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【不登校】#フリーダム登校2年目は、1年目がかわいく思えるくらいの大嵐だった🌀


「フリーダム登校」とは


わが家の息子は、中学1年生のころから「フリーダム登校」をしています。

なぜ「不登校」でなく「フリーダム登校」なのかと言うと

こちらの記事でも書いたように、私が「不登校」という言葉が大キライだからです😂



それと
息子の登校スタイルがちょっと変わっていて、いわゆる「不登校」の定義に当てはまらないから。

「不登校」と聞いたときに、私がイメージするのは「学校を何日も休んでいる」状態のこと。そして、文科省による「不登校児童」という定義も「一年度間に連続又は断続して30日以上欠席した児童生徒」というものです。


息子の場合、毎日「登校」はしていて、先生と話したり配布物をもらったりはしてくるのですが、「教室」という空間にいられないので、自宅でリモート学習をするスタイル。


なぜ、そのスタイルになったかと言うと、1年生のはじめに何日か朝から登校できない日が続き、不登校になりかけたときに

「顔出し登校」「カウンセリング登校」「給食だけ登校」「午後から登校」「リモート授業参加」といったさまざまな登校スタイルを学校側から提案いただき、

できる登校の仕方を組み合わせたところ

「本人ができるときにできるスタイルで登校する」
=#フリーダム登校

というかたちになりました。


息子の「フリーダム登校」の記録をこうして残しておくことで、「不登校」に苦しむ皆さんの、新しい関係づくりや今後の参考になればと思っています。



🍎昨年は中学1年生だった息子が、どのような変化をたどり、親はどのようにサポート環境を築いたのかを以下の記事にまとめてあります。以下の記事の続きをまとめていきたいと思います。



🏫1学期


🌸4月

クラス替えがあり、新しいメンバーになった2年生。
担任の先生や学年主任の先生は前と同じでした。
始業式の日は朝から登校していきましたが、翌日の入学式練習で具合が悪くなった子を間近で見てしまい、自分も「もらいダウン」
3日目からは午後登校し、授業参観もどうにか朝から行きましたが、年度最初のメンタルクリニックで「離人症と抑うつ症状の悪化」を告げられ、「つらいときは無理をしない」「服薬を検討していく」という方向になりました。

「離人症」とは
 Wikipediaによれば、

離人症(りじんしょう、英: Depersonalization)
とは、自分が自分の心や体から離れていったり、また自分が自身の観察者になったりするような状態を感じること。罹患者は自分が変化し、世界があいまいになり、現実感を喪失し、その重きや実感を失ったと感じる。

離人症 - Wikipedia

という症状のこと。

息子の場合、「周りと自分の間に距離や分断を感じる」という症状が強く、「学校が不気味」という発言をしていました。


〇抑うつ症状の悪化

「抑うつ」と「うつ」の違い、わかりますか?

私も知らなかったのですが、「抑うつ」とは

🔵元気が出ない
🔵気分が落ち込んでいる
🔵やる気がでない

などの一時的な心の状態で

「うつ」「抑うつ状態が強く、長く続き、生活に大きく影響する」こと。

そして、息子の場合

「抑うつ」症状として、「イライラが止まらない」という症状も併せ持っていて、1年生の時よりもちょっとしたことでグワーッと感情があふれてきて、自分の感情に向き合うのに疲れてしまう→他のことに意欲がわかない、疲れて体が動かせなくなる という負のループが強くなってきました。


昨年のような、涙が出る、腹痛がひどい、といった体に出る症状は訴えませんでしたが、「意欲がわかない」「体が動かない」「イライラする」という発言は増えていて。

それでも、通える時間帯に登校し、教室で過ごすことはできていました。


🍃5月~6月

5月後半~6月といえば「体育祭」の練習。
息子がもっとも苦手とする「団体行動」の種目があります。
ただ、昨年でどんなものかわかっていたのもあってか、すんなり団体行動に参加したり、体育祭でカメラマンの役割を任されてクラスのスナップ写真を撮影したり、自分なりに参加することができました。

