ロスジェネに風が吹く 第4話
円卓の上には、ローメンが四つある。隣の円卓のカップルは、お酒飲みながら談笑し、斜め後ろの老夫婦がチャーハンを食べている。
前回は、一人で円卓に座わらされて、恥ずかしかったけど、連れが三人いれば心強い。
昨年末の福引が私にもたらしたものは大きい。この龍口苑のローメン限定のお食事券だけでない。あの日、骨折した私を助けてくれた結人君は、福引で当てたチケットを使い、スノーボードに来ていたのだという。
「もう竹ちゃんって呼べないね」
恵子がローメンにお酢をかけながら言うので、私はうなづいた。
実家の飲食店が潰れて、両親が離婚するまで竹内という苗字だった。
「そのチケットって、リフト券も、レンタル品も、夕食も、全部込みになってるものなの」
私には、結人君の使ったチケットがすぐに分かった。私が、スキー場の職員なんて、このあいだ萌ちゃんから電話がかかってくるまで知らなかったのだという。
伊那市駅前から、無料シャトルバスが出ているから、恵子が、車で送り迎えしなくてもスキー場に来れたという。
職員を助けてくれたということで、お礼として来シーズンのチケットが家族三人分送られてきたという。
先日の万引き未遂やケンタッキーでの食事は、恵子には言わないことにしてある。なので、今日は私から結人君へのお礼として、残りのローメンお食事券四枚を使って、恵子たち家族を招待した。
もし、思春期の頃に助けてくれた人が、万引きをしていたら、どう思っただろうか。幻滅して二度と顔も見たくないと思っただろうか。それとも、同調して私も共犯者になっただろうか。
でも、今は結人君が愛おしい。
私は母親になったことはないし、おそらくこれからもないだろう。ただし、この母性とでいうべき感情の中に胸のざわめきが混ざっている。
そういえば、胸がざわめいてしまう人と付き合えたことなどなかった。なんとショボい恋愛経験だろう。これまで付き合った人たちは、自分には、このぐらいの人がふさわしいと妥協して付き合っていた。妥協して、交際して、性交して。相手が飽きたころに別れてれていた。
先日、はじめて風の庵を手伝ったが、あれから更に二回手伝っている。火曜と金曜いずれも恵子たち家族は来ていた。
お酢をかけたローメンをすする恵子の髪は、白髪染めをしておらず、黒髪と白髪が混ざるロマンスグレーだ。私は、美容院で根元をリタッチしているし、映美さんもそうだろう。
昔の恵子は、微笑むと二本の前歯がむき出しになって可愛らしかったけど、今は片方が欠けている。
今日も、この家族が着ている服は、色褪せているけれど、襟元や袖口に注目してみると、デザインよりも丈夫さを重視して選んでいるのが分かる。リサイクルショップで買って、それがよれよれになるまで着るのだろう。
大学時代の恵子は、オリーブデオリーブのような、可愛らしさを強調する服を好んでいた。
一方、私はヒステリックグラマーやエックスガールのようなカジュアルな服装を好んでいたが。そういえば、あの頃の私も今と同じように、ショートヘアにしていた。
今の恵子とあの頃の服装を重ね合わせたら、笑ってしまいそうになる。
「ねぇ骨折って痛かった」
華音ちゃんが声をかけてきた。この子は、母親に似てプードルのような顔をしている。
「うん、凄く痛かったよ」
「でも、ギブス短くなってるね」
恵子の言葉に私はうなづいた。こういう細かいところに気づくのは彼女の良さだ。
折れたのは手首だったが、肘までのギブスで覆われていた。今日の昼間に病院に行って、肘までのサイズに変更になった。
順調に回復しているようだが、ギブスを着けた生活はまだ続く。
「結人が骨折したときも、肘までのギブスしてたもんね」
恵子の言葉に結人君がうなづいた。
「お兄ちゃん、昔スノボの試合で骨折したって聞いたことあるよ」
「結人君、小さい頃からスノボやってたの」
私は結人君に訪ねてみた。
「まぁ、そんあ時期もあったかな」
恵子が答え、結人君と二人で苦笑いをしている。
「でも、今は新聞配達してるんだよ」
「そういう話はいいの」
結人君が華音ちゃんをたしなめた。
ローメンは、華音ちゃんの皿が残り僅かとなり、私を含めた三人は食べ終えている。
結人君にお礼をしているのに、食事券を使うというケチな行動に出てしまった。スキー場の売店で働けなくなり、芸術の森のレストランの業務に就くまでは、収入が途絶えてしまうので、なるべく出費は抑えたかった。
でも、結人君や華音ちゃんがジュースを飲みたいとか、デザートを食べたいとか言うなら払うつもりでいた。それに、こんなあっさりした焼きそばみたいな料理だけで、お腹は満たされているのだろうか。一緒にギョーザや春巻きを食べたいとか思わないのだろうか。
私が、子供の頃だったら、親にジュースが飲みたいとか言っているはずだ。でも、この子たちは欲しがることをしない。贅沢をしない生活がしみついているのだろう。それに恵子の生真面目さも引き継いでいるのかもしれない。
