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ジークアクスを振り返る⑥悪の勝利:シャリア・ブル(シロッコ)総括:のりかな突発250802

「戦後の地球を支配するのは、女だと思っている。」

この台詞を最終回で実現したのが、ジクワ版のシャリア・ブル中佐でしたね♪

というわけで今日はまず、この台詞について考えてみましょう。
これはもちろん、シャリア中佐のセリフではありません。
彼です!

「墜ちろカトンボ!」
https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/370448/ 

木星帰りの男、パプテマス・シロッコ氏の有名なセリフですね!
シロッコ氏はフェミニストのいい奴なのでしょうか?
もちろん違います(笑)。

「戦後の地球を支配するのは、だと思っている。」

女性ではなく、「オンナ」という言い方が侮蔑的ですし、
「支配」という言い方は冷笑的です。
冨野監督はシロッコの尊大な性格を、台詞一つで上手に表現していると
思います。

シロッコは「機動戦士ガンダム」の続編、「機動戦士Zガンダム」に
登場した、名悪役の一人です。
彼の企みは主人公、カミーユ少年の捨て身の特攻により潰えます。
「お前だ!いつもいつも、脇から見ているだけで、人を弄んで!」
(byカミーユ↓)

https://photozou.jp/photo/show/1786654/85768124?lang=en#google_vignette 
富野監督作品では、シロッコのような「事態に深く関与しておきながら、
自らは傍観者を決め込んで静観しようとする人物」を極めて否定的に描くことが多い
(ピクシブ百科事典「カミーユ・ビダン」の項より引用)。
https://cdn-image.pf.dena.com/fa9c327e33426cd5e3dff097aa3feee754c90f9a/1/34b94136-065e-3543-a688-64c7265e7390.jpg 
最終回、カミーユの駆るZガンダムがウエイブライダーに変形して突撃、
機首がシロッコの乗機ジ・Oのコクピットを貫通します!

は滅びますが、カミーユ少年もまた、断末魔のシロッコに魂を
引っ張られ、精神を病んでしまいます。
勧善懲悪ですが、主人公も悲劇的な結末を迎える、Zガンダム。
初代ガンダムと違い、ややビターなエンドといえます。

さて、ジークアクスの話をしましょう。
僕は上のシロッコの説明で、「名悪役」とか「企み」といった価値判断を
あえて用いました。
というのも、シロッコはそんなに悪い奴じゃない!と考えるガノタが
けっこうおられるようなのです…。
彼の性格はともかく、シロッコがやろうとしたことは少なくとも、
主人公サイドの理念と実は、同じなのでは?
…といった具合に。

ガンダムシリーズに限らず、物語には「悪役を擁護したがるファン」
というのが一定数現れると、僕は思っています。
悪役を「本当はこう解釈するのが正しい!」と善玉にしたり、パッとしない
キャラを活躍させたりする、二次創作を作りがちというか…(笑)。
二次創作で原作の価値転倒を図り、それを「監督の本音」と主張する。
それはなぜなのか?
自分は他の有象無象のミーハーどもより詳しい、特別な「分かっている」
オタクだという自意識が生まれるからでしょうか?(笑)

…僕自身、そういう厄介オタの一人という自覚はありますし、
だからこそ「俺だけが本当のジークアクスを分かっている!」と
自負しているかのような厄介な文章をこうして、書いています(笑)。
鶴巻監督もガイナックスもカラーも、庵野監督も基本的には、
こういう厄介オタの一員と主張しても、異論は出ないと思います。
(厄介オタは、作品の解釈の幅を広げてくれる有益な存在だと思いますが、
権威化すると他の様々な解釈を抑圧するので有害になります。)

さて、そんな「分かっている」ガノタたちが創ったのが
ジークアクスという、二次創作アニメです。
機動戦士ガンダムの一年戦争終結から7年後の、宇宙歴0087年が
続編「Zガンダム」の舞台でした。
ジークアクスの本編の舞台は、宇宙歴0085年であることを考えると、
ジークアクスは初代だけでなく、Zガンダムの二次創作でもある、
と考えられそうです。

