文学フリマ京都10「静かな熱気の中で感じたこと」
文学フリマで買った本
「朧月 ~短編集~」
「稲麻竹葦 準備号 第十二号テーマ:斎宮」
「京都の美味しい食いもん」
「寺×走るアンソロジー」
「京のれん歩きvol.10 わらび餅大作戦」
「京都の風呂屋を歩く」
「本屋図鑑 だから書店員はやめられない!」
文学イベントの一日
愛読書との出会い
四条大橋と先斗町
誓願寺と誠心院
新京極通を歩き尽くす
キッチンくじらで日替わり定食
静かな熱気の中で感じたこと
白川筋を歩く
東三条社こと大将軍神社[完]
京都好きの人間がどこのブースをチェックし、なぜその本を購入したのか。
いつか自分でもZINE(小冊子)を制作し、出店者として参加したいという密かな願いを持っています。その日のために、どうすれば作品を手に取ってもらえるのか。来場者の視点を言語化することで、未来の自分にとって大切な記録になると感じました。今回は会場の熱気を思い返しながら、『文学フリマ京都10』の一日を振り返ります。
目次
探す側の目線から
冒頭の文章を無料公開するのも有効な方法の一つですが、ターゲットをはっきり表明してもらえるほうが、購入するときの大きな手がかりになります。例えば、こんなふうに書かれていると必ず目が止まります。
こんな方にオススメです!
・京都が好き
・歴史が好き
・神社仏閣巡りをよくする
・ご当地グルメを味わいたい
・コアな情報を知りたい
noteで『文学フリマ京都』を検索すると、山のように記事が出てきます。正直なところ、一文字ずつ丁寧に読み込むのは至難の業です。来場者はショート動画をチェックするように、本の中身を素早く、的確に知りたいと考えています。
「こういう人に読んでもらいたい」とターゲットを絞っている本は、それだけ内容が深く、コアな情報が詰まっている期待感があります。逆にターゲットが定まらない作品は、どうしても内容が散漫に見えてしまうことがあります。

これは同人誌に限らず、商業誌でも同じことが言えるでしょう。例えば、誰もが知る『ONE PIECE』や『NARUTO』のような大人気作品も、「海賊大冒険」「忍者バトル」とテーマが明確だからこそ、その世界に引き込まれる魅力が生まれます。
あれもこれもと欲張らず、ターゲットを絞り込むことは、結果として作品そのものの輪郭をはっきりさせます。だからこそ探す側としては、「どういう人に読んでもらいたいか」を明確に示してもらえると、とてもありがたく感じるのです。
エッセイは人で選ぶ
実際に会場を歩いてみて、あらためて思ったことがあります。
長編小説やエッセイを買うとき、何を基準に選ぶのでしょう。観光やグルメの本なら「情報の質」で選びますが、小説やエッセイは「人」で選んでいます。芥川賞や直木賞が注目されるのは、審査員が私たちの代わりに膨大な作品を読み、選別してくれるからです。年間百冊以上を読める人はまれで、多くの人にはそこまで時間がありません。つまり文学賞とは、「自分で探す手間」を省き、質の高い出会いを提供してくれるシステムなのです。
映画のアカデミー賞作品が好まれるのも同様の理由でしょう。一方で、アニメが賞の有無にかかわらず盛り上がるのは、ファンの熱量が高く、ネット上で良作が自律的に推奨される仕組みが出来上がっているからではないでしょうか。

