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ロスジェネに風が吹く   第1話

《1》《2》《3》《4》《5》《6》《7》《8》《最終話》


あらすじ

 スキー場の売店で働いていた主人公の陽子は、スノボ滑走時に左手を骨折してしまい、見知らぬ男性に助けられる。
 休養中に陽子は、友人の萌に誘われ子ども食堂を手伝うことになる。そこで、大学時代の友人の恵子と再会する。恵子には結人という息子がいた。
 ある日、陽子は本屋で結人が万引きするところを止める。その後に、骨折時に助けてくれた人は結人だったと知り、陽子は結人に惹かれていく。
 氷河期世代で契約社員として働き、妻にも母にも成れなかった陽子は45歳と14歳の年齢の差を気にしながら結人に思いを寄せる。その中で、恵子から老後の資産形成の話を持ちかけられ、30万円を渡したことから事態は一変していく。


 

  曇天の下ではゲレンデが険しく見える。爽快感よりも生還を試される気分だ。
  ナイターのようにライトアップされたロマンチックな雰囲気もなく、天から試されるように、白い旅路を進む。
 
 南信州スキー場は、この地域では規模の大きなスキー場だ。センターハウスからコースは3つに分かれ、私は最も長い三キロコースを滑っていた。
 
 何度も滑っているコースなので、気軽に滑べればいいと思い直す。今日は午後から天気が悪くなるし、明日からはいつものように、このスキー場の売店で働くので、午前中だけ滑って帰るつもりだった。
 
 スノーボードをしていると、アドレナリンが分泌され、気持ちが高まってくるので、レストランでお昼ご飯を食べた後に、もう1本だけ滑ろうと思ってしまった。
 
 東の駒ケ岳の方から、厚い雲が迫ってきて、リフトを降りる頃には鉛色の空になる。
 ゲレンデの中ほどにある傾斜27度の難所を滑る頃には、霧が立ち込めていた。
 私はロングターンで滑り降りて、その先はしばらく平坦になるので流すように滑っていく。ふいにスキーヤーが霧の中から現れて、私は衝突を警戒したせいで、バランスが崩れてその場に倒れた。
 咄嗟のことだったので、私はアイスバーンの上で左手をついて転んでしまった。
 
 私は、あっと鈍い声を上げる。スキーヤーはミサイルのような速さで霧の中に消えていく。
 体の重みで、左手を押しつぶした気がした。これまでにない痛みを感じ、立ち上がってみたものの、左手が上がらない。
 不安が胸に広がっていく、助けを求めたいが、周囲に人がいない。
 今日は、平日ということもあって、来場者が少なく、快適に滑れていたけど、それが裏目に出たようだ。
 
 斜面に対し、スノーボードを横にして、速度を落としながら滑り降りる。左手を負傷しているせいでバランスがとりにくく、前かがみに倒れたら、ますます怪我が悪化すので、それを警戒したせいか、何度も尻もちをつきながら滑る。
 
 初心者のようなことをしながら、下って行く。中腹にあるリフト乗り場は過ぎてしまったので、進むしかない。
 
 ぱらぱらと降っていた雪が本降りになって、更に視界を塞ぐ。焦りと不安から涙がこぼれた。
 
 大丈夫、何度も滑ったゲレンデでしょ。私の職場なんだから、そう自分に言い聞かせてみるけど、不安で仕方なかった。
 
 どうにかゲレンデを滑って来たものの、極度に神経を使ったせいか、その場に座り込んだ。
 この先は、ずっと平だけど、元のリフト乗り場は数十メートル先で、ドクターのいる建屋はこれよりも先だ。
 
 もう少し、早く本降りに成れば、アイスバーンに雪が積もってクッションの代わりになってくれただろうか。
 
 「大丈夫ですか」
 
 背後から男性の声がした。カーキ色のウェアではなので、パトロール隊ではないようだ。冷やかしならやめてほしいと思った。
 
 「怪我しました。立てます」
 
 その男性は、私の前に回り込む。俊敏な動きをするので若者なのだろう。
 顔は、ゴーグルで隠れている。
 手際よく、私のビンディングを外して、ブーツと板を離すと、ソールを上にして板を置き、男性もビンディングを外して、私の板の横に置いた。
 
 「すいません。ありがとうございます」
 
 本当に助けてくれるのだと気づいた。
 
 「立ちましょう」
 
 男性に促されて、立ち上がろうとするけど、上手くいかない。朝から滑走していたせいか、怪我でバランスが崩れているのだろうか。いや、今の滑りで体力を使い果たした、突然の出来事に対応したせいだろう。両足が震えている。2回尻もちをついて、男性の肩を借りて3度目で立ち上がったが、すぐに膝から崩れ、左手も庇うように右肩から転んだ。
 