ジクワにはシロッコは登場しません。
鶴巻監督が映画のパンフレットで、わざわざ「シロッコ出禁」について
言及しています。↓

https://ameblo.jp/windows-11-pc/entry-12905436180.html 

宇宙歴0085年にはまだ、シロッコは木星から帰ってきてません。
しかしパンフのインタビュー欄の限られた文字数の中で、鶴巻監督は
なぜシロッコに言及したのか?
別にシロッコだけでなく、ランバ・ラルもガルマも出てこないのに。
ハマーンもサラもジェリドも出てこないのに。
シロッコに特別な思い入れがあり、観客にそのことを気付いてもらいたい
というサインだと僕は感じました。
「登場しないこと」に意味があるという意味では、第3回で言及した、
アムロクスコ・アルと同じですね♪

ジークアクスを振り返る③シイコ・スガイ(クスコ・アル)総括:のりかな突発250709|のりかな

ここで唐突に、これまでの記事の紹介をば。
第三回は、四話感想というかシイコ総括!
「なぜアムロが登場しないのか?」→「実は登場(戦死)していた!」

ジークアクスを振り返る①第一話感想:のりかな突発250701|のりかな

↑一回目は、経緯説明と、一話感想の振り返り。

ジークアクスを振り返る②三話までの感想:勧悪懲善:のりかな突発250703|のりかな

↑二回目は、一話追記から三話感想までの振り返り!

ジークアクスを振り返る④番外編:感想批評総括:白黒でなく虹色に:のりかな突発250712|のりかな

↑四回目は、番外編と銘打って感想批評の総括!

ジークアクスを振り返る⑤映画編:ジオンは連邦に勝てるのか?:のりかな突発250719|のりかな

そして前回五回目は、劇場先行版の振り返り!
そもそも国力30倍の連邦にジオンは勝てるの⁉

ジクワ映画版から最終話までの約半年、平均5千字×31記事=約15万5千字
(新書1.5冊分!)の感想記事の山を、表紙の解説に絞って要約した振り返り
記事を何度かに分けて投稿していきます!

ガンダムのテレビ版43話を、映画3つに要約するようなものですね(笑)
(テンプレ終わり☆)

さて、記事のテンプレ紹介はここまでにして、本題に戻りましょう(笑)。
なぜわざわざ、シロッコが登場しないことを、監督はパンフで強調した
のか?
「それは、ジークアクスの影の主役が、シロッコだからだ!」
by池田秀一

https://www.youtube.com/watch?v=j2pE7F1Noo8 
「ジクワ制作陣と、読者の方々には、突然の無礼を許していただきたい。」

話の前に、もう一つ知っておいてもらいたいことがあります。
ジクワには「木星帰りの男」シロッコは登場しないが、それは方便で、
もう一人の「木星帰りの男」シャリア・ブルは登場します!
そしてシャリアは、テレビ版の真面目で不器用な男ではなく、
シャアに感化され、シロッコ化した尊大な人物として、中立サイドの
イズマコロニーに軍艦で乗り付けます。
この人物が、シロッコのいわば名代として、最終話で裁きを受けるどころ
か、アルテイシアという女性を傀儡として、地球圏を支配するという、
シロッコの野望を実現してしまう、そのジクワの結末は、ザビ家のやり方
より悪質であると気付く!


クワトロ演説風の喋り(笑)はここまでにして、Zガンダムの結末と、
二次創作であるジクワの結末を比べてみましょう!

前述の通り、Zガンダムではシロッコは主人公に討たれますが、
注目すべきは悪党の最期らしい、断末魔の顔芸(笑)です。

https://sunzedan8to24.com/z-gundam-sirotyuko-kousatu/ 
悪役然とした絶叫(右)ののち、呪いの言葉を吐きながら絶命(左)するシロッコ。
なんとなくジブリールの最期も載せてみた。画像は以下より。↓

ロード・ジブリールとかいう再評価がいまだされない男 : 機動戦士ガンダムとヒーローロボットが好き

少なくとも冨野監督は、「善の敗北」でなく、「悪の最期」という
演出意図を持っていたことが伺えますね。
にもかかわらず僕らは、「そんなはずはない!」と考えてしまう…。
悪の命がけの主張に、僕らが共感するからなのでしょうか…?

