ロスジェネに風が吹く 最終話
100円ショップ、ファンシー雑貨店、本屋。あの日と同じルートで、ベルシャインの店内と見て回わった。
でも、本屋に結人君の姿はなかった。店外に出て、駐車場を歩く。
日は傾き、朝から強く吹いていた風は止んでいた。
あの日と同じように、目の前にケンタッキーはあるけど、結人君は居ない。
真っ直ぐ帰りたくないから、伊那市駅前でバスを乗り換えて、買い物でもないのに、ベルシャインまで来てしまった。
建物の壁に寄りかかって、ぼんやりとケンタッキーの店内を眺める。食事時ではないため、人気のない様子だ。
しばらく、そうしているうちに、私は恋に恋しているような気がしてきた。結人君に会えないことに絶望して。思い出の場所を一人で歩き、感傷的な気分に浸る。
ここに来た理由がそれだと気づいて、自分の行動を馬鹿馬鹿しいと思ってしまう。
ベルシャインをあとにし、再び路線バスに乗った。
バスの車内では、座席でセーラー服を着た女子生徒が二人でおしゃべりをしている。
右手で吊り革を握る私にも、けらけらと笑いながら、話す声が届いていた。
私は、彼女たちとは違う立場から、結人君にアプローチすることに優越感を抱いていた。食事を奢って、お金を渡して、東京に連れ出そうとしていた。
でも、こうしていると、そんな優越感は脆くも崩れていく。
彼女たちこそが、結人君に相応しい。私は、そのことから背向けていた。
教室で机を並べて学び、共に流行りの音楽やドラマに夢中になって、同じ目線で物事をとらえるから、ときに共感し、ときに衝突する。
座席にいるあのセーラー服の子たちは、結人君とそれが出来る年頃だ。
そう思うと、急に彼女たちが羨ましくて、輝いてすら見えた。
それが耐えられなくて、吊り革を握りしめ、下を向き、目を閉じてやり過ごすほかなかった。
◇
伊那市の駅前のバスターミナルで下車して、商店街を歩くことにした。四月になって日は長くなったが、もうすぐ木曽山脈の向こうに沈もうとしている。
バスターミナルから、複合施設のビルを過ぎて、ローソンの前の信号を曲がり、アーケードの下を歩いた。
駅舎の裏に出て、真っ直ぐ行けば萌ちゃん家だ。今頃、失意の底にいるだろう。立ち寄って行こうか、一緒に居れば少しは傷も癒えるだろうか。
でも、その前に風の庵へ行ってみようと思った。骨折が治れば、ギブスが外れたら、職場復帰しなければならない。そしたら、もう行くこともないだろう。角を曲がり、建物が見えた。
灯かりは消えているが、誰かが店の前に立っている。保科さんだろうか。私は、歩み近づいていく。立っているのが若者だと気づく、青い服を着ている。
私は、駆け寄る。その人が近くなると、青いパーカーだと気づく。あの色褪せたものに違いない。自分の足音と息遣いが聞えた。
店の前に来ると、私は叫ぶように言った。
「どうして、ここにいるの」
私は、息を切らしながら、立て続けに言う。
「華音ちゃんは」
結人君は、驚いた顔をして、私を見つめている。そして、横に首を振った。
「ここに来たら、陽子さんがいると思ったけど、お店が閉まってて」
「どうやって、ここに来たの」
「児相を抜け出して来たんだ。俺、聞いたから。お母さんが映美さんと話してた。陽子さんからお金受け取ったこと」
結人君は、ポケットから5千円札を取り出す。
「そしたら、あんなことになって、だから、せめて、これ返さないと」
私の前に5千円札を差し出す。おととい、お花見の帰りに渡したものだと気づいた。
結人君に会えて嬉しいが、反面で怒りが込み上げてきた。
「何やってんの。児相なんて抜け出して、職員に怒られたらどうするの。こんなことしてたら、周りの子たちにイジメられるかもしれないよ」
結人君の表情が固まってる。
私は続けた。
「結人君、もっとズルい奴になりなよ。友達が見張ってくれるなんて嘘だよ。あいつら、万引きするところを見て楽しんでたんだよ」
「新聞配達で稼いだお金は、全部自分のものだって、お母さんに言いなよ。そうすれば、参考書だって、ゲーム機だって買えるでしょ」
話しながら、頬に涙がつたう。
「世間なんて、嫌な奴ばっかりだよ。自分勝手で、高慢で、他人の気持ちなんてお構いなしの人たちが大勢いるんだよ。そういう奴がいい想いをしてるんだよ。結人君だって、そんなことで、この先、生きてかなきゃいけないんだよ」
私は結人君を抱きしめた。両手は使えないけど、出来るだけ右手に力をこめた。
「このまま逃げよう。東京に行こう。行きたかったんでしょ。ねぇ行こう」
風が吹き、髪がなびく。私は、青いパーカーを掴む。
結人君は、すり抜けるように体をくねらせると、両手で私を腕を制した。その力が強くて、私はパーカーを離す。
