見出し画像

変態人間論③──公家屋敷に秘密基地をつくる

はじめに──左手をポケットに入れたままにしない

前回の記事では、「公家」と「変態」という二つのモードについて書きました。

私たちは、みんな公家でもあり、変態でもある。

公家は、与えられたルールを守り、社会を安定して回す。
変態は、自分の衝動や熱狂、執着や義憤を起点に、ゲームそのものを更新する。

どちらも必要です。
だから、四六時中変態でいる必要はありません。

お店ではちゃんとお金を払う。
駅では列に並ぶ。
家電を買うときは、価格と性能を比較する。
仕事では予算管理をし、経費精算もする。

私自身、そんな公家モードを普通に使っています。
問題は、公家モードしか使えなくなること。

そして、もっと怖いのは、その状態が「大人になること」や「社会人として成熟すること」として受け入れられてしまうことです。

「この人は、こういう人。」
「この部署の人。」
「この役職の人。」
「いつもこういうことを言う人。」

そんなふうに、周囲との関係性や自分自身の「キャラ」が固定されていく。

すると、ポケットに入れた左手を出すタイミングが、どんどん減っていきます。

本当はやってみたい。
本当は面白そう。
本当はおかしいと思っている。

でも、

「自分がそんなことを言うキャラじゃない。」
「今さらそんなことを始められない。」
「この立場では難しい。」

そうやって左手をしまったまま、右手だけで器用に生きるようになる。

だからこそ、私は「秘密基地」が必要なのだと思っています。



■秘密基地は、左手を解放する場所

秘密基地とは、山の中に作った小屋のことではありません。

社外のコミュニティでもいい。
読書会でもいい。
有志活動でもいい。
オンラインの場でもいい。
公家屋敷の一室でもいい。

本質は場所ではありません。

いつもの「自分のキャラ」から少し離れて、左手を出せる関係性。

それが秘密基地なのだと思います。

「何が面白い?」
「何にムカついている?」
「本当は何をやってみたい?」
「何がどうしても諦められない?」
そんなことを話してもいい。

まだ事業計画になっていなくてもいい。
収益モデルがなくてもいい。
「それ、面白そうじゃん。」
から始めてもいい。

そして、その衝動を右手を使って、小さく現実にしてみる。

これが、秘密基地で学ぶことです。

左手を解放するだけではない。左手のために右手を使うことを、もう一度学び直す。

秘密基地には、そんな役割があるのだと思います。


■私が最初に入った秘密基地

私自身、自覚的に「変態」への入口に立ったのは、30代前半だったと思います。当時は商社に勤めていました。

あるとき、読書会から始まるワークショップのような社外の学びの場に参加しました。ほぼ生まれて初めて、自費で社外の学びの場へ行く。という体験でした。

会社から与えられた研修ではありません。
業務命令でもありません。
評価されるわけでもありません。

ただ、
「なんか面白そう。」
と思って、自分のお金を払って参加する。

今振り返ると、あれは私にとって、誰かの秘密基地に初めて混ぜてもらった瞬間だったのだと思います。

そこでは、会社の肩書きとは違う自分で人と出会い、考え、話し、遊ぶことができた。

ポケットに入っていた左手を、少しだけ外に出してみた。

それが、私にとっての最初の秘密基地でした。


■「遊びに行く」から「つくる」へ

その後、スタートアップの代表になりました。

そして今度は、自分でワークショップを主催するようになりました。
ここが、私にとって大きな転換点だったと思います。

誰かの秘密基地に遊びに行く側から、
秘密基地をつくる側へ。

さらに言えば、
左手を出す側から、誰かの左手を出しやすくする側へ。

そこには、商社時代の後輩たちも遊びに来てくれました。
会社の外につくった秘密基地に、以前の公家屋敷の仲間が遊びに来る。

そして、その活動がやがてスタートアップの一つの事業になり、現在のグロースワークスの設立へとつながっていきました。

さらに、ビジネスモデルイノベーション協会(BMIA)の活動へ。そして代表理事へ。

今振り返ると、
「ちょっと面白そうだから始めた活動」が、
個人の遊びから仲間との場になり、
場から事業になり、
事業から会社になり、
さらにコミュニティになっていった。

