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小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑤

厳しい基準で勝つ国、緩い規制で沈むAI

文・武智倫太郎

はじめに

やぁ、みんな。

今日は、スコープ3地獄を少し明るい方向から見るよ。

地獄なのに明るいとは何か。

それは、工場の安全灯である。

赤く光っている。

まぶしい。

何かが燃えている気もする。

でも、出口の方向は分かる。

前回、第4話では、スコープ3の15カテゴリを見た。

購入品。

資本財。

燃料の上流。

物流。

廃棄物。

出張。

通勤。

リース。

販売後の輸送。

販売後の加工。

販売後の使用。

販売後の廃棄。

フランチャイズ。

投資。

読んでいる途中で、会議室の誰かが静かに人間をやめたかもしれない。

でも、そこで終わってはいけない。

スコープ3は面倒である。

書類も多い。

データも足りない。

取引先は答えない。

海外子会社は別のエクセルを使っている。

環境部は孤立する。

経理部は目を細める。

調達部は「それ、取引条件に入れるんですか」と言う。

監査法人は「根拠資料はありますか」と言う。

ここまで来ると、多くの会社はこう思う。

「これは日本企業にとって罰ゲームではないか」

たしかに罰ゲームに見える。

しかし、スコープ3は、日本企業にとって必ずしも負け戦ではない。

むしろ、使い方を間違えなければ、日本企業が久しぶりに得意技を出せる局面かもしれない。

なぜか。

日本企業は、簡単なゲームでは負ける。

価格だけの勝負では負ける。

宣伝だけの勝負でも負ける。

ソフトウェアの速度勝負でも、気がつくと会議資料を作っている。

しかし、厳しい規制、細かい品質基準、面倒な認証、証跡、検査、工程管理が出てきた瞬間、急に目が覚めることがある。

それは勤勉だからではない。

面倒くさい地獄を、工程表とチェックリストと測定器と現場改善に落とし込む変な能力があるからである。

今日は、その話をする。

そして、ついでにAI政策の話もする。

なぜ、スコープ3では厳しい基準を競争力に変えられる可能性があるのに、AIになると「規制が緩いからチャンス」などという、ぬるいお風呂で産業政策を煮込んだような話が出てくるのか。

これは危ない。

これは、産業政策というより、風呂の栓を抜き忘れたまま「水があるから勝てる」と言っているに近い。

日本はスコープ3を発明していない

まず、ここを間違えてはいけない。

日本がスコープ3を発明したわけではない。

Scope 3という考え方は、GHG Protocolの企業会計・報告の流れの中で発展し、Corporate Value Chain (Scope 3) Accounting and Reporting Standardは2011年に公表された。

