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【フェーズ2-13】 研究は、学生最強のポートフォリオになる。ただし型と実態が一致していればの話 【ITエンジニアの卵に贈る、就活の書】

 この記事は「ITエンジニアの卵に贈る、就活の書」シリーズの一本です。シリーズ全体の目次はこちら(扉記事)からご覧いただけます。


 エンジニアを目指す学生のみなさん、こんにちは。クオリティアーツの池田です。

 ITエンジニアの卵に贈る、就活の書・フェーズ2-13の記事です。前回のフェーズ2-12では、社外エンジニアコミュニティで先輩・仲間の輪に加わる話をしました。今回はフェーズ2「作る」の実践各論11本のうちの11本目(最後の実践各論)として、フェーズ2-10でバイト、フェーズ2-11で長期インターンをお話ししてきたのとは少し違う角度から、大学における研究活動と、そこでの企業との関わり方についてお話しします。

 この記事は、主に修士課程のみなさんに向けて書いています。もし今、指導教員から研究案件について「これをやってみないか」と声をかけられている、あるいはこれから声がかかるかもしれない立場にいるなら、この記事はあなたに関わる記事です(学部生・高専・専門学校のみなさんには、今はまだ距離のある話かもしれません)。

 企業と関わる大学の研究には、大きく共同研究受託研究という2つの型があります(詳しくは本文で説明します)。この記事を貫く物差しは、指導教員から持ちかけられた案件がこの2つのうちどちらの型で、日々の実務の中身が、その型と一致しているかどうかです。型と実態がずれていることに気づかないまま関わると、研究ではなく労働力として扱われてしまう場面もあります。見極め方から、関わる前と関わったあとに確かめておきたいことまで、この一本の軸で具体的にお話しします。


1. 本記事はとても長いですが、大切なことをお話しします

 「研究」という活動は、日々の学生生活の中にはあまり登場せず、具体的なイメージを持ちにくいものだと思います。そこで今回は特別編として、研究とは何かというところから、丁寧にお話しします。そのぶん、シリーズの他の記事より長くなります。

 ですが、就職したあとに産学連携の窓口として大学と関わることも、企業内研究者としての道を歩むこともありえます。今のうちに知っておいて、損はありません。

2. 研究は、与えられるものではなく、選び取るもの

 本題に入る前に、二つのことをお話しします。学士と修士では、研究との向き合い方がまったく違うということ。そして、この記事を貫くもう一つの軸、研究というポートフォリオは、あなた自身が能動的に選び取るものだということです。

 学部生の多くにとって、研究は卒業論文という一度きりの経験であり、研究室配属を通じた基礎的な指導が中心です(この点は大学・学部によって差がありますが、多くの場合そういえます)。一方、修士課程に進むと、研究を行うことそのものが、日々の学業になります。講義の一つとして研究があるのではなく、研究そのものがあなたの本業です。この違いは大きく、修士課程の2年間をどう過ごすかが、そのままあなたの実績になり、キャリアの土台になります。

 もう一つ、伝えておきたいことがあります。フェーズ2-10のバイト、フェーズ2-11の長期インターンでもお話ししてきましたが、ポートフォリオになりうる経験は、待っているだけでは手に入りません。良いバイト先、良いインターン先を、自分の目で探し、選び取る。それと同じことが、研究にもそのまま当てはまります。指導教員から声がかかるのを待ち、案件をただ受け入れるだけでは、それはあなたの選択ではなく、ただの割り当てです。研究テーマも、共同研究・受託研究の相手企業も、指導教員から一方的に与えられるものではなく、あなた自身が我が事として、能動的に見極め、選び取るべきものです。指導教員から声をかけられた案件であっても、それを鵜呑みにせず、自分の目で確かめる。この記事でこれからお話しする内容は、すべてこの一点、あなたがエンジニアとして、この研究というポートフォリオを、どう選び取るかという物差しでつながっています。