ジークアクスというアニメは、悪役に共感した鶴巻監督が、冨野監督の
原作に対して、以下のような価値転倒を図った二次創作アニメだと、
考えられないでしょうか?
①「連邦が勝ち、ジオンが負ける(べきではない!)」
②「シャアが死に、アムロが生き残る(べきではない!)」
①②は第5回までの記事で確認しましたね。
この監督の欲望を仮託されたのが眠り姫ララアであり、実際にジクワ世界
を、シャアとジオンに都合よくリライトする力を与えられていました。
そんなララアは、③「ララアはシャアとこそ、結ばれるべきだ」という
価値転倒の欲望を持っています。
鶴巻監督は、ジオン、シャアに加え、シロッコというヴィランにも惹かれて
いるのではないか?
ただ、アムロの死を伏せがちに表現したように、シロッコ本人を直接活躍
させるとアンチが炎上するので、同じ「木星帰りの男」をシロッコ化して
勝者にする。
シロッコと違い、「ですます調」で喋るシャリア中佐の方が、性格美人で
ぱっと見、悪党に見えないので角が立たない。
こういう意図があったと仮定すれば、シャリア勝利というジクワの結末の
謎だけでなく、そもそもシャリアの性格をテレビ版とは別人に豹変させた
謎についても、説明できるようになります。
④「シロッコは主役に懲悪される(べきではない!)」
といったところでしょうか?
この悪への傾倒、思い入れの強さはなんなのでしょうか?

果たせなかった恨みつらみを吐き出しながら絶命するのは、悪の華
いえます。
ヴィランの叫びは、非難は、問題提起は、ときに視聴者の心を打ちます。
主人公サイドが本当に正しいのか?
この社会は間違っているのでは?
悪党の言い分こそ正しかったのでは?

デスノートの夜神月ゴジラは、命を代償に、爛れた社会を糾弾するから
こそ、私たちに愛されるのではないでしょうか?

http://crazydwarf.blog.fc2.com/blog-entry-801.html 
シン・ゴジラでも、東京の真ん中でゴジラこと牧博士は思いの丈を
(文字通り)吐き出します。妻を見殺しにした日本人と日本政府への怒り…。
その恨みのエネルギーは視聴者の心を打ちますが、出し切ってスッキリした後の
ゴジラは魅力を失い、実際に弱くなります(笑)。

赤穂四十七士は、切腹して散るからこそ華なのであって、
江戸幕府を打倒してしまったら、新たな権力者になるだけです。
僕のようなオタクは大体、社会不適合者なので(笑)、悪党の主張に
共感してしまうと思います。
でも冨野監督は、自己批判の刃を悪党自身にも向けるので、
悪党「こそ」正しいのだ、という単純な一元論にはしない、バランス感覚と
倫理観があると思います。
機動戦士ガンダムの小説版はしかし、集団制作のアニメと違い、富野監督が
一人で執筆したものなので、そのタガが外れてしまったように思います。
「アムロが死に、シャアが勝つ話」。
そしてそれを、「小説版を知っているオタク」は冨野氏の本音と受け止め、
選ばれた俺だけが知っている「真のガンダム」だと思ってしまう。

「隕石を落として旧人類どもを滅ぼしたい」というのは、鬱屈したオタク
自身の本音であって、「富野監督もそう言っていた!」と自分の欲望を
権威付けしたいから、冨野オタはテレビ版でなく、小説版ガンダムこそ
聖典と仰ぐのではないでしょうか?
小説版や冨野メモで、「冨野監督もこう言っていた!」と権威を借り理論
武装し、子供の頃に否定された鬱屈した価値観を、社会に認めさせようと
する、その創作のエネルギーが、シン・ゴジラやシン・シリーズを
生み出したのではないか?と僕は思います。
そしてシン・ガンダムも…。

ミーハーはテレビ版(大乗仏教)を、しかし俺たち「分かっている」オタは
小説版(小乗仏教)こそを、富野監督の本音、本物と考える。
でもそれは、「そうであってほしい」という彼ら自身の欲求が、
そうさせるのではないでしょうか?
(そして冨野氏の「もう一方の本音」は無視してしまう。
アムロやカミーユを消してしまう…。)

「天才の足を引っ張ることしかできなかった俗人どもに何ができた⁉
常に世の中を動かしてきたのは、一握りの天才だ!!」

というシロッコのセリフ。
僕のような厄介オタはこういうセリフが大好きです、スカッとします!
よくぞ言ってくれた冨野監督!
俺を理解しない俗人ども滅びろ!(笑)

…でもそれを、「いかんいかん!」と自制するのもまた、富野監督の
本音ではないでしょうか?
だからこそ、富野ガンダムは信頼が置け、作品は多声的になる。
善と悪が互いを批判し合うからこそ、お互いの価値観が際立つ。

https://pocket.shonenmagazine.com/article/entry/isekai_20240319 
作者と読者が悪党(主役)と同一化し、彼の主張が向かうところ敵なしで
実現していくのであれば、異世界チートになってしまいます。

