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ロスジェネに風が吹く   第2話

《1》《2》《3》《4》《5》《6》《7》《8》《最終話》

 四十分ほどの散歩を終えて帰って来たら、気持ちがすっきりした気がする。朝はネガティブになってしまったので、運動をしてきた。
 肩掛けのカバンからスマホを取り出したら、萌ちゃんからLINEが来ていた。
 
 “明日は、風のいおりがあります。十四時集合です。”
 
 メッセージと共に、とがった帽子をかぶった、魔法使いの女性のスタンプもある。“待っておるぞ”とコメントが添えられている。萌ちゃんらしいと思った。
 
 萌ちゃんは同じスキー場で働いてきて、私より二十歳年下だから二十五歳だ。
 NPO法人を萌ちゃんのお父さんが運営しているので、明日はそのお手伝いをすることになっている。
 
 “うん。大丈夫だよ。でも、片手で本当に役に立てるのか心配だけど。”
 
 私は、メッセージを送り返した。するとすぐに返信が来て、さっきの魔法使いのスタンプに”案ずるな”と文言が添えられていたので、吹き出してしまった。
 
 LINEのアプリを閉じたら、グーグルをタップして、風の庵を検索してみた。
 
 伊那市駅の付近には、シャッターが降りたままの店が多い。その一角を利用した子ども食堂が風の庵だ。
 
 毎週火曜日と金曜日に営業され、幼児から高校生までは一食100円、大人は300円で利用できる。
 
 この類のNPOは、いつか客として利用することになると思っていたが、ボランティアとして働くことになってしまった。
 でも、家でネット動画ばかり見ていても仕方ないので、たまには外で人とふれ合うことにした。
 それに萌ちゃんは、歳が離れているけど、気が合う相手だ。
 
 今度は、小坂映美と検索してみる。相変わらず目鼻立ちはパッチリして素敵なマダムだが、若い頃を知っている分、お肌の衰えは感じる。
 
 映美さんもかつてFM伊那谷でラジオDJをしていた。ただし、私のような学生DJではなく、プロのDJだ。私より、四つ年上で憧れの存在だった。
 
 かつては、東京のラジオ局でも活躍していたが、近年は地元の松本市を中心に活動している。
 
 風の庵を手伝うきっかけは、萌ちゃんからの誘いだが、決め手となったのは映美さんがアンバサダーを務めているからだ。
 
 私は大学を卒業して、東京に戻った頃には、映美さんは都内のラジオ局で活躍していた。
 スペイン坂やモザイク通りのスタジオに映美さんを見に行ったものだ。
 その頃には、もうすっかり顔なじみになっていて、目が合えば必ず手を振ってくれた。
 
 明日、映美さんに会えると思ったら、ワクワクしてきた。さっきまで、落ち込んでいたのが嘘のようだ。
 気持ちが軽くなったら、お腹が空いてきたので、戸棚から買い置きしていたクリームパンを取り出す。
 ビニール袋を開けたいが、左手は使えないので、右手で持って奥歯でビニールを挟み引っ張る。野生児のような開け方をして、おやつにかぶりついた。
 

 
 風の庵のある商店街の近くからバスに乗って五分ほどのところに母校の大学はある。かつては女子大だったが、少子化の影響もあり現在では共学になり、隣にあったFM伊那谷は倒産して、ガラス張りのスタジオは衣料品店になっていた。
 
「やっぱり、見慣れないなぁ」

 私の隣で、萌ちゃんがキュウリを刻みながら言う。

「だから、そのうち慣れるよ」

 私は片手で、レタスの玉をちぎっている。
 ギブスをした左手は不衛生なので、サランラップをぐるぐる巻きにした。片手て抑えられないので、どうしても玉が動いてしまう。
 
 骨折して一週間ぐらいで、セミロングの髪をショートにした。お風呂は、ネット通販で買った専用のビニールを左手にかけているので、右手だけで長い髪を洗うのは、面倒くさかった。
 
