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細野晴臣提供曲の7インチコレクション③(15枚)




松田聖子「天国のキッス」(1983)

83年4月27日リリース、13枚目のシングル

A面「天国のキッス」
B面「わがままな片想い」
作詞:松本隆/作編曲:細野晴臣

松本隆が聖子プロジェクトにおける最高傑作と謳う細野晴臣作曲によるシングル(とはいえ最高とは松本先生のその時の気分にもよるらしいけど)、確かに自分も83年の聖子最強説を唱えたい、勿論その前も良いのだが、デビュー4年目のこの年が最高潮と言わざるを得なく、ここで1つのピークを迎えたのは間違いないだろう、翌84年もオリコンシングル1位は続いていたが、売り上げは緩やかに下り坂、そして85年に結婚という流れ、引退はしなかったものの、色々な意味で一区切りとなる

82年以降シングルは財津和夫が1曲ユーミンが4曲、1位を続けないとならないプレッシャーの中、ここらで違う人に書いてもらわないともたないということで、前年12月に出たアルバムCandyに2曲提供した細野晴臣に白羽の矢が立った、ユーミンはオファー1発目のシングル「赤いスイートピー/制服」で見事に決めたが、細野晴臣の場合は、いきなりシングルではなく、まずアルバムで試されたのである、しかもアレンジはやらせてもらえず曲提供のみ、その前哨戦をふまえると編曲まで手掛けた「天国のキッス」が会心の一撃だったことがわかる

この曲で特徴的なのは松田聖子のシングルで初めてリンドラムが使われたことではないだろうか、それまでのシングルは全て生ドラムであったように思うのでアイドル歌謡というよりかはテクノ歌謡と言いたくなってしまう、この時期の細野サンYMO真鍋ちえみスターボー等の作り方に近い、特にB面はもう紛うことなきテクノ歌謡、ちなみに「わがままな片想い」はお蔵入りした小池玉緒「カナリア」松田聖子用に改良した曲である

しかし松本先生「天国のキッス」を最高傑作というのは少々意外で、大方の見解としては「赤いスイートピー」で決まりだと思うし、83年最強説の自分としてもそれに異論はない、やはり細野晴臣作曲ということではっぴいえんどコンビでやれたということで思い入れがあるのかもしれない、リヴェンジというか、はっぴいえんど解散から10年でここまできた感慨もありつつ、松田聖子も83年が最強だったということなのではなかろうか

オリコン83年5月9日付初登場2位(翌週1位)、この時「君に、胸キュン。」は前週2位から6位にダウンしており、「胸キュン」の1位を「天国のキッス」が阻んだというのは嘘である

追伸、「天国のキッス」細野サン自身が出演した日立のCM曲を改良したものです(日立のインターフェイスのCM曲「INTER FACE (CF 90 seconds Version)」(1982)、 ¥EN BOX Vol.1の「ボーナスディスク」に収録)



松田聖子「ガラスの林檎」(1983)

83年8月1日リリース、14枚目のシングル

A面「ガラスの林檎」
作詞:松本隆/作曲:細野晴臣/編曲:細野晴臣、大村雅朗
B面「SWEET MEMORIES」
作詞:松本隆/作編曲:大村雅朗

「天国のキッス」から連続で細野晴臣曲のシングル、再三83年の松田聖子最強説を唱えてきたが、デビュー4年目にして事務所もそう考えていたのか、レコード大賞を獲れるような大層な曲を、例えば明日に架ける橋みたいなという要請、千鳥ノブ風にいえば「大(おお)バラード」ということで、見事に「天国のキッス」と表裏一体の名曲が誕生、しかし改めて思うに松本細野両氏とも本気出し過ぎて、シンプルにいえば高尚過ぎて大衆に今ひとつ深く届かなかった感も否めない、結果レコード大賞は「矢切の渡し」になってしまったが、そもそも「矢切の渡し」は「君に、胸キュン。」の1位を阻んだ曲(よくある「天国のキッス」説は間違い、ここ重要)でもあり、もっというとそもそもはちあきなおみの曲、となかなかに厄介な存在、ついでにレコ大狙いで作った曲というと和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」(これも大バラード)があるが、その時の大賞はちあきなおみ「喝采」であった



