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ロスジェネに風が吹く   第3話

《1》《2》《3》《4》《5》《6》《7》《8》《最終話》

 三十分以上歩いたせいか、ギブスの中がかゆくなった。昨日は、風の庵で働いたこともあって、午前中は自宅でのんびりしたので、お昼ご飯を食べたあとベルシャインまで歩いてみた。
 
 大型スーパーの店内を見て回り、帰りがけに食料品売り場で、カップ麺や食パンを買い、リュックサックに入れて帰ろうと思う。
 
 食料品以外には、買いたいものはないので、無駄遣いせずに、他の売り場では商品を眺める程度にした。ドラッグストアやファンシー雑貨店を見たら、二階に上がって本屋で立ち読みすることにした。
 左手は三角巾で吊っているので、雑誌を持ってページをめくれない。なので、平台に置いてあるファッションン誌をしゃがんで眺め、右手でぱらぱらとめくる。白い三角巾は目立つため、外出時は、ネット通販で見つけた黒い三角巾を使っている。
 
 ファッション誌を見たら、実用書のコーナーへ移動して、料理本を見る。左手が治ったら、どんな料理をしようか。

 学習参考書のコーナーでは、少年が立ち読みしている。足元に置かれた肩掛けのカバンは、私の目線と同じぐらいの位置にある。カバンを足元に置いた客には注意しろ、昔バイト先で言われたことがある。
 
 立ち読みをしている少年のカバンは、ファスナーが空いたままになっている。店の通路に目をやると友人らしき少年たちがいる。彼らはスマホを見ながら談笑して、立ち読みの少年に視線を送っていた。
 
 あの少年には、見覚えがある。私が少年と関わるなんて滅多にない、いつだろう、ごく最近ではないか。そうだ、昨日の風の庵だ。鼻筋がとおり、切れ長の目、小さい顎。恵子の息子ではないか。
 
 たしか、結人君と言ったはず。結人君は、背後にいる少年たちなど知らぬ顔をして参考書のページをめくる。
 
 なんだか嫌な予感がする。私は、もう料理本を見る余裕が無い。いや、見るフリをして、結人君をチラ見する。放っておいてもいいのかもしれない。でも、友人の息子だからなのか、大人が止めてあげないといけない気がした。
 
 結人君が読んでいた参考書をカバンに落とした瞬間に私は歩き出していた。速度を速め、小走りで近づき、結人君の腕を掴むと同時に驚いた顔が目に映った。
 
 私は、首を横に振る。通路の友人たちは逃げていった。左手を吊った万引きGメンがいると思っているのか。腕を掴んだ右手からは、結人君の震えが伝わってきた。


 
 ベルシャインの建物を出て、人どおりの少ない場所で足を止める。ここは、駐車場の一角で、日陰になっている。屋上に続くスロープを買い物客の車が上って行く。ベルシャイン周辺は、飲食店も多々あり、土曜日なので車の出入りも多いようだ。すぐ近くには、ケンタッキーのお店がある。
 
 三角巾から左手を抜き取り、リュックを下ろす。
 
「手伝いましょうか」
 
 結人君が言うので、リュックのファスナーを開けてもらい。右手に持っていた財布を入れた。
 
 あのあと、結人君がカバンから参考書を出して、レジへ持って行き買ってあげることにした。
 腕を掴まれて、すぐにお母さんの友達とわかったそうだ。骨折の印象が強かったのだろう。
 
 昔、ラジオDJの養成所に通いながら、本屋でバイトしていたが、万引き犯を捕まえたことはなかった。
 結人君だけでなく、私も震えていた。緊張したせいで、口の中が乾いている。
 
 この子は、恵子に似てお人好しなのだろう。私を万引きGメンと勘違いした友人たちは、俺たちが見張っててやるから、盗んで来いと言ったらしい。
 
 でも、そんなの嘘で、これをネタに本当は結人君をイジメたり、脅かしたりするつもりだったに違いない。
 
 私に気づかなかったぐらいだから、結人君も彼らも万引きには不慣れのようだ。
 
「英語は苦手なので、どうしても参考書が必要で」
 
 結人君が小声でいう。
 
 私が買ってあげたのだから、あんなことしちゃ駄目でしょとか、説教しても良さそうなものだが気が引けた。
 
「お母さんには、友達に貰ったとでも言いな」
 
 結人君がカバンにしまった参考書のことを言うと、背中を丸めながらうなづいた。
 
 二人して、ベルシャインの建物に寄りかかっている。
 よく見ると、私より10センチ以上大きく、身長は170センチを少し下回るぐらいだろう。友人の子たちより大きかった。けれど、随分やせ細っているようだ。ちゃんとご飯は食べているのだろうか。
 万引きはいけないことだけど、やっぱり説教する気になれない。
 