話をもとに戻しますね。
何が言いたいかというと、忙しい現代人にとって、自分にぴったりの新しい本に出会うのは難しいということです。特にエッセイは、どれだけ表現力が豊かで読みやすくても、その書き手自身に魅力がないと楽しむのが難しいジャンルです。「誰やねん!」とツッコミたくなる、見ず知らずの人の自分語りにお金を払う人は多くありません。平凡な文章でも著名人のエッセイが売れるのは、すでに強固なファンがついているからです。
逆の見方をすると、無名であっても「内容」で勝負できる小説には、読書好きの口コミから評判が広がる可能性が大いにあります。熱心な読者の力は、想像以上に大きいのです。
「X」を参考にしなかったワケ
今回、情報収集の手段としてX(旧Twitter)は使用しませんでした。理由は、情報量があまりにも多いからです。また、短い文字数だけではお気に入りの一冊を探し出す手がかりとして、どうしても物足りなさを感じてしまいました。
文学フリマ主催者の「SNSを活用して宣伝を!」という呼びかけを耳にしました。それはプロモーションとしては有効なのかもしれませんが、一人の探し手として眺めてみると、少し違った景色が見えてきました。
例えば、ハッシュタグで検索しても、上位に表示されるのはすでに注目を集めている「人気ポスト」が中心です。まだ見ぬ自分に合った一冊が埋もれているかもしれない、閲覧数の少ないポストにまで辿り着くのは、今の仕組みでは容易ではありません。
もちろん、作者の人となりを日常的に知る手段としては有用でしょう。ただ、X単体での発信は、探し手とのあいだにミスマッチを生じやすい面もあると感じました。
ポッドキャストで人を知る
噛めば噛むほど味が出るスルメのように、『文学フリマ京都10』をじっくり楽しみたくて、帰宅後にポッドキャストを覗いてみました。
当日の会場は六千人近い来場者の熱気で、ブースの方とゆっくり話す時間はなかなか取れませんでしたが、ポッドキャストでは出店者の「生の声」をゆっくり聴くことができます。学生時代にラジオに親しんでいたこともあり、耳から伝わる人柄に惹かれて、自然に好奇心が掻き立てられるのを改めて実感しました。
「声」をきっかけにZINEを手に取るのも、また素敵な出会い方の一つになるのでしょうね。
試し読みは今回利用せず
前回は試し読みコーナーを活用しましたが、今回は利用しませんでした。

試し読みコーナーを利用しなかった理由は、大きく二つあります。
一つ目は、同行者に余計な負担をかけたくなかったこと。チェックリストには三十ほどのブースがあり、試し読みで長時間付き合ってもらうのは、さすがに気が引けました。もう一つは、多くの出店者がブースづくりに工夫を凝らしていたため、ただ本を購入するだけでなく、見本を手に取り、ほんの少しでも言葉を交わしたいと思ったからです。
「見本をみせてもらっていいですか?」
この言葉は、本屋ではなかなか口にできません。快く「いいですよ」と返ってきたときの嬉しさは、何ものにも代えがたいものでした。できることなら、手に取った本のすべてを購入するべきだったのかもしれません。しかし、前にも書いたとおり決して裕福な状況ではなく、いくつかのブースでそっと元の位置に戻し、感謝を告げてその場を後にしました。
いつか自分が反対側に立つときは、迷って本を戻す人の背中も、優しく見守れるような出店者でありたいです。
会場の熱気に押されてパニックに
念入りに準備してきたのに、会場でパニックになりました。
いや、気合いが入りすぎたために、俗にいう「かかった」状態になっていたのかもしれません。最初、一階を見て回ったのですが、人に酔ってしまい、落ち着くために一旦会場の外に出て三階へ向かいました。結局一階と三階を五往復ほどしたかもしれません。

大きな声での呼び込みは禁止されていたということで、圧力みたいなものは一切感じなかったのですが、会場全体が放つ独特の熱気に圧倒され、最後まで自分のペースを保つことができませんでした。こればかりは経験を積んで、少しずつ慣れていくしかないのかもしれませんね。
来場者としての反省点
以前の経験から、大阪・関西万博に倣って公式ウェブカタログのチェックリストを印刷して持参したのですが、これは大失敗でした。

「万博・夢洲会場」では有効だったこの手法は、文学フリマの会場ではまったく役に立ちませんでした。人が密集する通路では紙を広げて立ち止まることが難しく、通行の妨げになってしまうからです。万が一の電波状況を考え、アナログの安心感を優先したのですが、この環境では素直にスマホで確認するべきでした。
結果として、チェックリストを手に持ったまま、記憶だけを頼りにブースを回ることになり、自分がどのブースを訪ね、何を購入したのか途中で分からなくなってしまいました。買い忘れがなかったのは不幸中の幸いでしたが、この反省は、次回以降に活かしたいと思います。
会場が変わると、歩き方も変わる
来場者視点から、『文学フリマ大阪13』のインテックス大阪と『文学フリマ京都10』のみやこめっせを比べてみたいと思います。