その後、日本でも環境省と経産省が、サプライチェーン全体の温室効果ガス排出量を算定するための国内ガイドラインを整備した。

2012年3月である。

ここで覚えるべきことは、日本が世界の中心でスコープ3を叫んだという話ではない。

そうではなく、日本企業は比較的早い段階で、「会社の外側にあるCO₂を数える」という面倒な宿題に触っていたということである。

これは小さくない。

なぜなら、面倒な宿題は、早く始めた者ほど痛みの場所が分かるからである。

小学生の夏休みの宿題も同じだ。

8月31日の夜に自由研究を始める子は、朝顔を育てていない。

観察日記もない。

そこで最後に、庭に生えていた雑草を朝顔ということにする。

先生は気づく。

担任は気づく。

クラスメイトも気づく。

そして本人だけが「なんとかなる」と思っている。

企業のスコープ3も同じである。

開示直前に始めると、取引先データがない。

物流データがない。

海外拠点の電力データがない。

排出係数の根拠がない。

連結範囲の整理がない。

証跡もない。

傘がない。

そして最後に、誰かが言う。

「今年は推計で」

推計は悪くない。

ただし、推計には足場がいる。

足場のない推計は、数字の形をした祈祷である。

日本企業が早くからスコープ3に触っていたことは、うまく使えば財産になる。

ただし、放置していれば古いフォルダになる。

ファイル名は、こうである。

Scope3_final_修正_最新版_本当の最新版_社長確認前.xlsx

危険物である。

厳しい基準は、弱い会社には壁になる

大人の世界では、規制が厳しくなると、すぐに「コストが上がる」と騒ぐ人が出る。

それは間違いではない。

規制対応には費用がかかる。

人もいる。

時間もいる。

測定もいる。

記録もいる。

証明もいる。

監査もいる。

システム改修もいる。

取引先との交渉もいる。

会議も増える。

会議は増えなくていい。

しかし、増える。

では、厳しい基準は企業にとって悪いだけなのか。

そうではない。

厳しい基準は、ふるいである。

対応できない会社は落ちる。

対応できる会社は残る。

対応できる会社が少なければ、残った会社には仕事が来る。

小学生向けに言えば、運動会で「走ってください」だけなら、みんな走る。

しかし、「平均台を渡り、縄跳びを20回飛び、最後に算数の文章題を解いてからゴールしてください」と言われたら、急に人数が減る。

面倒な競技ほど、練習していた子が強い。

産業も同じである。

簡単な製品なら、価格の安い国が勝つ。

誰でも作れるものなら、量を出せる会社が勝つ。

しかし、安全基準、環境基準、耐久基準、品質基準、証跡管理、リコール対応、国際認証が絡むと、話が変わる。

そこでは、安いだけの会社が急に苦しくなる。

「測っていません」

「記録がありません」

「材料の出所が分かりません」

「下請けの下請けの下請けは知りません」

「検査表はありますが、誰が入力したかは分かりません」

これでは、厳しい市場には入れない。

スコープ3も、ここへ向かっている。

CO₂の数字そのものよりも、その数字を出すための会社の管理能力が見られるようになる。

会社の外側をどこまで知っているのか。

取引先に聞けるのか。

聞いたデータを確認できるのか。

確認した内容を毎年改善できるのか。

これは、環境部の作文ではない。

会社の体力測定である。

Honda CVCCという前例

厳しい基準で勝つ話をするとき、日本ではHondaのCVCCエンジンがよく出てくる。

1970年の米国Clean Air Act、いわゆる日本でいうマスキー法の流れで、米国の排ガス規制は極めて厳しくなった。

世界の自動車メーカーが「そんなものは無理だ」と言った。

そのときHondaは、低公害エンジンの開発に突っ込んだ。

CVCC。

Compound Vortex Controlled Combustion。

名前からして、すでに小学生に優しくない。

しかし、小学生向けに言えば、燃え方を工夫して、排ガスを減らすエンジンである。

Hondaは1972年にCVCCを発表し、米国EPAの試験で、1975年排ガス規制をクリアする道を開いた。

これは「すごい技術でした」という美談で終わらない。

厳しい基準が、新しい市場の扉になったという話である。

排ガス規制は、対応できない会社には壁だった。

Hondaには扉だった。

しかも、その扉は、品質、燃焼、材料、耐久、測定、量産、認証の全部を通らなければ開かない扉だった。

スローガンだけでは開かない。

「環境に優しい車を作ります」と言っても、EPAの試験機は感動してくれない。

試験機は、詩を読まない。

数値を見る。

ここで逃げる会社は、試験室の前で溶ける。

同じことが、スコープ3にも起きる。

「脱炭素に取り組んでいます」

「サステナブルな社会に貢献します」

「未来の子どもたちのために」

はいはい。

言葉は分かった。

では、購入した原材料の排出係数は?

物流の距離は?

販売した製品の使用時排出は?

廃棄時の処理シナリオは?

海外子会社の電力データは?

サプライヤーの一次データは?

保証に耐える証跡は?