このころは、塾などの習い事も「行きたくない」とは言うものの、わりとすんなり通えていました。

また、学校側にもテスト受験の際に「別教室で受験したい」と本人が申し出、対応してもらうなど、症状が安定し自分なりにできることを周りに伝え、調整できていました。

2年生は正直、このころが一番調子が良かったかもしれません。
欠席は0日でした。



🌴夏休み


夏休み中は、9時ころや10時ころゆっくり起きて、22時や23時には寝る、という生活を続けていた息子。ゲームなどもしていましたが、1日のリズムは崩れずに過ごしました。

家族で幕張メッセの「デザインフェス」や
群馬への旅行に行ったり
磯へ生き物をつかまえに行ったり
手持ち花火を楽しんだり
夜、家の周りを散歩したりなど

外へ出かけられる機会も多かったです。


また、施設へ入所する実家の母(彼にとっては祖母)のために
持ち物へ名前を書きまくる、という作業も
手伝ってくれて、とても助かりましたし
母がとても喜んでいました。


ただ、新学期が近づくにつれ、イライラしたり
「2学期が嫌だ」と訴えたり
布団で横になっている時間が増えてもきました。


🏫2学期


🌀9月~10月

夏休みが終わり、すぐにやってきたイベントが「宿泊合宿」
しかし、息子は宿泊合宿に行きませんでした。

その経緯はこちらの記事に👇

その後、2学期が進むにつれ、息子の精神的な不調は急激に増加。

意欲の低下が顕著で、体を動かしたくても動かせない。
夜、なかなか眠れない。
という症状が強くなり、午前中はほとんど体を動かせないことが増えました。

そこで、9/19の診察から服薬を開始

飲み始めたのは、「メラトベル」という睡眠導入剤の小児用。

寝つきが良くなり、少しは落ち着いたかのように見えましたが、寒さが募るにつれて苛立ちや思考の止まらなさと、意欲の低下と疲労感が彼を苦しめることになります。


そんな中でも、10月の合唱祭は朝から登校し、メンタルクリニックの通院があるから、と早退してきました。




🍂11月~12月

11/14の診察から、意欲低下と苛立ちという双極症状に対して「ラツーダ」という精神安定剤が追加されることになりました。

この薬は、脳内のドーパミンやセロトニンに働きかけることで、幻覚や妄想などの陽性症状(本来ないものが出てくる症状)だけでなく、意欲減退や感覚鈍麻などの陰性症状(本来あるものが弱くなる症状)にも働きかけることができる薬です。

当初は、「飲んでいた方が楽」と言っていた息子ですが

「楽」と言う割にあまり表情はさえず、
イライラした言動が見られたり
部屋へ様子を見に行くと、横になっていることが多かった。

学校へも、顔出し登校のみで過ごすことが増えました。

そんな生活なのに、2学期終わり近くになって、0歳のとき以来かかったことのなかった「インフルエンザA型」にかかり

引きこもりなのに菌をもらうという、貴重な経験をしました。


2学期は、インフルエンザによる「出席停止期間」をのぞくと、診察のために1日だけ休んだのみでした。


🏫3学期

⚡始業式に起きた事件

 3学期の始業式は、朝から登校した息子。
 始業式後の掃除の時間に、事件は起きました。

 集団の中で同じ行動をしなければならないストレスと、その後の掃除の時間に「逃げ場」がなかったことで、いら立ちをうまく発散させられなかった息子が、唐突にクラスメートへ向かって手に持っていたファイルを投げつける、という出来事が起き

 幸い、ケガをした子はいなかったとのことでしたが、周りの子をびっくりさせた様子。そこで、本人と話をし、先生方と本人の気持ちや状態を共有するため、翌日に四者面談をしていただきました。

そして、

「つらかったら先生へ声をかけ、その場を離れる」

「つらかったら特別教室へ逃げる」

などの方法を、先生と共有し


その後の息子との会話で、こんな意思確認もできました。

「人との関わり」を続けたほうがいい、でもつらい、ともがく息子。

それでも、その葛藤はきっと、これからに生きる。

そう感じた出来事でした。


⚡悪化する「うつ」症状

ただ、このころから幻視や幻聴も出始め、自分を攻撃するような内容ではないものの、疲労感が強くなり

午前中はぐったり寝ていて、お昼近くになってからようやく起きて登校できるときもあれば、午後から少しだけ登校する、という体のしんどさが強くなってきました。

「生きる意欲」そのものが低下してきたのもこの時期。一年でも一番寒い時期なのに、半袖短パンで過ごしていて、単純に体が冷えているのもあったと思いますが、食欲が低下し、お風呂へ入るのも億劫がるようになりました。