「ごめんなさい」
つとめて冷静な結人君の声だった。
「華音が待っているので」
結人君は、私の右手に5千円札を握らせたら、踵を返して、走り去っていく。
次第に背中が小さくなる。
私は、膝から崩れ落ちた。
「こんなのいいのに」
右手の5千円札をくしゃくしゃに握りながら言う。
軽やかな足取りで、去る姿を見つめていた。
運動神経が良くて、素直さゆえ、言われたことは何でも吸収出来るのだろう。
彼は、本当にオリンピアンに成れたかもしれない。
悲運な少年の背中を見ながら、私は涙をながすことしか出来なかった。
日が沈み、街灯に照らされながら、私は家路につく。怒りも悲しみも、涙で流れて胸の中が、空っぽになっていた。
数日後、病院で診察を受けて、ギブスを外すことになった。結人君に救われた日から、私の左腕に巻き付いていたギブスとお別れした。
◇
週末の龍口苑は騒がしい。今日は、団体客が来ているらしく、いつもは澄ました様子のウエイターが右往左往している。
忙しい師走を避けて、早めの忘年会を龍口苑で開いているのだろうか。奮発したものだ。
私たちのテーブルには。エビチリ、シューマイ、春雨サラダが、回転テーブルに並ぶ。
「でも、これまでの土の時代だってコミュニケーションは重要でしょ。会社でも報連相を求められるし、テレビとかラジオで情報も流してたよね」
「いや、風の時代って、情報化社会という側面もあるんですけど、そもそも人間を支配する大元変わるというか、そんな感じですね」
向かいの席には、萌ちゃんはエビチリを食べながら答える。
「じゃあ、なにか大きなことが起こるの」
「そうかもしれません」
「例えば、なに」
「社会の構造が変わるとか。大企業とか、お役所とか、大きな組織ではなく、個々が重視されるので、新しい社会に移行するとか」
「ピンと来ないな」
「社会が変われば、貧困もなくなるかもしれない」
「そんなことあるの」
「そう思うのも無理ないですけど。江戸時代の人に、明治維新が起きますよなんて言っても、そんなことあるって思ったはずですよ」
萌ちゃんは、レモンサワーを一口飲むと、決め台詞のように言った。
「土の時代は幕末に始まったんです。そう考えれば、風の時代も何か起きそうですよね」
ローメンと上海焼きそばが運ばれてくる。私はローメン、萌ちゃんは上海焼きそばを各々の皿に取り分ける。
「ローメンって美味しいですか」
「年取るとこういうのを好きになるの」
私は羊の肉を箸でつまみ口にするとウーロンハイで流し込む。
「ローメンって物足りないんですよ」
萌ちゃんは、上海焼きそばの麺をすすり、麺を咀嚼しながら言う。アウトカーブでひいたリップに油がべっとり付いていたので、吹き出しそうになった。
左手のギブスが外れて七か月が過ぎた。もうすぐスキー場の仕事が始まるので、萌ちゃんと連絡を取り合っているうちに、龍口苑で食事をすることになった。
私は、ギブスが外れたら、すぐに芸術の森のレストランで働き出した。そこで、定年後の再雇用で働く、おじさんやおばさん。老人の客を相手にしているうちに元の生活に戻っていった。
あの事件から、2か月ほどして、風の庵は営業を再開した。
小坂映美と旦那の秀二は、未だに裁判中だが、恵子は不起訴になった。
恵子は弁護士を通じて、私のもとに謝罪文を送ってきた。今回の事件についての侘びや犯行に至るまでの経緯が書かれていた。
しかし、私生活については、家族三人で元気に暮らしているとしか書かれておらず、居場所は教えられないとあった。
その謝罪文には、少しずつでも返済をしていきたいと記されていたが、私は、だました相手に銀行口座を教えたくなかった。なので、メインバンクにしている八十二銀行の口座ではなく、返済金の受け取り用として、ネットバンクに口座を開設した。
私は、ろくに返事の文章は書かず、その口座番号を教えた。すると、後日2万円が振り込まれていた。本当に少しずつのようだ。
2万円を受け取ったら、老後のこと考えて貯金すべきだが、半年ほど芸術の森で働いて、ストレスも溜まっていたので、パーっと使ってみることにした。
小坂映美には、数名の手下がいて、その一人が恵子だった。風の庵では、恵子だけが関与し、被害者は私だけだった。
他の手下や被害者は、映美が講師をしているアナウンススクールの関係者だったり、所属事務所のスタッフや彼女が参加していた、アウトドアや酒飲みの社会人サークルの人たちだったようだ。同じスクールやサークルの中に、手下もいればや被害者もいたという。騙し取ったお金は、映美に上納され、手下は手数料を受け取っていた。警察に通報したのは、その中の誰からしい。
手下たちの中で、恵子の成績が最も悪かったそうだ。あいつに詐欺師など向いているはずがない。
