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"浮遊"女子高生 清水いぶき、離陸中。#09

第9章 自由浮遊高度:50km 浮遊力:測定不能

見下ろす地図、思い描く場所

いぶきの身体は、すでに対流圏を超え、成層圏を漂っていた。旅客機の航路よりも高く、気球の限界すら超えて、ただひとり――空にいた。

眼下には、雲の切れ間からのぞく、見慣れた“形”。教室で見た地図、そのままのような輪郭。

「……日本だ」

ふいに、そんな言葉がこぼれた。

輪郭をたどる。長く伸びた本州、くびれた四国、丸みを帯びた九州。ぼんやりとだが、地理の記憶と重なる場所が、いくつかあった。

「京都、見えるかな……」

ぽつりと、つぶやく。

修学旅行で訪れるはずだった場所。八坂神社、清水寺、湯気の立つ抹茶。どれも実際には行っていないのに、どうしてか、その景色はやけに鮮明だった。

けれど、いま見えるのは、都市の輪郭でも、駅の看板でもなかった。雲がかかり、ただの地形としてしか、目には映らない。

「……やっぱり、見えないか」

(……でも、行ける気がしてた。どこかで)

少し残念に思って、それでも――いぶきは、笑った。

「でも、あるよね。きっと。ちゃんと」

そこには、かずさがいて。先生がいて。ランドセルの子どもたちが歩いていて。朝が来て、パン屋が開いて、友達が笑っている。見えないけれど、ちゃんと続いている。

「私のいた世界が……ちゃんと、まだ、ある」

その実感だけが、いぶきをそっとあたためた。空は冷たいけれど、胸の奥は、不思議なほどやさしかった。



第10章 自由浮遊高度:100km 浮遊力:測定不能

大気圏の会話

そこは、大気と宇宙の境目だった。

青がすこしずつ褪せてゆき、黒に染まりきる前の、かすかに紫を帯びた世界。風も音も遠のき、重力さえも輪郭を失いかけた空間に、清水いぶきの身体はただ、ゆるやかに漂っていた。

そのとき、ふと――声がした。

「おや、あなたもですか」

不意に耳元に届いたその声に、いぶきはそっと振り返る。そこには、年配の男性らしい姿があった。柔らかな笑みを浮かべながら、同じようにこの無音の世界に浮かんでいた。

「いやはや、まさかねぇ。私が選ばれるなんて」

その隣に、もうひとり。スーツ姿の若いサラリーマン風の男性が、飄々とした調子で言葉を継ぐ。髪が、風もないのにふわりと揺れている。

「おや? 私たちは……選ばれたんですか?」

「そういえば……そうですね。おかしいな、どうして、今はそんなことが分かるんでしょうね? とにかく、“死にたい者が浮く”というのは、やっぱり真っ赤な嘘だったんですね。ははは!」

いぶきは、ただぽかんとしていた。でも気がつくと、自分もその輪の中に自然と加わっていた。

「それにしても、なぜ、私たちは、選ばれたんでしょうね?」

そんな問いかけに、また別の声が応じる。

「おや、可愛らしいお嬢さん。あなたも、ですか」

思わず頬が熱くなりながらも、いぶきはこくんと頷いた。

「あの……これから、私たち、どうなるんでしょう?」

少しだけ不安混じりの声で尋ねると、最初の年配の男性が、どこか愉快そうに答えた。

「ああ、それは――これから無限の宇宙を漂い、その先に新たな地面を見つけ、そこに着床するだけですよ」

「それは、この世に生まれる前の出来事に、似ている」

今度は、どこからともなく、低く静かな声が応じた。

いぶきは、胸元にそっと手を添えて、ぽつりと訊いた。

「あ……あなたたちも、"星の母"になるんですか?」

「僕たちはねぇ、星の……"父"、かな。ははは」

名乗りも、肩書きもない人たちが、ただ漂いながら語り合う。そこには、やさしく静かな時間だけがあった。

「それでは、お嬢さん、さようなら」

「素敵な"母"になってくださいね。ごきげんよう」

「最後に、あなたたちと会話できて良かった。いつかまた、どこかで、こうしてお話しできると良いですね。さようなら」

いぶきの胸の奥が、ほんの少しだけ、温かくなった。人影たちは、それぞれの方向へと分かれていき、やがて、音もなく消えていく。

「……さよなら」

手を振ると、誰かが小さく、笑ってくれた気がした。

最後に残ったのは、透き通るほど澄んだ空と、まだ名前のない朝の気配だった。



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第1話ープロローグ/地に足のついた、最後の日
第2話ーふわつく日常・自覚なき浮遊
第3話ー浮遊判明・滑り出す日常
第4話ー浮つく日常・繋がれた身
第5話ー住み着く天井・離れゆく日常
第6話ー天井接近警報
第7話ーそれでも、楔となるもの
第8話ー縋れない地面、遮るもののない空
第9話ー見下ろす地図、思い描く場所/大気圏の会話
第10話ー軌道の彼方へ ― いぶきの宇宙航路
第11話ー第12章 星の誕生 ― ボイドにて/エピローグ

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渡野 凪沙(わたしの なぎさ) もし、よろしければ―― 缶ジュース1本分くらいの「応援」を送っていただけたら、 息子とふたりで仲よく分け合って、しあわせのおすそ分けにします。 きっと次の言葉を紡ぐ力になります。よろしくお願いします。