この自制が外れたジークアクスを例えば、現代アートの巨匠、村上隆氏が
激賞しているのも、僕的には理解できる気がします。

超豪華ゲストと語るジークアクス大総括!〜純愛?オカルト?日本神話?ジークアクス、俺はこう見たスペシャル!!【山田玲司-503】 - YouTube

日本美術界の既存勢力、オールドタイプどもから無視され続けた村上氏にとって、
まさに彼らの頭上に隕石を落としたい思いだったろうし、改革者シャリアが
勝利する結末は、自身の成功と重ねられるものだったのでは…と思います。
ジークアクスを褒めるということは、言い換えるとなんだかんだで
悪党に制裁を課してきた、これまでの冨野ガンダムには不満があった、ということでしょう。

ジークアクスではアムロの死やカバスの館、キケロガといった用語選びに、
小説版や冨野メモへの制作陣の偏愛が感じられます。
しかし「隕石を落としたい」というのが冨野監督の本音だとして、
「それを阻止しなければならない」というのも監督の本音でしょう。
その拮抗こそガンダムの魅力だと、僕は思うのですが…。

https://www.youtube.com/watch?v=W2SrTTITD-E 
「シャア!なんでこんなものを地球に堕とす!これでは、
地球が寒くなって人が住めなくなる!核の冬が来るぞ…!」

「逆襲のシャア」のアムロのセリフです。
ネオジオン総帥となったシャアの周りには、彼の崇拝者や、権威を
利用しようとする輩しかいないエコーチェンバー状態となっています。
そこではシャアもまた、ファンに期待される役割、
総帥という仮面を身につけざるを得ない。
「地球に住む人たちは、自分たちのことしか考えていない!」
シャアの本音は、自分を全否定するアムロにぶつけられます。
アムロがいてこそ、シャアはシャアになれるのだと僕は思います。

スタジオカラーでは、「シャアこそ冨野監督の本音だ!」という意見に
反駁する意見は出なかったのでしょうか?
(それこそ庵野や鶴巻といった権威(=シャア)に反論するアムロ的人物が
スタジオからミュートされてしまったのか…?)


「本音」というキーワードが出てきたので、少し脱線して、ジクワ5話
感想記事の振り返りをしましょう!

↑約2か月前の記事ですね。
ニャアンに荷物を持たせるマチュの画像と、Gガンのバーサーカーモードの画像を使いました。

5話はマチュとニャアンの内心、二人のシュウジに対する張り合い、
競争心が暴露された回でした。
でも二人の友情が「建前」つまり嘘で、シュウジを巡る敵がい心が「本音
つまり真実、なのでしょうか?
オメガサイコミュのキラキラが、Gガンダムのバーサーカーシステムの
ように、良い子ニャアンの黒い感情をスキャンダラスに暴露し、彼女を
人殺しにしました。
「ほらこんな良い子だって、うわべだけで、本心は人殺しなんだよ?」
…なるほどシロッコなら、鶴巻監督なら、俗人の本音など醜いものだ、
と考えるのかもしれません。
(だから天才が管理してやらないといけない!)
マチュはニャアンに荷物を運ばせたり、ちょっと兄貴分というか姉貴分
みたいな感じに振る舞っていたのかもしれません。
でもその振る舞いにカチンときても、その本音をぶつけるよりは、マチュと
仲良くしたいという「本心」が強かったから、口に出さなかった。
その本心を踏みにじられ、本音を強制的にカミングアウトさせられた
ニャアンは不幸だと感じましたし、5話もむしろそういう演出意図なの
だろうと考え、当時この記事を書いたと思います。
「友情のために、本音を隠したい」というニャアンの本心が尊重されず、
暴露により踏みにじられた悲劇。
黒い二連星の電撃バリバリ攻撃に腹が立ったからといって、オメガ
サイコミュに暴露を強制されなければ、二連星を殺害まではしてなかった
はずです。

カミングアウトを強制することをアウティングと言うらしいです。
最終話まで観終わった今では、鶴巻監督はシロッコやシャリア的な
心性で、ニャアンをアウティングしたのでは?と勘繰ってしまいます。
「君の本音を晒しなさい。君だって本当は悪党なのだろう?」と。