 「どうしよう」
 
 私は、見ず知らずの人の前で、不安を口にした。
 
 「仰向けになって」
 
 私は男性に言われるがまま、体を反転させる。
 
 そうした途端に、体が浮かんだ。
 私は、左手をおさえながら、男性に体を預けた。
 
 お姫様だっこなんて、いつ以来だろう。
 
 子供の頃に、居間でテレビを見ながら寝てしまった私をお父さんが子供部屋まで運んでくれたことがあった。それしか、思い出せない。
 
 見ず知らずの男性の腕に包まれている。時折、スキー客が私たちを見てくるけど、恥ずかしさより、安堵の気持ちが勝っていた。雪は降り続き、頬に落ちるけど、胸に広がる温かさの方が強かった。欲を出してもっと感じでみたくなり。男性の胸に体を預けて少しだけ目を閉じることにした。
 
  寒さと温もりが混ざった腕の中で、私は眠るようにしている。
 男性の足取りや息遣いを感じながらいつまでも続いて欲しいと、心に中で少女のようにささやいていた。
 

 
  朱色の柱に、緑の屋根。前を通るたびに、西遊記を思い出す。このお城のような店構えのせいか、ハードルは高かった。店内に入ってみたら、四人掛けの回転テーブルのある席に通され、1人で座って食事をすることになった。やっぱり、1人なら食事はカウンター席か、もしくは2人ぐらいが座る小さなテーブル席が良いだろう。
 
  食事を終えて、龍口苑りゅうこうえんという、中華料理屋を出て天竜川にかかる橋を渡る。
 珍しく風が吹いた。雪と土の混ざったような匂い、東京よりもはるかに冷たい。
 
  左手が不自由なため、雑に巻いたマフラーの隙間から、風が入ってくる。私は、反射的に右手で襟元をおさえた。三角巾が首に食い込む。左手はギブスで覆われているので、その重みが首にのしかかってくるからだ。
 
  早春とはいえ、伊那谷は冬の寒さだ。でも、ダウンジャケット着てしまうと、ギブスの部分が蒸れるし、腕まくりがしにくい。なので、フリースの上にウインドブレーカーを着て、それらを左肘の上までまくり、ギブスをむき出ししている。
 
  昨年末に中華の老舗である龍口苑のお食事券を福引で引き当てていたので、今日はそれを使い夕食を済ませてきた。ご家族招待券と銘打ち、券は全部で五枚あった。でも、無料になるのは、伊那名物のローメンだけである。
 
 この券を一人暮らしで、友人も少ない私に引き当てられるとは、龍口苑も誤算だろう。
 
 一人で来店して、ローメンだけ注文するのは気まずかったので、ウーロン茶を注文したら700円した。休職中の私にとって、一食700円は大きな出費だ。
 
 伊那市は、東西に山脈があり、その間に形成された街である。私は、西向きに歩いているが、正面に山があり、そこに南信州スキー場はある。先日、左手首骨折の大怪我をした場所だ。
 
 あれ以来、私は仕事を休職している。怪我をしてからというもの、自炊出来ず、というよりもする気が失せて、夕食はいつもスーパーで割引ラベルの付いたお弁当にしていた。お弁当に飽きてきたので、今日は龍口苑のお食事券を使ってみた。
 
 橋を渡り、道が突き当りになったので、川沿いを左折した。
 大学生の頃にもローメンを食べたことがあったが、あっさりとしたソース味が好きになれなかった。でも、今日久しぶりに食べたら、あの控えめの味が気に入った。あれは、歳を取ればわかる味だったのだろうか。
 
 私の背中にヘッドライトを浴びせて、数台の車が追い越していく。他の地方都市と変わらず、この街も車社会だ。車を運転しない生活は違和感がある。
 
 冷蔵庫の中のような、空気に包まれながら歩いていく。はぁーっ吐くと息が白く見えた。中学生の頃に見た、ロードのミュージックビデオのようだ。
 
 あの日、お姫様のように扱われてスキー場の医務室まで行った。応急処置を受けて外に出たら、スノーボードがラックに立てかけてあった。
 
 私は、カーキ色のウェアの男性を探したくて、ゲレンデを見つめた。私の左手はスポンジのような板にのせられて、三角巾で吊るしている。肩に引っ掛けただけのウェアが落ちて、トレーナーの間から冷気がさしてきた。
 
