転シバ 第6話:アンちゃん、家出する
わたくしの“玉座”が、ゴミ袋に詰められてゆきましたの。
それは誇りの象徴、記憶の聖域、そして……たったひとつの居場所。
だからわたくし、家出を決意いたしましたのよ。
──金剛山のふもと、自然に囲まれた津村家。
「模様替えの季節だよ〜♪」
と母・静花の号令により、リビングは朝から家具の大移動が行われていた。
「ちょ、待って! そのラグ!」
あいこの叫びが響く。
それは、柴犬アンちゃんのお気に入りの敷物だった。
日向ぼっこのベスポジ、昼寝の指定席、通称“アンちゃんの玉座”。
「きゃー! ボロボロやん! 捨てるしかないな〜♪」
「きゃー、ではありませんわよ!?」

ゴミ袋に入れられた“玉座”を見て、アンちゃんの目が見開かれる。
ぷるぷる震える四肢、耳がピンと逆立つ。
「なにゆえ、わたくしの玉座が……!? あれはわたくしの統治の象徴……心の安息の地……!」
「アンちゃん、ごめん……でももう汚れてるし、代わりにもっとフカフカの買ってくるから」
あいこはそう言ってアンちゃんの頭を撫でた。
しかしその横で──
「そのラグ、もしかして“情報伝達用マイク”だった可能性は……」
父・忍がメモを取りながら呟いていた。
「この繊維……赤外線の通りが妙にいい……!」
「やっぱり! 犬型諜報装置“B-3型”や!!」
忍がまた妄想スイッチを入れた。
「だから違うってば!!」
さらに静花が箱から取り出したのは──
「見て見て〜! 犬用ブライダルベールあったよ〜♪ 可愛い〜♪」
「それは何に使うおつもりですの!?」
「アンちゃんもそろそろお嫁にいくかもって思って〜♪」
「いきませんわよ!!」
──いつも通りボケ全開の家族たち。
だが。
「……結構ですわ」
ぽつりと、アンちゃんが言った。
その夜。

皆が寝静まったあと、こっそり玄関を抜け出す小さな影があった。
「……わたくしがいなくても、この家は平気でしょう。ならば……もう、いいのですわ」
──柴犬、家出する。
──その頃。
ずぶ濡れの柴犬が公園でふてくされていた。
濡れた鼻をぺろりと舐め、内心ではずっと迷っていた。
「玉座こそが、初めての“居場所”でしたのに……。あの上で眠るたび、わたくしは“人間だった頃”を思い出して……ほんの少しだけ、孤独を忘れられたのですわ……」

「アンちゃん……っ!」
声がして、草の茂みから飛び出してきたのは、制服姿の少女。
マッシュルームヘア、首には犬柄のスカーフ。犬の香水。爪には肉球ネイル。
──犬塚ここ、通称イヌココである。

「アンちゃん……! よかった、無事で……! わたし、ずっと探してたんよ……!」
「ここ……様……?」
「さわっ……いや、なでていい!? いや、今はその時じゃない!」
ぐっと拳を握るここ。瞳には決意が宿っていた。
「アンちゃんが……避妊されてなくてよかった……まだ希望は失われていない……!」
「はァァァ!?!?!?」
アンちゃん、激しく後ずさる。
「不敬ですわよ!? わたくしがいかなる処置を受けようと、女の尊厳は――!」
「わかってる!! でもそれくらい、あんたが“大事な存在”やってこと!!」
ここが叫ぶ。
「アンちゃん、わたしにだけ……見せて。あなたの本当の“肉球の想い”を……!」
「…………は?」
言ってから、ここは少し落ち着いて続ける。
「……あいこ、昨日からずっと泣いてるで。あんたのこと、大事に思ってる」
「……ほんとうに?」
「ほんまにや。昨日も、“もっと話聞けばよかった”って、自分責めてた」
「……でも……わたくし、失うのが怖くて……勝手に、置いていかれた気になって……」
「なぁアンちゃん。あいこだけちゃうよ? わたしも、津村家のみんなも……あんたのこと、家族やって思ってるよ」
アンちゃんの目が、潤んだ。
「……家族、ですのね……わたくしが……」
「せや」
「……ならば、帰りますわ! わたくしの“城”へ!」
夕暮れ。玄関が開く。
「ただいま戻りましたわ!」
泥だらけの柴犬、誇らしげな顔。
「新たな忠実なる下僕も得ましたし!」
「誰!?」
「犬塚ここ様ですわ!」
「勝手に下僕にすんな!」

あいこが駆け寄って、涙ぐみながらアンちゃんをぎゅっと抱きしめて、一言。
「おかえり、アンちゃん……!」
忍もそっと呟く。
「敵スパイではなかったか……くっ、早まったか……」
静花はおかえりまんじゅうを焼いていた。
今度は2個爆発。
翌朝。
「じゃーん! 新しいベッド、王冠型〜!」

「……まあ、これくらいなら悪くありませんわね」
ちょっとだけ震えた声で言うアンちゃん。
「でも……次はちゃんと話し合いますわ。ふてくされて飛び出すのは……レディらしくありませんでしたし。それに……わたくし、この家が……少し、好きですもの」
あいこが目を細めて、微笑んだ。
今日も津村家は、騒がしくて、そして、あたたかい。
ひとつの毛布の中でくっつきながら、ほんの少し距離が縮まった家族のぬくもりが、そこにはあった。
柴犬アンちゃんとツンデレ家族の物語は、今日も賑やかに進行中。
そしてこの家は、アンちゃんにとって……“本当の城”になっていく。
To Be Continued…
