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感謝企画の全記録〜出会ってくれてありがとう〜


フォロワー1200人感謝企画。
3日で50冊弱、1冊1000字超。
サムネも引用ツイートも。
限界まで、でも夢中だった。
たくさんの感謝と感動の声に、胸が震えた。
けれど、ふと立ち止まる瞬間があった。
「私のやりたいことって、本当にこれで良かったのかな?」
誰かを置いてきぼりにしたくなかった。
ただその一心で走り抜けたけど、
私はどこへ向かいたいんだろう。
発信の原点と天命に、
今こそ立ち返りたい。
同じように迷いながらも
発信を続けるあなたへ。
これは、そんな私のリアル記録。

第1章:感謝企画の裏側|
49冊を3日で書き上げた舞台裏


「フォロワー1200人達成ありがとう企画をやろう」と決めたとき、
自分でもここまでやるとは思ってなかった。
紹介した方の数、49人。
1人1人に向き合ってnoteを書き、
サムネイルを作り、Threadsの引用投稿で拡散。

この作業を、たった3日間でやりきった。

そう言うと
「すごい!」と言ってもらえるけど
正直、自分の中では
感謝の返し方の1つとして
自然な流れだった。

1日目に15名、2日目に・・・・。
1人あたり
1000字前後のnoteを書くとなると
当然、普通のペースでは追いつかない。

でも「勢い」だけでは続かない。
無理かなとも思った。

私は今回、
自分の中にある「感謝のエネルギー」を
どうやって文字にしていくかを
試されていたように感じた。

朝、目覚めてすぐの30分。
通勤中や昼休みのすきま時間。
(トイレ大切ね)
夜、少しずつ疲労が溜まる中での
集中モード。

そのどれもが
かけがえのない創作タイムだった。

noteの下書きにためながら、
Canvaでサムネを作って、
出来上がったら、Threadsに引用を回す。
久しぶりに自分を追い込んだ。
部活で走りこんだときみたいに。

でも、不思議と気力は落ちなかった。
むしろ
どんどん内側から力が湧いてくるような
そんな感覚さえ覚えた。

「誰かの魅力を、
自分の言葉で届けられるって幸せだな」
って。

途中、目も痛いし、肩もバキバキ。
寝ても覚めても
noteの画面が
目に焼きついてるような状態で。
それでも続けられたのは
「この人のこと、紹介して本当に良かった」って思える
フォロワーさんの存在があったから。

自分の文章で、
誰かが喜んでくれるって
こんなにも報われるんだ。

だからこそ
手を抜けなかったし、
絶対に、数合わせのようには
したくなかった。

一人ひとりが、
それぞれ唯一無二の物語を持っている。
私は、それを見つけて、
言葉にすることに命を使いたかった。

その想いは、間違いなく
私自身の中に「まだいける」と
思わせてくれた。
無理って気持ちは、
自分が勝手に引いているだけなんだと
改めて感じた。

第2章:感動と涙の声|
でもふと過った「私のやりたいことって?」


1人1人と引用投稿するたびに
たくさんの嬉しい言葉が届いた。

「紹介してもらえて本当に嬉しいです」
「泣きました。大切にnote保存しました」
「自分のことを、こんなふうに
見てくれていたなんて」

一通一通、丁寧に目を通しながら、
私も、涙が出そうになった。
中には同じように
noteで
私のことを紹介してくださった方もいた。

正直、こんなにも
人の言葉に感動する自分がいたことに
驚いた。
私は、人のことを紹介しながら、
自分の心の奥の温度を感じていたんだ。

この企画は、誰かのために見えて、
実は
自分の心を取り戻す旅だったのかも
しれない。

でも・・・
そんな感動の渦の中で、
不意に襲ってきた気持ちがある。
静かに、でも確かに。

それは
「私、本当にこれがやりたかったんだっけ?」
「今の私は、どこへ向かってるんだろう?」って。

心の奥に
小さな、ざわめきが生まれた。
言葉にするなら「違和感」。

感謝されること、
誰かに喜ばれること、
それ自体は最高に幸せ。

けれど
その幸せに、
自分の軸まで預けてしまっていないか?と
自問した。

これが
自分の本当にやりたいことなのか?
それとも
ただ誰かに必要とされたいという
承認欲求なのか?
そこを見誤ると、
気づいたときには
自分自身を見失ってしまう。