 そういえば、この青いパーカーは昨日も着ていた。
 
「これ、気に入ってるの」
 
 フードをひぱってみる。
 
「これは、べつに。でも、お母さんがこれにしてって」
 
 聞いてはいけないことを聞いただろうか。他に欲しい服があったけど、恵子がお金が無いから、これにしてって言ったのだろう。
 
 結人君の下をうつむく姿が頼りなく、馬鹿正直に話してしまうところが、間抜けにも見えた。
 
 歳のわりには、体が大きく、大人っぽく見えるけど、守ってあげたくもなる。
 
「友達にはさぁ、私は親戚のおばさんってことにでもしておきな」
 
 結人君は、下唇を噛みながらうなづいた。
その姿を見ると、さっきのファンシー雑貨店にあった、ゆるキャラたちを思い出す。
可愛らしさと和みが混ざっている。
 
「行こうか」
 
 うつむいていた、結人君の視線が私に向く。私の右手の指先を見て、驚いた顔をする。目の前のケンタッキーを指していたからだ。
 

 
 今日は、日曜日だから朝ドラはなくて、一週間の話題をまとめた、報道番組が終わり、お昼の旅番組が流れているが、私はテレビを見ずにスマホをいじっている。
 
 今年、中三になる子たちは、α世代というらしい。産まれたころから、パソコンやインターネット、ソーシャルメディアがあったため、デジタルネイティブともいうそうだ。結人君もこれにあてはまるだろう。
 
 2010年生まれ。私は、そのとき三十一歳で、この歳からアパレル店に派遣社員として入っている。α世代とはいえ、結人君はスマホは持っていないそうだ。
 
 スマホを検索画面に戻し、恵子の職場の求人をチェックしてみる。食品問屋で事務職をしているといっていた。その会社の求人広告を見てみる。正社員なら、給与が23万円~だが、アルバイトなら時給1100円とあった。
 
 下の子の華音ちゃんが生まれたあとから始めたと言っていたので、六年ほど経つだろうか。正社員ならば昇給していそうだが、それでも恵子の収入だけで、三人暮らしは苦しいはず。
 結人君は、スマホはおろか、参考書を買うお金すら貰えないのだろう。

 以前、一人親世帯の生活貧困者のドキュメント番組を見たことがあった。
 食事は、もやし炒めや納豆ばかり、フードバンクから送られてくる食事が唯一の救いと言っていた。
 
 
 昨日、ケンタッキーで結人君にごちそうしたけど、あの目の輝きが凄まじかった。私も十代の頃はファーストフードが大好きだったけど、その比ではないだろう。
 
 万引き未遂の少年に参考書を買ってあげて、ご飯を食べさせてあげるなんて、私は大人として甘いかもしれないけれど、うなだれている覇気のない姿を見ていたら助けてあげたくなった。
 
 私は、自分の生活が貧困なのではないかと思っていたが、その考え方は改めた方がよいのかもしれない。
 
 私は、母親になったことのないけれど、母性本能はあるようだ。結人君は、それをくすぐった。しかし、彼の魅力は他にもあった。
 
 テレビの旅番組では、お笑い芸人とアイドルが旅館の夕食が美味しいと言って、それぞれが大げさなリアクションして笑い合っている。テレビをつけたままスマホをいじるようになったのは、いつからだろう。
 
 スマホをテーブルに置いて、テレビを消して、コタツに入ったまま寝転んだ。お腹の上に置いたギブスが思い。肘の上まで覆われているので、自由に出来ず、ここに置くことが多い。
 
 さっき、スキー場から電話がかかってきた。私を助けてくれた男性がわかったというのだ。
 
「もしもし、南信州スキー場の保科ですが」
 
 萌ちゃんと分かったので、
 
「南信州スキー場がなんのようなの」
 
 などと嫌な客みたいに返して笑わせた。
 
 今シーズンも繁忙期が過ぎて、もうシーズン終盤なので、日曜でも来場者が少なくなる。萌ちゃんは、売店でお土産品やホットスナックを販売する傍ら、私が怪我をした日にレンタル品を使用した顧客のリストを見ていたのだという。
 
 あの日、お姫様だっこをしてくれた男性の手がかかりは、ほとんどない。私は、気が動転していて、ゴーグルをした人、ウェアはカーキ色ぐらいしか覚えていない。
 
 ただ数日経ってから、あの男性が自身のスノボ板を外したとき、ソールにSALOMONのロゴがあった気がした。
 うちのスキー場が、レンタル品として採用しているメーカーと一致していた。
 
 ただそれも、微かな記憶だった。おととい子供食堂で萌ちゃんに伝えたところ、レンタル品のリストをチェックしてくれたのだという。
 
「いや、世間なんて狭い。伊那なんてもっと狭いですよ。スピリチュアル的に考えても、風の庵に陽子さんが来たのは天からのお導きですね」
 
 萌ちゃんがもったいぶって、前置きをするので、私は唇を尖らせて聞いていた。
 
「西内結人君です」
 
 名前を聞いた瞬間に心臓を撃ち抜かれた気がした。コタツにあたっているのに、足元から鳥肌が立つ気がした。
 
「連絡先の電話番号が恵子さんの電話番号になっていて、さっき電話したですよ」
 
 私は、あいづちを打つことも忘れて、萌ちゃんの話を聞いた。
 
「今日は日曜日だし、家族で家にいてみたいですね。恵子さんは、結人君が人助けしたこと知らなかったって」
 
 あれだけのことをしてくれたのに、母親にも話さずにいるなんて。
 私たちの世代では、そんな人のことをクールと呼んでいたが。
 職員である私を助けてくれたので、スキー場から結人君へお礼の品を贈るそうだ。今シーズンは職場復帰が絶望的なので、自分が職員ということすら忘れかけいた。
 