⚡軽度→中程度への悪化


そして、2/8

ついに、感情の底がきました。

涙が止まらず「明日、精神科へ行きたい」と訴えがあったため、急きょ2/9に受診。


そして、「うつ症状は軽度→中等度へと増加している」との診断で、それまで飲んでいたラツーダを、「ミルタザピン」という薬へ変更することになりました。

ミルタザピンは、ノルアドレナリンやセロトニンの放出を増やすお薬で、「不眠や不安」に効果があるとされています。飲み始めると「楽になった」と少し表情や態度が改善してきました。


ただ、人と話していると苛立ちが募ってきて爆発しそうになるのを抑えるのに苦労したり、意欲の低下はいまいち改善しなかったりで、2/20に再び薬を換えることになり、今度は「イフェクサー」が処方されました。

イフェクサーは、セロトニンやノルアドレナリンを脳内で放出したあと、再取り込みをしないよう邪魔する(阻害する)薬。意欲や気力の低下に効果的で、痛みの緩和にも使用されるお薬です。

薬を換えたことで、食欲が戻り、会話をするときのイライラが減り、入浴など身の回りのこともできる気力が出てきました。
精神にも体も谷の時期に重なった、3学期の「期末テスト」受験や「三年生を送る会」へは出ず、淡々と毎日の顔出し登校を継続し、行けるときに習い事へ通いました。


❄3学期の終わり


3月に入ってからは、だんだんと暖かくなる陽気に引っ張られるのか、興奮や怒りの感情、攻撃的な言動が強まり、抑えるのに疲れてしまうようになったため、バルプロ酸ナトリウム(デパケン)を服用しています。


登校は、朝から行けたのは初日の始業式のみで、他はどこかの時間に「顔出し登校」したり、午後登校したりでしたが、欠席日数は0日でした。



🏫1年の振り返り


それなりに落ち着いていた1学期を過ぎ、夏休みをはさんだとたん、大きな嵐に飲み込まれることになった2年生だった気がします。

特に、3学期は「不安」を強く訴えるようになり、気持ちも体も底を這うような日々が続きました。
「生存」にいっぱいいっぱいで、学校や勉強どころではなかった、という毎日でした。

それでも、1日のどこかで息子なりに「登校する」と決め、実行に移し続けてきたことには、大きな意味があると思っています。


内申点としては評価されなくとも、通知表に記された「欠席0日」の記録は、本人のがんばりの証。

「登校」が人生のゴールではなくても、今の息子が「社会と関わり続けなければ」と一生懸命つないだ「毎日登校」は、どんなつらい日々でも彼が「折れなかった」ということで。

「どれだけがんばれるか」よりも「どれだけ折れずに or 折れても立ち上がって続けられるか」の方が大事だと思うので、これからも息子が何度でも立ち上がれる環境づくりをしていきたいと思います。



そのためにはとにかく「話すこと」
息子が、たとえ彼の気持ちの1%でも「親になら話せる」と思える関係でいることが大事だと思うので

無理やり「話しやすくしなきゃ!」という感じではなく
ただ楽しくくだらないことを言い合える雰囲気でいたいな、と思っています。



🔴今後の課題


正直、4月からどうなるかはまだ、わかりません。

だんだんと表情が明るくなり、会話や笑顔も増えてきている息子ですが、最終学年を前に、登校できる時間は減っています。成績も下がる一方です。「評定不能」と書かれた項目もあります。

それは、体と心の不調により仕方のない部分もありますが、そうした生活への「慣れ」の部分とのバランスが難しい。

これから、登校を増やしていくのか、そもそも、どんな中学3年生になっていきたいのか、本人が一番考えこみ、不安に思っている。そのことを大前提として、考えすぎる彼を少しずつ、行動に移す方へ引っ張っていけたらいいな、と親は思っているわけです。が。。。

息子の人生は、息子に決めさせる。


という大原則を忘れずに、通信制などの選択肢を、息子が希望したらいつでも紹介できるように、情報収集だけしておこうと思います。


さて、来年の今ごろは、どんなことになっているのか?


この記事が、不登校に悩む皆さんの参考になれば嬉しいです🍎



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