ここで答えられる会社と答えられない会社に分かれる。

厳しい基準は、そこを分ける。

RoHSとWEEEの記憶

電子産業にも、同じような話がある。

欧州のRoHS。

有害物質の使用制限である。

鉛。

水銀。

カドミウム。

六価クロム。

臭素系難燃剤。

さらにフタル酸エステル類も加わった。

大人の化学式が工場に襲いかかる。

そこへWEEEも来る。

電気・電子機器の廃棄物をどう回収し、処理し、再利用するかという話である。

製品は売ったら終わりではない。

捨てられるところまで考えろ。

欧州はそう言った。

日本の電子産業は、この種の規制対応で鍛えられてきた。

無鉛はんだ。

材料証明。

グリーン調達。

部品表。

化学物質管理。

サプライヤー調査。

工場監査。

代替材料。

リサイクル設計。

もちろん、すべてが美談だったわけではない。

現場は大変だった。

調達先は泣いた。

設計者は困った。

品質部門は胃薬を飲んだ。

でも、そこを通った会社は、欧州市場で戦える資格を持った。

これがスコープ3と似ている。

スコープ3も、会社の中だけでは完結しない。

材料の向こうにサプライヤーがいる。

サプライヤーの向こうに鉱山、化学工場、農場、発電所、港、船、倉庫がいる。

製品の先には、使用、修理、廃棄、回収、リサイクルがある。

RoHSやWEEEが、製品の材料と終わり方を企業に考えさせたように、スコープ3は、製品の生まれ方、運ばれ方、使われ方、捨てられ方を企業に考えさせる。

これは、環境運動のポスターではない。

産業の入場券である。

食品、医薬、航空、建設

厳しい基準で戦う話は、自動車と電子だけではない。

食品もそうである。

海外に食品を売るなら、食品安全、残留農薬、アレルゲン表示、トレーサビリティ、衛生管理、ラベル表示が絡む。

「おいしいです」だけでは通らない。

おいしさは大切である。

しかし、輸出では、証明できる安全性がいる。

医薬品もそうである。

FDA。

EMA。

GMP。

臨床試験。

品質管理。

製造記録。

逸脱管理。

変更管理。

小学生が聞いたら、その場で昼寝を始める言葉が並ぶ。

でも、医薬品はそれを通らなければ売れない。

航空部品も同じである。

空を飛ぶものは、落ちると困る。

「たぶん大丈夫です」では飛ばせない。

材料。

加工。

検査。

熱処理。

トレーサビリティ。

認証。

保守。

全部がつながる。

建設とインフラもそうだ。

日本は地震国である。

耐震基準は甘くない。

基準が甘ければ、地震が採点する。

地震の採点は厳しい。

答案用紙は建物である。

採点結果は、倒壊か、残存かで返ってくる。

だからこそ、日本の建設・インフラ技術には、厳しい基準の中で鍛えられた部分がある。

高速鉄道も同じだ。

車輪。

軸受。

レール。

制御。

保守。

時間通りに走るだけではなく、長年にわたって安全に走る。

ここにも、測定と記録と改善の文化がある。

こうした産業の共通点は何か。

厳しい基準を、現場の管理に変えることである。

言葉を工程へ落とす。

基準を測定へ落とす。

要求を設計へ落とす。

認証を証跡へ落とす。

市場への入場券を、現場で作る。

これができたとき、日本企業は強かった。

スコープ3は新しい品質基準である

ここでスコープ3に戻る。

スコープ3は、CO₂の話である。

しかし、CO₂だけの話ではない。

新しい品質基準である。

昔の品質は、製品が壊れないことだった。

寸法が合っていることだった。

異物が入っていないことだった。

安全に使えることだった。

もちろん、それは今でも必要である。

でも、これからは別の問いが来る。

その製品は、どの材料で作られたのか?

その材料は、どの国から来たのか?

どのくらいのエネルギーを使って作られたのか?

どの船で運ばれたのか?

顧客が使うときに、どれだけ電力や燃料を使うのか?

捨てるときに、燃やすのか、埋めるのか、戻すのか?

その数字は、誰が、いつ、何を根拠に出したのか?

シェリー 俺はうまく歌えているか?

俺はうまく笑えているか?

俺の笑顔は卑屈じゃないかい?

俺は誤解されてはいないかい?

俺はまだ馬鹿と呼ばれているか?

