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ロスジェネに風が吹く   最終話

《1》《2》《3》《4》《5》《6》《7》《8》《最終話》

 100円ショップ、ファンシー雑貨店、本屋。あの日と同じルートで、ベルシャインの店内と見て回わった。

 でも、本屋に結人君の姿はなかった。店外に出て、駐車場を歩く。

 日は傾き、朝から強く吹いていた風は止んでいた。

 あの日と同じように、目の前にケンタッキーはあるけど、結人君は居ない。

 真っ直ぐ帰りたくないから、伊那市駅前でバスを乗り換えて、買い物でもないのに、ベルシャインまで来てしまった。

 建物の壁に寄りかかって、ぼんやりとケンタッキーの店内を眺める。食事時ではないため、人気ひとけのない様子だ。

 しばらく、そうしているうちに、私は恋に恋しているような気がしてきた。結人君に会えないことに絶望して。思い出の場所を一人で歩き、感傷的な気分に浸る。

 ここに来た理由がそれだと気づいて、自分の行動を馬鹿馬鹿しいと思ってしまう。
 ベルシャインをあとにし、再び路線バスに乗った。

 バスの車内では、座席でセーラー服を着た女子生徒が二人でおしゃべりをしている。

 右手で吊り革を握る私にも、けらけらと笑いながら、話す声が届いていた。

 私は、彼女たちとは違う立場から、結人君にアプローチすることに優越感を抱いていた。食事を奢って、お金を渡して、東京に連れ出そうとしていた。

 でも、こうしていると、そんな優越感はもろくも崩れていく。

 彼女たちこそが、結人君に相応ふさわしい。私は、そのことから背向けていた。

 教室で机を並べて学び、共に流行りの音楽やドラマに夢中になって、同じ目線で物事をとらえるから、ときに共感し、ときに衝突する。

 座席にいるあのセーラー服の子たちは、結人君とそれが出来る年頃だ。

 そう思うと、急に彼女たちが羨ましくて、輝いてすら見えた。

 それが耐えられなくて、吊り革を握りしめ、下を向き、目を閉じてやり過ごすほかなかった。

 伊那市の駅前のバスターミナルで下車して、商店街を歩くことにした。四月になって日は長くなったが、もうすぐ木曽山脈の向こうに沈もうとしている。

 バスターミナルから、複合施設のビルを過ぎて、ローソンの前の信号を曲がり、アーケードの下を歩いた。

 駅舎の裏に出て、真っ直ぐ行けば萌ちゃん家だ。今頃、失意の底にいるだろう。立ち寄って行こうか、一緒に居れば少しは傷も癒えるだろうか。

 でも、その前に風の庵へ行ってみようと思った。骨折が治れば、ギブスが外れたら、職場復帰しなければならない。そしたら、もう行くこともないだろう。角を曲がり、建物が見えた。

 灯かりは消えているが、誰かが店の前に立っている。保科さんだろうか。私は、歩み近づいていく。立っているのが若者だと気づく、青い服を着ている。

 私は、駆け寄る。その人が近くなると、青いパーカーだと気づく。あの色褪せたものに違いない。自分の足音と息遣いが聞えた。

 店の前に来ると、私は叫ぶように言った。

「どうして、ここにいるの」

 私は、息を切らしながら、立て続けに言う。

「華音ちゃんは」

 結人君は、驚いた顔をして、私を見つめている。そして、横に首を振った。

「ここに来たら、陽子さんがいると思ったけど、お店が閉まってて」

「どうやって、ここに来たの」

「児相を抜け出して来たんだ。俺、聞いたから。お母さんが映美さんと話してた。陽子さんからお金受け取ったこと」

 結人君は、ポケットから5千円札を取り出す。

「そしたら、あんなことになって、だから、せめて、これ返さないと」

 私の前に5千円札を差し出す。おととい、お花見の帰りに渡したものだと気づいた。

 結人君に会えて嬉しいが、反面で怒りが込み上げてきた。

「何やってんの。児相なんて抜け出して、職員に怒られたらどうするの。こんなことしてたら、周りの子たちにイジメられるかもしれないよ」

 結人君の表情が固まってる。

 私は続けた。

「結人君、もっとズルい奴になりなよ。友達が見張ってくれるなんて嘘だよ。あいつら、万引きするところを見て楽しんでたんだよ」

「新聞配達で稼いだお金は、全部自分のものだって、お母さんに言いなよ。そうすれば、参考書だって、ゲーム機だって買えるでしょ」

 話しながら、頬に涙がつたう。

「世間なんて、嫌な奴ばっかりだよ。自分勝手で、高慢で、他人の気持ちなんてお構いなしの人たちが大勢いるんだよ。そういう奴がいい想いをしてるんだよ。結人君だって、そんなことで、この先、生きてかなきゃいけないんだよ」

