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ロスジェネに風が吹く   第5話

《1》《2》《3》《4》《5》《6》《7》《8》《最終話》

 トマトソースに野菜や牛肉を煮詰めた香りが漂っている。きょうの子ども食堂のメニューはハヤシライスだ。
 
 開店時間の五時になり、お客さんが入ってくる。スタッフが、こんにちはと明るく声を掛ける。
 私は、怪我のため手伝えることが少ない。今日は、弱火で煮たルーを、おたまでかき混ぜている。このハヤシライスには、じゃがいもが入っているので、寸胴の底に付かないよう気をつける。
 
 カランコロンと扉の開く音がして、顔を上げたら、恵子たちが入ってきた。いつもより一時間ほど早い登場に驚いて、私は両肩を上げてしまう。
 
「ごめん、驚いた」
 
「ぜんぜん、大丈夫だよ」
 
 恵子の言葉に、私は慌てて返した。華音ちゃんがカウンターに駆け寄ってきて、そのあとに結人君が続いた。
 
 三人がトレイを持って、お皿に萌ちゃんがマカロニサラダを盛り付けて、次にリンゴジュースを乗せ、セルフサービスのライスを大皿に盛り、私がそこにルーをかける。華音ちゃんにかけるときから、すでに緊張していて、手が震えている。結人君の番になったら、こぼしてしまわないか不安になる。たくさんかけて、あげたいという思いからお玉いっぱいにすくってしまった。細心の注意をして大皿にかける。無事に出来て、ルーがライスに浸み込んでいく。
 
「ありがとう」
 
 結人君が言うので、私は満面の笑みを返した。恵子の大皿にかけるときには、ほっとして気が緩んだせいか、ルーが二、三粒トレイに落ちた。
 
 三人で食事をする姿を私は遠くから見つめる。結人君が気づいて、目が合ってしまったら、また微笑みかければいい。
 
 さっきまでの胸の高鳴りから解放されたせいか、全身がふわふわしている。
 私は四十五歳。結人君は十四歳。その差は三十一歳。私たちには、親子ほどの年の差がある。そして、彼の母親は同級生だ。
 
 今日は結人君に会える日なので、洋服は何を着ようか、昨夜は考えていたし、メイクだって、しっかりアイラインを引いて、チークもハイライトも入れて、ばっちりメイクにして行こうと思っていたが、よく考えてみたら、結人君からすれば、私は母親の友人だ。おばさんが、ばっちりメイクをしたところで、厚化粧にしか見えないだろうし、そもそも子ども食堂に厚化粧なんて場違いな気がした。
 
 
 洋服も何を着ようか迷ったけど、料理をするのにセレブぽい服装でくるのも、場違いな気がして、いつもどおり手抜きメイクにトレーにデニムを穿いたカジュアルな服装で来た。
 
 結人君は、私の服装になど興味ないだろう。違和感を感じさせないほうがいい。オシャレは、相手のために装うものだから。
 
 十代の頃、報道番組でアイドル好きのおばさんの特集を見たことがあった。その人は、独身で、親子ほど年の離れた男性アイドルに給料の大半を注ぎ込んでいた。有給休暇をとって、遠方のコンサート会場に駆けつけ、その人の家には、至る所にそのアイドルのポスターが貼られ、寝室はグッズで埋め尽くされていた。
 
 歳の離れた少年に執着する中年女性の気持ちが理解出来ず、私はそれを見ながら鼻で笑った。
 
 あの番組を見たのは、高校生の頃だった気がする。気持ち悪いと思った。次の日、学校で、友人と一緒に気持ち悪かったよねと言い馬鹿にした。それから30年ほどが過ぎて、あのおばさんの気持ちがわかるようになった。

 まさか、恵子が産んだ子を好きになるなんて。
 なんだか、奇妙な感じがするけど、萌ちゃんが言ったとおり、天からのお導きか。
 この胸を締め付けるような思いは確かに恋だ。
 
 こうして、カウンターに立ってハヤシライスのルーをお客さんの大皿に盛っているけど、気持ちは結人君に向かっている。いや、視線はハヤシライスに向かっているが、これは結人君を見るためのスタンバイだ。
 