 なぜここまで、選び取ることにこだわるのか。理由は、この経験の重みにあります。バイトやインターンは、合わないと分かれば途中で切り上げることもできます。しかし修士課程の研究テーマは、指導教員との関係、そして修士論文という土台の上に成り立つため、一度始めると、2年間という期間、簡単には後戻りできません。しかもその成果は、学会発表や論文という形で、あなたの名前とともに半永久的に記録され続けます。その後の就職活動でどう語られるかだけでなく、もし研究者としての道を選ぶなら、その先のキャリアにまで直接影響します。バイトやインターンとは、重みが違います。だからこそ、この記事は他のどの記事よりも長く、丁寧に書いています。

 では、研究を、将来のエンジニアとして、いかに良いものとして選び取るか。そのために知っておくべきこと、やるべきこと、見るべき観点を、これから一つずつお話しします。

3. そもそも研究とはなにか

 企業との関わり方を見る前に、そもそも「研究」とは何かを、少しだけ整理しておきます。

文部科学省の定義

 文部科学省は、研究(研究開発)を次のように定義しています。事物・機能・現象等について新しい知識を得るために、又は、既存の知識の新しい活用の道を開くために行われる創造的な努力及び探求。この定義には、学術的な研究だけでなく、企業の製品開発や生産・製造工程の改良に関する活動も含まれます。つまり、大学の研究とエンジニアの日々の開発は、まったく別の活動ではなく、同じ「研究」という枠組みの中にあります。

研究の3分類

 この枠組みは、さらに3つに分けて理解されています。基礎研究(特定の応用を直接に考慮せず、仮説や理論を形成するため、あるいは新しい知識を得るために行われる理論的・実験的研究)、応用研究(基礎研究で発見された知識を利用し、実用化の可能性を確かめる研究)、開発研究(基礎研究・応用研究や実務経験から得た知識を使い、新しい製品やシステムの実現、既存のものの改良をねらう研究)の3つです。大学における研究は基礎研究・応用研究に比重が置かれ、企業の研究開発は応用研究・開発研究に比重が置かれる傾向がありますが、これは別の定義体系ではなく、同じ研究活動の中での比重の違いです。学としての研究とエンジニアとしての研究は、そのままつながるにあります。

公開性という原則

 研究の核にあるのは、先行研究(すでに世の中に発表されている、同じ分野の過去の研究)を踏まえたうえで、そこにまだない知見を、新しく積み上げることです。そしてその知見は、学会発表や論文という形で、社会に公開されることが前提になっています(論文誌への投稿では、専門家どうしの検証である査読を経ることが一般的です)。大学における研究が、企業の中だけで完結する開発や検証と大きく違うのは、この公開性です。成果を独占せず、専門家コミュニティの目にさらし、批判や検証を受け入れることで、その知見は学術的な成果として積み上がっていきます。

 修士課程の学生にとって、この研究活動は、修士論文という形に結実します。指導教員のもとで研究テーマに取り組み、その成果を論文としてまとめ、審査を経て学位を得る。これが、多くの修士課程の学生がたどる道筋です。企業と関わる研究に参加する場合も、そこで得た成果が修士論文の土台になることが少なくありません。だからこそ、その研究がどのような型で進み、実務の中身がその型と一致しているかを知っておくことは、単なる契約上の関心事にとどまらず、あなた自身の学位研究の質に直結する話でもあります。この先、博士課程に進んで博士論文に取り組む道を選ぶ人にとっても、修士課程での研究の型と実態の一致は、その土台になります(博士課程での研究の進め方は、本記事では扱いません)。

 もう一つ、押さえておきたいことがあります。研究活動は、シリーズを貫くプロフェッションという考え方とも、直接つながっています。情報処理学会の倫理綱領は、前文で次のように述べています。情報処理技術が社会に貢献し公益に寄与することを願い、情報処理技術の研究、開発および利用にあたっては、適用される法令とともに、行動規範を遵守する。ここで「研究」は「開発」「利用」と並んで、公益に寄与すべき活動として明記されています。序章-1で見た、エンジニアが公衆の福祉に対する責任を負う高度専門職業であるという考え方は、日々の開発だけでなく、研究活動にもそのまま当てはまります。

