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小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑦

廃食油はどこにも余っていない

文・武智倫太郎

前回は、レジ袋で地球を救えると思った国の有価証券報告書について説明した。

レジ袋を減らす。

プラスチックを減らす。

ストローを紙にする。

スプーンを木にする。

そして人類は、なぜか少しだけ地球を救った気分になる。

しかし、地球はそれほど簡単ではない。

レジ袋を一枚断ったくらいで、地球が「ありがとう、日本」と言ってくれるなら、気候変動問題はとっくに終わっている。

終わっていない。

むしろ、終わる気配がない。

そこで今日は、もうひとつの美しい物語について説明する。

廃食油である。

使い終わった天ぷら油。

ラーメン屋のスープに浮かぶ油。

飲食店の裏口に置かれた油の缶。

これを集めて燃料にすれば、車が走る。

飛行機も飛ぶ。

地球も救える。

あまりにも美しい話なので、ここで立ち止まったほうがよい。

大人の世界では、美しすぎる話ほど、計算が足りないことがあるからである。

とんこつラーメンの油で車が走る

まず、誤解しないでほしい。

ラーメン屋は悪くない。

廃食油を回収して燃料にする会社も悪くない。

地域の中で、捨てられるはずだった油を集め、ディーゼル燃料の一部として使う取り組みは、工夫として面白い。

とんこつラーメンのスープから油を回収する。

天ぷら油と混ぜる。

バイオディーゼル燃料にする。

それをトラックに使う。

こういう話は、地域循環として筋が通っている。

問題は、その次である。

テレビや新聞が、こう言い始める。

「ラーメンの油でトラックが走る」

「廃棄物が燃料に生まれ変わる」

「地球にやさしい新エネルギー」

「地域発の脱炭素」

ここで、話が少しずつおかしくなる。

ラーメン屋の裏口にある油は、燃料になるかもしれない。

では、日本中のトラックを走らせるほどあるのか。

日本中の飛行機を飛ばすほどあるのか。

工場を動かすほどあるのか。

船を動かすほどあるのか。

小学生のみんなは、ここで冷静に考えてほしい。

日本中の車を走らせるには、日本中の人が毎日とんこつラーメンを食べ続けなければならないのではないか。

しかも、ただ食べるだけでは足りない。

スープまで飲み干す。

替え玉をする。

背脂を追加する。

チャーシューも増やす。

「燃料安全保障のためです」と言いながら、全国民が朝から晩までラーメン鉢を抱える。

するとどうなるか。

脱炭素の前に、脱塩分が必要になる。

SAFの前に、血圧が上がる。

バイオディーゼルの前に、健康診断の数値が赤くなる。

国土交通省が「持続可能な燃料」と言っている横で、厚生労働省が静かに頭を抱える。

環境省が「地域循環」と言っている横で、循環器内科が混み始める。

これでは、物流を脱炭素化する前に、人間の循環器が先に詰まってしまう。

どんぶりは燃料タンクではない

とんこつラーメンは文化である。

ラーメンはおいしい。

そこは動かない。

問題は、文化を食べ物として楽しむ話と、日本全体の燃料供給を支える話を、同じどんぶりに入れてしまうことである。

どんぶりは万能ではない。

替え玉をしても、資源量は増えない。

増えるのは、血圧である。

中性脂肪である。

LDLコレステロールである。

尿酸値である。

γ-GTPである。

ALTである。

ASTである。

空腹時血糖である。

HbA1cである。

腹囲である。

そして、健康診断票の右端に静かに並ぶ「H」の文字である。

国民は燃料安全保障の名のもとに、朝から替え玉をし、昼に背脂を足し、夜にスープを飲み干す。

翌朝、血圧計が静かに反乱を起こす。

尿酸値が7.0を超えたあたりで、足の親指が国際情勢よりも不安定になる。

肝臓は黙っている。

腎臓も黙っている。

肝臓と腎臓は、限界の近くまで黙って働く。

その沈黙をいいことに、人類は替え玉を注文する。

環境省は「地域循環型バイオ燃料」と言う。

国土交通省は「次世代ディーゼル」と言う。

経済産業省は「国産エネルギーの可能性」と言う。

その横で、厚生労働省だけが、沈黙したまま塩分摂取量のグラフを見ている。

心臓は言う。

「聞いていない」

血管は言う。

「この政策は通せない」

肝臓は言う。

「またお前たちか」

腎臓は言う。

「濃い。すべてが濃い」

膵臓は、会議に出席すらしない。

さらにワイドショーが本気を出せば、ここにグルタミン酸ナトリウム、いわゆるMSG症候群まで持ち出されるかもしれない。

頭痛。

ほてり。

動悸。

しびれ。

それが本当にMSGのせいかどうかを丁寧に検証する前に、テレビは言う。

「ラーメン燃料社会に潜む、もう一つのリスク!」

こうなると、もはや何の話をしているのか分からない。

脱炭素のためにラーメンを食べるのか。

ラーメンを食べた結果として燃料が出るのか。

燃料を作るために国民を高血圧にするのか。

高血圧になった国民を運ぶ救急車も、またラーメン油で走らせるのか。

地獄の永久機関である。

ラーメン、止めますか。

それとも、人間やめますか。

もちろん、ラーメンをやめろと言っているわけではない。

スープを飲み干しても、エネルギー収支は改善しないと言っているだけである。

廃食油は「余っている油」ではない

ここで、ようやく本題である。

廃食油は、どこにも余っていない。

「廃」と書いてあるから、みんな勘違いする。

廃食油。

廃棄物。

いらないもの。

捨てられるもの。

だから、これを使えば一石二鳥だと思ってしまう。