 風の庵は、十七時の開店だが、準備は十四時からはじまる。私は初心者なので、最初の三十分ぐらいは、皆の作業を見学していた。今日のメニューは、ハンバーグにグリーンサラダとコンソメスープである。
 
 この建物は、元々飲食店だったこともあり、設備には、さほど困らなかったそうだ。厨房は、玉ネギを刻む音や添え物のじゃがいもやニンジンを洗う音で満ちている。
 
 レタスをちぎったら、包丁で細かく切り、ザルに入れて洗った。
 ここまでやると右手首が疲れたので、ひと休みしたあとに、ドレッシングを作った。軽量カップに醤油やオリーブオイルを入れる。ドレッシングを手作りするなんて、高校の家庭科の授業以来だった。
 
 大きなボウルに萌ちゃんの切った、キュウリとピーマンを入れる。さらに、カイワレ大根やレタスも加えて、そこにドレッシングをあえて出来上がった。
 
 小坂映美さんは、十六時頃にやってきた。慣れた感じで挨拶をしながら、厨房を抜けて、ホールの客席に座る。スタッフは私を含めて六人いるが、作業に加わることなく、ノートパソコンを開いてカタカタとはじめた。
 
 私は、距離をおいて映美さんを見つめる。黒のファー付きのブルゾンを椅子に引っ掛けて、前に垂れかかったロングの髪を後ろに送っては、キーボードを打つ。
 グレーのニットジャケットに黒のロングスカートのコーディネートだ。
 昔よりメイクが濃くなっているのは歳のせいだろうか。
 
 その姿を見ていると大きめのトレーナーにフリースを着てきた私は恥ずかしくなる。動きやすい服装で来てと萌ちゃんに言われたのでそうしたのだが。
「ごめんね。片手でいろいろやらせちゃって」
 
 代表を務める萌ちゃんのお父さんが、カウンターにいる私に声をかけてきた。みんなからは、保科さんと呼ばれている。私は、サラダを作り終えたらやることがなくなっていた。
 
「あの人知ってる。昔は、東京のラジオ局に出演してたの」
 
「ええ、大ファンだったので」
 
 保科さんとは、初対面だったけど、正直に言ってみた。
 
「あら、そうなの」
 
 ぎょろっとした目を見開いて、保科さんは微笑む。目は萌ちゃんとは似ていないようだ。
 
「じゃあ、挨拶しに行こうか」
 
「忙しそうなので悪いですよ」
 
 私は急に恥ずかしくなって、断ってみた。
 
「いいの。これから一緒に働くことになるから」
 
 保科さんは、一歩前に出て私に手招きする。
 
「ほらほら、行くよ」
 
 保科さんの声が大きくて、映美さんもこちらに気づく。私は、頬を赤らめて近づいて行った。
 

 
 開店三十分前になると子供たちが、店内に続々と入ってきた。小学校低学年ぐらいの子たちだ。
 
「こんにちは」
 
 萌ちゃんが子供たちに挨拶をする。十名ほど集まり客席に座ったところで、映美さんが子供たちの前に出て、民話を語りはじめた。
 
「むかしむかし、この辺りでは天竜川に舟を浮かべて、遠くまで荷物を運んでいました。それを水運といいます。今日はそのお話をしましょう」
 
 伸びやかで透き通るような声。もともとは高くて鼻にかかるような声を熟練の技でカバーしているのだろう。
 
「何してるんですか」
 
 萌ちゃんが、厨房から出てききた。
 
「ごめん、何か手伝おうか」
 
「大丈夫です。もうほとんど終わったので」
 

 問いかけた私に、萌ちゃんは片手を横に振る。

「知り合いなんですか」
 
 萌ちゃんの視線を追うとには映美さんがいる。視線を送る顔がこわばっているように見えた。
 
「そんな、知り合いってほどじゃないよ。でも、さっき保科さんに連れられて挨拶してきたの」
 
「そうなんですね」
 
 萌ちゃんは、厨房に戻って行く。なんとなく、その声が冷淡に聞こえた。
 
「開店まで待機でお願いします」
 
 厨房で保科さんの声がした。
 先輩スタッフたちの目が気になるところだけど、待機ならばここでも良いかと思い、映美さんの声に耳をすませた。
 腕を吊る姿が珍しいのか、時々こちらを見てくる子供がいるから、目を閉じて、川下りの民話を想像することにした。
 