「唐沢さん、何してんの病院行くよ」
 
 仲の良い職員が、私のスノーボードを片手に来た。
 
「さっきの人は、お礼言いたくて」
 
「わからない、どっか行った。また探しとくから」
 
 私は、何度も振り返りながら、職員の後に続いた。雪は小降りになっていたけど、ゲレンデは、まだ霧に包まれていた。
 
 あの男性が見つかったという連絡はまだ来ていない。
 
 私は、ロードを思い出したら、白い息を吐くことが楽しくなって、子供のように数メートル間隔で白い息を吐きながら自宅まで歩くことにした。
 

 
 アラーム音を聞かずに、朝は目を覚ます。日頃から早起きの生活をしていたせいか、それもと歳のだろうか、六時には目覚める。右手で顔を洗い、歯を磨いたら、ウエットティッシュでギブスからはみ出た左指を拭く。ここまでしたら、あとはすることがない。
 
 寝間着のまま、メイクもせずに、インスタントコーヒーを飲んでお腹をごまかし、朝ドラやワイドショーを観て時間を潰す。
 お昼になったら、食パンにスライスチーズをのせてオーブンで焼いて食べる。プチトマトも三つ添えた。お腹が満たされないときは、もう一枚食パンのマヨネーズ焼きを作って食べる。ギブスをしていると、私にはこのぐらいの料理しか出来ない。
 
 夕食は、近くのスーパーに行って割引シールの付いた弁当を買ってくる。この買い物が、一日のメインイベントになっている。
 
 四十五歳になるけど、未婚で、子供もいないから、こんな生活が出来るのだろう。
 
 スキー場の売店で働いていると従業員割引でリフト券が買えるから、お休みの日にスノーボードをしていたところ骨折した。
 
 あれから一週間が過ぎた。片手が不自由だと、売店の仕事は困難だ。商品の入荷や陳列も作業がない、窓口のチケット販売なら出来るかもと思って、上司に相談したがその部署は人員が足りているそうだ。
 今シーズンはもう職場復帰も出来ないだろう。
 
 伊那市に来てから三年経つが、冬はスキー場、夏は芸術の森で働いている。東京を逃げ出し、伯父夫婦のいるこの街に来た。
 
 都内で十年間働いた、アパレル販売員の仕事を突然辞めて、伯父が経営するこのアパートに転がり込んだ。
 
 私には、そもそも販売など向いていなかった。ビジネススーツを主に扱うアパレル店に派遣社員として入り、正社員まで昇格したのは良かったが、日々の販売ノルマが辛かった。
 
 毎日、目標の売り上げを設定され、達成でいなければ問い詰められた。改善だの、成長だのという名目だ。
 従業員専用のネット掲示板に自身の日々の売上や反省を書き込み、またスタッフ同士が改善点を指摘しあうものがあった。そこで、売上の悪い私は、よくやり玉にあげられた。

 転勤も度々あり、最後に勤務した店では、従業員同士の仲も悪かった。
 この頃になると、ネット掲示板での私に対する書き込みはエスカレートしていて、もはや売上だけでなく、私が勤務中に溜息をついたとか、虫を殺したせいで床が汚れたとか、そんなことまで店長や同僚に書き込まれた。
 大手チェーン店に勤めていたため、日本全国のスタッフに見られていた。
 
 あのネット掲示板は、売上の良いスタッフを称賛し、モチベーションを上げる一方で、悪いスタッフを会社から追い出すためのものでもあったのだ。
 
 コンプライアンス違反と騒いでも、会社は改善のため、成長のためと片付けてしまうのだから。
 
 他者を手玉に取るという感覚が私にはわからない。客でも恋人でも、相手が何を選択するかは自由だし、好きにすれば良いと思ってしまう。絶対にこうするべきという指図をしたり、あるいはそう仕向けるということが苦手だ。
 
 私は東京で生まれ育ち、両親は飲食店を経営していた。
 子供の頃は、学業優秀で都内でも有数の進学校に入学したが、良かったのは高校受験までで、それ以降成績は下降線を辿った。
 それと同じく、両親の経営する店の売上も落ちていく。子供の頃に個人商店で賑わっていた商店街は、隣接する大型店に顧客を奪われ衰退した。
 
 やがて、大学受験がやってきた。この頃になると、都内の名門大学に受かるほどの学力は無かった。

 東京育ちだったせいか、地方の生活に憧れていたし、一人暮らしもしてみたかった。
 
 両親は一人っ子の私のわがままを聞いてくれた。お店の経営は火の車だったろうに、今思えば本当に申し訳ない。
 伯父夫婦が住んでいることから、伊那市にある南信州女子大学へ進学した。
 
