迷いながら、ここで育てている|ナニーを雇わなかった理由【後編】〜海外・多言語子育ての記録|家族の部屋
前編では、ベトナムでナニーさんを雇う時の
お金のこと、契約のこと、価値観の距離について書きました。
今回は、我が家がナニーさんを雇わなかった理由と、
1年間サポートなしで海外子育てをしてみて感じたことを書きます。
▼ 前編はこちら ベトナムでナニーを雇うということ
「ねぇね」の話。
私が生まれてすぐ、父が工場の機械事故で入院しました。
急遽、母が車の免許を取りに行かなければならなくなった。
そこで来てくれたのが、私が「ねぇね」と呼んでいた人です。
どこに遊びに行くのも一緒。寝るのも一緒。
母が不在の時は、いつもそばにいてくれた。
小学生になっても、長い休みや両親が出かける時は、
いつも私の面倒を見てくれていた。
私にとって、なんでも相談できて、いつも私が喜ぶことに全力でつきあってくれる人。
お姉さんというより、お母さんに近い存在だと、勝手に思い込んでいました。
心が気づいた瞬間。
小学生になったある日、
母が出かけるたびに、私へのお小遣いとは別に、
ねぇねにお金を渡しているのを見ました。
子どもながらに少し不思議な感じはしたけれど、
それでも私の気持ちは変わらなかった。
一番大きかったのは、ねぇねに息子さんができた時です。
頭ではなく、心が感じた瞬間でした。
本当の親ではないということを。
そして私も一人でお留守番ができるようになり、
当時はよくわかっていなかったけれど、契約も終わっていたようで。
ある夏の日、私はいつものように遊んでもらおうと、
純粋な気持ちで彼女の家に行きました。
でも、私はそこでは「お客さんの子ども」だった。
少し困惑しながら、私の顔を見た時の彼女の表情を、
今でも忘れられません。
だから、息子には同じ経験をしてほしくなかった。
お金を払えるから、世話をしてくれる。
その関係の中で育つことを、息子にはしてほしくなかった。
預けるのは、ものじゃない。
命であり、何より大切な息子なのだから。
40歳手前で、第一子。
もう一つ、正直に言います。
40歳手前での第一子出産。
もう一人授かれるかどうかも、この先わからない。
3年後には幼稚園、6年後には小学校。
べったり一緒にいられる期間は、最長でも数年。
新生児の育児は、一生に何度も経験できることじゃない。
どうせいつか離れていくなら、
この時間を自分の手で全部経験したかった。
それだけです。
ダナンに幼稚園に入れる様になって、息子との時間はグッと減りました。
大変だったけど、1年は頑張ってよかったなと後悔はしていません。
東南アジアで育つ、ということへの葛藤。
道には自分より貧しい人がたくさんいる環境で、
日本人というだけで優遇されてしまうことがある場所で。
「お金を払えるから世話をしてくれる人がいる」
という感覚の中で、息子の人生をスタートさせたくなかった。
愛や親切、思いやりの輪の中で育ってほしかった。
どこにいても、どんな人からも、愛されて、そして、対等に接せられる人間に。
サポートなしで1年、やってみた。
ナニーさんなしの生活は、想像以上に大変でした。
買い物一つ、友人とのお茶一つ、全部段取りが必要になる。
夫がどれだけ協力的でも、生活のあらゆることに調整が必要で、
簡単だったなんて口が裂けても言えません。
どうしても外せない時は、身近な友人に頼みました。
これから子どもを授かりたいと思っているカップルや、
「預かってもいいよ」と懇意にしてくれる人たちに。
手土産やお礼を考えると、
スポットのナニーさんをアプリで呼ぶ方が正直安い。
融通だって、サービスほどは効かない。
それでも、子どもを持ちたいと思っている人には、
大変さも含めてこの素晴らしさを体験してみてほしかった。
そして何より、息子には、
親切や思いやりでつながった人間関係の輪の中で育ってほしかった。
親族がいない分、友人が家族になる。
海外で暮らしていると、親族が近くにいません。
一時帰国した時の、家族と息子の密着度を見るたびに、
親の選択でこの時間を奪っているんだな、と感じます。
だからせめて、ここにいる間に。
息子の名前を覚えてくれて、成長を気にかけてくれて、
一緒に過ごしてくれる人が、周りに少しずつ増えてほしい。
私たちにとって、周囲にいる友人が、家族のような存在。
金銭ではなく、人としてつながっているから、
友人は息子を本当に大切に扱ってくれる。
その中で、息子には「おじさん」「おばさん」と呼べる存在が
少しずつ増えていく環境を大切にしたかったんです。
これは、私の価値観でしかない。
まだキャリアを追いかけている人、情熱を注ぐ趣味がある人、
すぐに仕事復帰が必要な人。
人生のフェーズは、人それぞれです。
ナニーさんがいた方が、いろんなことがうまくいく人もたくさんいる。
ただ一つだけ。
「安いから」「周りがそうしているから」という理由だけで流されるんじゃなくて、
自分は、どんな子育てをしたいのか。
その軸だけは、しっかり持った上で決めてほしいなと思っています。
小さな手に、今日もたくさん教えられながら。
迷いながら、それでも前に進んでいく。
― 小さな手が教えてくれる、大きな世界。
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お読みいただきありがとうございます。
「何者かにならなくていい。全部の自分のままでいい。」
そう信じながら、等身大のまま書いています。
諦める前に、もう一回だけ試してほしい。
そのための実験を、私自身が続けています。
どこかの誰かのエールになれたら、嬉しいです。
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【この記事を書いた人】まなラボ
音楽フェスのステージを降りた瞬間に、フランス人の夫と出会いました。
自転車旅行の途中で家族になって、今はダナンで、3人で暮らしています。
国際結婚も、多文化の子育ても、うまくいく日ばかりじゃない。
産後には、家族がバラバラになりかけた時期もありました。
それでも、ぶつかって、話して、笑って。
何もない日常の中にある、小さな幸せを、ひとつずつ数えながら生きています。
完璧な妻でも、母でもないけれど。
この家族でよかったと、毎日思えるように。
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