この感情、多分、
発信を続けてきた人なら
一度は通る道だと思う。

「誰かのために」と走っていたつもりが、
ふと気づくと
自分がどこにいるのか分からない。

ありがとうの言葉に包まれながら、
同時に、
自分の空洞に向き合うような
何とも言えない感覚。

私は、そのとき、ハッとした。

今の私は、
立ち止まって
問い直すタイミングなのかもしれない。

誰かのために走ることと
自分の心のままに歩くこと。

それを両立させるのは
とても難しい。

でも
それを両立させたいから、
私は「置いてきぼりにしない発信」を
目指してきたんだよなって。


この問いと向き合うことで、
私の中の「発信の原点」が
再び灯り始めたのだ。

第3章:置いてきぼりにしたくない|
私の発信の原点


なぜ
私はここまでして書き続けてきたのか。

45人以上の紹介noteを
誰ひとり抜け落とすことなく、
サムネまで仕上げて投稿し続けた理由。

それは
どんなときも
「置いてきぼりにしたくない」という
強い想いが
根っこにあったから。

私は
これまで何度も
「見えなくなる側」にいたことがある。

発信がうまくいってる人たちを見て
「すごいなぁ」と思いながら
どこかで自分は
蚊帳の外だと感じていた。

それでも勇気を出して
一歩踏み出したとき、
誰かの言葉が、私の背中を押してくれた。

あの瞬間の救われた感覚は、
今も、私の中に焼きついている。
そう
あなたのおかげ。

だからこそ
私は、発信の中で
誰も置いてきぼりにしたくなかった。

「発信って、一部の才能ある人だけの
ものじゃない」
「どんな立場の人にも、
光を当てられる発信者でありたい」

その想いが、
ずっと私の中の火になって
燃え続けてきた。

今回の感謝企画も
「応募者全員を紹介する」と
最初に決めていた。
それは
自分自身が、
かつて選ばれなかった側であったことを
忘れたくなかったから。

1人でも紹介し損ねたら、
その人の心に
自分は外されたという
小さな棘が残ってしまう。

私は、それがどうしても嫌だった。

「紹介される側」にとって、
それは
自分の存在が認められた証になる。
だからこそ
全力で、丁寧に、敬意を持って
紹介文を書いた。
それは「書く」という行為を超えて、
一種の祈りのようでもあった。

人は、
誰かに気づいてもらえることで、
前に進めることがある。

私のnoteが
そのきっかけになれるなら、
何度だって書く。
たとえ
自分の時間を削っても、
眠れなくても、
伝えたい想いがある限り、私は書く。

このスタンスは、
見方によっては
無理をしているように映るかもしれない。

でも私は、無理ではなく、
使命感としてそれを選んでいる。

そう、
自分で決めて、選んでいる。

発信って
「自分のため」だけじゃ、
きっと長く続かない。

誰かの心に寄り添いたい。
誰かを
ひとりにしない発信がしたい。
そこに収益が生まれるかどうかは
きっと二の次の話。

ビジネスとしてやるならば
それは甘いのかもしれない。
ある人に、体調不良で医者にかかるのに
受診料を払わず治療を受ける人がいますか?と
問われたことがある。
お金を持たずに
飲食店に入って、
飲食することが許されますか?とも。
私は、どちらもあり得ると思う。
どうしても助けが必要な状態ならば
金銭は後の話だ。
生きてさえいれば、必ず払えるときがくる。

私のやる発信方法は
そういう考え。

その想いが、
私の原点であり、
今の自分を支えてくれている柱。

第4章:達成感のその先にある|
空白と問い


企画がすべて完了した今朝。

最後の1冊をnoteに投稿し、
サムネを添えて、Threadsに引用して
私は、ふぅっと深いため息をついた。

「やりきった!」

心の底からそう思えた瞬間。

どれだけ疲れていても、
その達成感は本物だった。

でもそのわずか数分後、
ふと襲ってきたんだよね。
ぽっかりとした、胸の奥の空白。

誰かのために、
全力で書いて、
届けて、
喜んでもらえて。

なのに
なぜか、心のどこかに
ぽつんと立ち尽くすような感覚が残った。

まるで、
体育祭で優勝したあとみたいな。
資格試験に合格したあとのような。
一気に現実に戻されたかのような…
そんな、心の温度の落差。

この「空白」は、一体何なのか。


もしかすると、
私は「誰かのために走る」ことに
夢中になり過ぎて
「自分自身」がどこにいるのかを
見失っていたのかもしれない。

役割や使命があることで、動ける。

でも
その役割が終わったとき
自分の素の姿に戻れるだろうか?