中森明菜「禁区」(1983)

83年9月7日リリース

A面「禁区」
作詞:売野雅勇/作曲:細野晴臣/編曲:細野晴臣、萩田光雄
B面「雨のレクイエム」
作詞:芹沢類/作曲:玉置浩二/編曲:萩田光雄

6枚目のシングル、細野晴臣提供曲「ハイスクールララバイ」のミリオンヒットを皮切りに83年の松田聖子と中森明菜の2大トップアイドルの大ヒット曲でピークを迎える、それでてっきりこれを書くまで日本作曲大賞(というものが一時あった)を獲ったものと思っていたが(松田聖子と一緒にステージで演奏してる唯一の機会)、YouTubeで確認したら大賞ではなく優秀作曲者賞であった、とはいえ誰もやってなかった松田聖子中森明菜の曲を同時にヒットさせているインパクトは大で、同時期にYMO「君に、胸キュン。」のヒットもありつつ、テイチクの社長がすっかり魅了されてしまい、ALFAから細野晴臣の引き抜きを画策してしまう(これが¥ENレーベルの終わりの始まり)

「禁区」は最初に細野晴臣が作ったデモがボツにされ、それがYMO「過激な淑女」に流用されたことが有名だが、今そのデモを確認出来ないものの「過激な淑女」に至るまでにYMOの他の2人の手も加わっているので、ボツ曲のままでもないのだろう、そして完成した「禁区」中森明菜的には前シングル「トワイライト -夕暮れ便り-」では2位止まりだったオリコン1位を奪還し全く問題ないのだが、個人的にはあまり細野晴臣っぽくない仕上がりだと今では思うし(特にアレンジの違和感)、これ以降細野晴臣中森明菜へのシングル提供曲がなかったのも頷ける(それでもアルバム含めれば提供曲は計4曲)



小池玉緒「鏡の中の十月」(1983)

2019年9月30日に36年ぶりにリリースされた復刻盤

A面「鏡の中の十月」
作詞:売野雅勇/作編曲:YMO
B面「Automne Dans Un Miroir」
作詞:売野雅勇、訳詞:江部知子/作編曲:YMO

オリジナル盤は83年9月28日リリース、オリジナル盤はフランス語のタイトルにスペルミスがあったため、復刻盤は修正されている

2017年から7インチを集め出した時に真っ先に手に入れたかったのだが、もう既に高値になっており、復刻は有り難かった

小池玉緒はモデルとして82年のカネボウ春キャン浮気な、パレット・キャットにCM出演し、同年5月から始動した¥ENレーベルのラインナップに早々と加わっていたが、他のメンツと比べると音楽活動をまだしてない「芸能人」であり、何故ここに加わっていたかの経緯が謎

歌のデビューは同年11月リリースの細野サンが手掛けた三国志のB面ラヴテーマという名のヴォーカルヴァージョンであったが、その後太田螢一の人外大魔境に参加(3曲歌唱)を経て満を持してYMO3人の共作で「鏡の中の十月」をリリース、¥EN設立時から数えれば1年半後にようやく正式デビューでここから始まるかと思いきや、これで終了となってしまった

13年後の96年にリリースされた¥EN BOX VOL.2にお蔵入りの4曲が収録されてアルバムの計画があったことが判明、これらは「鏡の中の十月」より前に録音されていた可能性が大、例えば細野サンが書いた曲(「カナリヤ」わがままな片想い)を松田聖子に提供した方がいいと小池玉緒が言ったというエピソード等から鑑みれば、お仕着せのアイドル路線に反発してたのではないかと、それを踏まえつつ中西俊夫がプロデュースした曲もあり、試行錯誤で方向性が定まらないプロジェクトを結局YMOの3人がプロデュースして終わらせたのかなとも思えてくる(もしチャートアクションがあれば続いたのかもしれないが)、そんなわざわざ3人が集まって作った曲を以心電信(同じ発売日)と一緒に何故買わなかったのか、当時の自分に問い質したい

2019年のシングル再発に続いて、2023年には¥EN小池玉緒が関わった全ての曲が収録されたTAMAO - Complete Yen Yearsがリリース、あとはサブスク解禁される日がくるのかどうなのか...