 お客さんが行ってしまうと、結人君を見つめる。笑ったときの唇が可愛らしいくて、胸がうずうずして手足に伝わっていく。
 
 でも、じろじろ見て不快な思いをさせてしまうと申し訳ないので、五秒見たら、三分間は目を離し、また五秒見つめる。これを繰り返す。三分間に募った思いが、次の五秒で解き放たれるわけだ。遠くからならば、五秒ぐらいでは気づかれないだろう。
 
 五秒が過ぎて、手元の寸胴に目を落として、かき回していたら、萌ちゃんが私に近づき声をかけてきた。
 
「なんか、最近いいことでもあったんですか」
 
「べつに」
 
「雰囲気変わりましたね」
 
「いつもと一緒だよ」
 
 カウンターの端でマカロニサラダを盛り付けている萌ちゃんの存在を忘れていた。いや、忘れるほど、結人君の存在が大きい。私の視線に萌ちゃんが気づいたのか。
 
「恋のオーラ出てますよ」
 
「何それ」
 
「あたし、陽子さんのベースのオーラって見えないんですよ。でも、今日はピンクっていうか、薄紫っていうか、そんなオーラが見えるの。これは恋ですね」
 
「そんなわけないじゃん。こんな歳だし」
 
「それは、どうですかね」
 
 保科さんがカウンターに来る。
 
「どっちか、休憩入って」
 
 もうそんな時間だと思った。
 
「あたし、休憩もらいますね」
 
 萌ちゃんは、人さし指で私の二の腕をツンとつついて、厨房の方へ歩いていった。
  
 結人君がいるから、私に気を使って先に休憩にいったのだろうか。五秒は見つめるには長すぎたのか。
 
 私は、視線を結人君のいない左端の方へ向けてみる。サランラップで、ぐるぐる巻きにした左手が汗ばんでいる。
 空気に触れていないせいだが、萌ちゃんに気づかれたかもしれない焦りもあるだろう。
 
 萌ちゃんは、強く出ているオーラしか見えないと言っていた。
 左端の席は、さっきまで映美さんがパソコンをカタカタしていたが、今は、外出している。
 萌ちゃんが言うには、人は常に何色かのオーラを放っているらしい。
 私のオーラは、普段見えないけど、今日は特別にピンクぽいものが見えたということか。
 黄色に赤黒さが混ざったオーラが映美さんの基本色のオーラと言っていたが、強く出ているのだろうか。
 
 今日は、旦那の秀二さんが、駅前の複合施設で資産形成の講演をしていて、映美さんは、それに付き添うため、離席している。
 
 いつものようにセレブな服装をした映美さんが、今日は旦那を連れてやってきた。ベージュのニットワンピースに髪からのぞくスイングピアスがさりげなくオシャレだった。
料理をするわけではないなら、こんな服装もありだろう。
 
 映美さんは、私を見つけると歩み寄って来た。
 
「残念よね。FM伊那谷がねぇ」
 
「そうですね」
 
 伊那に戻ってきて、まず驚いたのは、FM伊那谷が倒産していたことだ。久しぶりにキャンパスの付近を散策するまで気づかなかった。寂しさは、プロのDJだった映美さんにとっても同じなのだろう。
 
 映美さんが微笑んだので、私も微笑み返す。私のことなんて、本当はろくに思い出せないだろうけど、憧れの映美さんには、話しかけられるだけで嬉しい。
 
 FM伊那谷開局当初に、局の花形として、若手注目株のDJだった小坂映美を連れてきたそうだ。
 大学生の頃、よく廊下ですれ違った。スタジオに入る私たちに、頑張ってねと声をかけてくれた。映美さんの長い脚にスリム型のローライズジーンズがよく似合っていた。
 
 映美さんは、松本市の出身で、幼い頃には父親の仕事に影響で海外に住んでいたこともあるそうだ。日本に戻り、松本の進学校から東京の難関大学へ進み、在学中に芸能プロダクションに所属した。
 ラジオDJとして活動する傍ら、モデルとしても活動し、大学卒業後も芸能活動を続けた。現在では、ラジオDJのみの活動のようだ。
 