「シュウジを巡る、マチュに対する嫉妬」と、「友情のためにそれを抑え
なきゃ」という感情は、拮抗する本音どうしのはず。
二連星に対する殺意も同様でしょう。
なのにオメガサイコミュは、鶴巻監督は、前者を本音認定し、増幅し、
抑制を嘘、建前と認定してミュートしてしまう。
結果、ニャアンは殺人狂となり、監督は「これが君の正体だよ」と囁く。
冨野監督の機動戦士ガンダムから、「これが冨野氏の本心だ!」と
シャアを増幅し、アムロをゼクノヴァしたのと同じことですね。

アムロを「消しゴムマジック!」したララアもとい鶴巻監督。


ジークアクスという物語において、或いはオメガサイコミュによって
増幅されるのは、本音認定された欲望であり、それを抑制する良心は嘘、
建前と認定され、ミュートされてしまう。
だからアムロは最初から戦死扱いとなるのですね。
そして、自分の後ろ暗い感情を見せつけられたニャアンは、「これが私
なんだ…」と自分への自信を無くし、「どうせ自分は悪党なんだ」と
抑制のタガが外れ、自暴自棄になっていきます。

ミゲル青年はニャアンのありえた未来の姿ですね。
彼の裏切りを見ても、既に自己嫌悪と
人間不信に陥ったニャアンは驚きもしません。

ジフレドのパイロットの座を巡る、学友への嫉妬を自分の本心の
全てと思い込み、増幅させ、学友への友情を、こんなの偽りだとミュート
してしまうミゲル青年。
そのうちに、後ろ暗い欲望を実現するために、本当に友情を偽るように
なる。
ジクワ世界では、誰もが心に仮面をつけ、シャア化し、他人を、自分をも
偽るようになる。
繰り返すようですが、ジクワ世界にはアムロはいないのです。
シャアに都合が悪いからと、ララアによってミュートされてしまった。
シャアを食い止める「良心」だったアムロを、「良心なんて子供向けの
ロボットアニメにするための建前でしょう!富野の本音はシャアだ!」
と考える、鶴巻監督は消去した。
アムロのいないガンダムが、なぜ「シンのガンダム」なのか。
僕には理解できませんね…。
アムロがいなければ、シャアは思いの丈をぶつける相手がいなく
なってしまう。善悪の「葛藤」が描けなくなってしまう。

https://x.com/Kirika_ma_cos/status/1423186850949177346/photo/3 
(「理解できない」と上で書きましたがウソです(笑)。
小説版こそ「シン・ガンダム」だと考えていた時期が僕にもありました。)


しかし悪に同一視し、悪を活躍させたいという気持ちはとてもよくわかり
ます。
自暴自棄になったニャアンは、いずれ友情を偽ってマチュに近づき、
シュウジの恋敵を殺す目的を達する、悪女になっていたかもしれません。
しかしニャアンにとって、シュウジはマチュを殺すほど大事なのか?
マチュとの友情を、「友情なんて嘘っぱちさ!」とかき消そうとする声
こそ、オメガサイコミュがつくった偽の欲望だったのでは?
自分の一時の感情に騙されず、マチュとの友情に気づいたニャアンは
悪党道を引き返すことになります。
その道の先には、シャアやキシリア、さらにその先にシャリアという、
悪党道の先輩たちがいる。
マチュは悪党に憧れ、ニャアンは諦めと共に悪党道に踏み込みましたが、
結局すぐに引き返しました。
「君たちにはまだ早い」とばかりに。
そしてシャリアはその目的を達しますが、もはや彼がなぜ、何を達成した
のか、よくわかりません。

欲望と抑制、悪と良心という二つの「本音」について、後者を嘘っぱち
だとする風潮、偏見は、いつぐらいから広まったのでしょうか?
冨野ガンダムと鶴巻ガンダム、1979年と2025年との間の40年弱の間に、
その偏見は増幅されたように思えます。
オメガサイコミュは、他人の悪を暴露するスキャンダルの暗喩…?

良い子やお隣さん、大物政治家や人気者の不倫や汚職を暴露したいという、
週刊誌やワイドショーの出歯亀根性、SNSの本音主義、勧善懲悪の逆、
「人間なんて一皮むけばみんな悪人だ」という、勧悪懲善。
メディアはこぞって、人間の醜い面ばかりを暴露し、見せつけます。
そのうちに誰も、他人も自分自身も、信じられなくなってしまう…。

「本音と建前」というけど、その二つだけじゃなくて、
たくさんの本音がぶつかり合っているのが人の心なのでは?
ひろゆきやホリエモンだって「視聴者に期待された本音」を
選んで喋って投げ銭を得ているわけで、ある意味建前です。
酒ならぬキラキラに酔って出た暴言は無礼講でいいでしょう!
それを本心だと誤解して自己嫌悪に陥るのはおかしいですし、
それよりニャアンはキラキラ使用(飲酒運転)を今後は控えた方がいい。
https://jp.pinterest.com/pin/819795938440028508/  
↑5話のニャアンと一致する画像を見つけました(笑)。