 
 バックミラーには、ドリームキャッチャーや神社の御守が吊るされ、後部座席は大きなぬいぐるみが座っている。
 スピリチュアルとカワイイ。それが萌ちゃんの趣味だ。
 
 風の庵では、二十一時の閉店まで働き、その後三十分ほど閉店作業をしたところで、萌ちゃんが車で自宅まで送ってくれた。
 
「今日は同窓会みたいだった」
 
 助手席で私が言うと、萌ちゃんはクスっと笑った。
 映美さんは、不定期だが月に二、三回は来ているらしい。
 
 開店時間の十七時からは、少しずつお客さんが入って来た。子ども食堂のお客さんは、親子連ればかりを想像していたが、子供だけで来ていたり、お年寄りや会社員らしき人までいたので驚いた。
 
 風の庵では、給食のように各自でトレイを持って、カウンターに並び、ご飯やおかずをのせていく。 
 映美さんは、時折お客さんに声をかけて談笑しては、席に戻りパソコンで作業する。それを繰り返していた。
 
 大学を卒業して、二十三年が過ぎた。卒業後に東京に戻って、映美さんの追っかけをしていた。
 ラジオDJになる夢をあきらめた頃に、追っかけも辞めた。そこから二十年が経ってここで再会出来たのは運命的だ。
 
 二十時頃になって、親子連れが入って来た。お母さんと二人の子供だ。男の子は、中学生、女の子は幼稚園児ぐらいだ。
 
 私は、トングでサラダをお皿にのせる係をしていた。
 お母さんには、笑顔で会釈され、子供たちからは、ありがとうと声をかけられた。
 
 客席にいた映美さんが、私のところへ来て、声をかけた。
「ほら、来たみたいね」
 
 映美さんの視線は、さっきの母親に向けられている。
 
「もしかして」
 
「そうよ。行きましょ」
 
 ちょうど、来客が途切れて、カウンターに誰もいないので、映美さんに連れられて母親の所へ行く。
 さっき、映美さんに挨拶したときに、恵子の話になったら、風の庵に来ていると聞いた。
 まさか、さっきの母親とは。見てすぐに年上のおばさんと決めつけていた。
 
「え、なんでいるの」
 
 映美さんに紹介されて、恵子は驚いていた。
 伊那市に戻ってきて四年経つが、一度も顔を合わせることはなかった。いや、あっても、これでは気づかないだろう。
 
 その後は三人で談笑した。私は、二人に会えて、あの頃に戻れたような気分になり。衰えた肌をみて時間の経過も感じた。二人の目にも、私はそう見えていただろう。
 
 来客の合間をみて、恵子のところへ行って話をしたが、食べ終えてしばらくすると女の子が、そろそろ帰りたいと言い出し、恵子も洗濯もしていなければ、お風呂の準備もしてないと言い出して帰ることになった。
 私は引き止めたかったけれど、新人スタッフであることを思い出し、見送ることにした。
 