秘密基地そのものが、少しずつ大きな秘密基地へと変態していったのです。


■秘密基地を、公家屋敷へ持ち帰る

面白いことに、秘密基地は公家屋敷から逃げるためだけのものではありません。

一度、外で左手を解放することを覚えると、その経験を公家屋敷に持ち帰ることもできる。

スタートアップから商社に出戻りしていた頃、私は社内でもワークショップや勉強会を開催していました。

これは今振り返ると、外部で出会った秘密基地を、有志活動として社内に移設するという試みだったのだと思います。

右手を捨てるのではありません。
会社という公家屋敷の中で、左手のために右手を使える場所をつくる。

これが、「公家屋敷の中に変態部屋をつくる」という発想につながっていきました。


■国家プロジェクトにも秘密基地はつくれる

スタートアップの代表だった2016年、私は経済産業省のイノベーター育成プログラム「始動」に参加しました。これも、ある意味では国家プロジェクト版の秘密基地だったのかもしれません。

普段の仕事では出会わない人たちが集まり、普段なら話さないことを話す。
肩書きや所属を越えて、互いの左手を刺激し合う。

ここでも、
「誰かの秘密基地に遊びに行く」ということが起きていました。

つまり、秘密基地は必ずしもアングラなものではありません。

国がつくることもできる。
企業がつくることもできる。
個人がつくることもできる。

大切なのは、そこに左手を出せる余白があるかどうかです。


■部門そのものを秘密基地にする

そして2021年。私は今も務めるメーカー企業に、新規事業部門のリーダーとして入社しました。

これは、私にとって一つの大きな実験でした。

公家屋敷の一室を借りて変態部屋をつくるのではなく、
部門そのものを秘密基地にしてしまう。

新規事業という、そもそも正解のない領域で、

「これ、面白いんじゃない?」

から始める。

顧客に会いに行く。
一次情報を取りに行く。
小さく試す。
失敗する。
そこから学ぶ。

右手である事業開発の知識やマネジメントや組織運営を、左手の衝動を現実にするために使っていく。

そんな場を、組織の中につくっていく。

そしてこの2026年4月からは、コーポレートの中に新設された部門から、少しずつそのような場所をつくろうとしています。

事業部の中でやるより、公家の中枢に近い分、関係者も多くなりがちで、なかなか大変です(笑)。

でも、だからこそ面白い。

秘密基地を公家屋敷の外につくるだけでなく、
公家屋敷そのものを、少しずつ変態させていく。

そんな挑戦なのだと思います。


■秘密基地は、一つではない

一方で、秘密基地のオーナーになったからといって、他人の秘密基地に遊びに行かなくなるわけではありません。

むしろ逆です。

私は今でも、CTIのプログラムに参加したり、京都大学のプログラムに参加したりしています。

これらも、私にとっては新しい秘密基地を訪れる活動です。

また、Vlag Yokohamaで活動したり、YouTubeで新しい表現を試したりしているのは、秘密基地の新設ということになるでしょう。

自分の秘密基地を持ちながら、他人の秘密基地にも遊びに行く。
そこで新しい左手を刺激される。
何かを持ち帰る。
自分の秘密基地を更新する。
そしてまた、誰かを自分の秘密基地に招く。

