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灯火のように照らされた言葉たちへ。―第3回灯火杯・心からの感想note①

ともちゃんこと、花邑灯火さん主催の「第3回灯火杯」に参加させていただきました。
なんとこのコンテスト、参加者も投票できるとのこと!

せっかくなので、読んだ作品の感想をまとめてお届けしたいと思います。
完全に自己満足の読書ノートですので、もしもご不都合等ありましたらご連絡くださいませ。

そして!
これより先は【ネタバレを多く含みます】ので、未読の方はお気をつけくださいね。

※敬称略、勝手な呼び名で失礼いたします💦


まずは、「順位も講評も求めません。」という、うめこさんの作品から。
講評ではなくあくまで「読者としての感想」を綴らせてください。

その灯りは、きっと私の中にも。#うめこさん

冷凍庫の奥で、灯りは生きてる―

そのタイトルでもう、すこし泣きそうになってしまいました。

「書くこと」を「アイス」に喩える、というやさしくて鋭い比喩。
ハーゲンダッツとホームランバーの対比も、贅沢な記憶と日常の記憶の違いも、なんて巧みに、でも力まずに描かれているのでしょう。

この文章がまるで「溶けるように」読めてしまうのは、決して軽いからではなく、言葉の芯が冷たくて、熱いからだと感じました。
わたしは、読みながら何度も「うん」と声に出しそうになりました。

食べたいから食べてるし、書きたいから書いてる。

この一文に、どれだけ救われたことか。
「意味」や「伝わるか」を気にして、なにも出せなくなってしまう夜が、わたしにもたくさんあります。
そのたび、冷凍庫の扉を見つめていたのかもしれないな、と思いました。

それでも、ベランダで打ち上げ花火を見ながら食べた一本のホームランバー。
忘れられないその「味」が、誰かの中に、きっと残っている。

この作品もまた、静かに灯る一本のキャンディバーのように、わたしの記憶の冷凍庫に、そっと仕舞われました。

読めてよかったです。
ありがとうございます💖

ポカリと、光線と、文芸部のまっすぐな恋。#アージさん

夕方の部室、西日に照らされて、うちわをあおぐ玲の姿から、すでにこの物語の“熱”は始まっていました。
外の暑さだけじゃない、内側からじんわり湧き上がる想いが、ページの端まで伝わってくるような青春の気配。

真田玲と稲吉樹――
ちょっとこそばゆくて、でも真っ直ぐで、ほんの少しのすれ違いや心の揺れが、とても丁寧に描かれていて、読んでいて自然に顔がほころびました。

100均の保冷ケースに入ったアクエリアス、
返さなくていいって言ったのに返ってきたペットボトル――しかも中身入り。
行きと帰りのささやかなやり取りが、物語の芯に一本の「光線」を通していて、とても美しかったです。

玲の「文化部って、何か劣等感あるよね…」という内心にも、心がきゅっとなりました。
わたし自身も文化部だったからこそ、その感覚がよくわかるし、そんな思いに「運動部とか文化部とか関係なくね?」って、さらっと返してくれる樹の言葉が、ほんとうに沁みてきて。
「冷たいポカリ」以上のものが、玲の中にすっと入っていったのだろうなと思います。

そして最後の「文化部だってポカリ飲むよっ!」の場面、
最高でした。
玲の“おー”と、ユリちゃんの“マイクのふり”、
あの一連のシーンはまさに、青春のワンカット。
読者の胸の奥にも、一筋の光が差し込むような、まぶしさがありました。

“光線”というタイトルの意味が、最後まで読むことで、
差し込んでくる光と、人から人へ交わされる想いの筋として、深く伝わってきます。

読後、思わずポカリを買いに行きたくなりました。
そして、ふいに差し出された「がんばれよ」の気持ちを、誰かに返したくなりました。

素敵な物語を、ありがとうございます💖



言葉がいのちを越えて、今もそこにある。#ゆずさん

読ませていただいたあと、しばらく言葉が出てきませんでした。
胸の奥の、言葉よりももっと深いところに届く作品でした。

ゆずさんの文章のなかに、確かに“ひかりさん”は生きていました。
BUMP OF CHICKENの音楽とともに過ごした時間、
ポエマーな中学生だった頃の日記、交換ノート、
一緒に歩んだ日々が、あまりに鮮やかで、そしてあまりに突然で。
読んでいて、何度も何度も涙がこぼれそうになりました。

「あなたの小説の続き、あの子一生懸命書いてたの。だからこれはあなたのものよ」

この一文に、心がぎゅっと掴まれました。
まだ完成していない物語を託された重み。
言葉が、命のリレーのようにゆずさんの手に渡され、
そして「たった一人の読者は、彼女なんだ」と決意して綴られたその続き。

