"浮遊"女子高生 清水いぶき、離陸中。#06
第6章 自由浮遊高度:2.5m 浮遊力:137N
天井接近警報
「……おでこ、ぶつけた」
清水いぶきは、眉間を押さえながら、天井のパイプにそっと手を伸ばした。
まるで――“空”が、じわじわと迫ってくるようだった。
教室の窓際に設置された“浮遊者フック”に、今朝もいつものようにロープを結んだ。
けれど今日は、何かが違っていた。
足元ではなく、天井が近い。いや、あまりにも近すぎた。
視界に入るのは、蛍光灯のフレーム、配線がごちゃついたパネル、積もった埃――。
どれも、本来なら掃除用の脚立から覗き見るような距離だった。
今ではそれが、目の高さにある。
「……先生、蛍光灯、掃除しといたほうがいいよ」
「お前がついでにやっとけ」
担任の返しに、教室が和やかに笑う。
でも、その笑いの輪の外で、いぶきの体は天井に押しつけられるように軋んでいた。
制服のブラウスが天井に擦れ、身体はモップのようにふわりと宙を撫でる。
腰の安全ベルトが、無理に支えようとして食い込む。
浮力はもはや、重力をはるかに超えていた。
屋内という制約のなかで過ごすには、限界が近い。いぶき自身が、それをいちばん理解していた。
昼休み、かずさたちに引かれて校庭へ出る。
地上が、やけに遠く感じた。皆が輪になってパンを頬張る中、空から見下ろすいぶきの目に、彼らの姿はミニチュアのように映る。
「……なんか、みんな、ちっちゃく見える」
「それ、いぶきの視力が悪くなっただけじゃん」
かずさが笑いながら言い、滑車のついたロープにペットボトルを結びつける。手のひらで軽く合図すれば、くるくると空へ引き上げられる。
いぶきの生活には、そんな簡易エレベーターが欠かせなくなっていた。
「でもね……ここにいると、地面の匂いがしないの。
土とか、草とか……あの、日常の混ざった匂い」
いぶきは、風に揺れるスカートの裾を押さえながら、ぼんやりと空を――いや、地上を見下ろした。
もはや、どちらが“上”かすら、感覚は曖昧だった。
放課後、ふたりは校庭の端にいた。
春風が吹き抜ける中、かずさはぽつりと言った。
「ねえ、いぶき。最近、笑うの減ったよね」
「そうかな。笑ってるよ、ちゃんと。今だって」
「……うん。でもさ」
かずさの言葉は、それ以上続かなかった。
いぶきはふわふわと揺れながら、空の上で静かに微笑んだ。
「だって、もうすぐ修学旅行でしょ? 私、空から応援してる。八ッ橋、買ってきてね」
「……うん。絶対、届けに行くから」
かずさは俯いて頷いた。
いぶきの笑顔は、風船のようだった。
軽くて、明るくて、でも、どこか寂しげだった。
――いまにも、風に乗って、空の向こうへ行ってしまいそうな。
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・第1話ープロローグ/地に足のついた、最後の日
・第2話ーふわつく日常・自覚なき浮遊
・第3話ー浮遊判明・滑り出す日常
・第4話ー浮つく日常・繋がれた身
・第5話ー住み着く天井・離れゆく日常
・第6話ー天井接近警報
・第7話ーそれでも、楔となるもの
・第8話ー縋れない地面、遮るもののない空
・第9話ー見下ろす地図、思い描く場所/大気圏の会話
・第10話ー軌道の彼方へ ― いぶきの宇宙航路
・第11話ー第12章 星の誕生 ― ボイドにて/エピローグ
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