この問いに答えられる会社は、強い。

答えられない会社は、安くても怖い。

スコープ3の数字は、炭素会計の数字である。

同時に、調達力の数字でもある。

物流設計の数字でもある。

製品設計の数字でもある。

顧客理解の数字でもある。

サプライヤー管理の数字でもある。

会社の外側を説明する能力の数字である。

これを軽く見てはいけない。

有価証券報告書に書く数字になるなら、さらに重くなる。

IRが見る。

投資家が見る。

取引先が見る。

銀行が見る。

監査法人が見る。

海外の顧客が見る。

そして、後で過去の数字と比べられる。

「去年はこう書いていましたよね」

この一言が怖い。

子どものころの作文を大人になって読み返されるくらい怖い。

しかも、その作文には排出係数が入っている。

会社の外側を説明できる企業が残る

スコープ3で問われるのは、会社の外側である。

カテゴリ1では、買ったものを見る。

カテゴリ4では、会社に入ってくる物流を見る。

カテゴリ11では、売った製品が使われるときの排出を見る。

カテゴリ12では、売った製品が捨てられるときの排出を見る。

カテゴリ15では、投資先や融資先の排出を見る。

ここまで来ると、会社は自分の外側を知らなければならない。

それは、サプライチェーンを知ることでもある。

製品ライフサイクルを知ることでもある。

顧客の使い方を知ることでもある。

投資先の事業を知ることでもある。

この力は、本来なら経営に必要な力である。

環境開示が来たから急に必要になったわけではない。

会社は昔から、外側に依存していた。

原材料。

エネルギー。

水。

人材。

物流。

市場。

規制。

為替。

資源価格。

地政学。

ただ、それを見ないふりができただけである。

スコープ3は、その見ないふりを少し難しくする。

これを嫌がる会社は多い。

その気持ちは分かる。

会社の外側を見始めると、自分がどれだけ他人の力で動いているか分かってしまう。

工場は自社のものでも、原料は他国から来る。

製品は自社ブランドでも、部品は取引先が作る。

AIサービスは便利でも、データセンターは別の国で電気を食べている。

「自社の努力」と言いながら、外側の誰かに支えられている。

それを認めるのは、少し痛い。

でも、痛いところに経営リスクがある。

日本企業の弱点も出る

ここで、日本企業を褒めて終わるわけにはいかない。

そんな甘い記事ではない。

日本企業には、スコープ3で強くなれる可能性がある。

その反面、弱点もはっきり出る。

第一に、データが散らばっている。

経理には請求書がある。

購買には発注データがある。

製造には燃料や電力データがある。

物流には配送データがある。

海外子会社には現地語の帳票がある。

営業には顧客情報がある。

環境部には、なぜか全部ない。

第二に、システムがつながっていない。

基幹システム。

購買システム。

会計システム。

生産管理。

倉庫管理。

物流管理。

Excel。

Excel。

Excel。

最後に、誰かのデスクトップ。

第三に、証跡の文化が紙で止まっている。

紙は悪くない。

しかし、紙だけでは、検索できない。

集計できない。

監査対応で人が倒れる。

倉庫の段ボールから、過去の請求書を探すことになる。

第四に、下請けに押し付ける癖がある。

大企業が調査票を投げる。

中小企業が困る。

答えられないと、また投げる。

「回答期限は来週です」

来週。

大企業の脱炭素は、なぜか中小企業の金曜日の午後に降ってくる。

これでは、サプライチェーン全体の改善にはならない。

弱い取引先を疲弊させるだけである。

スコープ3を競争力にするには、取引先を殴るのではなく、データを取れる仕組みを一緒に作る必要がある。

ここで日本企業が昔の悪い癖を出すと、負ける。

品質不正という冷水

もう一つ、触れないわけにはいかない話がある。

品質不正である。

日本企業は品質が高い。

そう言われてきた。

そして、多くの分野で、それは今でも正しい。

しかし、品質データの改ざん、検査不正、認証不正が相次いだことで、「日本企業なら安心」という看板には傷がついた。

これはスコープ3でも怖い。

炭素会計は、最初は推計が多い。

排出係数を使う。

活動量データを使う。

按分も使う。

取引先データも使う。

精度は段階的に上げる。

ここまではよい。

問題は、数字をよく見せたい誘惑である。

「このカテゴリは対象外にできませんか」