それは、作品という枠を超えて、
「生きることそのもの」のように感じました。

書くことは、作者のいのちが生き続けること。

この言葉は、きっと多くの書き手、読み手の心に響くはずです。
わたしもまた、忘れたくない誰かの言葉をノートに閉じ込めて生きてきたひとりだから、
この文章は、ただの追憶ではなく、
いまを生きる勇気として沁み込んできました。

「ひかりさん、ちゃんと読んでくれたと思いますよ」
「読んでよ、感想聞かせてよ」って言えるゆずさんのやさしさに、わたしまで涙ぐんでしまいます。

BUMPの歌が流れるような夜に、
この物語を読めてよかった。
心の奥で、静かに灯りがともるような読後感でした。

素敵な作品を、ありがとうございます💖



静かに灯るエール、木の麓にて#つるさん

「木の麓で静かに本をひらく」
その一文を読んだ瞬間、わたしの心にも、柔らかな木陰が生まれました。

つるさんの文章は、決して声高ではないけれど、ひとつひとつの言葉に深い静けさとまっすぐなまなざしが宿っていて、それがとても心地よく、胸に染み入りました。

「私は書くことに主眼を置いていません」と謙遜されながらも、
この短い777文字のなかに込められたまなざしは、まぎれもなく“言葉を深く味わっている人”のそれだと感じました。

とくに心に残ったのは、

その作品から伝わって来る熱量、および
純粋な矢が虚空に勢い良く放たれているかのような文章

という表現。
まるでそれが書き手の“いのちの矢”であるかのように、尊く受け止めてくださっている感覚が、読む者としてこれほど励まされることはありません。

また、

その本は、私の人生のポケットに入れておいて

というくだりは、読み手としての姿勢をここまで丁寧に言語化されたことに感動しました。
ただ読むだけでなく、「また読み返す余地を残して」いるという優しさが、まるで一編の詩のようです。

木陰のように、書き手をそっと包むようなエール。
それは読む者にとっても、木漏れ日のようにあたたかいものでした。

どうかこの作品自体が、誰かの「木陰」となって、長く大切に読まれていきますように。
素敵な文章をありがとうございます💖



忘却と記憶のはざまで、雨粒をすくうように。#凛花さん

この作品は、まるで静かに降りそそぐ雨のようでした。
読んでいるうちに、いつの間にかわたしの心も濡れていて、気づけばページの奥にたたずんでいた気がします。

「記憶」とは何か、「書く」とは何か。
そして、それが“わたし”という存在とどう結びついているのか。
凛花さんの視線は、一瞬一瞬の感情と出来事を、逃さずそっと掬いあげていきます。
その姿はまさしく、「雨粒で海を編む」行為そのものだと思いました。

書くことでこころがすくわれることが多い。
でも、いまはむりなのだと悟った。

この告白に、深く胸を打たれました。
“書くこと”が自分を支えてくれるものであると同時に、ときに重くのしかかるものになることもある。
でも、それでもやっぱり“書きたい”という気持ちが、凛花さんを映画館へ、雨のなかへ、そしてこのnoteへと導いたんですね。

わたしにとって、文章を書くのは雨粒で海を編むような作業だ。

この比喩が本当に美しくて、読んだ瞬間、深く息をのみました。
“雨粒”として現れた記憶や感情たちが、泉に流れ込み、やがて“海”として一つの作品になる。
その過程の繊細さ、儚さ、確かさが、まさにこの作品の構造そのものだと思います。

また、ムネモシュネとレテの神話を引用しながら、

書くのはだれかのためだけじゃない。まずは、自分のためなのだ。

と綴られたくだりには、大きくうなずかされました。
“書くこと”が、ただの表現ではなく、人生の記録であり、自己の保存であるという視点は、まさにムネモシュネの泉に記憶を流す行為なのだと。

そして最後、

いまは役に立たないかもしれない。けれども、ノートや下書きに集めた記憶のひとひらは、
いつかムネモシュネの泉から掬いあげ、海へとつづく流れに乗せることがあるかもしれない。

という言葉が、静かに、けれども確かに、わたしの胸に残りました。
“いま”をすくい取ることの尊さと、その積み重ねが、やがて未来の誰かを、あるいは自分自身を支える海になるという信念に、強く共感しています。

