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31_地獄の口_J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解

J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の読解を連載しています。ここからは、マガジン2としてまとめていきます。前の記事を未読の方は、もしよろしければ、マガジン1からお楽しみください。

Q.31-1 フィービーがげっぷの練習をしているのはなぜか?

 ホールデンが転んでばかりいるのは、彼が道化だからであることは下記で示した通り。

 サリンジャー作品において、道化の地獄めぐりは、ジョーゼフ・キャンベルが示した神話の英雄の旅と重ねられる。さらに、地獄の口が登場人物の口として、道化の地獄めぐりが、体内めぐりとして表現される。
 「ドーミエ」では、主人公が地獄の口から落下して、異国で地獄めぐりをする様子が抜歯で表現される(柴_214)ことや、エズメで「チャールズの口ががくんと開いた」(柴_166)というのも、ここからノルマンディー上陸作戦など、本格的な戦争へ向かう主人公が、地獄を見る運命にあることの表現。同作の最後、チャールズからの手紙に書かれた「こんにちは こんにちは こんにちは …… HELLO HELLO HELLO ……」が、「HELL O HELL O HELL O…… おお、なんというひどい地獄だろう」という意味に反転することは、先行研究で指摘されている(F)。「Oオー」は、シェイクスピアもしばしば用いている、大きく開いた地獄の口の表現であり、この嘆きの感嘆詞は物語上で英雄が象徴的に死ぬこと、存在が「0ゼロ」になることへ結びつく(この詳細は改めて)。

 だから、『キャッチャー』で、フィービーがホールデンに向かって「学校を追い出されたんだわ!」(278)と口を押さえるしぐさは、兄が放校になり、英雄=道化として地獄めぐりをしていることを知った妹・女神の驚きの表現と読める。
 この後の場面で、フィービーが「げっぷのやり方を教わってるんだ」(294)といって、ホールデンにげっぷをしてみせる。初期短編「他人」でも、主人公ベイブらが冥界に足を踏み入れると同時に、マティというフィービーの前身(分身)となる主人公の妹が、「ゲップの練習を始めた」(103)と書かれている。サリンジャーは、道化が地獄めぐり・体内めぐりをしていることを、女神であり、アニマともいえる幼い妹のげっぷ、腹の中の違和感として描いている。 
 また、『キャッチャー』には、「口臭のひどい一人の脳たりんの叔母」(261)という描写もあり、サリンジャーはどうやら、心の中=体内に地獄を抱えていることを、臭い息として表現しようとしているようなのだ。
 これもまた、シェイクスピアの『十二夜』に登場する、サー・トービー・ベルチから引用されたものだろう。注釈によれば、Belchはげっぷのこと(16)。サー・トービーは常に酒を飲み、酩酊している人物であり、同作のカーニバルの象徴。シェイクスピア作品、サリンジャー作品において、カーニバルは狂気と同義。サー・トービーが「くそいまいましい、塩ニシンめ!」(36)というのは、体内に迷える魂(魚の意味は下記参照)を抱え、それが臭いげっぷとなって現れているということ。

 『キャッチャー』に映画『三十九夜』の「にしんは食うかね?」(117)が引用されていることにもつながる。『ロミオとジュリエット』に「鰊(にしん)の干物だな。おお、肉よ肉、何ゆえおぬしは魚と化した!」(87)とあるように、鰊は堕落して腐敗する魂の象徴。『夏の夜の夢』では、「タマネギやニンニクは食うなよ。俺たちは甘い言葉を発することになってるんだからな」(130)と、息の臭いについても言及がある。臭い息は、内面に地獄を抱えていることの、甘い息は天国を抱えていることの象徴のようだ。