 次から、この研究活動に、企業がどう関わってくるのかを見ていきます。

4. 大学における研究活動と、企業とのつながり方

 あなたが研究テーマや相手企業を、能動的に選び取るとはいえ、実務としては、指導教員が企業との研究案件をすでに持っており、それを研究室の学生に展開する形で話が始まるケースがほとんどです。あなた自身が一から企業を開拓するのではなく、指導教員経由で話が下りてくることのほうが多いということです(博士課程や研究員になると状況は大きく変わりますが、この記事では扱いません)。ここが、選び取るという向き合い方の、最初の分かれ道です。話の入口が指導教員経由であっても、そこで持ちかけられた案件を鵜呑みにせず、自分自身の目で確かめて選び取る。この記事でこれからお話しする見極めは、そのためのものです。

 ここで一つ、はっきりさせておきたい前提があります。修士学生といえど、あなたは一人の研究者です。学生という身分は、企業との関係における立場の弱さを意味しません。このシリーズが一貫して大切にしてきた「対等な対話」という向き合い方は、バイトやインターンだけでなく、研究の現場でも変わらず当てはまります。話が持ちかけられる経路が指導教員経由であることは、あなたが企業の下請けや労働力ではなく、研究の担い手として対等に扱われるべきことと、何ら矛盾しません。

共同研究と受託研究、2つの型の定義

 企業と関わる研究は、産学連携(大学と企業が協力して研究や技術開発を進める取り組み)と呼ばれます。この2つの型は、実は多くの大学で共通する定義が使われています。東京大学は共同研究を「民間企業等の研究者と本学の教員とが共通の課題について対等の立場で行う研究」、受託研究を「民間企業等からの委託を受けて本学の教員が業務として行う研究」と定義しています。京都大学も同様に、共同研究を「企業等と本学が、相互に研究者、研究費、研究設備等を出し合い、対等の立場で共通の課題について研究に取り組み、優れた研究成果の創出を目指す制度」と定義しており、大学ごとの表現の違いはあっても、考え方の骨格は共通しています。共同研究は、大学と企業が費用・設備・人員を対等に出し合い、学生や教員と企業の技術者が協働して実務を担います。成果は大学と企業が共有し、外部への発表には企業の承諾が必要です。受託研究は、企業が研究の課題と対価を大学に委託し、実務は大学側(教員・学生)が担います。成果は基本的にすべて大学に帰属し、発表も大学側の裁量で進められ、対価は企業から大学への支払いが原則です。

海外大学でも共通する区分

 この2つの型の区分は、日本の大学に限った話ではありません。スタンフォード大学の契約実務でも、外部団体が研究資金を提供する場合に使うSponsored Research Agreement(資金提供型の契約、日本の受託研究に近い考え方)と、資金のやり取りをせず研究者どうしが共通の目的を追求するCollaboration Agreement(協働型の契約、日本の共同研究に近い考え方)とが、明確に区別されています。資金がどちらからどちらへ流れ、実務を主にどちらが担うのかという物差しは、国や大学を問わず、産学連携の契約類型を分ける基本的な軸になっています。

 この違いを知っておく必要があるのは、契約の型によって役割分担や発表の裁量が変わるからです。自分が今どちらの型の中にいるのかを知らないまま研究を進めると、実務の中身と契約の仕組みがずれていても、気づくことができません。役割分担の実態が受託研究に近いのに契約が共同研究の型で進んでいる場合、本来なら大学側の裁量で自由にできたはずの発表が、企業の意向によって制約される可能性があります。

 契約の型を選ぶこと自体に、企業や指導教員の悪意があるとは限りません。型がずれること自体は、必ずしも悪意を意味しません。だからこそ、まず自分の研究がどちらの型で進んでいるのかを、指導教員や大学の産学連携部門に確認しておくことが、最初の一歩になります。