この作品そのものが、ムネモシュネの泉に滴る一粒の雨であり、
きっと多くの人の記憶の底に、やさしくしみ込んでいくのだと思います。

素晴らしい読書体験を、ありがとうございます💖



世界が黙ってても、君は叫べ。#トラちゃん

読了直後、私は思わず立ち上がって、拍手を打っていました(心の中で)。
だって、叫びたいくらい共感したから。
「わかるううう!!!」って、私も扇風機の前で宇宙人ごっこを始めたくなったから。

このエッセイ、最高です。
笑ったのに、泣きそうになって、最後はぐっと拳を握ってました。

創作って、ほんとに、呪いですよね。
でもその呪いが、こんなにもユーモラスで、血のにじむようなリアルと一緒に描かれていたら、もうそれは“救い”なんだと思うんです。

「小説が読まれねえええええ」

この叫びに始まり、

「心なんてとっくに筆に込めて燃え尽きたわ!」

の魂の慟哭には、全国のnote書きが全員うなずいている気がしました。
それでも、

「この扇風機の前での絶望を文章にできるのは、私だけ、だから。」

と一文で全部ひっくり返してくるところに、トラちゃんの真骨頂を見ました。
笑わせておいて、急にずどんと刺してくる。ずるい。ずるいけど、最高。

そして、

「たったひとことでも書いたなら。それだけで、君はこの世界で、静かに、確かに、存在している。」

この一文があまりに沁みて、静かに目頭が熱くなりました。
読まれてない気がして、存在してない気がして、消えてしまいそうな日々。
でも、書いたなら、存在してる。
その真理を、ふざけたようでいて本気で叫んでくれるこの文章に、わたしも何度でも背中を押されます。

叫んでも届かない日がある。
それでも、君が、私が、今日も書いたなら。
それだけで、最高の勝利なんだ。

そんなふうに笑って言ってくれる同志がいること、
このnoteに、扇風機の前に、いてくれることが、なによりの灯火です。

叫びながら書いてくれて、ありがとう、トラちゃん。
わたしもまた、静かに笑いながら書き続けます。



潜ったその先に、きっとボールはある#
真夜中のカフェさん

読了後、深く息をついて、じんわり胸があたたかくなっていました。
これは、まさに“書けない自分”をやさしく抱きしめてくれる物語でした。

作家として、書けない自分に苛立つ日々。
担当編集の声すらノイズのように響くなか、
たまたま出会った少年との出会いが、じわじわと心の奥を耕していく――

その展開がとても自然で、でも確かに“救い”の物語になっていて。
読みながら、わたしも「潜る」ってなんだろう、「届けたいボール」ってなんだろう、と静かに問い返される気持ちになりました。

「君のなかにも投げたいボールはすでにあるけど、見えていないだけ。」

この比喩が、本当に秀逸で美しい。
小学生の作文の時間から、大人のプロの創作活動まで、すべての“書く人”に通じる真理がそこにありました。
自分のなかにすでにある「伝えたいこと」「感じたこと」を、ちゃんと見つめること。
それこそが、書くことのはじまりなんですよね。

「俺も読書感想文に苦しめられていた小学生だったことや、そのことを書いた作文が市のコンクールで金賞に選ばれたことを。」

この“思い出し方”がとても好きでした。
ただ過去をなぞるのではなく、「今」の気持ちと向き合うことで、奥からすくい上げられていく記憶。
ああ、自分にもそういう「最初のボール」があったな、としみじみ思い出させられました。

そしてラストのこの一文――

「様々な人の、様々なボールが目には見えないけれどきっとたくさん飛び交っているのだろう。」

この世界に、見えないけれど“書かれた言葉”が確かに存在している。
そのなかに、自分の言葉も混ざっているかもしれないと想像することが、
どれほど心を支えてくれるか。
“書くことの孤独”を知っているからこそ、心から響きました。

優しさだけじゃない。
ちゃんと“書くことの苦しみ”にも向き合った上で、それでも「また書こう」と背中を押してくれる作品でした。

自分の中のボールを、もう一度見つめたくなりました。
素敵なお話を、ありがとうございます💖



誰かの“重さ”を、そっと一緒に持つために#カオラさん

読んでいる途中、何度も深呼吸をしました。
そして、読了後には静かに胸に手を置いていました。

「書くことの重さ」と、「誰かの重さを少しでも軽くできたらという思い」――
その両方を抱えながら書かれたこの作品は、
やさしさに満ちていて、同時にとても強くて、美しかったです。

私が叶えたいのは不登校児支援ではなくて、不登校児の親支援。

この一文が、深く心に残りました。
「子どもを守る」ことに必死なあまり、自分のことを後回しにしがちな親たち。
とりわけ母親たちの、「笑顔の仮面の裏側」にまで言葉を届けようとするその姿勢に、
書き手として、人としての“覚悟”を感じました。