 テレビは、朝ドラを観て、そのあとの情報番組も終わったので消してしまった。
 こたつの上で、ノートパソコンを開いてネットニュースを見ることにする。
 片手では、ノートパソコンを開くにも一苦労だ。まず、指を隙間に入れて広げる。そこからキーボードのある下部を左手のギブスで抑えて、右手で上部のディスプレイを上げて開いた。
 
 ニュース画面には、大学新卒採用者の初任給が30万円に上がるという記事があった。
 私は、この新卒者たちよりも二十歳ほど上の氷河期世代にあたる。よく不遇の世代などと呼ばれるが、私の半生は自己責任といえるだろう。
 
 大学を卒業して数年後に実家の飲食店は潰れた。その後、両親は離婚してしまい。それ以降は、母方の苗字を名乗っている。
 私は、就職もせずに夢を追いかけることにした。なんと親不孝な娘だろう。なぜならば、ラジオDJの魅力惹きつけれたからだ。
 
 大学時代、ラジオサークルに入っていた。キャンパスのすぐ近くにラジオ局があって、そこで4年間ラジオ番組を制作していた。
 
 FM伊那谷というコミュニティーFM局だった。電波は伊那市周辺の箕輪町や駒ヶ根市などをカバーしていて、番組は毎週水曜日と土曜日に、それぞれ三十分間放送していた。地元のお店を紹介したり、レコード屋さんと提携してCDランキングも発表した。
 
 入部してすぐに番組に登場して、半年後にはメインパーソナリティーになっているから、他の部員より出世が早かった。それから卒業するまで、水曜日か土曜日の必ずどちらかは、私が務めていた。卒業後はプロになりたかった。
 
 卒業式が終わると、東京の実家に戻り、アルバイトで貯めたお金をはたいて、ラジオDJの養成所に通いはじめた。
 あのとき、そんなことせずに就職していたら、今のような暮らしはしていなかっただろうか。少なくとも両親は喜んだだろう。新卒という強力なカードを私は捨ててしまった。
 
 しばらくネットニュースを見たけれど飽きてしまい、私は寝転んだ。左手のギブスがお腹の上でずっしり重い。
 
 もし就職活動しても、あの就職難で上手くいっただろうか。就職しても数年で会社を辞めた同級生を多数知っている。就職活動に魅力を感じずに、私のように別の道に進んだ子もいた。
 
 夢を抱いて社会人になったけど、今の私は売店のおばさんだ。春になってスキー場が閉まれば、芸術の森でレストランのおばさんになる。
 どちらも契約社員で働いている。それにしても、芸術の森ときたら、従業員も客も年寄りばかりで、通路ですれ違うのは、ハゲか白髪のお爺さん。もしくは白髪染めで髪の茶色いお婆さんだ。あれでは、働いているこちらまで干からびてくる。
 スキー場の仕事は、若者と働いて、若いエキスを吸収できる機会だったのに。
 
 怪我をして休んでいるので、減給されて来月の給料はいつもの半分になる見込みだ。非正規雇用なので有給休暇がない。
 伯父のアパートに住んでいるから家賃は他の入居者の半額で済んでいるけど、その支払いすら辛くなってくる。
 
 仕方ない貯金を崩そう。父は無一文で亡くなったけど、母は終身保険に加入していたので、その保険金が残っている。父は静岡市、母は伊那市、それぞれの地元にお墓がある。
 
 この歳になって、自分で貯めたお金が残っていないとは情けない。最近、半生を振り返っては溜息ばかりついている。一年前から生理の周期が長くなり、老いを感じはじめた。
 私は独身で自由な時間はたくさんあって、東京を捨てたことも、今の職場もすべて自分で決めてきたこと。でも、かつての理想とはかけ離れてしまった。私は何も成し遂げられず、ちぐはぐした、不甲斐ない人生を過ごして死んでいくのだろうか。
 
 結婚生活になど憧れたことはなかった。いや、憧れるほどのものではないと思っていた。ウエディングドレスは、着たかったけど、華やかさに惹かれただけだ。
 歳をとれば、みんな結婚するものだと思っていた。
 婚活はしたけど、実らなかった。もちろん、子供はいない。
 
 ノートパソコンを放置したまま、私はしばらく天井を見つめていると涙が落ちた。
 ぺんぺん草みたい。半生を例えてみたけど、月並みの表現だと気づく。それが嫌で、また溜息をついた。

#創作大賞2025 #恋愛小説部門

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