「排出係数を変えると下がりますね」

「海外子会社は今年入れなくてもいいですか」

「去年と比べると増えすぎるので、説明を変えましょう」

このあたりから、危ないにおいがする。

スコープ3は、完璧な数字から始まるわけではない。

しかし、正直な数字から始めなければならない。

荒い推計でも、荒いと書く。

除外した範囲があれば、除外したと書く。

来年直すなら、直すと書く。

これができない会社は、厳しい基準を競争力に変えられない。

厳しい基準は、嘘をつく会社にも厳しい。

当たり前である。

そしてAIが横から入ってくる

さて、ここでAIである。

なぜスコープ3の記事でAIが出てくるのか。

スコープ3とAI規制は、似ているからだ。

どちらも、会社の外側を説明できるかを問うからである。

スコープ3では、材料、物流、使用、廃棄、投資先を説明する。

AIでは、学習データ、モデル、出力、リスク、人間の監督、ログ、著作権、個人情報、セキュリティ、電力消費を説明する。

どちらも、自社の中だけを見ていては足りない。

ところが、日本のAI政策では、ときどき不思議な言葉が出てくる。

「日本は規制が緩いからチャンス」

おや。

その発想で本当に勝てるのか。

日本企業が世界で勝ってきた局面を思い出してほしい。

排ガス規制が緩かったからHondaが勝ったのか。

違う。

厳しい排ガス規制を技術で超えたから勝った。

RoHSが緩かったから電子産業が鍛えられたのか。

違う。

有害物質規制と材料管理に対応したから市場に残れた。

医薬品がゆるゆる認証だったから世界市場に出られたのか。

違う。

品質、臨床、製造、証跡を積んだから出られた。

航空部品が「たぶん飛びます」で売れたのか。

違う。

落ちたら困るから、厳しい基準がある。

では、なぜAIだけ「緩い規制がチャンス」になるのか。

あ、あんた、バッカじゃないの。

いや、丁寧に言おう。

それは、日本の勝ち筋を取り違えている。

緩い規制は、短期的には楽である。

好きに学習できる。

好きに集められる。

好きに出せる。

説明しなくていい。

記録しなくていい。

責任を曖昧にできる。

最初は速く見える。

でも、それは産業競争力ではない。

それは、舗装されていない下り坂で三輪車を飛ばしているだけである。

速いかもしれない。

ブレーキはない。

ブラックボックスをなめるな

AIでよく出てくる言葉に、ブラックボックスがある。

「ブラックボックスと言うが、数式はある」

こういう反論をする人がいる。

数式があることと、人間が意思決定の理由を説明できることは、同じではない。

小学生でもわかるように言う。

カレーの材料表がある。

玉ねぎ。

にんじん。

じゃがいも。

肉。

スパイス。

水。

火。

では、そのカレーがなぜおいしいのか、材料表だけで完全に説明できるか。

できない。

煮込み時間。

火加減。

切り方。

炒め方。

鍋の厚み。

作った人の癖。

昨日のカレーかどうか。

いろいろ効く。

AIはそれより厄介である。

巨大なニューラルネットワークには、膨大なパラメータがある。

非線形の変換が重なる。

学習データの影響もある。

出力は文脈で変わる。

同じ質問でも、設定や履歴で変わる。

モデルの中身を数式として書けることと、ある出力の理由を社会に説明できることは別である。

ここを混同すると、AIガバナンスは壊れる。

スコープ3でも同じだ。

排出量の計算式はある。

活動量に排出係数を掛ける。

一見、簡単そうに見える。

しかし、その活動量はどこから来たのか。

排出係数はどれを使ったのか。

サプライヤーのデータは測定値か、推計か。

輸送距離は実績か、契約上の距離か。

製品使用時の前提は現実に近いのか。

ここを説明できなければ、数字はただの置物になる。

AIもスコープ3も、式の存在だけでは足りない。

説明できる管理がいる。

緩い規制はチャンスではなく、安売りである

日本がAIで勝つ道は、緩い規制ではない。

高信頼AIである。

データの由来を説明できる。

著作権処理を説明できる。

個人情報の扱いを説明できる。

学習と利用の境界を説明できる。

ログを残せる。

事故が起きたときに追える。

人間の監督を設計できる。

誤情報や差別的出力を減らす運用がある。

サイバー攻撃への備えがある。

利用者にAIであることを伝える。

電力と水とデータセンターの負荷も見る。

これができれば、医療、金融、製造、行政、防災、インフラ、教育などで使えるAIに近づく。