現実は違う。

飲食店や食品工場から出る廃食油は、昔から回収されてきた。

飼料になる。

石けんになる。

工業原料になる。

インクや潤滑油の原料になる。

バイオディーゼル燃料にもなる。

輸出されるものもある。

廃食油は、誰も使っていない油ではない。

すでに誰かが使っている油である。

そこへ、航空会社がやってくる。

「SAFに使いたいです」

石油会社もやってくる。

「バイオ燃料に使いたいです」

商社もやってくる。

「脱炭素ビジネスに使いたいです」

自治体もやってくる。

「地域循環に使いたいです」

大企業もやってくる。

「スコープ3削減に使いたいです」

急に人気者である。

昨日まで飲食店の裏口にいた油が、いきなり環境ビジネス界のアイドルになる。

しかし、人気者になったからといって、油の量が増えるわけではない。

増えるのは、報道と資料と説明会である。

スコープ3地獄としての廃食油

ここで、スコープ3が登場する。

スコープ3とは、会社の外側にあるCO₂まで数えようという、大人の自由研究である。

航空会社なら、燃料の調達や使用が問題になる。

物流会社なら、トラックの燃料が問題になる。

食品会社なら、原材料、包装、輸送、廃棄が問題になる。

大企業なら、取引先全体の排出量が問題になる。

そこで、誰かが言う。

「廃食油由来の燃料を使えば、排出量を減らせます」

条件が整えば、そうなる場合もある。

問題は、いつも条件である。

その廃食油は、どこから来たのか。

もともと何に使われていたのか。

別の用途から奪っていないのか。

回収、精製、輸送にどれだけエネルギーを使ったのか。

誰がその削減を主張するのか。

燃料会社か。

運送会社か。

航空会社か。

荷主か。

出張した会社か。

投資家か。

ここで、油は燃料ではなく、帳簿上の争奪戦になる。

一つの油に対して、みんなが「それ、うちの脱炭素です」と言い始める。

これがスコープ3地獄である。

油は一滴なのに、削減主張だけが何社分にも増える。

給食のプリンが一個しかないのに、クラス全員が「それ、ぼくのです」と言っているようなものだ。

先生は困る。

監査法人も困る。

メディアが大好きな「小さな救世主」

日本のマスメディアは、この手の話が大好きである。

レジ袋を減らしました。

紙ストローにしました。

とんこつ油で車が走りました。

廃食油で飛行機が飛びました。

ミドリムシで燃料を作りました。

水素で未来が変わります。

アンモニアで火力発電がクリーンになります。

eFuelでガソリン車が救われます。

どれも、見出しにすると美しい。

映像にもなる。

小学生にも説明しやすい。

しかも、悪者が出てこない。

みんなで頑張っている感じがする。

しかし、資源経済学では、そこで止まってはいけない。

量は足りるのか。

価格は成立するのか。

既存用途を奪っていないか。

エネルギー収支は合うのか。

補助金なしで続くのか。

本当にCO₂は減っているのか。

削減量は誰が数えているのか。

この質問をすると、急に番組の空気が重くなる。

だから、テレビではあまり聞かない。

聞くと、きれいな話が終わってしまうからである。

ユーグレナの夢も同じ話法である

ここで、ミドリムシ燃料の話も思い出してほしい。

ミドリムシ。

名前がかわいい。

緑色である。

光合成をする。

燃料になる。

飛行機が飛ぶ。

これだけ聞くと、夢のようである。

だが、燃料というものは、夢では動かない。

エネルギーで動く。

ミドリムシを育てるには、光がいる。

水がいる。

栄養塩がいる。

設備がいる。

温度管理がいる。

回収がいる。

乾燥がいる。

抽出がいる。

精製がいる。

そこまでやって得られる油が、投入したエネルギーに見合うのかという問題がある。

ここを見ないまま、「ミドリムシで飛行機が飛ぶ」と言うと、話は急に童話になる。

童話なら、それでよい。

上場企業の説明資料、有価証券報告書、政策予算の根拠にするなら話は別である。

小学生向けの夢の話を、大人の投資判断に混ぜてはいけない。

とんこつ油は悪くない

もう一度、線を引いておく。

とんこつラーメンの油は悪くない。

廃食油を集める人も悪くない。

地域で資源を回すことも悪くない。

現場の工夫としては立派である。

問題は、それを見たメディアが、すぐに「脱炭素の切り札」のように報じることである。

小さな循環は、小さな循環として評価すればよい。

地域の取り組みは、地域の取り組みとして紹介すればよい。

それを日本全体のエネルギー問題、航空業界の脱炭素、大企業のスコープ3削減と同じ棚に置くと、話がおかしくなる。

家庭菜園でトマトが採れたからといって、日本の食料安全保障が解決したとは言わない。

学校の屋上に太陽光パネルを置いたからといって、日本の電力問題が解決したとは言わない。

ラーメン屋の油でトラックが一部走ったからといって、日本の物流が脱炭素化したとは言わない。

言わないはずである。

だが、環境報道になると、なぜか言ってしまう。

廃食油を取り合う未来

これから、廃食油はますます取り合いになる。

航空業界はSAFが欲しい。

物流業界はバイオディーゼルが欲しい。

石油会社は脱炭素燃料の実績が欲しい。

食品会社は廃棄物削減の実績が欲しい。

自治体は地域循環の物語が欲しい。

投資家はESGの説明が欲しい。

大企業はスコープ3削減の数字が欲しい。

みんなが欲しい。

だが、油は増えない。

ここで市場価格が上がる。

回収競争が起こる。

輸入廃食油の話が出る。

認証の話が出る。

トレーサビリティの話が出る。

二重計上の話が出る。