発信者として
人に喜ばれること。
それはもちろん素晴らしいこと。
けれど
誰かに必要とされ続けないと
自分の価値を感じられなくなっていたら
それは、ちょっと怖いことでもある。

私は
そのことに気づいて、少しゾッとした。

今の私、誰かに認められることでしか
自分を保ててないかも。

そんなふうに思ってしまった。

でも同時に
「これは、次のステージに行くための
問いなんだ」と。

この気持ちの空白は、
迷いでもあるけれど、
同時に、余白でもある。

何を埋めるかは
私次第。

誰かのために書き続ける中でも、
自分のために立ち返る時間を
決して、忘れてはいけない。

そう教えてくれているような気がした。

だから、
私は、問いを恐れない。

「このままでいいのか?」という違和感も
「もっとできるはず」という欲も
全部
未来に進むためのサインなんだ。

やりきった後の空白には、
次の可能性が詰まってる。

私は、そんなふうに思い直して
今、このnoteを書いている。

第5章:私が辿り着いた|
「天命」とは何か


3日間で書ききった49冊のnote。
感謝も、涙も、
達成感も、空白も、
全部ひっくるめて
私は今、静かに
ひとつの問いと向き合ってる。

「私の天命って、何だろう?」

カッコよく言えばそうなるけど、
実際はもっと地味で、
モヤモヤしてて、
明確な形なんてない。

ただ、
書きながら
伝えながら
誰かとやり取りする中で
少しずつ浮かび上がってきたものがある。


それは
言葉で、ぽかぽかした火を灯すこと。


綺麗な人、目立つ人、
実績のある人じゃなくて。
見えづらいけど、
ちゃんとそこにいる人。
静かに頑張ってる人。
自分を言語化できなくても、
ちゃんと熱を持ってる人。
そんな人に、火を灯したい。
私の言葉で。


「あなたは、確かにここにいるよ」
「そのままでも、十分すごいよ」
「ちゃんと見ているよ」

そう伝え続けることが、
たぶん、私の天命なんだと思う。

気づけば、
私はずっと誰かを見つける目で
投稿を書いてた。

「すごい人」じゃなくて
「まだ誰にも見つけられてない人」を
見つけたいと思ってた。


だから書ける。
だから続く。


たとえば、
言葉を持たない人の想いを
代弁するように。

たとえば、
自信のない人の一歩を、
そっと後ろから押すように。

たとえば、
どこにも属せなかった、
かつての私のような人に、
「あなたの場所はここにもあるよ」と
伝えるように。

そんなふうに言葉を使うことが
私の役目なんだと
改めて思えた。

それは
誰かに求められたからではなくて、
やらなきゃ落ち着かない、
放っておけないという
内側から湧いてくるモノ。

実は
最初から
「これが天命です!」なんて
わかってたわけじゃない。

むしろ今でも
ちょっと不安になるし
「これでいいのかな?」って思う。

でも、それでも、書きたくなる。
やめられない。
そういう衝動に近いモノを、
大切にしていきたい。

誰かに見つけてもらうより先に、
自分が自分を見つけに行く。
「私はこれがしたいんだよ」って、
自分に向かって言ってあげる。

それが
私の天命への入り口だった気がする。

第6章:そしてこれから|
書き続けるすべての人へ


今回のnoteは、
感謝の記録であり、
私自身への問いかけでもあった。


走り切った達成感と、
ふと生まれた違和感。

それをまるごと見つめたとき、
私はようやく「ここからまた書ける」と
思えた。

私は完璧じゃないし、
いつも自信があるわけでもない。

ときには、
誰かの言葉に傷つくし、
自分だけ取り残されたように
感じることもある。

でも、それでも書く。
言葉にすることで、
私は私を取り戻してきた。

そして、同じように
発信で何かを変えたいと願う人たちと
つながってこれた。

発信って、
たったひとりの誰かに届けば
それでいい。

いいねの数でも、
フォロワーの数でもなくて。

「あなたの言葉に救われました」って
たった一人でも言ってくれる人がいたら、
それはもう天命なんだと思う。

だから、あなたにも伝えたい。

書いてるのに、
うまく届かない日があるかもしれない。
頑張ってるのに、
報われない夜もあるかもしれない。
でも、それでも、
あなたの言葉は
誰かの心にちゃんと届いてる。

目に見える反応じゃなく、
心に残る言葉を、
私たちは届けているんだ。

私は、これからも
「見えづらいけど確かにいる人たち」に
言葉で
ぽかぽかした火を届けていきたい。
自分もそうしてもらってきたように。

そして
もし、どこかでまた迷ったら
こうして
自分の気持ちに正直なnoteを書きたい。

書くことは、生きること。
それはきっと、大げさじゃなくて
本当のことなんだと思う。

あなたも、どうか書き続けてください。
うまくなくていい。
肩の力を抜いて、
自分の言葉で、
あなたの天命を見つけてください。

それを読めることを、
私は楽しみにしています。

さあ次は、あなたの番。
発信を通じて「本当に届けたいもの」を
一緒に見つけていこう。

2025年 七夕に願いを込めて。

皆さんのnoteをご紹介させてください。
最後まで、スクロールしてね。
素敵なnoteに出会えるから🎋

そして…
私の想いがこもった2冊も
並べさせてください。

出会ってくれて ありがとう。

よしだ まき

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