逆に、緩い規制で何でもありにすれば、日本はAIの楽園になるのか。

ならない。

日本語データと著作物と個人情報と電力を、外部の巨大企業が使いやすい場所になるだけである。

それはAI立国ではない。

AI資源植民地である。

日本の規制が緩いから、海外企業が日本で学習する。

日本の著作物が吸われる。

日本の個人データが使われる。

日本の電力が食われる。

日本語圏の情報空間が汚れる。

それで「日本のAI産業が勝つ」と言うなら、なかなか独創的な負け方である。

スコープ3の世界で言えば、こうだ。

サプライチェーンの排出データを取らず、原材料の出所も見ず、製品使用時の排出も見ず、廃棄も見ず、証跡も残さず、

「うちは自由なので速いです」

と言っている会社が、国際市場で信頼されるか。

されない。

AIも同じである。

自由と無管理は違う。

速さと無責任は違う。

革新と無法は違う。

EU AI Actの皮肉

欧州はAI Actを作った。

リスクベースの規制である。

禁止されるAI。

高リスクAI。

透明性が求められるAI。

ほとんどリスクのないAI。

分類して、義務を変える。

もちろん、欧州の規制は重い。

重すぎる部分もある。

そのため、簡素化や実施時期の見直しも進んでいる。

官僚制の大陸は、規制を作ってから自分で書類に埋もれることがある。

そこは笑ってよい。

ただし、笑って終わりではない。

欧州は、AIを社会に入れるなら、信頼、透明性、説明責任、ログ、人間の監督、データ品質、サイバーセキュリティを考えろと言っている。

これはスコープ3と同じ方向である。

会社の外側まで説明しろ。

後で検証できるようにしろ。

利用者や投資家や社会に対して、根拠を持て。

その発想自体は、産業の信頼性を作る。

日本がやるべきなのは、欧州規制を丸写しすることではない。

欧州の重さを笑いながら、信頼性の芯だけを取り出し、日本の産業が得意な工程管理、品質管理、証跡管理、現場改善に落とすことである。

それができれば、AIでも日本の勝ち筋はある。

できなければ、AIで「緩い規制」を誇り、スコープ3で「数字がありません」と言う国になる。

それは、なかなか味わい深い沈み方である。

スコープ3とAIは、同じ会社に来る

ここで経営者に嫌なことを言う。

スコープ3とAIガバナンスは、別々の問題ではない。

同じ会社に同時に来る。

製造業は、AIで生産管理を効率化する。

でも、そのAIはどのデータで学習したのか。

クラウドはどこで動いているのか。

利用料はカテゴリ1に入るのか。

データセンターの電力はどう考えるのか。

品質検査AIが誤判定したとき、誰が責任を持つのか。

物流会社は、AIで配送を最適化する。

でも、配送データは正しいのか。

燃費データは取れるのか。

削減効果をどう証明するのか。

小売業は、AIで需要予測をする。

食品ロスは減るかもしれない。

でも、売れ残り、冷蔵、配送、廃棄のデータがなければ、スコープ3にはつながらない。

金融機関は、AIで融資審査をする。

投資先の排出も見る。

でも、AI審査の説明責任と、カテゴリ15の排出説明が同時に問われる。

AIは便利である。

スコープ3も、データ処理ではAIを使える。

しかし、AIで数字を作れば終わりではない。

AIが出した数字の根拠を、人間が説明できなければならない。

「AIがそう言いました」

これは、会議室では便利な言葉かもしれない。

監査では弱い。

取引先にはもっと弱い。

裁判では、たぶん寒い。

スコープ3を競争力に変える条件

では、日本企業はどうすればよいのか。

まず、自社の重いカテゴリを見つける。

15カテゴリ全部を同じ熱量で抱え込まない。

製造業なら、購入品、資本財、燃料の上流、物流、販売後の使用、廃棄が重くなりやすい。

金融なら投資が重い。

ITならクラウド、データセンター、半導体、AIサービスの外側が効く。

食品なら農業、包装、物流、廃棄、冷蔵が効く。

次に、データの持ち主を探す。

環境部だけで探さない。

経理。

購買。

製造。

物流。

営業。

人事。

法務。

海外子会社。

情報システム。

取引先。

全部、関係する。

第三に、証跡を残す。

何を使ったか。

誰からもらったか。

いつのデータか。

測定値か、推計か。

排出係数はどれか。

どこを除外したか。

なぜその方法にしたか。

来年どこを直すか。

第四に、取引先と一緒に改善する。

調査票を投げるだけではだめである。