そして最後に、誰かが言う。

「この燃料は本当に廃食油由来ですか」

地獄の扉が開く音がする。

なぜなら、スコープ3では、燃料を買っただけでは終わらないからである。

その燃料が何から作られたのか。

どこで作られたのか。

どの排出係数を使うのか。

誰が証明するのか。

他の会社も同じ削減を主張していないのか。

ここまで追いかける必要が出てくる。

廃食油は燃料になる前に、証明書になる。

そして、証明書になると、大人たちは急に元気になる。

地球を救う前に、算数をしよう

小学生のみんな。

環境問題で一番大事なのは、やさしい気持ちだけではない。

算数である。

どれくらいあるのか。

どれくらい使うのか。

どれくらい減るのか。

どれくらい費用がかかるのか。

どれくらい続くのか。

この五つを考えないと、環境対策はすぐに物語になる。

物語は大事である。

人間は物語なしには動かない。

だが、物語だけで飛行機は飛ばない。

飛行機を飛ばすには燃料がいる。

燃料を作るには資源がいる。

資源を集めるには物流がいる。

物流にはまた燃料がいる。

それらを全部数えようとすると、スコープ3がやってくる。

とんこつラーメンの油で車が走るという話は、入口としては面白い。

だが、それを出口にしてはいけない。

入口である。

そこから先に、資源量、既存用途、エネルギー収支、価格、認証、二重計上、有価証券報告書が待っている。

やはり地獄である。

おわりに

廃食油は、魔法の油ではない。

とんこつラーメンの油は、日本を走らせるために存在しているわけではない。

ミドリムシは、航空業界の罪悪感を吸収するために泳いでいるわけではない。

SAFは、広報資料の中でだけ無限に増える燃料ではない。

小さな循環を否定する必要はない。

しかし、小さな循環を巨大な救世主に見せる報道は疑ったほうがよい。

地球を救う話は、気持ちよく始まる。

そして、数字を見た瞬間に静かになる。

スコープ3地獄とは、その静かになった会議室で、誰かがそっとExcelを開くところから始まるのである。

連載リンク

第1話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ①|有価証券報告書にCO₂がやってくる

https://note.com/aiethics496/n/n5467ae1329fa

第2話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ②|Scope 1・Scope 2・Scope 3は何が違うのか

https://note.com/aiethics496/n/nc397d8f23175

第3話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ③|CO₂調査票が来た会社の末路

https://note.com/aiethics496/n/nb823fd9a43e7

第4話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ④|スコープ3の15カテゴリは、全部読むと眠くなる

https://note.com/aiethics496/n/n385045ac862c

第5話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑤|厳しい基準で勝つ国、緩い規制で沈むAI

https://note.com/aiethics496/n/n219d91fc6a14

第6話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑥|レジ袋で地球を救えると思った国の有報開示

https://note.com/aiethics496/n/n587496f58475

第7話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑦|廃食油はどこにも余っていない

https://note.com/aiethics496/n/n9b8378886dcf

第8話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑧|水素は夢のエネルギーではなく運び屋である

https://note.com/aiethics496/n/ne0e33cc6ee07

第9話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑨|化学肥料が止まると、持続可能な農業は江戸時代に戻る

https://note.com/aiethics496/n/n16ed7ab944b4

第10話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑩|植林クレジットは木を植えれば終わりではない

https://note.com/aiethics496/n/nd0b21f6d8176

第11話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑪|AIデータセンターは電気を食ってCO₂を吐く

https://note.com/aiethics496/n/n88c755206bc5

第12話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑫|企業は自社の外側を知らない

https://note.com/aiethics496/n/ndde4684c9afd

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