見出し画像

本能寺の変1582 11光秀の年齢 ◎小68~78 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

11光秀の年齢 ◎小68~78 

はじめに ←目次 ←重要 ◎目次 11 光秀の年齢 ← 
重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
→【シリーズ】信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 
その一因 目次大 目次中 
見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
【 重要史料 】 【 人物 】 
*加筆修正 

11光秀の年齢

 1三人の娘~2光秀・勝家・一益  重要 ◎第68~71話 ◎小68~71
 3光秀と土岐氏          重要 ◎第72~73話 ◎小72~73
 4光秀、最大の敵         重要 ◎第74~76話 ◎小74~76
 5結論~6人格形成        重要 ◎第77~78話 ◎小77~78

                           ◎小68~78

1三人の娘

 ◎第68話 ◎小68   第68話

 ◎光秀は、高齢だった。
 ◎信長は、四十九歳。
 ◎光秀には、三人の娘がいた。
 ◎光秀の三女は、細川忠興へ嫁いだ。         「綿考輯録」
 ◎光秀の長女は、織田信澄へ嫁いだ。
 ◎光秀の二女は、荒木村次へ嫁いだ。   「立入左京亮入道隆佐記」
 ◎父親たちの生年と年齢。
 ◎細川藤孝は、四十九歳。
 ◎光秀は、五十歳以上である。
 ◎織田信勝は、死没。
 ◎荒木村重は、四十八歳。
 ◎光秀は、荒木村重と深い関係にあった。

2光秀・勝家・一益

 ◎第69話 ◎小69   第69話 

 ◎光秀は、現役の戦国武将。
 ◎光秀の遠征戦。
 ◎光秀の甲斐遠征。
 ◎光秀は、高齢であるがまだ老人ではない。
 ◎しかし、着実に、それに近づいていた。
 ◎中国攻めは、既定の作戦だった。
 ◎光秀には、気力・体力・行動力があった。

 ◎第70話 ◎小70   第70話

 ◎信長の部将たち。
 ◎柴田勝家は、六十一歳。
 ◎滝川一益は、五十八歳。
 ◎丹羽長秀は、四十八歳。
 ◎羽柴秀吉は、四十六歳。
 ◎柴田勝家は、六十二歳で敗死。
 ◎滝川一益にも、老人になる時が近づいていた。
 ◎信長は、一益に、配慮を示した。          『信長公記』
 ◎一益も、六十二歳で没。

 ◎第71話 ◎小71   第71話

 ◎信長は、老臣たちの「知」を重んじた。
 ◎信長は、老臣たちの体力を気遣った。   「織田信長文書の研究」
 ◎老人とは。
 ◎光秀は、老人の一歩手前だった。
 ◎光秀の長女は、永禄の初め頃に生まれた。
 ◎光秀は、弘治の終り頃に妻木氏を妻に迎えた。

3光秀と土岐氏

 ◎第72話 ◎小72   第72話

 ◎土岐氏の跡目争い。
 ◎光秀の明智氏は、土岐頼武の家臣だった。
 ◎光秀は、土岐頼純の家臣。
 ◎斎藤道三による下剋上が始まった。
 ◎頼純は、道三に殺害された。            「春日文書」
 ◎光秀は、主君を失った。
 ◎光秀は、越前へ逃げた。    「遊行上人三十一祖京畿御修行記」
 ◎光秀は、まだ、独身だった。
 ◎道三は、土岐頼芸を追放した。
 ◎ここに、道三の下剋上、成る。           『信長公記』

 ◎第73話 ◎小73   第73話

 ◎本能寺の変と頼純殺害の年から光秀の生年を推測する。
 ◎本能寺の変の時、五十歳とした場合。
 ◎本能寺の変の時、五十五歳とした場合。
 ◎本能寺の変の時、六十歳とした場合。
 ◎永禄十一年1568、信長は三十五歳。
 ◎光秀は、信長の目に止まった。

