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連載恋愛小説-「秘密」①


《あらすじ》
僕が好きになった人は好きになってはいけない人だった。

父が連れてきたその人は、いつだって優しく僕のそばにいてくれた。
名前をつけられない感情と、僕はずっと生きてきた。その人もまた、同じだったのだと思う。
その人が幼い僕に、「お母さんと呼ばなくていいよ。」と言ったその時から、僕たちの秘密は始まっていたのかもしれない。

父が亡くなり"お母さんと呼ばないその人”と、二人で暮らす日々はこのままずっと続くと思っていた。その穏やかな生活の中に忍び込んだあることがきっかけで、僕たちは自分たちの気持ちに蓋をすることができなくなった。

そうして、僕たちは僕たちにしかわからない秘密の道を静かに歩き始めた。  (296文字)


               (3013文字)

窓から入る穏やかな日差しの中、車椅子のいっちゃんは、夢を見ているような柔らかな表情で、眠るように僕を置いて逝ってしまった。

享年八十二歳。

僕の一番大切な、愛した人。


僕を産んでくれた母は僕が三歳の時に病気で亡くなったと聞いていた。二、三歳の頃の僕は、「マンマ、マンマ。」と、後追いをして泣いていたらしいけれど、幼すぎてその頃の記憶はほとんどない。物心ついた時には、祖母であったり、家政婦のトキエさんが僕の世話をしてくれていた。

家のリビングの奥の間の和室には仏壇があり母の位牌と写真が置いてある。写真の中の母は少し微笑んだような優しそうな顔をしている。三歳の頃から毎朝毎晩欠かさず、父や祖母やトキエさんと一緒に母に手を合わせその日の挨拶やお話しをして、お昼間に摘んできたタンポポを置いたり、頂いたお菓子を置いたりした。

初夏の清々しい風が吹くある日、いつもは仕事で忙しく家にいない父がトキエさんにあれこれ注文を出している。僕にも朝から「お客さんがあるからいい子でいるんだよ。」と声をかけ、玄関のチャイムの音に反応し、そちらに向かっている。僕が玄関の方を覗き込んでいると何やら話し声が聞こえてきた。

「和樹、こっちにおいで。こちら、今井逸子(いまいいつこ)さん。今、お父さんがお付き合いをしている人なんだ。和樹の新しいお母さんになる人だよ。ご挨拶しなさい。」

僕は意味が理解できないまま、初めて見る女の人に緊張して
「こんにちは。」
っと声を出すのがやっとだった。
「初めまして。こんにちは、和樹君。」

初めて見た女の人は、僕の目線に合わせてしゃがみこみ、目尻を下げにっこりと微笑んでくれた。何だか写真の中のお母さんに出会えたようで、単純な僕はそれだけで嬉しくなった。肩より長い髪で、白いブラウスのふっくらした袖から出ている腕が、細くて白くて柔らかそうで、お隣のマチコちゃんが持っていたリカちゃん人形みたいだなって思った。

これがいっちゃんとの初めての出会いだった。

父といっちゃんが結婚したのは年が明けてヒバリが鳴き始めた頃、僕が小学校二年生になった年だった。たしかいっちゃんはその頃二十二歳で歳の離れた父と並んでいると、僕にはお姉ちゃんが家に来てくれたように思えた。父はいっちゃんのことを「お母さん、って、呼びなさい。」って言った。いっちゃんは僕に「無理してお母さんって呼ばなくてもいいからね。いっちゃんでもいいわよ。」って笑いながら言った。僕はどうしたらよいのかわからなくなって、父のいる時はお母さん、父のいない時はいっちゃんと気が付けば使い分けをするようになっていた。偶然父が耳にした時には不機嫌そうな顔をしたが何も言わなかった。

初めて家に来た日から、いっちゃんは仏壇のお母さんに手を合わせることを忘れなかった。夜は僕と一緒に手を合わせ「今日も一日、無事過ごすことが出来ました。ありがとうございました。」と小さな声で言う。いっちゃんが亡くなった母のことも大切に思ってくれていることを僕は小さいながらにも感じていて、より親しみを持っていった。

父といっちゃんと僕との生活は、いや、正直に言うと、いっちゃんと僕との生活はとても楽しいものだった。父は仕事が忙しく、海外出張だの接待だのでほとんど家にいなかった。今思うとあの頃の父は、やっと仕事に集中出来る環境になったということなのだろう。なんでいっちゃんは父と結婚したんだろう、と思ったけれど僕にとっては嬉しいことばかりだった。毎朝母に手を合わせてからいっちゃんと向かい合わせになって食べる朝ごはん。リンゴが好きな僕にはいつも一切れ多めに入れてくれる。学校から帰ると
「和くーん。おかえりー。」
っと、庭の植木の影から顔を出してくれる。
僕のおふざけにも乗ってくれて、広い庭で追いかけごっこをする。
「はぁ、はぁ、はぁ、だめだ。和くんは足が速い。追いつけないや。和くん、三時のおやつしょ。今日は和くんの好きなアイスクリームだよ〜。」
「やったー。」
二人で家の中でまた、向かい合わせになって座る。「う〜ん。冷たーい。美味しいねぇ〜。」
いっちゃんが目を丸くしてそれからキュッと目を瞑り皺を作って笑いながらアイスクリームをペロリと舌ですくう。いっちゃんの鼻の頭にバニラが付いている。それを見て僕は笑う。