最初は、契約書類の確認作業など、業務の補佐をして欲しいと頼まれ、事務作業が得意な恵子は承諾したという。
徐々に、契約プランの説明や勧誘もやらされたという。秀二が金融関係の資格を持っているから問題ないとか、秀二が契約したことにすれば被害は及ばないとか映美言われ、恵子は関与していったという。
後日、あの刑事二人に再会したが、私の30万は、被害者の中で最も高額だったという。他の被害者は、数万円程度だったそうだ。駄目な詐欺師の恵子にとっては大きな成果だったことだろう。
ギブスが外れて、久しぶりに車を運転して通勤した。帰り道には、必ず恵子のアパートに立ち寄った。
どんなに心の中で罵倒しても、貶しても、気の毒な女と嘲笑しても、憎み切れなかった。結人君の母親だからだ。
アパートの駐車場には、いつも恵子の乗っていた軽自動車があって、部屋のカーテンは開いたままで、カーテンレールには洗濯物が干され、窓際には、ぬいぐるみが置かれてていた。
どこにでもある生活感のある光景だが、洗濯物はいつも同じで、軽自動車の停まる位置は、少しも変わっていなかった。
ある夏の日、私は仕事を休み父親の法事のため静岡に出掛けた。従姉の家で3日ほど過ごし伊那市に帰った。
その休み明けのことだった。仕事帰りに、いつものようにアパートの前に車を停めると、全てなくなっていた。軽自動車、洗濯物、カーテン、ぬいぐるみも。
私は、何度か小さくうなづき、アクセルを踏んだ。直観だけど、恵子が子供たちと再会して、家を出て行ったのだと思った。
あの欠けた前歯を思い出すと、憎らしくて仕方ない恵子だけど、結人君が母親と再会出来たならば、良かったねと声をかけてあげたかった。
デザートの杏仁豆腐と胡麻団子を食べて龍口苑を出た。お会計は、恵子から受け取った2万円で支払った。
龍口苑を出たら、すぐ傍にある橋の上まで来て、私たちは酔い覚ましすることにした。
外の冷気が鼻先でアルコールと混ざった気がした。萌ちゃんの顔は火照っている。
お酒を飲んでいなければ、この薄手のコートでは、間に合わないほどの寒さだ。でも、風は吹いていない。いつもの伊那谷だ。
小坂映美の犯行理由は、自己顕示欲を保ちたかったそうだ。もとより、モデルとラジオDJの両方で活動していたが、競争の激しい業界の中で、まずモデルの仕事を失い、ラジオDJの仕事も減少していった。
その喪失感を補うための犯行だったようだ。当初は、旦那のセミナーの勧誘だったが、次第にエスカレートしていったという。
「まだ飲み足りませんよね」
萌ちゃんは、橋の欄干にもたれながらスマホをいじっている。私も同じようにもたれて、晩秋の月を見上げた。
私にまだ恋心があったなんて、四十五歳になって少女のそうな片想いをするとは。
スキー場で手首が折れたときに私の想いが弾けて、拾い上げた少年に吸い込まれていった。
あんな風に恋が出来るのだから、まだ私の人生は捨てたものではない。
一度でいいから、一緒にスノボをしてみたかった。きっと彼は、私を置き去りにするほどの速さでゲレンデを滑るのだろう。
あの日、私は結人君に嫌な奴になりなよなんて言ったけど、今思い出すと笑ってしまう。
あの人の好さを私は好きになったんだ。こんなおばさんを助けてくれたのだから。
でも、我の弱い彼にオリンピアンは無理だったろうか。
今年の春はいろいろことがあり、春一番のように吹き抜けていった。
もうすぐ46歳になるけど、私はまだ独身だ。妻にも母にも成れず、契約社員で働いている。何者にも成れなかった自分がいる。いくら自己責任と自分に言い聞かせても、心に穴は開いてしまう。
そこに風が吹き込んできた。恋人も、かつての友人や憧れた人も。
「私、恵子さんからは何のオーラも見えなかった。強いオーラしか私には見えないから」
萌ちゃんの言葉で我に返った。
「たまたま、私を上手く騙せたとか」
萌ちゃんは苦笑いする。
「恵子さん、きちっとお金返すと思いますよ。残り僅か28万円じゃないですか」
「うん。頑張れ恵子」
私はそう返して二人で笑った。
「次のお店決まったから行きましょう」
萌ちゃんが、私の左手を取って歩き出す。私は満月を見上げながら、この月をどこかで結人君もどこかで見ているだろうと思った。
でも、それは月並みの表現だと思った。満月だけに、月並みだと思ったら、酔っぱらっていたせいか、それがおかしくて笑ってしまう。
「なに一人で笑ってるんですか」
萌ちゃんの問いに答えるほどのことでもない。ただ、おかしくてもう一度笑った。
【了】
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