 あの細い腕で私を抱き上げてくれたんだ。男子は、力があるものだと改めて気づかされる。
 あの日、スキー場で見せてくれた頼もしさ。昨日、駐車場でみせた子供っぽくて情けない姿。どちらも結人君なんて。現実は、人の想像なんて、優に超えるものだ。
 
 スキー場と駐車場。抱き上げた腕と掴んだ腕。対照的だけど心地よい。それを何度も思い返していたら息苦しくなってきた。
 どちらも本当の結人君。私がこの目で見たもの。でも、見たものを私が勝手に頼もしいとか、情けないとか決めつけているから、どちらも嘘のようなものか。
 息苦しさを、吐き出すように、ため息をついた。
 
 目を閉じてみる。よく脳裏に蘇るというが、胸から信号が送られて、脳で再生される感覚がするのは、私だけだろうか。
 
 結人君の声がする。あのとき交わした言葉。
 
「風の庵の風って、どんな意味か知ってますか」
 
 ケンタッキーでチキンをかぶりつく結人君の姿が浮かぶ。
 
「北風とかの風じゃないの」
 
 私の言葉に結人君は首を振る。
 
「風の時代の風」
 
 聞きなれない言葉だった。
 
「風の時代とは、なんぞや」
 
 私は、おちゃらけて返してみる。
 
「西洋の占いなんですけど。二百年周期で起こる世界の変化らしくて、エレメントっていうのが起きて、木星と土星が、どうこうっていう」
 
 曖昧あいまいな言い方に、私が思わず吹き出すと結人君も笑った。きっと、萌ちゃんなら流暢に話すのだろうけど。でも私が聞いたところで分からないと思う。
 
「風の庵って、萌さんが名付けたらしいですよ」
 
「じゃあ、今は風の時代なの」
 
「そうです。数年前から」
 
「じゃあ、その前は」
 
「土の時代です。お金や物質が重視されて、組織の属することを良しとして、肩書やそこでの功績が重視される時代だそうです」
 
 結人君は言い終えると、メロンソーダを一口飲んだ。緑の液体がストロー通っていく。
 
「じゃあ、風の時代はその逆で組織から解放されて、自由になろうみたいな」
 
「あっでも、いい線ついてます。風の時代は、組織よりも個々のが尊重されて、コミュニケーションや助け合いを大切にしていこう。みたいな時代になるそうです」
 
 結人君の話を聞いているうちに、胸から信号が上がる。
 
「もっと頑張らないと、同期の子たちは店長や副店長になってるんだから」
 
 販売が苦手な私はアパレル店のバックヤードでよく説教させていた。
 
「今月、メンズスーツは何着売るの。レディースなんて、先月の倍は売っていかないと。ほら、目標言ってみてよ」
 
 あれは、土の時代の言葉だったのか。
 
「小坂映美さんって、コミュ力高い人がいるのも風の時代を意識した取り組みみたいです」
 
 結人君の話し声で我に返る。
 
「萌ちゃんのお父さんが呼んだって聞いたよ」
 
 私も知ってることを言ってみた。
 
 どうして、子ども食堂にアンバサダーがいるのか分かった。小馬鹿にしていると思われても嫌なので萌ちゃんに聞かずにいた。
 萌ちゃんが、風の庵は六年前に開業したと言いていた。十代頃から、冬はスキー場、夏はキャンプ場で、アルバイトで働きながら、お父さんと風の庵を運営している。

 あの食堂は、映美さんが中心になって、コミュニケーションを取り、人の和を重んじていることに気づいた。
 
「そうだ、私と恵子って、大学生の頃にラジオ番組やってたの知ってる」

 映美さんの名前が出てきたせいか、昔のことを言い出す。
 
「昨日、そんな話してましたね」
 
「私がDJで、恵子がミキサー。昔、伊那市に小さなラジオ局があってね」
 
「映美さんみないに」
 
「あの人ほど凄くないけど」
 
「帰ったら、お母さんに聞いてみよう」
 
 結人君が微笑んだので、私も微笑み返した。
 
 コタツで、寝転がりながら結人君との会話を思いだしていたら、私の中で何かが開いた気がした。
 
 その開く様子は、何かに似ている。
 
 伯父夫婦の家にある蔵だ。重い扉を開けると、カビや埃、古い木の匂いが混ざり、強烈な臭いが鼻をついてくる。他に物置もあるので、滅多に蔵の扉は開けない。それと似ている。
 私の体内から古い気が抜けて、外気を受け入れいる。胸が華やいでいる。伊那谷の春は遅いが、私の心に長年訪れなかった季節が、年月を経て巡ってきた。

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