いっちゃんの顔は忙しい。僕はそれを見ているだけでいつも愉快な気持ちになってくる。

父が帰ってくる日のいっちゃんは、いつもより少しお化粧が濃くてスカートをはいてゆっくりとお買い物をする。
「和くん、今日は嬉しいね。お父さん、帰ってくる日だよ。今夜はご馳走何を作ろうか。」
と、いっちゃんは言ってくれるけれど僕はあんまり嬉しくない。なぜなら、父の帰ってくる日はいっちゃんと一緒にお布団に入って寝れないから。

いっちゃんが来る前は、僕は父や祖母と寝ていた。いっちゃんがきた時にはもう、祖母はこの世にいなかった。祖母が他界してからしばらくは、トキエさんが夜遅くまでいてくれて父と入れ替わり帰って行った。 
いっちゃんがきた日、「もうこれからは自分の部屋で寝るように。」と、父に言われ心細く思ったけれど、いっちゃんが僕の部屋を僕の好きな車のおもちゃで飾ってくれたり、眠りに入るまでは枕元で絵本の読み聞かせをしてくれたので、僕は安心して眠ることができた。

父が出張でいないある夜、僕は怖い夢を見て目が覚めると同時に大声で泣き出した。声を聞きつけたいっちゃんが慌てて隣の部屋からやってきて、僕の体を起こしギュッと抱きしめてくれた。
「怖かったね。大丈夫だよ。」
と、僕の頭を優しく撫でて匂いを嗅ぐような仕草をし、いっちゃんのお布団に連れていってくれた。いっちゃんの方を向いている僕を愛おしそうに見つめ、目を瞑った僕の背中を優しくトントンと眠りに入れるようリズムをとってくれた。僕はその時のいっちゃんの匂いと心地良さが忘れられず、
「僕、いっちゃんと寝たい。」
っと我儘を言った。そうしたらいっちゃんも、
「私もよ、和くん。お父さんがいない時だけね。」って言ってくれた。

最初に出来た二人だけの秘密だった。

僕が生まれた昭和最後の頃、当時はまだ、参観日と言っていた。今日は初めていっちゃんが学校に来てくれる。友達に、いっちゃんが友達のお母さんより若くて可愛いことを少し自慢したい気持ちになっていた。教室の窓からいっちゃんの姿を見つけた時は嬉しくて思わず手を振った。いっちゃんは、白い長袖シャツにベージュのスカートをはいて目立たない服装で来ていたけれど、綺麗にお化粧をしたリカちゃん人形のようないっちゃんを、友達は何回も振り返って見ていたし、友達のお母さん達もチラチラと見ているようだった。僕は少し鼻高々で家に帰った。

次の日、学校に行くと友達が周りに集まってきて口々に喋る。

「和樹くんのお母さんって、すんごく可愛かったよね。」
「羨ましい〜。いいなぁ〜。」
「和樹んちのお母さんって、サイコンなんだろ?だからあんなに若いんだって、うちのお母さんが言ってた。」 
「ふぅ〜ん。和樹んち、お金持ちだから?」
「バカ。なんだか、悪口に聞こえるよ。」
「だって、うちのお母さん言ってたもん。お金があるからね。って。」
「本当のお母さんじゃないんだから大変なんじゃない?」

家に帰って僕は多分いつもより無口で機嫌が悪かったんだと思う。いっちゃんがそれに気がついて、

「和くん、学校で何かあった?私のこと、言われた?」

僕は図星だったので思わず顔を上げていっちゃんの顔を見た。
いっちゃんはにこにこしたまま、

「ほぉ〜ら、やっぱりね。逸子には何でもお見通しなんだから〜。」  

っと、左右の頬っぺたをこぶしでぐりぐりされた。

「私があんまりにも若くて綺麗だから、みんな、嫉妬しちゃったんでしょ。」

僕は自分の気持ちがよくわからないまま赤くなったほっぺを膨らまし、拗ねた顔をした。

「ごめんね、和くん。私のために少し腹が立ったんでしょ?ありがとう。ふふふっ。今度みんなに遊びに来るように言っといて。美味しいクッキーでも焼くね。」

その夜、また、いつものようにいっちゃんのお布団を頭まですっぽり被り、いっちゃんの方を向き柔らかな胸に顔を押しあてて匂いを嗅いだ。いっちゃんは何も言わず僕をキュッと一度強く抱きしめた後、僕が息が出来るようにそっとお布団を下げ、片方の腕はそのまま腕枕のように僕の頭の上に置き、もう片方の腕はダラリと自分の足に手を置いて息を整えかけた。僕は置いてきぼりにされないように急いで眠りについた。

続く

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