第5章― 三角青輝は「善く戦う者」か ―『日本三國』を孫子で検証― 詭道と味方への情報統制――誰に、何を、どこまで知らせるのか
第5章― 詭道と味方への情報統制――誰に、何を、どこまで知らせるのか
「兵は詭道なり」
も、『孫子』の中でもっとも有名な言葉の一つです
戦争とは、敵の認識を誤らせる行為である。
できるのに、できないように見せる。
近くにいるのに、遠くにいるように見せる。
利益を示して誘い出し、混乱させて撃ち、備えのないところを攻める。
詭道の目的は、嘘をつくこと自体ではありません。敵に誤った状況判断をさせ、自分に有利な行動を選択するよう仕向けることです。
しかし、敵を欺くための作戦を味方全員に知らせたら、どうなるでしょう。味方が多ければ、それだけ秘密を知る人間も多くなります。
誰かが捕らえられるかもしれない。寝返るかもしれない。悪意はなくても口を滑らせるかもしれない――。
敵を欺くためには、敵だけでなく、味方の中でも誰に何を知らせるかまで考えなければならないのです。
ここで、第3章でも扱った用間篇の再登場です。
用間篇に登場する五間のうち、「因間」は敵国の住民を利用し、「内間」は敵国の役人を利用します。
こちらから見た敵国の住民や役人とは、敵国から見れば自国の住民、役人です。味方だと思っている人物が、そのまま情報の流出経路になります。
こうして双方が相手国の住民や役人を利用しているのですから、情報の流れという点では、敵と味方の境界線は不確かなものとして扱わざるを得ません。
さらに用間篇の「死間」では、味方の間者に偽りの内容を握らせ、それを敵へ伝えさせることまで行います。敵を欺くために必要であれば、味方をニセ情報の運び手として利用することさえあるのです。
味方への情報共有は絞った方がいいのか
こうなってくると、自軍に対する情報共有はどうするべきでしょうか。
九地篇には、次のような言葉があります。
「能く士卒の耳目を愚にして、之をして知ること無からしむ。其の事を易え、其の謀を革め、人をして識ること無からしむ。其の居を易え、其の途を迂にし、人をして慮ること得ざらしむ。」
兵卒の耳目をくらまし、作戦の変更を悟らせず、宿営地や進路を変え、先のことを予測できないようにする。
さらに九地篇は、
「之を犯うるに事を以てし、告ぐるに言を以てすること勿かれ。」
とも説きます。
一般兵卒には、これから何をするのかを詳しい言葉で説明するのではなく、具体的な任務として与えよ、ということです。
九地篇(四)では、兵を逃げ場のない場所へ置けば、死を恐れず力を尽くして戦うとも説いています。
これは単なる情報の秘匿にとどまらず、指揮官が兵卒の選択肢をなくすことで、戦わざるを得ないような状況に追い込めと言っています。
つまり孫子は、味方だからすべてを説明し、納得を得てから動かすべきだとは考えていません。
兵卒が作戦の全体像を知らなくても、軍を動かすことはできる。
むしろ、全体像を知らせない方が、作戦の秘匿にも、兵の心理を統御するうえでも有利な場合がある――。
現代の感覚から見れば、人をなんだと思ってやがるんだ、と言いたくなるところですが、かといって戦場で作戦の説明会を開き、兵卒一人一人から納得と同意を得ていたら、説明が終わるころには戦闘も終わっているでしょう。しかもたぶん負けています。だから、少なくとも孫子が想定する戦場では、軍を勝たせる手段としては、きっと正しいのです。
共有すべき情報とは
だからといって、「味方には何も知らせなくてよい」というわけにもいきません。それでは軍隊を統制して動かすことができません。
必要なのは、情報の種類ごとに、共有する相手と範囲を変えることです。少なくとも、次の三つを区別する必要があるかと思います。
第一に、各人が何をすべきかという命令です。
各隊、各人が当面何を遂行すべきなのかという指示がなければ現場は動けません。命令が曖昧であれば、各部隊が勝手に動き、味方同士で作戦を壊すことになります。
第二に、その命令が作戦全体の中でどのような意味を持つのか、という情報です。
