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星は風にそよぐ(第1回)

あらすじ
 精霊と人々が強い絆を持つ国、ロータシア。ロータシアの人々はみな、ロータスという宗教を信仰している。ロータスの教えはただ2つ。いつも精霊の存在を意識していること、そして、生まれたときに与えられる本「レディ」に書かれている通りの人生を送ること。
 リリーアイランドの深い森に住む精霊術師のもとで精霊術を2年間勉強したセシルは、さらなる修行のため、船に乗り、島を出る。先生の古い友人が校長を勤める学校で手伝いをしながら、セシルは多くの人たちとふれあい、語り、いろんなものに出逢い、見て、感じて、おいしいものを食べて。かけがえのない経験をへて、セシルはある決心をする。


5月2日
 見送ってくれる人はなかったので、私はすぐに自分の船室に降りていきました。すべての港に寄港して、リリーアイランドからベリーヒルズまで4日間の船旅です。船室はとても小さくて、窓をはさんで棚のようなベッドが2つと、窓の前に小さなテーブルがついているだけです。イスはありません。テーブルを使う時には、ベッドの端に座ります。今、私はそうやってベッドの端に座り、窓際の小さなテーブルでこの日記を書いています。
 さっき、船が港を離れました。ちょうど夕焼けのころで、海面も、船の窓ガラスも、燃えるように赤く輝いていました。
 先生が「毎日書くように」とくれたこの日記帳に書いたことは、すぐにみんな、先生に伝わるということです。
 どうせ伝わるのなら、日記ではなくてお手紙でもいいですか? お手紙の方が書きやすいから。先生に伝えたいことを、毎日ここに書きます。どうか、楽しみにしていてくださいね。

5月3日朝

 昨夜は真夜中に目が覚めました。向かいのベッドには、若い女の人が寝ていました。私の眠っている間に、同室の女性が食堂から戻ってきたようです。昨夜、ダイニングへ向かう廊下で振り返るとその人が私の部屋に入るのが見えたので、私は食事をしながら、遅れてダイニングに入ってきたその人を観察していました。ワインを何杯も注文して、ひとり、ゆっくりと食事を楽しんでいるようでした。私が目を覚ましたとき、船室はぶどうの甘い香りがしていました。

 窓の方に目を向けると、窓の真ん中に大きな大きな星が輝いていました。あんなに大きな星を見たのは、生まれて初めてです。正確に言うと、絵本の中では見たことがあったのです。それは、救い主がお生まれになったことを知らせる星でした。その星に導かれて、羊飼いや3人の賢者たちが、生まれたばかりの救い主を訪ねてきたのです。
 先生、夜中に見たあの星は、私に何を知らせているのでしょう。どこへ導いてくれるのでしょう。

5月3日夜

 同室の女性はクリスティーナ。クリスもベリーヒルズで船を降りるので、私たちは4日間一緒に過ごすことになります。「せっかく同室になったんだもの。仲良しになりましょうよ」と言ってクリスが誘ってくれたので、私たちはダイニングへ行って、朝食をとりながらお互いについていろいろ話をしました。

 ところで先生、朝食が何だったか、知りたいですか? とっても豪華だったんですよ。オープンサンドとポタージュですが、オープンサンドに載せる具を自分で選べるんです。しかも、好きなだけ載せていいんですよ。サーモン、ローストビーフ、ハム、スライスした玉ねぎ、レタス、トマト、アボカド、ピクルス、クリームチーズ…。私は、ライ麦のパンにサーモン、トマト、アボカド、クリームチーズをたっぷり載せました。ただ、欲張りすぎて山盛りにすると、食べるときボロボロこぼれて大変なので、注意が必要です。

 クリスは栗色の髪とやさしい目をした綺麗な人です。私はこの国に来て2年。この国の人のやさしい目の奥には、やさしい心しか隠されていないことを知っています。私の国では違いました。やさしい顔をした人が、やさしい心だけではなくて、びっくりするような意地悪な心も持っていたりします。普段見えているのはやさしい顔で、意地悪な心は隠されている。そしてあるとき意地悪な心は、その人の言葉や行為となって顔を出します。私だって、例外ではありません。先生、私はそれが怖かったのです。 