中小企業にCO₂の宿題を丸投げしても、排出は減らない。

むしろ、取引先が疲弊する。

データの取り方を教える。

回答形式をそろえる。

必要な粒度を明確にする。

過剰な要求をしない。

秘密情報を守る。

改善できた取引先を評価する。

ここまでやって、サプライチェーンの競争力になる。

第五に、製品そのものを変える。

カテゴリ11とカテゴリ12は、とくに製品設計に効く。

使うときに電力を食う製品なら、省エネ性能がスコープ3削減になる。

燃料を使う製品なら、効率が武器になる。

廃棄しにくい製品なら、設計を変える。

分解しやすくする。

材料を整理する。

回収ルートを作る。

製品の終わり方まで考える。

これは、昔から日本企業が得意だったはずの分野である。

ただし、得意だったことと、今も得意であることは同じではない。

油断すると、得意技は昔話になる。

サスティナぶる会社の終わり

ここで、サステナブルとサスティナぶるの違いを思い出そう。

サステナブルは、持続可能であること。

サスティナぶるは、持続可能っぽい言葉を使って、持続可能な気分になることである。

スコープ3は、サスティナぶる会社を苦しめる。

なぜなら、雰囲気では逃げにくいからである。

美しい森の写真。

子どもの笑顔。

緑色のグラデーション。

丸い地球。

手のひらの芽。

これらは、統合報告書の表紙にはなる。

しかし、カテゴリ1の購入品排出量にはならない。

カテゴリ11の製品使用時排出にもならない。

カテゴリ15の投資先排出にもならない。

緑色の表紙は、排出係数ではない。

ここで会社は分かれる。

サスティナぶる会社は、写真を増やす。

サステナブルな会社は、データを増やす。

サスティナぶる会社は、メッセージを整える。

サステナブルな会社は、調達先を整える。

サスティナぶる会社は、カーボンニュートラル宣言を増やす。

サステナブルな会社は、物流と製品設計とエネルギー効率を直す。

この違いは、最初は目立たない。

しかし、有価証券報告書、取引先調査票、保証対応が重なると、じわじわ差が出る。

スコープ3は、会社のポエムを数字へ引きずり下ろす。

地味だが、効く。

小学生向けのたとえ

最後に、小学生向けにまとめよう。

スコープ3は、クラス全員で作る給食のカレーに似ている。

自分の鍋だけ見ても足りない。

玉ねぎは誰が持ってきたのか。

にんじんはどこで作られたのか。

肉は冷蔵で運ばれたのか。

じゃがいもは余ったのか。

ガスはどれだけ使ったのか。

食べ残しはどうしたのか。

皿は誰が洗ったのか。

水はどれだけ使ったのか。

全部がカレーの外側にある。

でも、カレーを作るには全部必要である。

ここで、先生が言う。

「来年から、このカレーの作り方を記録して提出してください」

クラスは騒ぐ。

「めんどくさい」

「カレーが冷める」

「食べればいいじゃん」

「去年はそんなこと言われなかった」

その中で、一つの班だけが言う。

「材料表はあります」

「買った店も分かります」

「ガスの量も記録しました」

「食べ残しも測りました」

「来年はじゃがいもを減らします」

この班は強い。

めんどくさい班である。

でも強い。

スコープ3の世界では、このめんどくさい班が仕事を取る。

AIでも同じだ。

「AIが作りました。理由は知りません。データも知りません。電力も知りません。著作権も知りません」

この班は、自由そうに見える。

でも先生に怒られる。

社会では、先生の代わりに、顧客、投資家、規制当局、裁判所、監査法人、炎上するSNSが来る。

先生より怖い。

本日のまとめ

第5話をまとめる。

日本はスコープ3を発明した国ではない。

しかし、GHG ProtocolのScope 3 Standardが出た直後から、環境省と経産省がサプライチェーン排出量の国内ガイドラインを整えていた。

早い段階で面倒な宿題に触れていたことは、日本企業にとって財産になり得る。

厳しい基準は、コストである。

同時に、ふるいでもある。

HondaのCVCC、RoHS、WEEE、食品安全、医薬品、航空部品、耐震技術のように、日本企業は厳しい基準を品質、工程、証跡、現場改善に変えたときに強かった。

スコープ3も、うまく扱えば新しい品質基準になる。

会社の外側を説明できる企業は、取引先、投資家、海外市場に対して強くなる。

ただし、これは自動勝利ではない。

データが散らばり、システムがつながらず、紙の証跡に埋もれ、取引先に調査票を投げるだけなら、負ける。