 車は、天竜川の国道を走る。萌ちゃんが、運転席で呟くように言う。
 
「私、あの女嫌いなんですよね」
 
「誰のこと」
 
「小坂映美」
 
 映美さんか、恵子のどちらかとは思ったが。
 
「たまに、恵子さんを外に連れ出してなんか話してるじゃないですか。そういうの気味悪るいっていうか」
 
「映美さんが旦那の愚痴を言ってるとか」
 
「そんなことならいいんですけど」
 
「他に何かあるの」
 
「オーラが汚い」
 
 萌ちゃんは、霊感があってオーラが見えるらしい。ただし、あまり強くは無くて、見えたり見えなかったりするようだ。
 
「黄色のオーラに所々赤黒さが混ざった感じ。たぶん昔は綺麗な黄色だったと思う」
 
「それって年とったから」
 
「年齢は関係ないんですよ」
 
 オーラなんて、テレビで霊能者が言うものだと思っていた私にとって、萌ちゃんがこの類の話をはじめると私は黙ってしまう。
 
 ちなみに、保科さんに連れられて、映美さんに挨拶したとき、私の顔を見ても思い出した様子もなく、お久しぶりですと言ったら困った顔をしていた。
 FM伊那谷とか、恵子のこととか言ったら、あーそうだったねと、ぎこちなく答えていた。
 
 車は、交差点をを右折して、側道に入り、間もなくして自宅前のアパートに着く。

 萌ちゃんの車を降りて、部屋に入ってから、しばらく何もする気になれなかった。
 
 洗濯物は干してなかったし、お風呂は、シャワーだけにするようお医者さんから言われたので、お風呂の準備もしなくていい。
 ボランティアとはいえ、久しぶりに働いたせいだろうか、服を脱ぐことも面倒臭くて、しばらくベッドに座ったまま、ぽかんとしている。
 
 それにしても恵子が子ども食堂に来ているとは驚いた。それも子供二人を連れて。
 大学を卒業して、数年で疎遠になってしまい、結婚したと噂で聞いたのは、三十歳の頃だった。
 私と違って、しっかり就職戦線を勝ち抜き、内定を勝ち取っていたはず。
 
 家計が困窮して、風の庵に来ているのだろうか。彼女は、しっかり自炊するタイプで、それも栄養のバランスも考えて何種類もおかずを作っている。いわゆる家庭的なお母さんになる人だと思っていた。
 
 離婚してまったのだろうか。恵子が来ていた紺色のセーターも黒の綿パンも色あせてくたびれてた。リサイクルショップで買ったのだろうか。子供たちの服も同じように見えた。

 家計が困窮すると、ファストファッションの服すら高く、リサイクルショップで買うようになると聞いたことがある。
 
 シングルマザーなんて、今どき珍しくないけど、まさか恵子が貧困に陥っているなんて。
 厚い唇も、鼻の頭のホクロもそのままだった。でも、あの欠けた前歯とロマンスグレーの髪。それと生活にくたびれた雰囲気が、かつての恵子とはかけ離れていた。
 
 上の男の子は、中学生ぐらいだから、これから高校に進学して、大学にも行くのだろうか。そうだとすれば、これからお金かかかる時期になる。
 
 昨日、私は自らの半生が不甲斐なくて、ぺんぺん草に例えたけど、恵子はそれとはまた異なる人生を歩んでいるようにも思える。
 
 FM伊那谷で共に学生スタッフをした恵子と、同じ人なのに、記憶の中の恵子とのギャップを埋められない。
 
 でも、穏やかな口調も、周囲に会釈をする気配りも変わらない。基本に忠実な箸の持ち方、細かく切って口元に運ばれる僅かばかりのハンバーグ。白飯は、決してかき込むようなことはしない。そういうことろは、何も変わっていない。
 
 ガーデニングやお菓子作りを趣味にして、ママ友とランチワインを飲んで旦那の愚痴をこぼす。でも、子供たちの手が離れたら、旦那と温泉や海外旅行を楽しむ。恵子には、そんな未来が約束されていると勝手に思い込んでいた。
 
 私は、ベットに座ったまま、大学時代と風の庵の恵子を交互に思い浮かべて、現実の恐ろしさを目の当たりにした気がした。
 

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