タンゴヨーロッパ「ダンスホールで待ちわびて」(1983)

83年9月28日リリース、以心電信」「鏡の中の十月と同日発売

A面「ダンスホールで待ちわびて」
作詞:森雪之丞/作曲:細野晴臣/編曲:戸田誠司、有賀恒夫
B面「BAND GIRL」
作詞:斉藤美和子/作曲:是沢淳子/編曲:戸田誠司、有賀恒夫

アルファからシングル2枚とアルバム1枚をリリースし(全て未CD化)、最後の頼みの綱で細野サンに曲をお願い、アレンジはまだノンスタからリリースする前のSHI-SHONEN戸田誠司(既に細野サンと交流があったかの経緯は不明)、シングル3枚とも作詞が森雪之丞(プロデューサー的な役割?)だが、実際問題タンゴヨーロッパとの相性はどうだったのか気になるところ、兎に角コレも不発でキングに移籍することになる

リアルタイムでは全く知らなかった、細野サンが曲を提供してなければ、アルファじゃなかったら気にとめなかったかもしれない早過ぎたガールズバンド(B面の曲名は「バンドガール」)、女優というと差別だから俳優と言わなければならない昨今、この当時はなおさら、そして40年以上経っても女性だけのバンドは少ない、アイドルは地下を含めて飽和状態だが、バンドはまだまだ可能性があるんじゃないかと無責任発言

「ダンスホールで待ちわびて」のみイエローマジック歌謡曲に収録されたが、いずれにしろ他の曲もCD化なりサブスク解禁なりを求ム

最後の写真☞中古で買ったらジャケが2枚入ってました、これは誰かが意図的にやるイタズラとは思えないので、プレスミスで最初から入ってたのではなかろうか? このイラスト誰が描いたか気になりますね



藤真利子「アブラカダブラ〜天使と魔法」(1983)

83年10月21日リリース

A面「アブラカダブラ~天使と魔法」
作詞:微美杏里/作曲:細野晴臣/編曲:白井良明
B面「うわきなパラダイス急行」
日本語詩:微美杏里/作曲:Serge Gainsbourg/編曲:白井良明

7枚目のシングルは4枚目のアルバムアブラカダブラより5ヶ月経ってからのシングルカット(何故か店頭用ポップも封入されてました

A面「アブラカタブラ」はジャケと歌詞にスパークリングワインが出てくるし、曲調的にもCMソングっぽいが詳細不明、クレジットがないのだが、デュエット相手は松尾清憲と思われます

B面のカヴァーもCMに合いそう、そのB面「うわきなパラダイス急行」フランスギャルが歌ったセルジュゲンズブールの曲、原題は「Laisse tomber les filles」、当時の邦題は「娘たちにかまわないで」、これに藤真利子自身が日本語詩を新たにつけた

藤真利子作品はファーストアルバム『シナリオ』以外はサブスク未解禁



高橋美枝「ピンクの鞄(トランク)」(1983)

83年11月21日リリース

A面「ひとりぼっちは嫌い」
作詞:松本隆/作曲:松尾一彦/編曲:川村栄二
B面「ピンクの鞄(トランク)」
作詞:松本隆/作曲:細野晴臣/編曲:大村雅朗

両A面(=ジャケの曲タイトルが同じ大きさ)、その訳を調べたところ、B面の細野曲がCMソングに決まり、本人も出演して華々しくデビュー、しかしCMが放送されて間も無く商品に問題があったようで販売中止になり、CMもお蔵入り(中山圭子パターンの逆襲)、というような事情だからといわれてもイマイチ納得出来ないのだが、風をあつめて」コンビ(松本/細野)の曲はB面ということで、本来ならB面推しなとこですが、CMソングではないA面の曲も良過ぎました

高橋美枝はシングル5枚リリースするも、オリコン順位はほぼほぼ3桁で全くヒットせずアルバムを1枚も出せない若松宗雄ディレクションによるポスト松田聖子は失敗に終わったようで、このリベンジは松本典子に続きます



