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「相互性」とは?~「介護相互行為論」No2


2.認知症介護における「相互性」について

(1)問題意識 

 私は介護とは、介護する者と介護される者との相互行為だと考えています。課題を単純化するために配慮的気遣い(道具やモノとの関係性、「適所性」)に絞って「相互性」について考察してみたいと思います。
 また、この考察のなかで、「認知症介護において相互行為としての介護は可能なのか」という問いを通して「相互行為としての介護」の解像度を上げることができるかもしれません。 

 ハイデガーの実存論的行為論では、行為には配慮的気遣い、つまり、道具の目的・用途や使い方を前提とした「~しようとする意図」が必要だとされます。つまり、廊下やベッド、テーブル、車椅子などの事物があるべき場所やその用途・目的が連なって形づくる世界を見抜く力(配視)が欠かせない要素とされています。
 であるならば、相互「行為」としての介護にも介護する者とされる者に共通した道具存在関連の理解が前提となるように思われますが、認知症介護の場合にはこの共通理解が成立しない場合もあるかもしれません。そもそも、認知症者は身近な道具などの役割を理解する力(配視)が衰えてしまっている可能性があるからです。

 しかし、ハイデガーの提示する「共存在」の概念、そして身に染みついた「身体的了解」のレベルにまで視点を広げることで、認知症介護を「実存的な相互行為」として捉え直すヒントが得られると思います。 

※適所性:道具が他の道具や目的に結びつき、「何かのために役立つ」という形で世界の中に正しく収まっているあり方のことです。
※共存在:人間は孤立した存在ではなく、本質的に他者とともに生きる存在であるという構造のことです。

用語メモ

(2)概念的道具連関の喪失と「身体的・習慣的了解」の残存

 認知症者は、言語や抽象的概念を介した「道具の目的(適所性)の共通理解」は、認知症の進行とともに困難になります(例:スプーンを見て「食べる道具」と概念的に理解できないなど)。
 しかし、ハイデガーのいう「世界内存在」である人間は、意識的・理論的な理解(知識)よりも前に、「身体で既に分かっていること(前反省的な手さばき)」に基づいて生きています。
 ですから、概念としての「道具の使い方」は失われても、介護者が差し出す手、温かいお茶の湯気、器の触感といった環境の側からの呼びかけ(アフォーダンス:affordance)に対して、認知症者の身体が応答することがあります。
 意図や理由の言語的共有という高いレベルでの「適所性」は成立しなくとも、「身体的な間合い」や「応答のやり取り(リズム)」というレベルでの道具連関・環境との交渉は維持されていると言えます。介護とは、この「身体的レベルでの「適所性」を介護者が探り当て、共有していく行為と言えそうです。

※世界内存在:人間が「すでに世界の中に投げ出され、世界と深く関わりながら生きている存在」であるという、ハイデッガーの哲学における根本的な人間のあり方です。人間と世界は別々ではなく、最初から一体であると捉えます。
※アフォーダンス:環境や物が人間や動物に与える「行動の可能性や意味」のこと。例えば、ドアの取っ手: 棒状の取っ手は「引っ張る」、平らな板は「押す」という行動を自然に教えます。

用語メモ

(3)顧慮の二つの形態:身代わりか、解き放ちか

 ハイデガーは、他者に対する気遣いを「顧慮」と呼び、これを「代行的な顧慮」「先行的な顧慮」の二つに区別しています。

代行的な顧慮と先行的な顧慮の比較

 認知症介護における相互行為の成立は、介護者が「代行的な顧慮」に終始するのではなく、いかに「先行的な顧慮(相手の世界の了解を促す先回り)」へとシフトできるかにかかっています。

(4)共存在:理解を超えた開示性

 ハイデガーにとって、人間(現存在)は「まず単独で存在し、後から他者と関係を結ぶ」のではなく、根源的に最初から他者と共に存在する(共存在)ものです。ですから、道具連関(適所性)の共有が崩れても、「共に世界に投げ出されている」という根源的な事実(共存在)は消えません。
 認知症者が「言葉で理由を説明できない」「自己了解を概念化できない」としても、それは「世界理解がゼロになった」ことを意味しません。彼らは彼らなりの独特の仕方で世界を開示し、その世界を生きようとしています。
 介護における「相互行為」とは、介護者側の世界(合理的な道具連関)に相手を引っ張り込むことではなく、相手が開示している「異質な世界」のあり方に介護者が参与し、新しい共通の文脈(第三の世界)を紡ぎ出すプロセスと捉え直すことができます。

※適所性:金槌は釘を打つため、釘は木を留めるためというように、道具は単体ではなくお互いに関係し合って存在しています。適所性とは、道具がほかの道具や目的と結びついて「何かのために役立つ」という、そのもの固有の役割や意味のことです。

用語メモ

(5)情動による同調

 認知症によって「理解」「語り」の機能が低下したとき、ハイデガーの実存論的構造のもう一つの柱である「情動性(気分)」が前面に出ます。人間は、理由や意図(「なぜ」)の了解よりも深く、「自分が今どのような気分に浸されているか」という情動的開示によって世界と結びついています。
 認知症者は、認知的な適所性は見失っていても、介護者の雰囲気、声のトーン、安心感や焦燥感といった「気分の共鳴(情動的同調)」には極めて敏感です。
 つまり、目的や意図を共有する「合理的行為」としての相互行為は困難でも、「気分や情動を共有・調整し合う」という実存的な相互行為は十分に成立しているのです。

※理解:ハイデガーの言う「理解(了解)」とは、単なる知識の修得や客観的な認識ではなく、「自分がどのように生き、世界にかかわるかという『可能性』をあらかじめ知っているあり方」であり、人間(現存在)の根本的な存在構造そのものです。
※語り:人間が言葉を話す行為そのものではなく、世界や自分のあり方をあらかじめ意味づけ、意味のつながりとして開き出す根源的な仕組みのことです。
※情動性:ハイデガーのいう情動性とは、人間が世界に投げ出されているという事実や、自分がすでに何らかの気分に浸っているあり方を示す人間存在の根本的な構造のことです。単なる心の中の感情ではなく、私と世界全体との関わり方を前もって決めている土台を意味します。

用語メモ

(6)中動態的相互性

 介護とは介護する者と介護される者の相互行為ですが、「介護する」というのは能動態(active voice)で「介護される」というのは受動態(passive voice)となります。この「能動態⇔受動態」の枠組みで言えば、被介護者が介護者に一方的に依存する関係に見えます。
 しかし、哲学者の國分功一郎さんが指摘する中道態(middle voice)という概念を導入することによって、介護の相互性がまた異なった見方ができると思われます。つまり、中動態的な観点からすると、介護の相互関係とは介護「する」者、「される」者がお互いに「配慮し合う関係」といえます。
 この中動態から観た介護の相互性については、以下のnote記事をご参照ください。




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