すべての兵卒が作戦の全体像や他部隊の動きまで知る必要はありませんが、現場指揮官レベルがこれを理解していないと、極端な話、「どうせ大した役目じゃないだろ」とテキトーにやる者が出てくるかもしれません。
第三に、なぜ戦うのかという目的です。
孫子は計篇で「道」を、民衆が君主と志を同じくし、生死をともにしても疑わない状態が戦争を遂行する上で必要だと説きます。
また、謀攻篇では「上下、欲を同じくする者は勝つ(上下同欲)」(国家や軍隊の中で、上下の意思統一ができている軍隊が勝つ)と説きます。
「道」や「上下同欲」と、味方への情報統制は一見矛盾しているように思えます。しかしこの二者は対立関係にあるわけではありません。
「道」「上下同欲」は、組織が何のために戦い、なぜ指揮官に従うのかという基盤です。
「詭道」は、その組織が敵に勝つために使う手段です。この手段が敵に漏れてしまっては「詭道」になりません。
したがって、誰に、何を、どの時点で、どこまで知らせるかという情報の配分は、作戦全体を司る指揮官と、それに従って行動する現場という、役割の違いによって変えるのが全体にとって合理的ということです。
情報の配分という考え方
そして、この情報の配分には方向があります。
作戦情報は、上から下へ向かうほど、任務に必要な範囲に限定されます。
一方、現場の事実は、下から上へ向かうほど、歪められることなく集約されなければなりません。
敵がどこにいるのか。兵はどれほど疲弊しているのか。補給は続くのか。命令どおりに部隊が動いているのか――。
指揮官がこうした事実を知らなければ、作戦そのものを立案したり修正することができません。
指揮官は作戦の全体を知り、部隊の指揮官は担当する作戦と周辺部隊の動きを知り、兵卒は、自分がいま何をすべきかを知る――。
全員が同じ情報を持つ必要はありません。
情報の配分は上下で非対称になります。それが、勝つためには合理的だからです。
情報の目詰まりが起こるとどうなるか
しかし、もしこの「現場の真実は、上へ向かうほど集約する」が機能しなくなった場合にはどうなるでしょうか。
ここで、平殿器の問題が見えてきます。
平殿器は、情報を支配することの力をよく知っています。
藤三世を名目上の君主として置きながら、実際の意思決定は自らが握る。朝議で自分に向けられた批判を、発言者ごと排除する。自分に反対する者を罰することで、何を言ってよいのか、何を言ってはならないのかを理解させる――。
こうした組織では、平殿器が命令を出せば、全員が同じ方向へ動いているように見えます。しかし、それは「上下同欲」とは限りません。同じ目的を持っているのではなく、異なる意見を口にできないだけです。
反対意見を述べた者が処刑される組織では、部下はやがて、指揮官が聞きたい情報だけを報告するようになります。これでは、下から上へ集約されるべき現場の真実まで歪められます。
敵が強いとは言わない。作戦に無理があるとは言わない。民衆が不満を持っているとは言わない。失敗の兆候があっても、責任を問われることを恐れて報告しない――。
平殿器の情報統制は、短期的には組織を強く速く動かします。しかし、異論と一緒に事実まで消してしまえば、最後には平殿器自身が、現実とは異なる世界を見ることになります。
詭道とは、本来、敵に誤った認識を持たせるためのものです。
ところが、恐怖によって情報を統制する組織では、味方が指揮官に誤った認識を持たせるようになる恐れがあります。
敵を欺くための情報統制が、自分自身を欺く仕組みへと反転するのです。
軍略監査所見
孫子は、味方にすべてを知らせよとも、味方を常に欺けとも説いていません。
目的は共有する。
命令は正確に伝える。
作戦情報は、必要な者に必要な範囲で伝える。
現場の真実は、歪めず指揮官へ集約する。
勝つ組織とは、全員がすべてを知っている組織ではありません。必要な者が、必要な情報を、必要な時に持っている組織です。
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