 私は結人君を抱きしめた。両手は使えないけど、出来るだけ右手に力をこめた。

「このまま逃げよう。東京に行こう。行きたかったんでしょ。ねぇ行こう」

 風が吹き、髪がなびく。私は、青いパーカーを掴む。

 結人君は、すり抜けるように体をくねらせると、両手で私を腕を制した。その力が強くて、私はパーカーを離す。

「ごめんなさい」

 つとめて冷静な結人君の声だった。

「華音が待っているので」

 結人君は、私の右手に5千円札を握らせたら、きびすを返して、走り去っていく。

 次第に背中が小さくなる。

 私は、膝から崩れ落ちた。

「こんなのいいのに」

 右手の5千円札をくしゃくしゃに握りながら言う。

 軽やかな足取りで、去る姿を見つめていた。

 運動神経が良くて、素直さゆえ、言われたことは何でも吸収出来るのだろう。

 彼は、本当にオリンピアンに成れたかもしれない。

 悲運な少年の背中を見ながら、私は涙をながすことしか出来なかった。

 日が沈み、街灯に照らされながら、私は家路につく。怒りも悲しみも、涙で流れて胸の中が、空っぽになっていた。

 数日後、病院で診察を受けて、ギブスを外すことになった。結人君に救われた日から、私の左腕に巻き付いていたギブスとお別れした。


 週末の龍口苑は騒がしい。今日は、団体客が来ているらしく、いつもは澄ました様子のウエイターが右往左往している。

 忙しい師走を避けて、早めの忘年会を龍口苑で開いているのだろうか。奮発したものだ。

 私たちのテーブルには。エビチリ、シューマイ、春雨サラダが、回転テーブルに並ぶ。

「でも、これまでの土の時代だってコミュニケーションは重要でしょ。会社でも報連相を求められるし、テレビとかラジオで情報も流してたよね」

「いや、風の時代って、情報化社会という側面もあるんですけど、そもそも人間を支配する大元変わるというか、そんな感じですね」

 向かいの席には、萌ちゃんはエビチリを食べながら答える。

「じゃあ、なにか大きなことが起こるの」

「そうかもしれません」

「例えば、なに」

「社会の構造が変わるとか。大企業とか、お役所とか、大きな組織ではなく、個々が重視されるので、新しい社会に移行するとか」

「ピンと来ないな」

「社会が変われば、貧困もなくなるかもしれない」

「そんなことあるの」

「そう思うのも無理ないですけど。江戸時代の人に、明治維新が起きますよなんて言っても、そんなことあるって思ったはずですよ」

 萌ちゃんは、レモンサワーを一口飲むと、決め台詞のように言った。

「土の時代は幕末に始まったんです。そう考えれば、風の時代も何か起きそうですよね」

 ローメンと上海焼きそばが運ばれてくる。私はローメン、萌ちゃんは上海焼きそばを各々の皿に取り分ける。

「ローメンって美味しいですか」

「年取るとこういうのを好きになるの」

 私は羊の肉を箸でつまみ口にするとウーロンハイで流し込む。

「ローメンって物足りないんですよ」

 萌ちゃんは、上海焼きそばの麺をすすり、麺を咀嚼そしゃくしながら言う。アウトカーブでひいたリップに油がべっとり付いていたので、吹き出しそうになった。

 左手のギブスが外れて七か月が過ぎた。もうすぐスキー場の仕事が始まるので、萌ちゃんと連絡を取り合っているうちに、龍口苑で食事をすることになった。

 私は、ギブスが外れたら、すぐに芸術の森のレストランで働き出した。そこで、定年後の再雇用で働く、おじさんやおばさん。老人の客を相手にしているうちに元の生活に戻っていった。

 あの事件から、2か月ほどして、風の庵は営業を再開した。
 小坂映美と旦那の秀二は、未だに裁判中だが、恵子は不起訴になった。

 恵子は弁護士を通じて、私のもとに謝罪文を送ってきた。今回の事件についてのびや犯行に至るまでの経緯が書かれていた。

 しかし、私生活については、家族三人で元気に暮らしているとしか書かれておらず、居場所は教えられないとあった。

 その謝罪文には、少しずつでも返済をしていきたいと記されていたが、私は、だました相手に銀行口座を教えたくなかった。なので、メインバンクにしている八十二銀行の口座ではなく、返済金の受け取り用として、ネットバンクに口座を開設した。

 私は、ろくに返事の文章は書かず、その口座番号を教えた。すると、後日2万円が振り込まれていた。本当に少しずつのようだ。

 2万円を受け取ったら、老後のこと考えて貯金すべきだが、半年ほど芸術の森で働いて、ストレスも溜まっていたので、パーっと使ってみることにした。

 小坂映美には、数名の手下がいて、その一人が恵子だった。風の庵では、恵子だけが関与し、被害者は私だけだった。

 他の手下や被害者は、映美が講師をしているアナウンススクールの関係者だったり、所属事務所のスタッフや彼女が参加していた、アウトドアや酒飲みの社会人サークルの人たちだったようだ。同じスクールやサークルの中に、手下もいればや被害者もいたという。騙し取ったお金は、映美に上納され、手下は手数料を受け取っていた。警察に通報したのは、その中の誰からしい。