この循環が面白いのです。

秘密基地のオーナーでありながら、いつでも誰かの秘密基地では一人の参加者に戻れる。

この感覚が、固定化された「キャラ」から自分を解放してくれるのだと思います。


■オーナーになると、三大臭気が強くなる

ただし、秘密基地は「遊びに行く」だけなら、それほど大変ではありません。

オーナーになると、話が変わります(笑)。

人が来ない。
準備が大変。
時に、お金もかかる。
誰かに断られる。
思ったようにいかない。
温度差が生まれる。
時には、「なんで自分ばっかり……」

と思うこともある。

つまり、三大臭気が一気に強くなる。

私がいう三大臭気とは、
泥臭い行動、青臭い義憤、胡散臭い理想。

きれいに設計された活動では、なかなか出てこない匂いです。

実際に手を動かし、現実とぶつかり、
「こんなのおかしいだろう。」と青臭く怒り、
「でも、もっと面白い世界がつくれるんじゃないか。」と胡散臭い未来を語る。

それが、変態の臭いです(笑)。

遊びに行くだけでは見えない泥があります。

だから秘密基地のオーナーになることは、楽しみを享受する側から、楽しみを生成する側への変態なのだと思います。

自分の楽しみを、場にする。
その場を、誰かの楽しみにする。

これは、前回書いた、

最強の変態とは、自分の衝動や熱狂、執着や義憤を、誰かの楽しみに変態させられる人である。

ということの、一つの実践なのです。


■秘密基地では、失敗も一次情報になる

そして、秘密基地で大切なのは、「うまくいくこと」ではありません。

イベントをやって、参加者ゼロ。
サービスをつくって、利用者ゼロ。
アイデアを話して、「そんなものはどうでもいい。」と言われる。

実際にそんなこともありました。

でも、秘密基地では、それすらも学びに変えられる。

「なぜ来なかったんだろう。」
「なぜ伝わらなかったんだろう。」
「何が足りなかったんだろう。」

現実にぶつかる。
一次情報が手に入る。
そして、また左手を更新する。

つまり秘密基地は、

「失敗してもいい場所」ではなく、「失敗さえ一次情報に変えられる場所」

なのです。

これは、前回書いた「変態モード」の重要な特徴でもあります。

公家モードでは、失敗は避けたいものです。

評価が下がる。
怒られる。
計画から外れる。
だから、なるべく失敗しないように動く。

でも変態モードでは、失敗もまた現実からのフィードバックです。

拒絶も。
却下も。
怒られることも。
妨害されることさえも。

そこから、「この構造は、どうなっているんだ?」と読み解く。

だから、泥に入る。
構造は、現実とぶつかったところにしか姿を現さないからです。


■秘密基地の基軸通貨は「楽しみ」

ここで、「変態経済学」の話ともつながります。

変態経済学とは、簡単に言えば、

合理性や効率だけを基軸にするのではなく、人間の「楽しみ」や衝動を、新しい価値を生み出すための資源として捉え直す考え方

です。

そして、その変態経済における基軸通貨が、「楽しみ」です。

もちろん、お金も必要です。
会場代もかかる。
道具も必要。
サービスを運営するなら売上も必要です。

でも、それらは秘密基地を維持するための手段です。

秘密基地そのものの価値を決めるのは、

「今日もここにいたい。」
「またここで何かやりたい。」
「この人たちと一緒にいたい。」

という感覚です。

だから、秘密基地には「無責任さ」が必要です。


■いつやめてもいい

秘密基地は、いつやめてもいい。

これが、とても大切です。

一度始めたから、続けなければならない。
参加したから、貢献し続けなければならない。
毎年やってきたから、来年もやらなければならない。

そんな「べき」が増えてきた瞬間、秘密基地は少しずつ公家屋敷になっていきます。

「楽しみを生み出すために始めた場所」で、楽しみを我慢するようになる。

これはかなり危険です。

だから、「もう楽しくない。」と思ったら、やめてもいい。
解散してもいい。
公家屋敷の普通の部屋に戻してもいい。
別の場所へ引っ越してもいい。
メンバーがそれぞれ別の秘密基地へ旅立ってもいい。