安田成美「風の谷のナウシカ」(1984)

84年1月25日リリースのデビュー曲、オリコン10位

A面「風の谷のナウシカ」
作詞:松本隆/作曲:細野晴臣/編曲:萩田光雄
B面「風の妖精」
作詞:松本隆/作曲:細野晴臣/編曲:白井良明

映画の主題歌になるはずが、ボツにされ、作品の中では流れない、言い訳がましいシンボルテーマソングという扱い(これ以前にこのような扱いを受けた曲があったのかわからないが、これ以降作品中には流れないイメージソングなるものが定着した)となった苦肉の名曲、細野サンはいまだに使われなかった理由を聞いていないとのこと、色々な説はあるにしても、宮崎駿(監督)と高畑勲(プロデューサー)が気に入らなかったから、としかいいようがないだろう、宮崎駿高畑勲のどちらかが気に入れば使われていた可能性もあるが、おそらく2人共気に入らず、事情はどうあれ人格的に妥協せず、頑なに拒否したことは想像に難くない、ただこの時点ではジブリというブランドもなく、映画がヒットするかどうかもわからない、当時の宮崎駿の一般的な知名度を考えれば、力関係的に徳間から最後にこれを流せと条件つけられてもおかしくはないが(いわゆる大人の事情)、映画は監督のものである、という大義名分が尊重された結果となった

その宮崎駿高畑勲が喰いつかない、松本隆細野晴臣はっぴいえんどコンビ(またの名を「風をあつめて」コンビ)が何故起用されたかの理由は簡単で、ナウシカの音楽制作を徳間書店の系列会社・徳間ジャパンがを担当しており、そこのプロデューサー・三浦光紀が、はっぴいえんど『風街ろまん』(そしてラストアルバム『HAPPYEND』、さらに『HOSONO HOUSE』も)を手掛けた人物なので、まさに「風の谷」の「風」であるならば、徳間サイドから考えて、映画音楽を細野晴臣YMOを散開したばかりの)が手掛け、松本隆と主題歌を作って(松田聖子のような)ヒットを狙うのが話題性からいっても当然の流れなのだが、これを宮崎高畑コンビに御破算にされる、徳間書店>徳間ジャパンということも関係してるのかもしれない



藤真利子「危険な眠り」(1984)

84年3月21日リリース

A面「危険な眠り」
作詞:松本隆/作曲:細野晴臣/編曲:白井良明
B面「哀しきマリオネット」
作詞:微美杏里/作曲:鈴木慶一/編曲:白井良明

83年アルバムアブラカダブラと84年アルバムガラスの植物園の間に出たシングル、ガラスの植物園からのシングルカットがないようなので、シングルとしてはこれがラストらしい

前シングル「アブラカダブラ〜天使と魔法」に続くホチョノ歌謡(引き続きアレンジも白井良明)、詞は藤真利子本人ではなく松本隆に託したシングルのみの「風をあつめて」コンビのヒット狙い、ゆえにジャケを今までのシングルに比べてクセをなくそうとしたのか、意図的にフツーな感じを出そうとしたのか、結果は逆にそこが曲名とも合わずチグハグな感じが残念

B面はアルバムアブラカダブラ収録曲、A面は後のCD化のボーナストラックとなる



サンディー & ザ・サンセッツ「スティッキーミュージック」(1984)

84年4月25日リリース

A面「スティッキーミュージック」
作詞:クリスモズデル/作編曲:細野晴臣
B面「THE MIRRORS OF EYES」
作詞:サンディー/作編曲:久保田麻琴

このシングルまでの大雑把な流れとして、久保田麻琴と夕焼け楽団サンディーソロイーティンプレジャーサンセッツ『ヒートスケールサンディー&ザ・サンセッツ『イミグランツを経て「スティッキーミュージック」、そのオーストラリアでのヒットを受けてのベスト盤VIVA LAVA LIVA 祝再生