食事を終えて、四人で店を出た。結局ローメン以外は何も頼まず、龍口苑からすれば食事券の回収のみに留まった。
「華音良かったね。久しぶりだったね」
恵子が華音ちゃんの肩を叩きながら言う。
「俺も」
「あんたは、スキー場で食べたでしょ」
結人君が同調したら、恵子に批判されてしまった。でも、それは三週間前のことだ。
どうして私は、好きなもの頼んでいいよとすすめなかったのだろう。自分の器の小ささに気づかされた気分だ。この家族のやり取りを見ていると胸が痛い。
結人君も華音ちゃんも満足気にしているから嬉しくもあり、苦しくもあった。
◇
ジャズ調のピアノが十秒ほど流れる。それにドラムとベースが加わり、五秒ほどして、サックスが聞こえたところで、恵子が音量をBGMレベルに下げる。
私は、オープニングトークをはじめる。
「皆さん、こんばんは。伊那谷カレッジオブスタジオのお時間です。ナビゲーターは、南信州女子大学三年の竹内陽子です」
大学の隣にあったFM伊那谷スタジオが私たちの活動場所だ。十名前後の大学生がスタッフとして登録していたが、夏休みなど学校が長期で休みになると、実家に帰省する子や旅行に行くあるいは、他大学との合コンに精を出す子が増える。そんなときは、私と恵子二人で番組を運営していた。
大学のサークルなので、ギャラは一切でない。でも、私はこのサークルが楽しくて、実家に帰ることも惜しんで、週二回三十分の放送に打ち込んでいた。
芸能ニュースやトレンドを紹介して、近所のレコード店と提携した音楽ランキングを終えれば、番組は終盤に差しかかる。今週一位になった浜崎あゆみの新曲を2コーラスまでかけたら、次はエンディングだ。
私は、ヘッドホンを首にかけた状態で、音響機器の前に座る恵子に話しかける。
「番組終了まで五分あるから時事ネタ話してから、エンディングの曲ね」
新聞記事から政治汚職事件のネタを用意していた。
「オッケー、じゃあ逆キューちょうだい」
恵子は両手でヘッドホンを耳からずらして、私の声を聞き、返事をするともとどおりに装着した。
浜崎あゆみの曲をフェードアウトさせて、シングルが流れたあと、私はエンディングトークをはじめた。
東京の親元を離れて、一人暮らしがしたい。冬はスノボがたくさんしたい。伯父夫婦がいることもあり、私は大学生活を伊那市でおくることにした。でも、一番思い出に残っているのは、恵子と共に過ごしたラジオサークルだ。
放送のあと、局の番組担当者と十分ぐらい反省会をして帰り支度となる。
「竹ちゃん。今日はガストにしよう」
番組のあとは、よく二人で夕ご飯を食べた。
恵子は、辰野市から軽自動車で大学まで通っていて、よく下宿先のアパートまで送ってもらったものだ。
ギブスのせいで、左に寝返りが打てない。というよりも、怪我をしている左手を体の下にすることは避けたい。なので、仰向けから右に寝返りを打った。いつもなら、起きて朝ごはんを食べている時間だけれど、今日はもう少し寝ることにした。
恵子は氷河期世代にもかかわらず、精密機器のメーカーに内定をもらっていた。就職を避けた私はとは正反対だ。
私も全く活動しなかったわけではない。ラジオ局数社に履歴書を送ったが、いずれも書類選考で落とされていた。
恵子は、精密機器メーカーの総務部で働き、その会社で旦那になる広平と出会った。二歳年上の営業マンだったという。総務部の仕事は、さぞかし向いていただろう。
大学のラジオサークルでも、器用な人なので、ミキサーの機材を上手に扱っていたし、オンエアーに使うCDは音飛びがないか、一枚ずつ確認して、楽曲のどの部分を流すのか、どこでフェーダーを下げるか入念確認をにおこなっていた。ミキサーならあたり前の作業だけど、こういうことを好んでする人は、几帳面さが求められる仕事が向いていると思う。逆に、DJや番組企画の考案など、アイディアが求められる仕事は嫌がっていた。
旦那は、東京から伊那市の支社に転勤してきて、恵子と知り合った。二十八歳で結婚して、三十歳のときに結人君を妊娠した。
結人君は、広平に似て運動神経が良く。恵子と広平の夢は、結人君をオリンピック選手にすることだったという。物心ついたときから、結人君は滑っていたそうだ。
二人の仲に亀裂が入ったのは、華音ちゃんを妊娠したときだという。結人君をオリンピック選手にするならば、お金がかかるから、二人目はいらないと広平は拒み、中絶手術を勧めたが、恵子がこれに強く反対したからだ。
結局は、華音ちゃんを出産したが、夫婦の亀裂は簡単に戻らなかったという。そのあたりから、旦那は浮気を繰り返すようになり、別居生活がはじまった。
恵子は、結人君の妊娠を期に精密機器メーカーを退職していた。現在は、食品問屋の事務員として働いているという。