 『キャッチャー』では、コールフィールド家のメイド、シャーリーンが「お給仕するたびにわたしに息を吐きかける」「何もかもに息を吐きかける」(301)ことをフィービーは嫌がる。これもまた、体内めぐりを喚起する表現。実は、短編「ぼくはちょっとおかしい」では息が臭いのはこのメイドという設定になっているのだが、『キャッチャー』でのメイドの息は、臭いわけではない。
 『キャッチャー』のメイド、シャーリーンの名前には、豊饒を意味する〈Shirley シャーリー〉が入っている。さらに、「小さいころにお兄さんに、耳に麦藁を突っ込まれた」せいで、鼓膜が片方しかなく、耳が遠い(267)。耳が不自由であることは、下記でみた盲目であることと同様、現世に対する五感のひとつが失われている代わりに、彼岸・冥界・神話世界の出来事を感知する能力を持っていることのしるし。

 キリスト教では、息を吐きかけるのは精霊で満たす行為。精霊は、三位一体で分裂した神(父)と息子を統合する者。だから、フィービーは表面的に嫌がっているものの、豊饒のモチーフである麦藁で耳が不自由になったメイドの息は、深層では傷ついたホールデンの精神を癒す善きものとして表現されていると読める。
 すると、ホールデンがフィービーのげっぷについて、「いちおう音はしたけど、とりたてて感心するほどのものでもなかった」というのは、フィービーの体内=心の中も、それほど汚れていないことの表現だろうか。あるいは、フィービーはげっぷでホールデンを地獄から呼び戻そうとしたが、その試みは失敗したということかもしれない。

Q.31-2 ホールデンの名前に込められたもう一つの意味とは?

 「holden」という名前に、「hold 抱きしめる」の意味が込められているのではないか、という解釈については下記で述べた。

 上記で考察したフィービーがホールデンの首に抱きつく場面では「Holden」とholdが斜体になっている。
 だが、そのあと、「学校を追い出されたんだわ!」という場面では、「Holden」と「hol」だけが斜体になっていて(278_英語版182)、フィービーはこの直後に、手で口を押さえるしぐさをする。「hol」の斜体はホールデンが落下した地獄の口を示しているかもしれない。
 同時に、「holden」という名前には、hole穴と、den野生動物の巣・部屋・洞穴の意味、下記でみたような二つのクジラの腹の意味が込められているかもしれない。クジラの腹の中、重要なモチーフが二つ重ねて表現されることとその意味は下記でみたとおりだ。

 洞穴や野生動物の巣のイメージは、「フランスにて」で描かれた戦地で兵士が身を隠すタコツボにつながる。また、シェイクスピア作品にもしばしば登場する、墓穴が母なる大地として英雄をのみこみ、胞衣として再生へと導くイメージにも結びつく。コールフィールドという姓がcaul fieldが胞衣としての大地を表すことは、先行研究で指摘されている(C)。

 これは、『キャッチャー』のもとになった短編「マディソン」で、「ホールデンは脚を伸ばすスローなサイドステップで行ったり来たりして、ふたの開いたマンホールの上をまたいで踊っているようだった」(10)という記述にすでに現れている。「フラニー」で「私の座っている椅子の下に落とし戸があって、このままぱっと消えちゃったらいいかも」(35)と記されているのも同じことであり、洞穴や体内めぐりのイメージは「ズーイ」へも受け継がれている(116・117)(詳細各作品読解にて)。
 神話の英雄=精神的に傷ついた未熟な若者が、象徴的な死と再生を経て復活するとき、彼は二つの胎内から二重に生まれた者となる。最初に赤ん坊として生まれたときの、母の腹からの生物学的誕生。そして、子どもから大人になるとき、神話の英雄の旅(イニシエーション)において、一度象徴的に死に、クジラの腹に入って再生する第二の腹からの象徴的・精神的な再生。キリスト教なら、聖母マリアからの誕生と、磔刑にかけられ、一度埋葬されたイエスが復活すること(この時そばにいたマグダラのマリアを第二の母の象徴とみることも可能だろう)。「holden」の名は、英雄の旅を経て再生した英雄、二重に生まれたものを意味する、という解釈も可能かもしれない。

上記は「バナナフィッシュ」読解の[シャロン・リプシャツの名前の意味とは?]とも関連しています。ぜひ、下記もご覧ください。

J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。


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