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お願いだから、頼むから「努力すれば, 頑張ればできる」とか言わないでくれ……!!


26/1/11追記:関連すること↓

25/12/24追記:ちょっと新たに思ったこと↓

25/12/29追記:またしても新たに思ったこと↓


なぜなら、誰も幸せにならないから。

もっというと、「『”努力”すれば、”頑張れば”できる』とか言う人はあまりにも迷惑だ。マジでやめろ」です。

この記事はニヒリズムが蔓延していて「社会はクソだ……ニヒニヒ」と後ろ向きになるものではなく、「一体どうすればそれぞれ楽しく生きていけるのだろう?」ということを提唱している記事になっています(たぶん)。

まぁ思いついたことをババーッと書いただけでなんのデータも根拠もありませんが、よろしくお願いします。

あと個人的なことですが、色々な記事にスキをいただきありがとうございますm(_ _)m しかし増えすぎているので、全ての人からの通知を確認してその方の記事を見に行くことがなかなかできていません。が、ちゃんと気持ちは受け取っております。


結構前にこんなものを書いたが……

書いたのですが、ネガティブ要素が多すぎるので、ちょっと手直ししたほうがいいかもな、とここのところずっと思っていました。

そのため今回の記事はそれの増補改訂版なわけですね。

僕はできる人とできない人の気持ちが両方わかる(と思いたい)

まずは自慢から。その後できないことを書きます。

できること

たとえば僕は絶対音感があるので、音を間違えようがありません。
なので「音がわからない」と言う人の感覚が全くわからなくて。

音楽の勉強をしていると、常々この能力マジで楽だし得だな、と感じます。あらゆるものをショートカットしているというか。

例えば聴音なら開始音とかなくても一回フレーズを聞けばそれだけで全部書き取れるし、視唱なら楽譜を見ればそれだけで音程を合わせて歌えます。

……ではその絶対音感を手に入れるために何か”努力”したり”頑張ったり”したのか? と問われたら、「(主観的には)一切何もしてない」が答えです。

ただ、幼稚園の頃になんかピアノを習わされていただけ。その頃に自我なんてないし、ある時ふと気がついたらなんか音鳴ってんなー、とわかる状態だっただけ。

ただの運ゲーだし、大人になってからは身につかないし、これは完全にただの才能なわけです。

作曲も、「なんかピアノ弾いてたら思い付くからそれを楽譜に書くだけ」
と言って終わります。なので人に方法を教えられません。

こうやって文章を書くのもただ楽しいからやっているだけで、「どうやって書くのか?」と言われたら、「ふとした時に最初の言葉が降りてくるから、あとは書くだけ」としか言えません。

以上のことは、僕にとって全く“努力”してないし、”頑張って”ないし、ただ好きだから夢中になってやってるだけ。ひたすらに没頭してるだけです。

だから簡単にできるし、やった分だけできるようになっていくし、楽しくてしょうがないから好き、という好循環なわけで。

できないこと

次はこれ。

  • 絵が描けない。特に立体は絶対に不可能。必ず平面になる

  • 免許とってから3年くらい経つけどいまだに駐車は下手。なるべくやりたくない

  • 数学の図形問題や物理がわからない。書(描)いてある意味が理解できない

  • ほぼ必ず道に迷う。地図を見てもわからない。最長迷子記録は新宿駅で40分

  • 3Dゲームは得意じゃない。モンハンとかやってると情報過多で脳が疲弊する

  • 運動神経ない。高校生の時に小学生とやった草野球で手も足も出なかった

  • 字が汚い。大切な書類を最大限集中して丁寧に書いても必ずどこかズレてる

  • 聴覚過敏で日常生活が疲れる。

  • 複数の同時進行タスクができない。例えばコンビニバイトは絶対に不可能。

  • 学校生活に全然馴染めなくて不登校(小4〜中3)。

ということで、これらは何をどうやってもできません。
もちろん、初めから何もしなかったわけじゃないですよ。最大限、”努力”したし”頑張り”ました。

が、一切できるようにならなかったのです。

まぁこれはASDグレーゾーン(というか確定診断じゃないだけで数字だけ見るとそうだし、ディスクレパンシーもある)だからということらしいんですけど、

IQ関連の話題はあまり好きではないので「そうであるっぽい」とだけ述べておきます。

……

そんなわけで、僕にとって「やればできる」ことはやればできたし、「やってもできない」ことはやってもできませんでした。

だから、「いやいや、なんでこんな簡単なこともできないの??」と冷たく(しかし純粋に)他者を見下す人の気持ちもわかるし、「いや、本当にできないんだよ!!!!」という人の気持ちもわかります。