 映美さんは、私よりも三歳年上だが、彼女にとっては、就職氷河期など、およそ関係のない事だったのだろう。
 厨房からは、秀二さんと保科さんが談笑する声が聞こえる。

 私たち二人は、カウンターに寄りかかりながら話した。
 
「陽子ちゃん、一人暮らしなの」
 
 映美さんに陽子ちゃんと言われると照れてしまう。
 
「はい」
 
「女が一人で生きていくのって大変よね」
 
「本当に、そうですね」
 
「陽子ちゃん。困ったときはもっと周りに頼っていいからね。一人で頑張り過ぎないで」
 
「はい」
 
 映美さんが私の肩に手をかける。もう片方の手で私の左手のギブズを触る。
 
「大丈夫」
 
 そう声をかけて微笑んだので、私はうなづきながら、照れ笑いしていた。
 
 結人君は、食事を終えて恵子と華音ちゃんと帰っていった。
 恵子とは、このあいだ龍口苑で会ったばかりなので話すことあまりなかったが、結人君が帰ることは、なごり惜しくてしかたない。店を出て行く間際に手を振ってくれたので、私は満面の笑みで振り返した。
 
 閉店作業をしているころに、映美さんは旦那を連れて、講演会から戻ってきた。保科さんに帰りの挨拶をしている。
 
「あいつら、夫婦で同じオーラしてるんだけど」
 
 萌ちゃんは、映美さん夫婦は揃って嫌いなようだ。
 
 風の庵にとって映美さんは、潤滑油のような役割をしている。人を和ませ、顧客やスタッフが声をかけあい、活き活きできるような雰囲気を作っている。
 
 帰りの車の中で、萌ちゃんは面白がりながら、私に話しかける。
 
「あの男の人は、週に1回ぐらい来てるから、陽子さんから声をかけてみたらどうですか」
 
「べつに、そんなんじゃないって」
 
「だって、チラ見してたじゃないですか」
 
「いや、それはたまたま」
 
 結人君たちの後ろに中年のスーツを着た男性が座っていた。私が、その人を好きになったと思い込んでいるらしい。オーラは見えても人の心は読めないのだろう。
 
「頑張ってくださいね。応援してますから」
 
 私は、笑いながら否定しつつ、萌ちゃんが、結人君への視線とは、気づかなかったことに胸をなでおろしていた。
 

 
 左腕を吊った生活をしていると、周囲の人たちが気を使ってくれる。萌ちゃんは、子ども食堂を車で送り迎えしてくれるし、買い物をしているときに、財布にお釣りを上手にしまえずにいると店員さんが、手伝いましょうかと声をかけてくれる。
 
 昼間は、ギブスがきっかけで和むこともあるが、夜は邪魔だ。風の庵から帰ってきて、さっき缶チューハイを飲んだら、ギブス中の腕がむくんでしまった。お風呂は、専用のビニールをかけて入り、着替えは、ギブスをしていない右手から脱いで、着るときは左手を先に袖に通す。
 
 手のひらもギブスで覆われているので、ボタンの付いた服は着にくいので、なるべく着ないようにしてトレーナーをよく着ている。でも、袖口の広がりにくいものはギブスが通らないので、着る服が限られてしまう。
 
 今日は、風の庵で結人君に会い、映美さんに気遣ってもらい、気分が高揚していたのだろうか。缶チューハイでも飲んで眠気を誘発させようと思ったが、逆効果だったようだ。
 
 私は、いつものようにギブスをした左手をお腹のうえに置いている。
 小学生の頃、寝付けない夜に裸になって、ベッドに入ったことを思い出す。いつも毛布に触れない、胸や性器が触れたことに違和感を覚えながら、でも、それが新鮮で、ドラマで見たベッドシーンを思い出しては、鼻の頭まで布団と毛布をかけて、あたかも隣に男性がいるように、恥じらいながら横顔を見つめるフリをしていた。
 
 そんなことを思い出したら、微かに胸の音が聞こえてきた。
 結人君のことを思い出す。スキー場から始まり今日までのこと。手を振って風の庵を出て行く姿をまぶたの裏に映したところで、右手を下ろし、スエットの上から中指で股を刺激すると、身を縮めるように肩が小さく動いた。
耳に届く胸の音が次第に大きくなる。今度は親指以外の四本の指で、撫でながら結人君を思い出す。
さっきより、小さい刺激を与えているせいか心地よい。
 