当時存在は知ってたものの、改めて認識したのはこの曲でした、84年4月に始まったばかりのポッパーズMTVにて早々とPVオンエアピーターバラカンヨロシタつながりでエキストラ出演(ただし作詞はピーターではなくクリスモズデル)、プロデューサー/作曲者の細野晴臣も紙芝居のオジサン役で出演といった楽しいビデオでした

最近USUKのチャートに関してはアーカイヴされており、遡って検索出来るのだが(オリコンチャートも早く公開してほしい)、オーストラリアのチャートは流石に見つけられず、実際何位だったのか正確な情報をわからないものの、Wikipediaの英語版では11位となっている(日本語Wikiより英語Wikiの方が情報が充実している、と思ったらJAPANのラストツアーの前座をやった関係からJAPANのファンページに載ってる情報をコピペしたっぽい)



アポジー & ペリジー「月世界旅行」(1984)

84年7月10日リリース、アルバム超時空コロダスタン旅行記より先行シングル

A面「月世界旅行」
B面「真空キッス」
作詞:松本隆/作編曲:細野晴臣

マイルドニッカっていうウイスキーのCMソングだったわけですが、ニッカが作ったアポジー&ペリジーっていうキャラのための企画アルバムで、企業の販促物のようなものかと(ジャケにニッカのマークは入ってないが)、そもそもウイスキーということも忘れてましたが、このロボと宇宙空間とウイスキーっていう、ある種80年代的ミスマッチ、今考えても全くしっくりこないし、若者にウイスキーを飲ませたかったのか(既にこの頃若者のウイスキー離れがあったのか、今はなおさらでしょうが)、効果があったんだかなかったんだか、確かウイスキー買って応募券を送るとアポジーペリジーが当たる的なことはあったかも

このシリーズ、前83年はユーミンがCMソングをやってるのもありつつ、ユーミン¥ENレーベルのギャップっていうのも脈絡がないといえばない、代理店が狙ってる線がイマイチわかりません

このシングル、ジャケ裏にも盤面にも作詞作曲のクレジットがありません(実は作詞松本隆/作曲細野晴臣天国のキッスの1年後は「真空キッス」でした)、そして歌もアポジー&ペリジーのクレジットしかない、あくまでキャラ設定ですが、聴けばペリジー=戸川純ということが声でわかります、これは間違いない、問題は男性パートのアポジーですが、長年三宅裕司 ということになってますが本当でしょうか?(wikiによればCMでの声は下條アトムが担当) 、「月世界旅行」に関しては男声はサビしか歌ってなく、殆どフィーチャーされてない感じで、どうも声が違う気がするんですよねーと、「真空キッス」こちらは通しで歌っているものの、アポジーだけエフェクト処理されてて、イマイチわかりにくいのですが、「月世界旅行」より三宅裕司っぽいと思いますが違うような気がします、SET¥ENからアルバム出したばかりで可能性としてはアリなのですが、当時作られた「月世界旅行」のPVも2人が出てるわけじゃなし、三宅裕司の「あれは私でした」的な発言も自分は聞いたことがないので、つい疑ってしまうのですが、どうでしょうか? 自分は三宅裕司ではなくテストパターンの人じゃないかと思ってます(超時空コロダスタン旅行記には名曲「HOPE」で参加)




松田聖子「ピンクのモーツァルト」(1984)

84年8月1日リリース、前作同様カネボウCMソング

A面「ピンクのモーツァルト」
B面「硝子のプリズム」
作詞:松本隆/作曲:細野晴臣/編曲:細野晴臣、松任谷正隆

細野晴臣作曲「ガラスの林檎」から間が空いていない印象だったのだが、実際は1年後でした

何度も触れてるので簡単にいうと83年がピークで84年から中森明菜チェッカーズに押されて、オリコン1位は獲り続けているものの徐々に下り坂、あくまで松田聖子基準でナンバーワンの維持が難しくなってきたというレベルの話だが、従来より風向きが変わってきたのは否めない