「社会って楽勝だよな〜HAHAHA」「社会なんて生き地獄でしかない……!!」という境遇も両方わかります。

(※真に他者の気持ちを理解することは人間である以上不可能なので、ここでいう”わかります”というのは、「僕が自分でわかった気になっている」程度に受け取ってもらえると助かります)

いやマジで、誰かに「やればいいじゃん、本気度が足りない」とか言われたら、

  • 「そうだね、もっとやればもっとできそうなのにね」

って思いますし、もしくは

  • 「やってもできねえんだよおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!! お前にこの気持ちがわかるかああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぼけええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!」

と言いたくなるだけですよね。

そういえば、ある知り合いのお子さんが「sapixが楽しすぎる」と言っていたのを聞いて、そうそうそれだよ……! と思ったことがあります。

「勉強楽しい!」と思える子どものみが進学校へ行き大学へ行くべきなのであって、そうじゃない子にとっては苦痛すぎるだけです。誰も幸せにならない。

で、そういったものは本来あらゆるものが存在する中での一つの価値尺度であるに過ぎないのに、あたかもそれが全てであるかのような、”学校の勉強”が過剰に持ち上げられている世の中があまりに〜〜〜も窮屈すぎるので、それを変えた方がいい。

そういうことではないでしょうか。

とにかく、できることを伸ばすのに全力で集中したほうがいい

これまでずっと色々なことを考えてきたのですが、結局これしかないという結論です。

できないことをやってもちっとも面白くないし、つらいだけ。そして時間をかけた割に成果は上がらないし、その間に”できる人”は楽勝で進んでいく。
それと比較したら惨めな気持ちになるだけです。

できることをやればとにかく楽しいし、面白い。時間をかければそれだけ成果はスッと出るし、割と楽勝で進んでいけます。

だからね、現時点での社会での価値観がどうこうといったことに囚われることなく、いかに自分の道を突き進んでいくのか。ただひたすらにここだけに集中すべきだと思います。

  • あの人がこう言っているから……

  • こっちの方が安全そうだけど……

  • 反発されるのが怖い、嫌われたくない……

とか思ってるだけ無駄。そんなものは押しのけて、自分の未来は自分で掴みましょう。激動の不確実な社会。自分の道をひたすらに行ったほうが楽しいです。

少なくとも僕は現状未来を掴めたので、最近楽しい。

(躁鬱的なものでたまにうぉええええええぇぇぇぇぇ↓↓↓↓ってなる時はあるけど……)

できることがあると、できない部分が全く気にならなくなるのですよ。

というか、できること(好きなこと)に没頭していると他のことへ意識を振り分ける余裕や隙間が全く存在し得ないので、自動的にできることだけが存在しているかのような状態になります。

すると楽しいことしかないことになるので、人生が豊かになるわけです。

そういえば、僕のnoteでしばしば登場するサイエンスが好きな友人は、4月から東工大(現東京科学大学)の修士課程へ進学することになりました。いや、すごい。おめでとう。本当に。

彼も僕と似たような(それよりも過酷かもしれない)不登校出身で、他にも色々なことを抱えていたりして。でも自分の好きなことへひたすら没頭し続けた結果、未来を掴んだわけですね。

