#509[短編]琥珀色の間[12]──鏡になってくれた人
背中に触れた手の温もりに涙が落ちる。恋にみえた気持ちは “自分を取り戻すためのきっかけ” 。ミシマの言葉に揺れて、爽子は「自分の人生」を見つめ直す──
1話、2話、番外編・大翔、3話 -I、3話 -II、3話 -III、4話、5話-I、5話-II、5話-III、5話-IV、5話-V、本稿
※ 連載ですが、どのお話からも読めます。
大翔と知り合った翌日、高校の先輩・ミシマは、彼と話すときの “私” が好きと告げた。恋よりも大切な願いに気づく、第13回。
──春が近づくと、人はなぜか “自分の人生” を考え始める。
マッサージが終わった爽子は、着替えてダイニンに戻り、ミシマが淹れたハイビスカスティーを手にした。
ミシマもゆっくりと爽子の前に腰掛ける。
「あー、緊張した…」
ミシマはふっとため息をつき、ティーカップに目線を落とした。
「先輩、緊張してたんですか?」
「そりゃそうよ。知り合いは初めてだもの」
いつもの女言葉が少しだけ戻っている。
「わたし、そんなに凝ってましたか?」
爽子は照れ隠しに、カップにひとくちつける。
「うん。その鎧みたいな肩。冷やしちゃダメよ〜」
「はぁい」爽子はおかしくて笑いを堪える。
「なんだ、元気そうならよかった」
ミシマはホッとしたように口元を緩めた。
「え?」
「…途中から話しかけちゃったけど、あのまま無言で集中してたら、ずっと泣いてたでしょ」
(あ……)
先輩、気を遣ってくれていたんだ……。
爽子は穏やかに、でも少しだけ力を込めて言った。
「そうですね、ありがとうございます」
ミシマも微笑み返した。
◇
「さて。」
「ここからはドSモードでいきますか」
切り出したのは、ミシマだった。
「え?」瞬間、ミシマはカップをコツン、と置いた。
膝を打って立ち上がり、爽子に背を向ける。
「だって、彼のことを知りたくて来たんでしょう?」
くるっと振り向いてカップを持ち、目を伏せた。
「え、えっと…うん…まぁ、それもあります」
「あ。お食事はふつうにしたかったですよ」
「ふぅん、それならいいけど」ミシマは皮肉な笑みを浮かべる。
「え、先輩…」爽子は慌ててカップから顔をあげる。
「ふふふ、冗談よ」ミシマはいつもの笑顔に戻った。
まぁ、まとめるとね……
爽子ちゃんと彼は、立ってる場所が違うのよね。
「立ってる場所、ですか…」
爽子がカップを持つ手をきゅっと結ぶと、湯気が揺れた。
「そう」ミシマは言葉を選び直すように息を吸う。
背中むいたり、黙ったり、目を伏せたり。
そういう仕草って、なかった?
「ふむ…あった、ありました」
爽子は少しだけ頬を赤くした。
自分の感情を整理して話すのは、むずかしいかもね。
「それと」ミシマはピシリと言う。
「嫌な相手でもマスターに遠慮して帰らなかった説」
「これは、頭の片隅に少しだけいれておく」
どう? 自分のことしか見えてないって思わない?
「全部肯定されていると思うと、後でしんどくなるよ」ミシマは饒舌だ。
マスター、澪さんは店の空気が乱れるのが嫌な人。
それなら、もう十分だよね。
これ以上 “改善” する必要なんてない。
だからもう、自分を責めることはない。
「それよりも、すべきことがある」
──ミシマのスイッチが入った。
“自分をもっと丁寧に育てたい” っていう、
決意が生まれた。違う?
爽子はティーカップに目線が落ちる。
返事をしようとして喉が動くが、声にならない。
「自分を磨きたい ってことなら」
ミシマはひと呼吸おいて、続けた。
「彼のためじゃなくて、きみのためだよね……?」
爽子は、喉の奥が詰まるのを感じた。
ハッとして胸の奥で何かがゆっくり崩れた。
誇れる自分でいたい。生き方を整えたい。
──次に会うまでにどうなれたら、
彼はきみに "自然と惹かれる" の?
爽子は、なにも言うことができなかった。
「その気持ちのままじゃ、彼には近づけない」
爽子は思わぬ現実に目を伏せた。
カップを持つ手を動かせず、目頭が熱くなる。
……
湯気だけが静かに揺れている。
◇
爽子は顔を上げる気力も無くなったように、
俯いて話を聞いていた。
「彼はきっかけ。目的じゃない」
爽子は小さく息を吸った。
カップの赤い液面が揺れて、呼吸が浅くなる。
何も言わない時間が流れる──
「ここに来た意味がないまま、帰らせる訳にはいかないの」
ミシマはそう言い置いて、少しだけ目線を逸らした。
──もっと、自分を好きでいたい私
「そういう自分でいたい」と思ってるだけ。
ポツリと言葉を置いた。
もしこうなら、彼の幸せは考えていないよね。
彼とどうなりたいわけでもない。
「彼を幸せにしたい、一緒に幸せになる」
「彼と、どうなりたい?」
爽子は返事をしようとした。
喉の奥で言葉がほどけて、そのまま閉じた。
ティーカップに半分だけ、赤色が揺れる。
──彼と話しているときの自分は、自分の “未来像”
爽子はカップをテーブルに戻して、顔を覆う。
こぼれた涙が手の甲に落ちた。ミシマがそっと差し出したティッシュを受け取る手が、少しだけ震えた。
「言い過ぎてたらゴメン……」
爽子はそっと、おだやかに首を横に振る。
……もしそうだとしたら。
いますべきことは何か。もうわかるよね?