 この感覚に浸っていると、現実の出来事だけではなくて、妄想を膨らませたくなる。
 
 ある雨の日、青いパーカーを着た少年が道端でうなだれている。そこを通りかかった私は、ずぶ濡れの少年を傘に入れると、少年は私に身を預けるように倒れてきたので、私は左手で抱きとめる。
 
 少年の体温を感じながら、彼のすべてを受け入れたい気持ちになる。大人びた雰囲気や可愛らしい口元だけではなくて、頼りないところやズルさも含めて。
 
 雨は強くなり、私の小さな傘では、お互いの半身が雨粒に晒されたままだ。
 私は、彼を抱えるようにして自宅へと向かうことにする。
 
 少年をベッドに寝かせ。屋内に響く雨音を聞きながら、濡れたトレーナーを脱ぐ。
 
 ふと視線を感じ少年に目をやると、彼は、私を見つめていた。
 
 気がついた少年の傍に行き、私は彼にキスをする。
 私は、ベッドに上がり、隣に寝そべって、髪を撫でたら、もう一度キスをした。
 
 少年の衣服が雨に濡れたままなので、衣服を脱がせ、下着姿にして、私はベッドを降りる。
 
 彼の着替えになるような服を探すためにベッドから下りて、クローゼットを開けると、急に両腕が縮む感覚がして、背後に生温かさを感じた。
 
 彼は、途端に立ち上がり、私を抱きしめていた。
 
「何してるの」
 
 問いかけようとするが、次の瞬間、勢いのままにベッドに押し倒される。私はの力では、彼に抗えない。
 
 タンクトップを脱がされ、デニム剝ぎ取られると、赤の上下揃いの下着姿になった私を彼が見つめている。
 
 下着を脱がされ、彼の唇が私の胸に吸い付き、肌が触れ合う。洋服の上からとは、比べ物にならないほどの体温を感じた。彼の顔が私の太ももの間に収まると、吐息ではなく、声が漏れた。
 
 二人の体が繋がると、耳元で彼がささやいた。
 
「好きです」
 
 私は、彼の背中に手を回しながら言う。
 
「あたしも」
 
 目を閉じて、暗がりの中で、彼の息遣いが小刻みに聞こえる。
 
「ごめんなさい、ごめんなさい」
 
「どうして、いいの」
 
「ごめんなさい、ごめんなさい」
 
 雨に濡れていた彼は、助けた私に気を遣っているのか。
 
「いいの、いいの、気にしないで」
 
 私は、妄想の中で、彼にそう告げた瞬間に、脳内でフラッシュが起きて、体がのぼせ上がた。
 つま先から、全身がしびれていく感じがした。バスタブに体を浸したときのような感覚にも似ている。
 
 フラッシュが起きたときは、眩暈めまいを伴う。私は、眩暈がおさまると、しばらく天井を見つめた。冷蔵庫のモーターの音が聞えてきて、我に返ると、辺りを見回した。

 ベッドの下には、スエットとショーツが脱ぎ捨てられている。スエットの上から触っていた行為は、やがてショーツの上からになり、気分が高揚したら、それも脱ぎ捨てていた。
 
 お腹の上にのったギブスの重さを彼と肌を合わせたときの重みに置き換えて、妄想していた。
 
 半裸で布団に入っていることが、気持ち悪くて、上半身の服も脱ぎ捨てた。ブラジャーを外して、床に捨てると、冷気が裸体を包む。私は布団に潜り込んだ。
 
 産まれたままの姿の私だけど、左手にはギブスがある。結人君に抱きかかえられた日から共にあるギブスだ。
 
 こんな衝動に駆られたのは、いつ以来だろうか。全身が快感に浸っていく、あの感覚が懐かしくもあった。東京を捨てて、ここに移り住んでからは初めてだ。
 
 体が休まると、また右手を下ろした。もう少しだけしたかった。でも、さっきのフラッシュ大きかったので、今度は指で撫でるだけにした。皮膚で出来た丘の外周を人差し指と中指で撫でてみる。あまり刺激は加えずに、だらだらと弱めの快楽に浸ってみることにした。
 

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