学部時代は毎日8時間勉強してたと言っていました。でも、それはただそれが好きだったから、研究が面白かったから、という。

そういうことだと思います。

僕に音楽と言葉がなかったら割とマジで死んでると思う

人にはそれぞれ向き不向きがある。

たとえば大型トラックドライバーの人とか、本当にすごいといつも思って感謝しています。

ある日深夜に一人で首都高を走った際、超でかいトラックがカーブの追い越し車線をすごいスピードでしかしスーッと綺麗に通り過ぎていったのですよ。もしかしたらそれはマニュアル車かもしれないし。

速度超過かもしれないね、とかは置いておいて、事実それは僕にはどうやってもできないし、そしてそういった人たちのおかげで快適な暮らしができているわけです。本当に。

別に僕は綺麗事を言ってるわけじゃ全くなくて。
むしろ「努力すれば、頑張ればできる」という思想こそがまさに綺麗事
美辞麗句じみた御託をひたすらに並べるのは勘弁願いたい。

僕は性格があまりよくありませんので信憑性があるはず。

例えば音大での生活が始まったなら、内心「こいつ才能なくて使えねぇな」と思った人とは割とあっさり関わるのをやめるでしょう。
……一応僕の名誉のために言っておくと、そういう特殊な環境、競争社会においてのみ、です。何もない場面なら冷たくないし、棘はありません(そうなはず)。

できるものはできるし、できないものはできない。

人には限界があるからこそ、可能性がある。

だからできることだけをやったほうがいい。

他の成功者と呼ばれる人や僕の身近の優秀な人、人生楽しそうな人を見ていると、できることしかやっていません。「”頑張って”苦手を克服したので圧倒的な成果が出ました!」とか言ってる人は一人も聞いたことがない。

よくまさにそのまま「苦手を克服する!」とかいう学習塾の広告ありますけど、あれマジで地獄だなぁって見かける度に思います。クッソくだらん。
そんなことをしても誰も幸せにならんよ。なぜそれに気がつかないのだろうか。もしかしたら故意的なのかもしらんけど。恐るべきビジネスマインド。

どうやっても”何もない”のなら人を頼るべき

僕は人には必ず何か輝けるものがあると信じていますが、それでもどうやっても何もないというのなら、公的機関を頼りましょう。
それは全然恥ずかしいことじゃないです。

小学生の不登校だった時代、ほんの少しだけなんかそういう”学校へ行っていない子ども”向けの集まりだかなんだか、税金で運営されていそうなところへ足を運んだ(正確には親に運ばれた)ことがありました。

当時は何も思いませんでしたが、今思うのは、そういう場所はちゃんとあるのだな、ということです。

いや当たり前のことかもしれませんが、それがあることを知らないと本当に助けを求めている人も助からないまま、という。

そして、”労働をして金銭を得る”ということができなくても、例えばその人の内面から滲み出る優しさは、確実に誰かを救っています。
どんな人がこれを読んでいるかはわかりませんが、それだけは忘れないでください。

最後に

書き始めたら言いたいことが増えすぎて5,000字を超えてしまった……
そんなわけで長々と喋ってきましたが、僕の思う人生攻略法は、

  1. できることにひたすら没頭する

という、ただこの一点のみです。そうしたら、自然と未来は見えてくるはず。

ちなみに僕は現状、確固たる明確な将来は見えていません。が、しかし今やっていることにひたすら没頭し続けていれば何かはなるだろう、と思っているので、そして何より楽しくて仕方がないので続けています。

いつか掴めることを信じて。


ところでこの写真は、東京都現代美術館に行った時のものです。おもしろかったので撮りました。
教授のコーナーも不思議で興味深いものでしたが、同時にやっていたこの「こうふくのしま」もとても良かったです。
というかむしろ個人的にはこっちのほうが楽しかった。

今回初めて現代アートを見に行ったのですが、「”わからない”という気持ちよさ、心地よさ」ってこういうことか……!! と。
あらゆるものに答えを出しがちな、コスパばかりを追求し続けるギスギスした世の中だけど、だからこそ、よくわからないものがあるってなんかいいな〜って。

人生もそれと同じなんじゃないかな、というか、たくさんの人が芸術家のように生きることができたら世界はもっと穏やかで豊かになりそうだな、と感じています。

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philosofy (´・ω・)つ旦