昨日、龍口苑でローメンを食べたあと、恵子は車で送ってくれた。カーナビもドライブレコーダーもついていない、古い軽自動車だった。四人でその車に乗り込み、まず恵子たちが住むアパート前で結人君と華音ちゃんを下ろしたあと、私のアパートへ向かった。
別居しても、広平が生活費を払い、恵子の父親の遺産もあるから、子供たちと三人で暮らしていけると思ったという。
状況が一変したのは、三年前のこと、生活費が振り込まれないことを不信に思い電話したが、繋がらなかったという。会社と広平の実家に連絡したところ、会社は退職し、実家には帰っていなかったという。また、恵子宅から、父親の遺産を預けた銀行通帳がなくなっていたという。
別居後も、広平は結人君にスノーボードのレッスンに付き添ったりしていたため、恵子宅に出入りがあったそうだ。
結人君と広平が繋がっていれば、いつか復縁すると思っていた。でも、その考えは甘かった。
広平の実家にいくら抗議しても、生活費の件は取り合ってくれなかったという。
恵子は、高校生のときに母親を亡くしいて、両親はこの世にいない。恵子一人の収入で、家族三人の生活費を賄わなければならない。
結人君はスノーボードを断念することにした。持っていた道具は、すべてリサイクルショップに売ったそうだ。そのため、あの日結人君はレンタル品を使っていたそうだ。
広平は蒸発しているため、離婚もしておらず、苗字は西内のままである。
驚いたのは、恵子は非正規雇用で働いていることだ。あの会社の時給は1100円だったはず。いくら、結人君が新聞配達をして稼ぎ、恵子に渡しているとはいえ、家族三人が暮らすには足りないだろう。
もとより、恵子は慎重な性格をしていて、転職となればリスクが伴う。低収入とはいえ、リスクと低収入を天秤にかけて、後者をとっているのではないか。
新しい職場となれば、新たに人間関係を築かなければならない。人付き合いが苦手な恵子には、重荷だろう。風の庵でも、映美さん以外は、萌えちゃんと少し話すぐらいで、それ以外は関わりがなさそうだ。
広平が蒸発してから変わったことは、3LDKのマンションからアパートに引っ越したことと、結人君が新聞配達をはじめたことぐらいだろう。
恵子が運転する車は、天竜川沿いの道を走る。
「結人君がさぁ、高校は全寮制の学校に行きたいとか言って」
「来年は、受験だね」
私は言いながら、全寮制では結人君い会えなくなると思った。
「その学校が東京にあるんだって」
「なんで、そこ行きたいの」
「全寮制の学校に行ったら、あたしの負担が減るからって」
「偉いじゃん」
「でも、その学校に入ったら、授業料の他に寮費もかかるもんでね。あいつ、そういうこと分かってないんだに」
恵子の興奮すると信州弁が出るところは、相変わらずだ。
「でも、結人君もお母さんのこと考えてるもんでね」
私の信州弁がぎこちなかったのか笑われてしまった。
「だけどね、映美さんのおかげで本当に助かってる」
なぜ、映美さんの名前が出てきたのかわからず、ハンドルを握る恵子の横顔を見つめた。
「映美さんの旦那って、投資家なのね。その収益があるから助かってる。でも、それは使わずに結人と華音の将来のために貯めておこうと思って」
映美さんの旦那の秀二さんが、プロの投資家というのは、子ども食堂の人たちも噂していた。
恵子がどうやって収益を得ているのか気になったけど、その筋に無知の私が聞いてもわからない気がした。
そのあと、私が東京から伊那に戻ってきたときの話をしていた。
車を降りると、首筋を伝わって、冷気が衣服の中に入ってくる気がした。でも、息を吐いても白く見えない。季節が進んでいるからだ。恵子にお礼を言って、古ぼけた軽自動車のテールランプを見ながら手を振った。
右に打った寝返りを仰向けに戻したら、起き上がり、リモコンを手にしてテレビをつけ、ベッドに腰かけた。
朝のニュースが流れている。県内のスキー場のほとんどは、週末で今シーズンの営業は終わるそうだ。例年ならば、私はスキー場が終わると、その翌週から芸術の森で働くけど、この怪我では、しばらく働けない。
結人君は、スノーボードが出来なくなって、どんな思いだったろう。ベッドに再び寝て、結人君の姿を想像してみる。自分で決めたことじゃない。大人たちの事情だ。
悔しい顔だろうか、悲しい顔だろうか。それとも、仕方ないよねと笑ってみせただろうか。どの結人君を想像しても胸が締めつけられる。
その苦しみを代わってあげたい。ほんの少しでも、彼の苦しみが和らぐなら。私は、よろこんで代わってあげるのに。
出来るはずもないという事実が、のしかかってきて、また胸が締めつけられた。
苦しさが溜息になって漏れる。気づくとまた結人君を想像して溜息をつく。そんなことを延々と繰り返して、私はベッドから起き上がれずにいた。
次の話へ《next》