爽子は泣き笑いで、もう一度ハイビスカスティーを
喉に流し込んだ。
「……はい、先輩。ほんとにドS……」
「カッコいいでしょ?」
「これでも先輩ですから」
ミシマは余裕たっぷりにニヤリとして見せる。
先輩も勇気を持って話してくれている。
これを話すために、
リスクを承知で家に呼んでくれた──
思い切り、泣けるように……。
◇
ミシマはさらに続けた。
「その気持ちに、彼を巻き込むのは違うと思う」
きみが本当に向き合っているのは、
“自分の人生” なのか、”彼との未来” なのか。
彼と結ばれたい、会いたい、彼を追いかけたい。
「私はこれからどう生きたい?」 のほうが
いまの気持ちに近いんじゃない?
恋じゃない、もっと深いところが揺らされた──
彼は、その問いをきみの前に置いていった人。
だから、彼の登場は “きっかけ” ってそういうこと。
その全部が重なって、いまこの地点に立った。
「……自分のこと、ずっと後回しにしてきたでしょ」
爽子は返事をしようとして、喉が動いた。
でも、声にならなかった。
ミシマは何も言わずに、ただ待っていた。
時間がゆっくり流れていく──
返事をしようとした唇が、かすかに震えた。
ミシマの刃はよく切れる。
血も出なければ、切り裂くこともなかった。
◇
ミシマはキッチンでお湯を沸かす間に
カップを洗って、温め直していた。
天井から、琥珀の香りと、
旋律がかすかに漂う。
キッチンから少し出てゆっくりと、顔を出した。
「この世界線に慣れると世間がドス黒く見えるよね」
冗談か、本気か、皮肉屋の笑みを浮かべる。
「知らない人ならボクらを恋仲だと、誰もが思う」
涙が落ち着いた爽子に、ミシマは軽く添えた。
好きになる、結ばれる、恋愛として発展する。
そういう方向じゃなくて、自分を整えて、
好きになれた自分で、未来を選んでいきたい。
きみ自身への願いが、急に浮かび上がったってこと。
「彼はその “鏡” になっただけ」
大翔は “恋の相手” ではなく、
心を整理のために自分を映す “静かな湖面” ──
爽子は開き直ってこの際、思い切り泣くことにした。
差し出されたティッシュは、ほのかにローズオイルの香りがした。
電車で使う分が無くなるから使って。
ミシマは優しく笑っていた。
◇
彼の若さを言い訳に、前に進むのをやめないこと。
爽子はゆっくりと息を吐いて、目を閉じた。
ゆっくりと自分の人生を思い返す。
「彼の目には、きみが羨む輝きがあるかもしれない」
「でも……」
「きみの持つ “深さ” や “言葉の温度”は、彼にはまだ手に入らないものだよ」
ただ、違うだけ。
彼を好きだという気持ちを言葉にできたことは、
大きな一歩だと思うよ──
きみは自分の人生をもっと大切にしたかった。
「羨ましいと思っただけ。それを心配したの」
だって……。ミシマは深く息を吸った。
「若さって無邪気で、時々、残酷でしょ?」
◇
爽子は泣き笑いで頷き、口を開いた。
「厳しい仕事を選べるほど、家庭に安心があったのかな」
「物腰の柔らかさ、言葉選び、スマートさ」
「あと、お父さんを超えられないのが悔しいって」
安心させる間。過剰に踏み込まないところ。
淡々とした優しさ。線引きのうまさ。
でも、人懐っこくて愛嬌がある。
「…それ、だいぶ心を開いたんじゃない?」
「ボクなら初対面の人にそこまで話せない」
それも、ほかのお客がいる前で。ミシマは言う。
「同じ 22歳の中に、彼の複雑な内面を理解する人があまりいないとか」
「うーん。それもあるだろうけど」
──きみといた時間は、楽しかったんじゃない?
ま、何も考えてないって可能性もあるけどね。
爽子がふっと笑う。
すぐにその笑みが消え、カップの底を見つめた。
あれ……。ふと、目線が揺れる。
ひょっとして、相性がいいのかな……。
でも、そんな気持ちでは、
まともに目を見られそうにない。
彼はこれから、自分の人生を自分で温めて行く人。
わたしに安心を求めるよりも、
彼がこれから出会う人と信頼を築いていくのが健全。
そこに割り込むのはやはり場違いだ。
でも──
彼はきっと重い話は背景と受け取るタイプだと思う。
半拍おいて話す癖がある。
きっと、言葉に慎重だから。
相手を傷つけたくないという思いから。
沈黙が気まずくなかった。
きっと、静かにしているのが好きだから。
普段忙しくしているから、静かなのがいい──
「恋じゃなくて……ずっと繋がっていられる人?」
そんなものか、と爽子は思った。
「恋愛対象より人として見てもらえる方がうれしい」
ミシマはほんの少しだけ、力をこめた。
「自分のせいで誰かが変わるのは、重い」
「彼の影響で、きみが変わるとかはやめた方がいい」
自分は大人じゃない。
だから、きみの人生を壊したくない。
誰かの人生の中心に置かれるのは、まだ怖い。
背負えるほど大人じゃない、と思うよ、彼は。
そして、自分のペースでいたい。
自分のことでいっぱいだろうからね。
ボクがその年ならそう思うよ。
「それじゃ、ワレモノ注意ですね」爽子が添えた。
「ははは」ミシマは声を出して笑う。
「だね。それ、俺のことですか?って」
ミシマのモノマネに、爽子は破顔した。
「その辺から、ひょっこり顔を出すかもね」
この「のりしろ」を持って受け止められるなら、
Barで再会しても大丈夫かもね。
──これが、未来の大人のトリセツよ。
…未来の大人。
ふたりは、いつまでも笑っていた──。
<了, 4,300 字>

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