 手下たちの中で、恵子の成績が最も悪かったそうだ。あいつに詐欺師など向いているはずがない。

 最初は、契約書類の確認作業など、業務の補佐をして欲しいと頼まれ、事務作業が得意な恵子は承諾したという。

 徐々に、契約プランの説明や勧誘もやらされたという。秀二が金融関係の資格を持っているから問題ないとか、秀二が契約したことにすれば被害は及ばないとか映美言われ、恵子は関与していったという。

 後日、あの刑事二人に再会したが、私の30万は、被害者の中で最も高額だったという。他の被害者は、数万円程度だったそうだ。駄目な詐欺師の恵子にとっては大きな成果だったことだろう。

 ギブスが外れて、久しぶりに車を運転して通勤した。帰り道には、必ず恵子のアパートに立ち寄った。

 どんなに心の中で罵倒しても、けなしても、気の毒な女と嘲笑ちょうしょうしても、憎み切れなかった。結人君の母親だからだ。

 アパートの駐車場には、いつも恵子の乗っていた軽自動車があって、部屋のカーテンは開いたままで、カーテンレールには洗濯物が干され、窓際には、ぬいぐるみが置かれてていた。

 どこにでもある生活感のある光景だが、洗濯物はいつも同じで、軽自動車の停まる位置は、少しも変わっていなかった。

 ある夏の日、私は仕事を休み父親の法事のため静岡に出掛けた。従姉の家で3日ほど過ごし伊那市に帰った。

 その休み明けのことだった。仕事帰りに、いつものようにアパートの前に車を停めると、全てなくなっていた。軽自動車、洗濯物、カーテン、ぬいぐるみも。

 私は、何度か小さくうなづき、アクセルを踏んだ。直観だけど、恵子が子供たちと再会して、家を出て行ったのだと思った。

 あの欠けた前歯を思い出すと、憎らしくて仕方ない恵子だけど、結人君が母親と再会出来たならば、良かったねと声をかけてあげたかった。

 デザートの杏仁豆腐と胡麻団子を食べて龍口苑を出た。お会計は、恵子から受け取った2万円で支払った。

 龍口苑を出たら、すぐそばにある橋の上まで来て、私たちは酔い覚ましすることにした。

 外の冷気が鼻先でアルコールと混ざった気がした。萌ちゃんの顔は火照ほてっている。

 お酒を飲んでいなければ、この薄手のコートでは、間に合わないほどの寒さだ。でも、風は吹いていない。いつもの伊那谷だ。

 小坂映美の犯行理由は、自己顕示欲を保ちたかったそうだ。もとより、モデルとラジオDJの両方で活動していたが、競争の激しい業界の中で、まずモデルの仕事を失い、ラジオDJの仕事も減少していった。

 その喪失感を補うための犯行だったようだ。当初は、旦那のセミナーの勧誘だったが、次第にエスカレートしていったという。

「まだ飲み足りませんよね」

 萌ちゃんは、橋の欄干にもたれながらスマホをいじっている。私も同じようにもたれて、晩秋の月を見上げた。

 私にまだ恋心があったなんて、四十五歳になって少女のそうな片想いをするとは。

 スキー場で手首が折れたときに私の想いが弾けて、拾い上げた少年に吸い込まれていった。

 あんな風に恋が出来るのだから、まだ私の人生は捨てたものではない。

 一度でいいから、一緒にスノボをしてみたかった。きっと彼は、私を置き去りにするほどの速さでゲレンデを滑るのだろう。

 あの日、私は結人君に嫌な奴になりなよなんて言ったけど、今思い出すと笑ってしまう。

 あの人の好さを私は好きになったんだ。こんなおばさんを助けてくれたのだから。

 でも、我の弱い彼にオリンピアンは無理だったろうか。

 今年の春はいろいろことがあり、春一番のように吹き抜けていった。

 もうすぐ46歳になるけど、私はまだ独身だ。妻にも母にも成れず、契約社員で働いている。何者にも成れなかった自分がいる。いくら自己責任と自分に言い聞かせても、心に穴は開いてしまう。

そこに風が吹き込んできた。恋人も、かつての友人や憧れた人も。

「私、恵子さんからは何のオーラも見えなかった。強いオーラしか私には見えないから」

 萌ちゃんの言葉で我に返った。

「たまたま、私を上手く騙せたとか」

 萌ちゃんは苦笑いする。

「恵子さん、きちっとお金返すと思いますよ。残り僅か28万円じゃないですか」

「うん。頑張れ恵子」

 私はそう返して二人で笑った。

「次のお店決まったから行きましょう」

 萌ちゃんが、私の左手を取って歩き出す。私は満月を見上げながら、この月をどこかで結人君もどこかで見ているだろうと思った。

 でも、それは月並みの表現だと思った。満月だけに、月並みだと思ったら、酔っぱらっていたせいか、それがおかしくて笑ってしまう。

「なに一人で笑ってるんですか」

 萌ちゃんの問いに答えるほどのことでもない。ただ、おかしくてもう一度笑った。

【了】

#創作大賞2025 #恋愛小説部門

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