4光秀、最大の敵

 ◎第74話 ◎小74   第74話

 ◎二つの大遠征。
 ◎間を置かず。
 ◎一、甲斐遠征。                  『信長公記』
 ◎一、中国遠征。                  『信長公記』
 ◎信長は、この好機を逃さない。           『信長公記』
 ◎そもそも、中国攻めは、「来秋」だった。
 ◎光秀は、石谷頼辰を土佐へ派していた。
 ◎光秀は、長宗我部元親の心の内をよく知っていた。
 ◎光秀は、中国攻めが、「来秋」だと思っていた。
 ◎光秀は、確信していた。
 ◎光秀は、吉報を待っていた。
 ◎元親が、受諾すれば、光秀の大手柄となる。
 ◎土佐は、僻遠の彼方。
 ◎結局、これがネックになった。
 ◎事態急変。
 ◎光秀は、窮地に追い込まれた。
 ◎信長の脳裏には、武田勝頼の首。
 ◎信長は、絶対的な武力を手に入れた。
 ◎これすなわち、「武田効果」。      「織田信長文書の研究」
 ◎信長は、毛利を滅ぼすつもりだった。        『信長公記』
 ◎信長は、さらに九州を平定しようとた。       『信長公記』
 ◎光秀は、このことを知っていた。
 ◎信長は、光秀に先陣を命じた。           『信長公記』
 ◎光秀は、準備のため坂本へ帰った。         『信長公記』
 ◎西国攻めは、「天下布武」の総仕上げ。
 ◎光秀は、信長の指揮下にある。
 ◎秀吉の、下につくのではない。

 ◎第75話 ◎小75   第75話

 ◎光秀は、己の老いを自覚した。
 ◎信長は、歩みを止めず。
 ◎光秀は、滝川一益の上野入国を思い起こした。    『信長公記』
 ◎一益は、信長の命に従った。
 ◎光秀にも、国替えの可能性があった。        『信長公記』
 ◎その先に、信長の「さらなる夢」があった。
 ◎天下統一後も、戦は、つづく。
 ◎光秀は、信長より、先に、死ぬ。
 ◎光秀、最大の悩み。
 ◎信長は、不意を衝く。
 ◎光秀は、信長の性格をよく知っていた。
 ◎役に立たねば、粛清される。
 ◎光秀には、先が見えた。
 ◎中国攻め → 国替え → 「さらなる夢」
 ◎これすなわち、明智の危機。
 ◎これを阻止するためには、「中国攻め」を取り止めにする他ない。 
 光秀は、おそらく、このような結論に辿り着いた。
 それ故の「本能寺」。
 「六月二日、未明」、だったのだろう。

 ◎第76話 ◎小76   第76話

 ◎光秀の最大の敵は、時間だった。
 ◎光秀は、確実に、老人に近づいていた。
 ◎光秀は、それ程、頑強な肉体の持ち主ではなかった。
 ◎光慶は、若すぎた。
 ◎光秀には、信長に対する不信感があった。
 ◎信長は、猜疑心が強い。
 ◎光秀もまた、猜疑心が強い。
 ◎二年前の衝撃。
 ◎光秀は、明智の没落を怖れた。        「史記」越王勾践世家
 ◎光秀は、明智の将来が不安だった。
 ◎光秀には、守るべき者たちがいた。
 ◎明智は、存続の危機に直面していた。
 ◎明智の命運は、中国出陣によって定まる。
 ◎光秀は、心を決めた。

5結論

 ◎第77話 ◎小77   第77話

 ◎「当代記」には、六十七歳とある。          「当代記」
 ◎結論として。
 ◎下限は、五十五歳ぐらい。
 ◎上限は、六十三歳ぐらい。
 ◎光秀の生年は、大永四1524±四年ぐらい。
 ◎光秀の年齢は、五十九±四歳ぐらい。
 ◎光秀は、1520年代~1582年を生きた人である。

6人格形成

 ◎第78話 ◎小78   第78話

 時は、戦国時代。
 ところは、美濃。
 守護は、土岐氏。
 頼武~頼芸の代。
 美濃は、争乱の時代であった。
 戦いに、明け暮れる日々。
 光秀は、この様な時代に生まれた。
 そして、道三の下剋上が始まった。
 光秀の性格・人格・人間性は、争乱と下剋上の中で形成された。



 ⇒ 次へつづく

NEW!!

目次 が更新されました。

 これで、全体像がよくわかる!!
 毎日更新!!
 原因・動機の究明は、この一歩から!!

重要 ◎目次 が更新されました。

 「本能寺の変」
 原因・動機は、この中にあり!!
 ご注目下さい!!

テーマ別 目次 が更新されました。

 視点を変えれば、見える景色も違ってくる!!

見えてきたもの 目次 が更新されました。

 これで、さらに、一歩、近づいた!!
 ご期待ください!!




いいなと思ったら応援しよう!