にしても飲酒時の振る舞いこそが「自分の本心、正体」
だと考えるのはよく考えるとおかしい…?
だとすると、酒を飲んでタガが外れた富野監督が
書いたガンダムこそ「シン・ガンダム」になってしまうし…。
メディアも正気を失くした有名人の写真を盗撮して、
「これが○○の正体だ!シン・○○だ!」と騒いでいるけど…。
「こういう一面もある」という情報を「正体」とまで言うのは
フェイクニュースなのでは?という気もしますね(笑)。

暴露主義が横行すると、誰もかれもが他人を、自分自身をも見下しながら
生きていくことになります。
誰もが心に仮面をつけたシャアとなり、自分の頭だけで考えた狭い目的、
狭い理想の実現のために相手を出し抜こうとする。
そして、昔のアニメにあった善と悪の拮抗を子供っぽい絵空事と考え、
リブートの際に「もっとリアルに、大人っぽくしよう」と善をミュート
してしまう。
そうして悪人同士のリアリティショーが出来上がる。

ここまでで、富野監督と鶴巻監督、機動戦士ガンダムとジークアクスの
差異はかなり明確になってきたと思います。
さらに踏み込みたいところですが、もう9千字超えたので、そろそろ
一旦締めないといけません。

僕はマチュに、ジクワ世界におけるアムロやカミーユの役割を期待して
いました。
前回の記事で書いた通り、マチュはいずれシャリアを殴るだろうと。

↑約2か月前の記事です。
ニャアンの悲劇がマチュにまで波及し、シャリアの介入もあって、
マチュのコミューンが崩壊します。

6話でシャリアの「暗躍」がかなり明確になりましたが、ジクワ世界では
悪党は、より強力な悪党によってしか裁かれません。
次の話では、「キシリアをあえて今回は暗殺しない」という、なんのための
ドゥー嬢やゲーツの犠牲だったんだ⁉と思ってしまう深謀遠慮ぶりを
発揮しました。
「それもすべてシャリアの計算通り」だとすれば、シャリアが人間離れ
しすぎてないか?と当時疑問に思ったものですが、むしろ「人間離れした
悪党」にしようという、意図があったのですね。

https://www.tiktok.com/@user4913257371449/video/7505832573558459650 
  「ボク何のために死んだの?」
↑約2か月前の記事です。
キシリアを「あえて」殺らなかったシャリアを、「殺れたかも委員会」と諷しましたが、
制作陣はシャリアを「新世界の神」にするつもりだったんですね♪


少し飛ばし過ぎたので、次回はまず、シロッコと、ジクワ版のシャリアの
共通点を整理しましょう。
シロッコとシャリア、全然違うじゃん!と思っている方もいるでしょうし、
そもそもZガンダム観てない!という方のためにシロッコの解説も
必要です。
そのうえで、彼らが目指した世界とは何だったのか、
そして、ガンダムとその二次創作であるジークアクス、富野監督と
鶴巻監督、1979年と2025年のロボットアニメの相違について、
結論を出したいところです。
今現在、2025年8月3日、3時33分…。

この本にも少し触れます!

リハビリとしての初代ガンダムと、緩和ケアとしてのジークアクス、
というような結論になりそうです。
「振り向くなアムロ」と「もうどうなってもいいや」の違い。
あと、悪党同士の中で、シャアやキシリアやシイコが、シャリアに対して
小悪党だった理由についても触れる必要がありますね。
ダメだ、あと1回では終わりそうもない!(笑)
というわけで!ではまた次回♪
Thank you for reading!


元記事リンク↓
ジークアクス5話感想:殺意の暴露:「本音を隠したい」という本心を尊重しよう:のりかな毎日エッセイ250512|のりかな

ジークアクス6話感想:スキかキライか:派閥を越えて、2色を越えて虹色に:のりかな毎日エッセイ250519|のりかな

ジークアクス7話感想②:殺れたかも委員会:キシリア暗殺先送り?策に溺れるシャリア:のりかな毎日エッセイ250529|のりかな

あと、ジークアクス本編はアベマで!
機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス) (アニメ) | 無料動画・見逃し配信を見るなら | ABEMA

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ではまた♪

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