なぜなら、

また作り直せるからです。


■「続けること」より「選び続けること」

秘密基地にとって大切なのは、継続ではありません。

選択です。

「今日も、ここにいたい。」
「今日も、これをやりたい。」
「今日も、この人たちと遊びたい。」

そう思って、自ら選び続けること。

だから、「いつでもやめられる」という自由があるからこそ、
「それでも今日もやる」という意思に価値が生まれる。

これは、仕事にも、コミュニティにも、趣味にも、人生にも言えることなのかもしれません。

「続けなければならない」から続いているのではなく、

「今日もやりたい」から続いている。

その状態こそ、秘密基地が生きているということなのだと思います。


■形骸化は、秘密基地の対義語である

だから私は最近、「秘密基地」の対義語は「公家屋敷」ではないと思うようになりました。

本当の対義語は、

形骸化

なのではないか。

最初は、

「これ、面白そう!」
「こんなの、おかしくない?」
「もっとこうしたい!」

という衝動があった。
だから始まった。

でも、時間が経つと、
「去年もやったから。」
「毎年やることになっているから。」
「前任者から引き継いだから。」
「この手順で決まっているから。」
となる。

泥臭い試行錯誤がなくなる。
青臭い義憤もなくなる。
胡散臭い理想もなくなる。

そして、「動いていること」だけが存在意義になる。

ただ回す。
ただ引き継ぐ。
ただ開催する。
ただ報告する。

人間がいなくても動く。
目的がなくても動く。
楽しみがなくても動く。

まるで魂の抜けた機械のように。

これが形骸化です。


■三大臭気があるか

だから、秘密基地が生きているかどうかは、案外シンプルにわかるのかもしれません。

そこに三大臭気が漂っているか。

泥臭い。青臭い。胡散臭い。

「なんか泥臭いな。」
「ちょっと青臭くない?」
「それ、だいぶ胡散臭くない?」

そう感じるなら、まだ生きています(笑)。

逆に、
「昨年同様、滞りなく実施できました。」
「関係者間で適切に合意形成されました。」
「所定の手続きに従い、無事完了しました。」

そんな言葉だけになってきたら、少し危ない。

もちろん、それも必要です。

でも、それだけになったら、秘密基地は少しずつ形骸化しているのかもしれません。


■秘密基地は、変態し続ける

だから、秘密基地も変態し続けなければならない。

最初は読書会だった。
次はワークショップになった。
そこから事業になった。
会社になった。
コミュニティになった。
組織の中の新規事業部門になった。

別の場所へ移植された。
そして、また別の秘密基地へ遊びに行く。

秘密基地そのものが、変態していく。

これが、

「変態の変態」

なのだと思います。

そして、ここには「ゲームを創るゲーム」という話もつながっています。

最初は、誰かがつくったゲームで遊ぶ。
次に、自分でゲームをつくる。
その次に、ゲームをつくる人が増える環境をつくる。
さらに、その環境をつくる人たちが動きやすい環境をつくる。

どこまで行っても終わりません。

秘密基地も同じです。

一つの秘密基地を完成させることが目的なのではない。

秘密基地を生み出せる人間になっていく。

そして、また新しい秘密基地を生み出す。

その循環に終わりはありません。


おわりに──どうせ変態なんだから、秘密基地をつくろう

どうせ変態なんだから。
自分の左手を、ポケットにしまったままにするな。

小さくてもいい。
社外でもいい。
有志活動でもいい。
オンラインでもいい。
公家屋敷の一室でもいい。

秘密基地をつくろう。

そこで、泥にまみれよう。
青臭いことを言おう。
胡散臭い未来を語ろう。

三大臭気を放ちながら、変態していこう。

そして、いつか楽しめなくなったら、壊せばいい。
片付ければいい。
普通の部屋に戻せばいい。
また別の場所へ行けばいい。

だって、

またいつでも作り直せるのだから。

秘密基地は、永続させるものではありません。

秘密基地とは、自分の左手を取り戻し、左手のために右手を使うことを、もう一度学び直す場所。

そして、自分の衝動を、誰かの楽しみに変態させる実験場。

なのだと思います。

一人の変態が生まれる。
その変態が、誰かの左手を刺激する。
仲間が集まる。
新しいゲームが始まる。
そして、また新しい秘密基地が生まれる。

その繰り返しに、終わりはありません。

だから私は、形骸化した何かを守り続けるより、

どうせ変態なんだから、また秘密基地をつくりたい。

そう思うのです。

あなたも良かった一緒にやってみませんか?

「どうせ変態のくせに!」


最後までお読み頂きありがとうございました☆

◆◆関連記事


◆◆YouTubeでも情報発信をしております。
是非御覧ください!!



いいなと思ったら応援しよう!