日々の湿度、気圧、体調の揺らぎ。
心配、焦り、不安、孤独。
それらすべてを引き受けるように、「準備」を重ねるお母さんの姿には、どこか“祈り”のようなものすら感じます。

私の文章は稚拙かもしれない。
昔を思い出しながら書くのは、私自身が追体験をして辛いこともある。

こうした正直な吐露に、どれだけの読者が「わたしもそう」と頷いたことでしょうか。
“書くこと”が時に、傷をえぐるような追体験になることを知りながら、
それでも「諦めずに発信しよう」と言える強さに、深く胸を打たれました。

だから私は書く。
たったひとりでもいい。
そんなお母さんに届けたいから。

その“たったひとり”の存在を、誰よりも大切にしているのだと思います。
誰にも届かないかもしれない夜も、
言葉にすることで誰かが救われるかもしれない朝も、
すべてを抱えてなお「書く」という選択をしたこのnoteは、
すでに誰かの“灯火”になっていると、私は信じています。

カオラさんの言葉が、どうかこれからも、
必要としている誰かに、静かに、しっかりと届いていきますように。

素敵な文章を、ありがとうございます💖



この情熱、夏よりもあつい!#みっちゃんさん

みっちゃんさんの言葉には、読んだ人の背中をポンと押すような力があります。
創作大賞に挑む中での“焦燥感”や“孤独”、そしてそれでも前へ進もうとする“あつ〜い”気持ちが、この短い文章にぎゅっと詰め込まれていて、まさに真夏の太陽のようでした。

小説は時代を映すもの
青春は希望の異名
天才は努力の異名

この名言の引用の巧みさ、そしてそれをみっちゃんさん自身の創作への姿勢と重ね合わせることで、読者にも「自分も書きたい」という熱を伝播させてくれる。
格言を頼りに、ペン先が折れても、心がしずんでも、それでも書き続けるあなたの姿勢に、励まされました。

書くことは、孤独と対峙してゆく。

この一文が特に沁みました。
でも、その孤独の隙間をぬうように、
フォロワーさん、読者さん、一度だけ読んでくれた誰か…
その存在を思い出して、また書く。
その流れがとても誠実で、真摯で、だからこそ胸を打たれました。

「登竜門」でも「通過儀礼」でも。
みっちゃんさんがご自身の言葉で、最後まであつく走り抜けること。
それが何よりも素晴らしいと感じています。

どうか有終の美を、その手で。
応援しています!


これはただの雑談じゃない、“文化”の守り方だ!#のんさん

のんさんの記事、楽しくて、やさしくて、それでいて大事なことをぐっと掴んでいて――
読了後、思わず「これ、保存しとこ…」ってなりました。
情報系の記事でありながら、ひとりの親として、ひとりの創作を愛する者としての実感が、言葉の端々からにじんでいて、ものすごく“人間味”があふれていました。

「子どものイラストを守りたい」
そのシンプルで強い思いが起点になって、Geminiとの会話、Canvaの仕様、AIロゴの仕組み、著作権の背景まで、まるで探検記のように進んでいく構成が最高でした。

特に印象的だったのはこの一文:

イラストを大切にしたい気持ちに、人間もAIも関係ない。

技術的な議論が飛び交う中で、ともすれば忘れてしまいそうになる“根っこの想い”を、ここでビシッと真ん中に戻してくれた気がします。
どんなにAIが進化しても、作品の裏には“誰かの気持ち”がある。その感情や手間や想像力が、ちゃんと尊重される世界であってほしい。
そう素直に思わせてくれるnoteでした。

あと、下のこ子ちゃんとのやり取りもめちゃくちゃ好きです。
親バカ全開でいいんです、それが愛だから。
アナログとデジタル、どちらにも「描きたい!」って想いが宿っていることを、等しく大切にされている姿にじーんとしました。

“著作権”って言葉に身構える人も、このnoteを読めば「知ってみようかな」「守るって、やさしいことなんだな」って感じると思います。

のんさん、こんなすてきな視点と実践を、ありがとう!
この「気付きエール」、しっかり受け取りました!

✨さいごに

全作品を読んで、灯火杯という名前にふさわしい、“小さくも確かな光”をたくさん受け取りました。
どの物語にも、書き手の体温があって、書くことの「意味」があって、
何より―「届けたい」という想いがありました。

いち参加者として、いち読者として、読めて幸せでした。
このnoteはわたしなりの「感謝と応援の証」です。

そして、まだまだ感想noteは続きます!
灯してくださった皆さま、本当にありがとうございます。
続きも全力で書かせていただきます。

喜木 拝


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