 クリスの話に戻ります。クリスは26歳。リリー・アイランドニュースの新聞記者です。リリー・アイランドニュースは先生も読んでいましたね。先生は、クリスの書いた記事をクリスが書いたとは知らずに、きっとたくさん読んだんでしょうね。なんだか不思議ですね。誰かと出会う前と後とでは、世界のどこかがすっかり変わってしまうんですものね。
 クリスは自分の本を書くために、休暇をとってベリーヒルズでしばらく取材をするそうです。ベリーヒルズにもう知り合いができたと思うと、とても心強いです。私もこれからベリーヒルズで暮らすのだと話したら、クリスも喜んでくれました。
 私は、自分が2年前にこの国に来て、先生のところで精霊術の勉強をしたこと、これから先生のお友だちが校長先生をしている学校で精霊術クラスのお手伝いをしながら勉強を続けることを話しました。
「精霊術、私も勉強してみたかったな」
とクリスは言いました。
「どんな勉強から始めるの?」
と訊かれたので、私は、先生と暮らしたシャインウッドの森で、ただただ耳を澄まし続けた3週間のことを話しました。森の中で自分が一番力を感じる場所を選び、寝食以外の時間をそこに座って、深く呼吸しながら耳を澄ませて3週間を過ごしましたね。私はいろんな音を聞きました。森は静寂ではありませんでした。天候によっても時間によっても音は変わりました。そして、聞こえてくる音は、日に日に増えていきました。存在する音が増えたのではありませんよね。私に聞こえる音が増えたのですよね。その後、自分の場所に座るレッスンは日に1時間になり、精霊に捧げる歌や舞踊を習いました。
 私が驚いたのは、精霊術には「基本」しかない、ということでした。そもそも、その基本すらあまり重要視されていません。最初に歌を習うとき、先生はこう言いました。
「これはひとつの例です。アレンジは自由だし、斬新なものも精霊たちに喜ばれます」
 大切なのは、どれだけ深く精霊と繋がれるかであって、こうすると繋がりやすいですよという型はあっても、すべて術を行う人の感覚に任されている。
 正直言って、私はそのことに心もとなさを感じました。日々、ワークを続けても、これでいいのか、前に進んでいるのか、わかりませんでした。今は、精霊との繋がりを実感できることが増えましたが、依然としてどうすれば繋がりが深まるのかは手探り状態です。先生と自分を信じて、鍛錬を続けるしかありません。

 と、こうクリスにも説明しましたよ。話の途中、クリスが「精霊術、いいなあ」を何度も繰り返すので、
「どうして勉強しなかったの?」
と私が尋ねると、クリスは言いました。
「私はジャーナリズムを勉強することに決まっていたからね」

 私は「レディ」のことを忘れていました。精霊術の背景としてあるロータスという宗教については先生から教わっていましたから、もちろんレディの存在は知っていました。でも、先生とふたりで森の中に暮らしていて、レディはロータスの人々の暮らしそのものなのだと実感する機会がほとんどなかったのです。
 これからの生活では、レディのことをちゃんと意識していないといけませんね。この国のほとんどの人がロータスなのですから。精霊術もロータスから派生したものですからね。
 生まれてから死ぬまでの自分の物語が書かれている本「レディ」。自分がどんな最期を迎えるかまで書いてある。なんて恐ろしい本でしょう。
 ロータスの教えはシンプル。いかなるときも動物、植物、鉱物、火、水、風、土など自然界のあらゆる存在を意識していること。そして「レディ」に従うこと。この2つ。精霊術と同じく、本当にシンプルです。基本しかない。
 ロータスの人々は、生まれたときに白紙の赤い表紙の本を授かる。そして、3歳の誕生日に儀式を終えると、白紙だった本に文字が浮かび上がる。この宗教は、そうやって世襲のようにして民族で守られてきた。でしたね?

「自分がいつ死ぬか、どんな風に死ぬかわかっているなんて、怖くないの?」
と私が訊くと、クリスはこう言いました。
「不治の病にかかったとき、お医者さんから余命宣告を受けるでしょう? その余命宣告を、ロータスは最初からされている。ただそういうこと。外国の人たちが余命宣告を受け入れるような気持ちで、みんな自分の余命を受け入れるの。期限を知っているから、命を無駄にすり減らしたりしない。『死ぬまでにしたい10のこと』っていう映画があったでしょう? 期限を知らない人は、したいことを必死で実現しようとはしない」
私はこう訊きました。
「したいこと、って言ったって、全部決まっているんでしょう? 自由に夢も持てないなんて、つまらなくはないの?」
すると、クリスはこう言いました。
「私たちは、書いてある通りに生きることで、必ず自分の使命を果たすことができる。だから迷わないし、心安らかでいられる。使命を果たすことより大切なことがある? 自分の使命も、何をしたらいいかもわからないんじゃ、不安でしょうがないじゃない? レディはガイドなの」
 私はそれを聞いて、何も言えなくなってしまいました。この国の人のやさしい目の後ろにはやさしい心しかない理由が、わかったような気がします。打算とか駆け引きとかもくろみとか、そういうものは、ロータスの人にはまったく意味がない。みんな、ただまっすぐに生きている。すべては書かれているのだから。

