”浮遊”女子高生 清水いぶき、離陸中。#03
第3章 自由浮遊高度:3cm 浮遊力:0.4NF
浮遊判明、滑り出す日常
目が覚めて、いぶきはすぐに違和感に気づいた。
布団の中から足を出したとたん、床の冷たさが来るはずだった。
なのに──空を踏んだ。
足が、つかない。地面に、届かない。
床まで、たったあと、3センチほどなのに。
一瞬、頭が揺れる。後ろに倒れそうになって、思わず布団の端をつかんだ。
「……え?」
自分の足が、空を蹴っていた。わずかに、ふわりと浮いている。
「うそ……うそでしょ……?」
夢の中で空を飛ぶ感覚に似ていた。でも、これは夢じゃない。足元にあるはずの床の存在が、どこか遠くにある。
「なにこれ、まさか、浮いてる……?」
いぶきはそっと四つん這いになり、ベッドの柵につかまって慎重に立ち上がった。重力の感覚が、おかしい。体が軽すぎる。地に足がついていない。
──何か、重いもの……。
とっさに、教科書の詰まった通学鞄を抱え込んだ。
机や棚の奥にあった辞書やノートを、掘り起こすようにして詰め込む。
重たければ、重たいほどいい。
“わたしを地面に繋ぎ止めてくれる”ものなら、なんでも。
「……大丈夫、大丈夫、大丈夫……」
小さく呟きながら、いぶきは手すりにすがって、ひとつひとつ階段を下りた。まるで氷の上を歩くように、そろりそろりと。
1階に降りると、母が台所で朝食の支度をしていた。
「なにそれ、鞄抱えて。どうしたの?」
振り向いた母が、訝しげに尋ねる。
「いやぁ……あははは……」
乾いた笑いがこぼれる。
「まさか、なんかやましいモノでも入ってんじゃないでしょうね」
「入ってないよ、べつに!」
「なによ、妙に必死じゃない。ほんとに大丈夫?
とにかく。そんな重たいもの置いて、さっさと朝ごはん食べちゃいなさい」
「はーい……」
なるべく自然に、椅子の下に鞄を置き、その中にこっそり両足を突っ込んだ。かかとが底についたことで、かろうじて身体は安定する。足元が浮いていることは、見た目にはわからない。
「いただきます」
静かに、いつもの朝を装った。
朝食のあとは、制服のブレザーを羽織り、重たい鞄を肩にかける。これで外見上は、いつもと同じ。ただ、身体の奥で、どこかふわつくような感覚が抜けなかった。
「いってきます!」
「あっ、いぶき。今日は塾の日だから、さっさと──」
「わかってるって!」
母の言葉をさえぎるようにして、いぶきは顔を見ずに玄関を出た。ドアを閉めるその瞬間、ほんの少し、足が地面から浮いたような気がした。
でも──いぶきは、まだ気づかないふりをしていた。
いぶきが教室に着いたときには、すでにホームルームが始まっていた。
担任が、いつものマニュアルを読み上げる。
「……誰か、最近浮遊感を覚えた者はいないか?」
「はーい、おれ、浮きそうでーす」
「ふざけるな。他には?」
いつものやり取り以外、誰も手を挙げない。
いぶきも、黙ってうつむいていた。
親友のかずさが、ちらりといぶきを見て、小声で囁いた。
「ねえ、今日の塾の宿題、ちゃんとやってる?」
いぶきは笑ってごまかしながら、心の中では迷っていた。
(言おうか、どうしようか……でも、勘違いかもしれないし。明日には、元に戻ってるかも……)
何も言わずに、一日が始まった。
けれど、その日はずっと、地に足がつかないような状態だった。
心も、身体も。
いつもなら友達の会話に入る昼休みも、いぶきは鞄を足元に置いたまま、空を見つめていた。
放課後。
校門を出ようとしたとき、かずさがふと立ち止まった。
「いぶき、今日……なんか、変じゃない?」
その声に、胸が小さく震えた。
「……え?」
「実はね、朝からちょっと気になってた。ずっと鞄抱えてたでしょ?トイレ行くときまで。でも、みんなもいるから、なんか言い出しづらくて……」
かずさの言葉に、いぶきの胸がじんわり熱くなる。
誰にも気づかれてないと思ってた。でも、ちゃんと見てくれてた。
「じつは……」
いぶきは、おもむろに鞄をそっと足元に置いた。
その瞬間、体がふわりと浮いた。ほんの数センチ。けれど、それだけでバランスが崩れそうになる。
かずさが、すかさず腕を伸ばし、彼女の肩を支えた。
「……こういうわけ、なんです」
いぶきは、小さな声で言った。
「いぶき……今日は、塾なんて行ってる場合じゃないよ」
「へ……?」
「今日はもう、塾とかいいじゃん。あたしが、おばさんにもちゃんと言うから。それで、一緒にあんたの家、行こう。途中で、好きなお菓子でも買ってあげる」
その目は、冗談なんかじゃなかった。真剣に、友達を心配する目だった。
「かずさ……」
いぶきの目に、涙がにじみそうになる。
夕方。
かずさと一緒に、いぶきは母に「浮いていること」を打ち明けた。
言い出すまでに、少し時間がかかった。でも、かずさが横にいてくれたから、勇気が出た。
母は驚いた顔を見せたあと、ゆっくりと頷いた。
「そう……いぶき、よく言ってくれたね。しばらく学校もお休みして、好きなことでもして、気分転換したら?あんたが見たがってたドラマ、一気見するとか」
けれど、いぶきは首を横に振った。
「わたし、学校が……好き。かずさもいるし、友達もいるし……それに、もうすぐ修学旅行もあるし。行きたい」
母は何か言いたげだったが、それ以上は口にしなかった。
「……そう。なら、信じるよ。無理はしないって、ちゃんと約束ね。あなたのこと、ちゃんと見てるから」
「うん」
そして、母はかずさの方を向いて、深く頭を下げた。
「かずさちゃん、この子を、よろしくお願いします」
「わたしにできることなら――なんでも」
かずさは、まっすぐに頷いた。
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・第1話ープロローグ/地に足のついた、最後の日
・第2話ーふわつく日常・自覚なき浮遊
・第3話ー浮遊判明・滑り出す日常
・第4話ー浮つく日常・繋がれた身
・第5話ー住み着く天井・離れゆく日常
・第6話ー天井接近警報
・第7話ーそれでも、楔となるもの
・第8話ー縋れない地面、遮るもののない空
・第9話ー見下ろす地図、思い描く場所/大気圏の会話
・第10話ー軌道の彼方へ ― いぶきの宇宙航路
・第11話ー第12章 星の誕生 ― ボイドにて/エピローグ
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