文字を持たなかった昭和 終末期58 機内にて――娘の喪失感

 鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)は、入院先の病院で3月23日午前1時9分に死亡が確認された。享年96歳。翌24日に通夜、25日に告別式火葬を経て初七日の法要まで一連の儀式のあと、人ひとりが亡くなることについてわたしはさまざまに想いを巡らした。

 まだ入院中だったミヨ子さんをお見舞いし、3月21日にいったん帰宅してから1週間も経っていない3月27日(木)、葬儀を終えたわたしはまたふるさとの空港を後にした。その機内で考えたことを、当時のメモをほぼそのまま写す形で残しておきたい。

 機体が動き出す。今まで何回こうしてふるさとの空港を後にしただろう。決定的に違うのは、もうふるさとから私を案じてくれる人がいない、こと。その重みはこれからじわじわと効いてくるのだろう。

 空港には新生活へと旅立つ若者、それを送る家族たち。別れの涙に目を赤くする女の子。お母さんの時間は遺影の中で凍ってしまった。私は進まない時間に涙する。

 棺の中の顔は思い出さない。お母さんはあんな顔じゃないから。

 お母さんのお骨、ほんとうは少しほしかった。そう言えば兄は分けてくれただろうか。

 つい6日前、同じ便に乗った。次に帰るのはもう少しあとだと思っていたのに――。
 お母さん、もう会えないんだね。すべては思い出になっていく。外は大降りの雨。

 機内サービスのコーヒー。私はブラック。いっしょに飲む機会があるたびに、お母さんには必ずミルクと砂糖を入れてあげた。砂糖は倍入れることもあった。そして「んだ、うんまか」(まあ、おいしい)。甘いからおいしいんでしょ、と心で苦笑しつつ、でも私はうれしかった。
 11月に会った時のランチ〈315〉は慌ただしくて、食後のコーヒーまでたどりつけなかったね。
 してあげられなかったことばかり浮かぶ。ごめんなさい。

 後方の席で、たぶん生後数か月の赤ちゃんが泣く。お母さんの腕の中にいるのだろう。兄やわたしも、一日に何回も泣き、その度にお母さんがあやしただろう。畑仕事や炊事の途中でも。
 ときには祖父や父から「泣かすな」と言われたかもしれない。どんな気持ちでわたしたちをあやしたの? 一度も聞かないままだったね。

  春の雨送迎デッキにいない影


〈315〉昨年11月の帰省時、施設入所中だったミヨ子さんをふるさとへ連れて行きランチも共にした。その様子は「文字を持たなかった昭和 帰省余話(2024秋 15) 海が見えるテーブル」などで詳しく述べた。

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