品質不正のように、数字をよく見せる誘惑に負けても、負ける。

そしてAIで「規制が緩いからチャンス」と言う発想も危ない。

日本の勝ち筋は、無管理の速さではない。

高信頼、説明可能性、証跡、データの由来、権利処理、安全性、エネルギー制約まで見たうえで、厳しい基準を実装できる力である。

スコープ3もAIも、同じことを聞いている。

あなたの会社は、自分の外側を説明できますか。

答えられない会社は、静かに会議室で固まる。

答えられる会社は、面倒くさい顔をしながら、次の取引に進む。

次回予告

次回は、少し日本の環境政策をいじる。

レジ袋で地球を救えると思った国の有報開示。

プラスチック。

包装材。

廃棄。

リサイクル。

カテゴリ1とカテゴリ12。

そして、環境政策がどのように「やっている感」に変わるのか。

スコープ3は、そのやっている感をどこまで数字に引きずり下ろすのか。

その話をしよう。

連載リンク

第1話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ①|有価証券報告書にCO₂がやってくる

https://note.com/aiethics496/n/n5467ae1329fa

第2話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ②|Scope 1・Scope 2・Scope 3は何が違うのか

https://note.com/aiethics496/n/nc397d8f23175

第3話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ③|CO₂調査票が来た会社の末路

https://note.com/aiethics496/n/nb823fd9a43e7

第4話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ④|スコープ3の15カテゴリは、全部読むと眠くなる

https://note.com/aiethics496/n/n385045ac862c

第5話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑤|厳しい基準で勝つ国、緩い規制で沈むAI

https://note.com/aiethics496/n/n219d91fc6a14

第6話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑥|レジ袋で地球を救えると思った国の有報開示

https://note.com/aiethics496/n/n587496f58475

第7話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑦|廃食油はどこにも余っていない

https://note.com/aiethics496/n/n9b8378886dcf

第8話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑧|水素は夢のエネルギーではなく運び屋である

https://note.com/aiethics496/n/ne0e33cc6ee07

第9話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑨|化学肥料が止まると、持続可能な農業は江戸時代に戻る

https://note.com/aiethics496/n/n16ed7ab944b4

第10話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑩|植林クレジットは木を植えれば終わりではない

https://note.com/aiethics496/n/nd0b21f6d8176

第11話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑪|AIデータセンターは電気を食ってCO₂を吐く

https://note.com/aiethics496/n/n88c755206bc5

第12話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑫|企業は自社の外側を知らない

https://note.com/aiethics496/n/ndde4684c9afd

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