 クリスは「それに、全然つまらなくないんだよ」と言います。
 レディには運命を決定づけるような出来事はすべて書かれているけれど、朝何時に起きるかとか、オープンサンドに何を載せるかとか、細かいことは書かれていないから、そういう日々の小さな選択を楽しむんですって。
 そうですね。何かを成し遂げることだけが生きることの醍醐味ではありませんよね。日々の小さな味わいだって、生きることの醍醐味です。
「私たちがどんな選択をしても、運命は変わらない。たぶん、私たち自身が選んだ、と思い込んでいるオープンサンドの具みたいな小さな選択も、レディの行間に書かれているんだね」
と言ってクリスは笑いました。
 読書と似ているのかな、と私は思いました。読んでいる人は、どんなに頑張っても、本に書かれていることを変えることはできません。喜びも悲しみもすべて受け入れて味わうことが、読書の醍醐味ですもんね。

 船のダイニングって素敵です。窓がひとつしかない船室とは違って、四方がぜんぶガラス張りになっているから、ダイニングルームは時間によって空の色になるんです。日の出や日の入りには茜色に、昼間は晴れていればスカイブルーに、夜には群青色になるんですよ。そして、どの色も、とってもあったかいんです。

5月4日
 昨晩も真夜中に目が覚めてしまいました。あの大きな星が、やっぱり窓の真ん中に輝いていました。船はずっと同じ方向に進んでいるんでしょうね。私はあの星ともう友だちになったような気がしています。

 今日は5月そのもののさっぱりと晴れた気持ちのよいお天気でしたので、デッキに出て精霊術の鍛錬をしました。
 私はまず、自分が身につけた数少ない精霊術の中から、風に乗せてメッセージを届ける練習をしました。風と心をひとつに、そして歌うようにやさしく、言葉を風に乗せる。ですよね? 先生はいつも、私の歌をほめてくれましたね。

 誰だって外に出たくなるようなお天気だったので、デッキには人がたくさんいました。クリスもデッキチェアに陣取って、喧騒の中、何か夢中で書いていました。はじめは、クリスにメッセージを送ろうと思ったのですが、一心不乱に書いているので、邪魔をしては申し訳ないような気がしました。
 ですから、お母さんと弟と、デッキチェアを並べて本を読んでいる女の子に向かって「何の本、読んでるの?」とメッセージを送ってみたんです。すると、女の子はびくっとして本から顔を上げると、こちらを見つめてきました。私の仕業だとすぐにわかったようでした。
 女の子は、好奇心に目を輝かせながら、こちらへ走ってきました。水色のストライプのワンピースを着たマリーというその子は、海風に飛ばされないように麦わら帽子をあごの下でリボンでむすんでいました。
「ねえ、それ魔法? どうやるの?」
マリーにこう聞かれたので、私は、これは魔法ではなく精霊術と言って自然の力を借りる技術なのだということ、魔法は魔法使いの血筋でなければ使えないけれど精霊術は練習すれば使えるようになることを、しっかり説明しました。
「さっきのは、風にお願いして運んでもらったんだよ」
マリーは私にたずねました。
「それ、遠くまで届くの? おばあちゃんのところまで届く?」

 マリーのお父さんは、リリーアイランドで小さなワイナリーを営んでいたそうです。でも、2年前の嵐で川が氾濫したとき、ぶどう畑に大きな被害を受けて、ワイナリーを閉めることになってしまいました。それで今、マリーのお父さんはグレイスというところの大きなワイナリーで職人さんとして働いていて、家族で暮らせる準備が整ったので、マリーはお母さんと弟と、お父さんの住むグレイスに向かっているところなんです。でも、マリーのおばあさんはリリーアイランドを離れることができなくて、ひとりで島に残ったそうです。おばあさんの家は、シャインウッドの森からそんなに遠くないところみたいですよ。
「最初は自分の一部がなくなったみたいにつらいだろうけれど、人間は慣れるものだからね、大丈夫」
おばあさんはこう言って笑ったけれど、マリーはとても苦しいって言うんです。自分は家族と一緒なのにこんなに苦しいなら、ひとりになったおばあさんはどんなにつらいだろうって。まだ別れて2日で全然慣れてないから、きっと苦しくて泣いてるはずだって。だから、さみしがってるおばあさんに自分の声を届けたい、っていうんです。
「私がずっとおばあちゃんの心を支える、って書いてあるんだもの」
マリーはこう言いました。
 マリーがおばあさんに届けたかった伝言はこうでした。
「おばあちゃんと握り合った手のあの手触りも、おばあちゃんの声も、忘れない。グレイスに着いたらすぐに手紙を書くよ。いつも想っているからね」
 短くてシンプルだけど温かいメッセージ。届いたら、おばあさんは喜んでくれるでしょう。これは、私が初めて依頼を受けて行った精霊術です。必ずマリーのおばあさんに届くように、祈りを込めて風に声を乗せました。
 それにしても、海の風は元気です。


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