑紫もまた、憧れを膨らませすぎたもののひとつである。きのこ類にも似た独特の風貌から、蓮根のような歯切れのよさと、胡麻にも劣らぬ香ばしさを楽しませてくれるに違いないと、勝手な妄想を拗らせてきたせいで、今さら、現物を食べる勇気はない。