青い珊瑚礁/白いパラソル/赤いスイートピー/小麦色のマーメイド/黄色いカーディガン等々「色」シリーズが続いたが、ピンクでモーツァルトとはこれ如何に、前作「時間の国のアリス」では本来ユーミン+松任谷正隆であるところを大村雅朗に変えていたが、今作は細野晴臣+大村雅朗ではなく細野晴臣+松任谷正隆、ある意味ティンパンに戻ったともいえるが、若松P的にはマンネリを防ぐ意味合いだったかもしれない、細野晴臣+誰かの共同アレンジの時には細野晴臣がリズムアレンジ(リンドラム+シンセベースなど)、ストリングスその他上モノを大村雅朗松任谷正隆中森明菜の場合は萩田光雄が手掛けるパターン

B面「硝子のプリズム」「天国のキッス」のB面曲「わがままな片想い」の姉妹?的なナンバー、ついでに色シリーズもやけっぱちで?完結すべく虹色で全部のせ、そして「ガラスの林檎」の「ガラス」とは違うことを強調するための「硝子」、残念ながら松田聖子細野晴臣提供曲(全8曲)もここまでとなってしまった



安田成美「銀色のハーモニカ」(1984)

84年10月25日リリース

A面「銀色のハーモニカ」
作詞:松本隆/作曲:細野晴臣/編曲:細野晴臣、萩田光雄
B面「悪戯な小鳥」
作詞:松本隆/作曲:大村雅朗/編曲:萩田光雄

両面共に隠れた名曲、「銀色のハーモニカ」「風の谷のナウシカ」が不完全燃焼となりつつ、シングル2枚挟んで再び細野晴臣が手掛けた同時期の安野とも子でも試みているマーティンデニー風ジャングルサウンドを取り入れたナンバー、B面「悪戯な小鳥」大村雅朗が手掛ける少なくとも制作サイドは誰も歌をヘタだとは思っていない隠れた名曲、だから惜しみなくこんなメロディをぶつける的な唯一無二の個性(主に浮遊感)を最大限に生かしたナンバー、1985年5月3日に九段会館で行われた希少なコンサートのラストソング

安田成美作品はアルバムのみサブスク解禁、この2曲はアルバム未収録シングルのため未解禁、しかし2024年に細野晴臣プロデュースによるニューヴァージョン「風の谷のナウシカ」「銀色のハーモニカ」がリリースされた



安野とも子「Flower Bird Wind Moon」(1984)

7インチ用にエディットされているのも貴重(ゆえに未CD化音源)

A面「Flower Bird Wind Moon 」(12インチより2分40秒ほど短い)
B面「Sur La Terra」(12インチより3分ほど短い)
全作詞:秋山道男/作編曲:細野晴臣

84年11月21日リリースの12インチシングル「FLOWE BIRD WIND MOON」プロモオンリー7インチ、7インチシングルのプロモ盤(=商品盤の見本盤)は当たり前のように存在するが、12インチシングルのプロモ用7インチやアルバムのシングルカットではないアルバムプロモ用7インチは7インチを集めている人間にとっては堪らない醍醐味、しかもどの作品もプレスされるわけではなく、そもそも存在するかどうかもわからない、プロモ盤オンリーゆえディスコグラフィには載らず、プロモ盤ゆえ配布されたメディア先で廃棄される可能性も大ということで、自慢ではないのですが、単に人気があって皆が欲しくて高いレコードという盤の他にこのような盤の価値がコレクションしてない人にも伝われば幸いです

安野とも子作品はサブスク未解禁



安野ともこ「Mystéieux」(1985)

85年4月5日リリース

A面「ミステリユ」
作詞:秋山道男/作編曲:細野晴臣
B面「エンゼル来たる」
作詞:秋山道男/作曲:飯島美織/編曲:細野晴臣

当時はてっきり12インチ1枚で終わってたのかと思いきや、その後テクノ歌謡というコンピで危険な女たち映画主題歌シングルがあったことを知りました、このクオリティでアルバムまで作られていたら伝説となっていたような

そしてそして34年の時を経て、2019年1月に行われた安野ともこのコスチューム展にて「エンゼル来たる」をどうやら歌われたという驚き、そして香港で行われたアジアンフィルムアワードで細野さんと当時以来の再会を果たされたようで(現在もスタイリスト等で御活躍中の安野ともこのInstagramからの情報)




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