学年による参加資格の違い

 もう一つ、大切な制度上の事実があります。学生が研究に参加できるかどうかは学年によって扱いが異なり、これは共同研究・受託研究を問わず共通する考え方です。東北大学産学連携機構が公開する指針では、大学は学生に研究プロジェクトへの参加を強要することはできないとしたうえで、大学院学生は、研究者や高度技術者を目指す観点から教育上有意義と判断される場合に、教育の一環として研究への参加が認められています。一方で、学部学生の参加は原則として認められていません。具体的な手続きは大学ごとに異なるため、まず自分の大学の産学連携部門やキャリアセンターに確認してください。

 ここから先は、企業と関わる研究のうち、多くの学生が実際に経験する共同研究を主な題材にしながら、話を進めます。

5. 共同研究・受託研究のはじまりかた

 「社内でどう検討されたか」を確かめる前提として、そもそも共同研究・受託研究が、どのようなプロセスを経て始まるのかを知っておくと、何を、いつ、誰に確認すればよいかが具体的になります。大きく分けると、企業内での検討指導教員へのプレゼンテーション学生への確認契約の締結、そして契約後も続く企業内での体制整備という5段階です。

5-1. 1. 企業内での検討(主体:企業)

 企業が大学に研究を正式に申し入れるまでには、典型的に、次のような社内の段取りがあります。現状分析(自社の技術や事業のどこに課題があるかを整理する)、問題抽出(その課題の中で、何が本質的なボトルネックかを見極める)、課題設定(解決すべき対象を、具体的なテーマとして定める)、解決のための仮説(その課題に対して、どのようなアプローチが有効かを見立てる)。この4段階を社内でしっかり議論したうえで、初めてなぜこれを研究として大学に持ち込むのか(自社だけでは解けない、あるいは学術的な知見や中立性が必要だ、といった理由)を決め、社内の稟議を通します。

企業がすでに持っている改善の型と同じ

 この4段階は、特別なものではありません。現状分析から仮説設定に至るこの流れは、品質改善でも新規事業の検討でも、企業が社内のどんな課題に取り組むときにも、当たり前に踏んでいる通常の問題解決プロセスそのものです。PDCAサイクルや、品質管理の現場で使われるQCストーリー(現状把握・要因解析・対策立案・効果確認という一連の型)といった、多くの企業がすでに社内に持っている改善の型と、根っこは同じものです。この型が組織に根づいている良い企業にとって、ここまでの4段階は何ら難しいことではなく、研究の申し入れという場面でも、いつもと同じ丁寧さで自然に踏まれます。

要求定義・要件定義という言葉で理解する

 エンジニアとして日々の開発に関わってきたみなさんには、この4段階は、要求定義要件定義という言葉に置き換えると、なじみやすいかもしれません。システム開発における要求定義は、現場が抱える課題やニーズを収集し、何を実現したいのかを整理する工程です。要件定義は、その要求を踏まえて、具体的に何を作るのかを明確に定義する工程で、この工程の精度が、その後の開発全体の成否を左右するとされています。企業内での検討における「現状分析・問題抽出」は要求定義に、「課題設定・解決のための仮説」は要件定義に、それぞれ対応する工程です。要件定義が甘いままシステム開発を始めれば、あとで手戻りが起きるのと同じように、この段階の検討が甘いまま大学に研究を持ち込めば、テーマそのものが学術的に成立しない、というあとからの手戻りにつながります

研究という題目を、別の目的に利用する企業について

 なお、ここではっきりさせておきたいことがあります。企業の中には、現状分析も問題抽出も課題設定もほとんど行わず、研究という題目を、採用のための大学とのパイプづくりや、対外的な箔付けの手段として利用しているところがあります。この記事がここまで詳しく解説してきた検討プロセスは、飾りではありません。この検討を経ないまま持ち込まれる研究は、研究ではなく、研究という名前を借りた別の目的の活動ですこうした企業は、そもそも大学に研究を申し入れるべきではありませんし、大学側も、この検討プロセスが伴わない申し入れを、共同研究・受託研究として受けるべきではありません。学生に持ちかけられる案件が、本当にこの検討を経てきたものかどうかを見極める重みは、この一点に集約されます。

