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《期間限定》 と、と、と、と… 《難題提示》



⚪︎はじめに 自由と「自由」


昨今では交友関係から恋愛、ビジネスに至るまで自身のデータをAIに読み込ませて、適切な対象へ効率的にマッチングさせるサービスが流行りはじめています。

精度に関してはいまだ改善の余地はあるとはいえ、昨今のAIの性能の飛躍を鑑みれば後々気にならなくなることは間違いないでしょう。


また一つ、私たちは「自由」になったのです。


わざわざ無駄な時間をかけて、本当は合わないかもしれない個体と友達であり続けようとしたり

価値観の違いで傷つくのを恐れ、自分を隠して相手を好きだと言ったり

自分に合うかもわからない業界に入るために長々と資格や技術的な勉強をしたり、

そういったことをできる限り減らせるわけですから。



さて、これまで私の記事を読んできてくださった方なら、私がそれらを手放しで良いなんて思っていないとご理解いただけているでしょう。

それは、世間一般の価値観からすればけっして読みやすくはないであろう私の記事を、あなたが読み続けてくれた、ある種の関係性があるからです。

「自由」はそういった ”ある種の関係性” を結べる自由を人々から奪ってしまうと私は感じているのです。


例えば学校、青春時代において、ビジュアル的にも、交友関係としても、趣味趣向としても、そして親族の社会的階級としても、住む世界が違うことを思わせる相手と、恋愛の失敗において同じ目線で語り合うことができる、そういうこともあるでしょう。

傷が関係性を結びうる、という自由。

今すぐに分かり合えなくても、続けることで何かが変わるかもしれないと信じる自由。

いくつかの記事で「開かれることで閉ざされるもの」、「閉ざされることで開かれるもの」、という表現をしてきました。


また、ニンゲンには盲点があって、むしろその盲点によって社会が形成されているとしたら、全てを照らし啓けば物事が良くなると限らない、むしろ物事を混沌化させるかもしれない、とも何度もお伝えしてきました。


それらは「何かあるときに反対の何かもある」というゲーム盤の設定上生じる事象であり、良いものばかり選びとろうとすれば、その実「裏」では沢山の大切なものを捨てている、ということです。


 


⚪︎祈りと「彼ら」


さて、そうなると不思議なのは "祈り" という行為の力です。

どうしようもないやるせなさ、
やり場のない怒りや苛立ち、
目の前から相手を消し去ってしまいたい憎しみ、
目の前から自分を消しさってしまいたいほどの羞恥心、
言葉にできないむなしさ
言葉にできない切なさ
言葉にできない衝動


それらが祈りに込められて放たれることで空に溶けていく。
このゲーム盤の設定上、その代償がないとはどうしても思えないが、しかし現にそれらは溶けていく。

そうとなると、
それを可能にしている「何か」があることが推察されます。


「彼ら」はその「何か」を欲しがっているのかもしれない。

「彼ら」が心地よいと感じるのは「負の感情」、即ち、

怒りや、憎悪、怨嗟と恐怖、嫉妬や不安、抑うつ、

そういったもので満ち溢れた「空間」なのです。

https://note.com/kinuzuka/n/n26595fd3c54a

「こちら側」の世界というゲーム盤において、争いは基本的な設定であり、「普通」にしていればいつでも、どこでも争いは起こりうるものだといえます。

そのような世界で平和を求めるとき、「彼ら」が考えついたことは、争いを誰かに押し付ける、ということでした。

つまり、世界のパラメータに「争い」があること、そしてその総量に上限もあることを仮定し、「私たち」が平和でいるために、その分「彼ら」に争ってもらう、という考え方です。

https://note.com/kinuzuka/n/na76afa001a86


そのように言うと「彼ら」が私利私欲のために、その「何か」を消そうとしていて、そのために「何か」を手元に欲しがっているようにも見えてきますが、

ただあるいは、愛しているからこそ、「何か」をゲーム盤のシステムから解放したいと、そう考えているのかもしれない。

それらはわからないが、もしかしたら世界は、
人々が思うよりもずっと残酷で、それでいて人々が思うよりずっと美しいのかもしれない。


⚪︎ミトラと牡牛


最初の記事でハイヌウェレ型神話を取り上げました。


簡単に説明するのであれば、近代合理主義的認識形態以前の文化においては「壊すことで豊穣に恵まれる」という考えがあったと、世界中の神話にそういった傾向を示す型が存在し読み取れる、ということです。

しかし、悪神アーリマンは、これらアフラ・マズダーの被造物を攻撃し、牡牛を殺害した。すると、死んだ「牛の体から五五種類の穀物と一二種類の薬草」(野田恵剛 訳)が生まれ、さらに牛の精液は月に行って浄化され、数多くの動物のもととなったとされているのである(第六E章(1))。キュモンは、このアーリマンによる原初の牡牛殺しの神話をもとに、ミトラス神による牡牛殺しの神話が出来たと考え、「牡牛を殺すミトラス神」を、この世の創造の場面と解したのであった。近年では、そのもととなる神話では、ミスラ神がアーリマンの役割を担っていたのであり、ミスラ神による創造神話が本来、マズダー教にはあったとの説も提出されている。

https://note.com/kinuzuka/n/n78b999b9c38d


クレタ島の王ミノス王は 自身の子で狂暴で食欲旺盛な半神半獣のミノタウロスを迷宮に閉じ込め、秩序維持のために各所から犠牲となる若い肉を集めてくる、残酷なようだがそれが国の繁栄に繋がっていた。

そのような神話と上記のブレトンウッズ体制後の世界秩序に何か目に見えない繋がりがあることをヤニス氏は見出したといえます。

https://note.com/kinuzuka/n/ncbc73b7e9e50


ミノタウロス

人々は何故か「破壊」を見ると、それを勝利と結びつけるのですが、もしも上記の考えが今でも通用していたとしたら、「破壊」こそが「彼ら」にとっての信仰であり、また「創造」でも
あるのだと言えるでしょう。

より正確にいうなら、
永遠の「維持」の道具、奴隷としての
「創造」と「破壊」

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