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【小説】ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色(第66話「木の音と、猫の気配と」/「木の香のする午後に、そっと」)


ここに、おったけん――猫は何も言わんけど、佐世保は知っとるまち景色

サイドB:「木の音と、猫の気配と」


窓枠にサンドペーパーをかけると、ふわりと木の香りが立ちのぼる。
坂井仁は、その匂いが好きやった。
古い柱の下に指を添えて、手触りば確かめる。
細かく削れば削るほど、木が息ば吹き返すごたる気がした。

築六十年のこの家に住み始めて、もうすぐ三年になる。
東京での仕事ば辞め、どこかへ逃げるようにして辿り着いた佐世保。
地図も見らんで歩いていて、「この音や」と思った家やった。

昼下がり、坂の町は静かかった。
郵便配達のバイクが遠ざかり、あとは風の音だけ。
縁側の上に腰ば下ろして、仁は少しだけ目を閉じた。

トン、トン、と、自分の心音だけが、耳の奥で響いとる。
ひとりきりの午後。誰に急かされるわけでもなく、ただ今日の作業の続きば思い描く。
——それで、十分やった。そがん思っとった。

カン…、と工具箱の横に、やわらかい音。

目を開けると、そこに猫が一匹おった。

白地に茶ぶちの毛並み。片耳に、小さな傷。
見たことのある猫や。向かいの角のおばあさんが「最近よう来るとよ」と言っていたやつ。

「……また来たんか」

猫は何も言わん。ただ、仁の隣に座った。
遠慮もなく、でも押し付けがましくもなく。
ただそこに、“おる”。

仁は、小さく笑った。
人と距離を取るのは慣れとった。
誰にも迷惑ばかけんごと、ただ静かに生きときたかった。
けど、この猫は、何も言わんでも近くに来る。
それが、妙に心地よかった。

トントンという音を再び響かせながら、仁はふと考えた。
この音ば聞いて、「今日もがんばっとるね」って声をかけてくれる人たちが、少しずつ増えた。
誰にも必要とされんと思っとった。ばってん——もしかすると、ちょっとだけ、ここに“居ていい”と思えるようになったのは、この家と、そしてこの猫のおかげかもしれん。

猫は、しばらくしてゆっくり立ち上がった。
庭先に出て、春の日差しの中、しっぽばひとふり。

——ここに、おったけん。
たったそれだけで、今日はなんだか、進みたくなった。

仁は、工具ば握り直して、また窓枠に手を伸ばした。


【了】


サイドA「木の香のする午後に、そっと」


風が、ゆるやかに坂ば吹き上げとった。
春日町の家並みのあいだを抜ける風は、木の匂いば運んでくる。
おれは、その匂いに誘われるごと、小道を歩いとった。

トントン、ギィ、キュッ。
静かな午後にまざる、小さな音。
その音は、やさしかった。

おれは、坂の中腹にある古か家の前で立ち止まった。
開け放たれた縁側から、日差しがのびとる。
その端っこに、ひとりの人がおった。

男の人。
窓枠に何かを塗り込みながら、まぶしそうに目を細めとる。
おれは、そっと縁側にのぼり、工具箱の横に座った。

気づいたその人が、小さくつぶやいた。
「……また来たんか」

おれは、返事せん。
ただそこに“おる”だけ。

この人の心の音は、すこし乾いて、とぎれとぎれやった。
けど、その音は、ちゃんと生きとった。
ちいさかけど、確かに響いとった。

誰にも必要とされとらん、て思い込んどる音。
でも——本当は、誰かに見てほしかと願う音。

おれは、しっぽば一度だけ、ふわりと揺らした。

この家の匂いは、あたたかか。
人が手ばかけて、大事にしようとしとる匂いやった。
おれは、こういう場所が好きやった。

人は声に出さんでも、心で話しかけてくる。
おれは、それば聞くためにここにおる。

しばらく、風の音と木の音と一緒におったあと、
おれは立ち上がって、ゆっくり庭先に降りた。

その人は、おれの背中ば見とった。
けどもう、目の奥の音は変わっとった。

——ここに、おったけん。
それだけで、今日の空気は、少しだけやわらこうなった。

おれは、また風のほうへ歩き出した。
次の“音”のする方へ。

【了】



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シリーズタイトル一覧:(順次、掲載予定です)


あとがき

この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。
そして、ぶんちゃんと佐世保の町を、ここまで一緒に歩いてくださったことに、心からの感謝を申し上げます。

私は佐世保で生まれ育ちました。
けれど、大学進学で町を離れ、そのまま県外で就職しました。
けれど人生の節目がいくつか重なり、今はまた、この町に暮らしています。
この短編集は、そんな「ふたたびこの町で暮らす」ようになった私の目に映る、どこか懐かしく、でも確かに変わってきた佐世保の風景と、そこに生きる人たちの姿を、“猫の目線”という静かなレンズを通して描いてみたいと思ったことから始まりました。
 主人公のぶんちゃんは、白と茶のぶち模様の猫。
人の言葉は話しませんが、ただそばにいることで、人の心の奥にある小さな揺らぎや、誰にも見せていない表情を、そっと受け止めてくれます。
 町の片隅にいる猫。
それだけでありながら、たしかに「ここに、おった」と記憶される存在。
この短編集のタイトルは、そんなぶんちゃんの在り方、そして、この町で過ごしてきた人々の“想いが残る場所”としての佐世保を象徴する言葉として名づけました。
なお、本書の創作には、OpenAIのChatGPTを創作パートナーとして活用しています。
最初は「猫と町を舞台に、どんな物語が生まれるだろう」と軽い気持ちでプロットを相談しはじめましたが、気がつけば、物語の呼吸や言葉の余韻を、AIとの対話によって丁寧に探りあてていく日々になっていました。
「語らない猫」「語りたがらない人」「語られずに消えていく町の記憶」——
そんなテーマを、ChatGPTとの共同作業で、時に詩のように、時に物語として形にしていけたことは、まさにこの作品にとって欠かせないプロセスだったと感じています。
佐世保は、坂と港の町です。
変わってしまった景色も、変わらずそこにある空気も、すべてが人と町の記憶を育て続けています。
ぶんちゃんの物語が、そんな記憶のひとつとして、あなたの心に、そっと寄り添えたなら嬉しく思います。
2025年 春
佐世保の町より
筆者


プロフィール|Kazuomi Matsunaga

🧭思考の案内人|Thinking Navigator

略歴:九州大学工学部卒業(材料工学)⇒愛知の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。こどもは二人とも大学生となって巣立ち、妻と二人暮らし中。
“問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
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Kazuomi Matsunaga🍀 「クリエイティブの世界へようこそ!」 創造・表現することが好きで、日々新しいものを生み出しています。応援が次の創作の力になります!

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