以前参加したインテックス大阪では、無料で気軽に座れる場所がほとんどなく、終盤には足の疲れがかなり堪えました。その点、今回のみやこめっせは会場の内外に腰を下ろせる場所があり、購入した本を整理するスペースも確保されていたのが助かりました。
実は、大阪での経験を踏まえ、今回は午前中の京都観光を足に負担がかからないよう控えめにしていました。都市部における「ベンチの有無」は、旅行者にとって案外切実な問題です。喫茶店で休むのが街にとっては正解なのかもしれませんが、できることなら、その分を少しでも本の購入費に回したいというのが本音です。

もう一つ印象に残った違いとして、京都では壁際で待機したり、カタログを確認してからブースへ向かったりする人が、大阪のときより多かったように感じました。会場の構造が変わるだけで、人の流れや立ち止まり方も自然と変わるのだと、あらためて思いました。
イベントはその日で終わらない
帰宅後にnoteやポッドキャストを辿っているうちに、「やっぱり買っておけば良かった」と感じる本が、いくつかありました。
『文学フリマ大阪13』で気になっていた本を、今回の『文学フリマ京都10』で手に取ったように、文学イベントはその場限りで完結するものではなく、次の機会へと静かにつながっていきます。イベントそのものが、時間差で効く広告のような役割を果たしているのかもしれません。

主催者が「#文学フリマで買った本」というタグの使用を勧めているのも、その循環を後押しするためなのでしょう。多くの人が話題にすれば、「そんなに人気なら次は読んでみたい」と思う人が増えるのは自然な流れです。実際、今回手にした『寺×走るアンソロジー』は、大阪の開催後にXで見かけた口コミが決め手となり、購入に繋がった一冊です。
「継続は力なり」という言葉がありますが、文学フリマにおいても、出店を続けること自体が確かな存在感を生み出します。今回は縁がなかったとしても、「次は」と思わせる余白を残していく。その積み重ねこそが、継続の強さなのだと実感しています。
むすび
小規模な同人誌即売会であれば、ここまでの準備は必要ないかもしれません。予習なしでふらりと訪れ、出店者の方との会話を楽しみながら気に入った本を手に取る。それだけで十分に楽しいひとときを過ごせるからです。
しかし、千以上のブースがひしめく文学フリマでは、事前の「取捨選択」が鍵を握ります。念入りに予習をしたのに、目的を果たすまで二時間を要しました。行き当たりばったりで全ブースを回るのは至難の業ですし、人気の本は一時間足らずで完売してしまうことも珍しくありません。
大規模なイベントだからこそ、事前の準備が「無理なく楽しむための支え」になり、当日の時間をより豊かなものにしてくれる。それは、前回の大阪での見落としや後悔から学んだ、私なりに身につけたひとつの工夫でした。ただ、あえて付け加えるなら、その試行錯誤さえも文学フリマの醍醐味だということです。予習はあくまで、自分が心地よく過ごすための手段にすぎません。
文学フリマには、決まった歩き方も、正解の楽しみ方もありません。完璧に準備して臨む日があってもいいし、あえて何も持たずに会場の空気に身を任せる日があってもいい。次に会場の入口に立つときは、どんな歩き方を選んでいるのか。その時の自分に一番しっくりくる方法で、また新しい「一冊」との出会いを楽しもうと思います。
ご精読ありがとうございました。
おまけ・その1

ふみわくらぶさん、このたびは大変お世話になりました。ありがとうございました!

こちらは、公式カタログと頂いたフリーペーパーです。ステッカーは今回の思い出としてカタログの表紙に貼り付けてみました。
おまけ・その2


設置された当初は、まだ余白ばかりだったホワイトボード。



14時半頃に再び通りかかると、すでに半分ほどがメッセージやイラストで埋まっていました。
パッと目を引く字を書く人、素敵なイラストを添える人。その表現力の豊かさにただただ尊敬の念を抱くばかりです。こうした温かい「手書き文化」に触れられるのも、文学フリマの良さですよね。
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