良い企業が理解している、この段取りの意味

 良い企業は、この段取りを踏むことの意味も、正しく理解しています。大学は、教員の専門知識と研究時間という、有限で貴重なリソースを割いて、企業からの申し入れに向き合ってくれる存在です。何を明らかにしたいのか、なぜそれを自社で解決できないのかを、あらかじめ自分たちの言葉で整理してから大学の門を叩くこと。それは、大学という専門機関の時間への敬意そのものであり、良い企業ほど、この準備を当然のこととして行っています。

 この段取りを踏んでいる企業は、次の指導教員への提案の時点で、資料や言葉に厚みがあります。その厚みは、指導教員へのプレゼンテーションの説得力に、そのまま表れます

 文部科学省と経済産業省が策定した「産学官連携による共同研究強化のためのガイドライン」は、企業側に向けた処方箋として、いくつかの具体的な観点を示しています。その一つが経営層のコミットメントです。「組織同士の関係を構築し、維持し、成果を出していくためには、経営層が形式的な関与ではなく、熱意をもって関与し続けることが重要」とされ、全社的な戦略・計画に産学連携を位置づけ、予算・人事・権限の面で後押しすることが、良い連携の土台になるとされています。もう一つが連携の責任者と窓口の一元化・明確化です。「相手側の組織を理解し、尊重し、実務的に両者が納得できる解を模索することができる熱意と責任を持った者が、自組織内を調整することが望ましい」とされ、誰が責任者で、誰が窓口なのかが曖昧なまま研究が始まっている場合、それはこのガイドラインが示す姿勢からは遠い状態だといえます。

5-2. 2. 指導教員へのプレゼンテーション(主体:企業と指導教員)

 社内の稟議を通した企業は、相手となる指導教員に、事前に提案し、プレゼンテーションをします。ここが、このプロセス全体の中でもっとも重要な段階です。指導教員は、このプレゼンテーションを通じて、テーマの学術的な意義や実現可能性を、事実上審査しています

指導教員が審査している中身

 このプレゼンテーションで、指導教員が確かめているのは、企業内での検討(現状分析・問題抽出・課題設定・解決のための仮説)が、口先だけでなく実質を伴っているかどうかです。テーマが、企業の目先の製品課題そのままではなく、学術的に一般化できる形に練られているか。企業側が、なぜこれを自社だけで解決せず、大学に持ち込むのかを、自分の言葉で説明できるか。研究として指導する体制を、企業側が具体的にイメージできているか。こうした点を、指導教員は自分の専門知識と経験に照らして、一つ一つ吟味します。

 プレゼンテーションの場では、双方向のやり取りも行われます。指導教員から出る質問に、企業側の担当者が資料の裏付けを持って答えられるかどうかも、審査の一部です。指導教員がテーマを検討し、研究として引き受けるに値すると判断して初めて、話が学生に下りてきます。逆に言えば、このプレゼンテーションという審査そのものを飛ばして話が進んでいるなら、それは確認すべき兆候です。

海外大学の複数段階審査

 こうした複数段階の学内審査は、日本の大学に限った運用ではありません。MIT(マサチューセッツ工科大学)の研究方針では、教員が企業や財団から研究資金を得ようとする場合、まず担当部門の責任者の承認を得て既存の契約と抵触しないことを確認したうえで、さらに所属学科の長(department head)の承認を得ることが求められています。学科長は、そのプロジェクトが学科の教育・研究プログラムの一部として適切かどうか、指導にあたる十分なシニアスタッフがいるかどうかを確認します。指導教員一人の裁量だけでテーマが決まるのではなく、複数の目でテーマの妥当性を確かめるという発想は、国や大学を問わず共通しています

準備・当日・フォローアップに表れる本気度

 良い企業にとって、このプレゼンテーションは、社外の重要な相手に向けた、まさしくビジネスプレゼンテーションそのものです。準備・当日・フォローアップの、それぞれの段階に力が入ります。準備段階では、指導教員の専門領域や過去の研究実績を下調べしたうえで、想定される質問に備えて資料を練り上げます。当日は、決裁権を持つ担当者や、実際に研究を担う技術者が同席し、その場の質問に、その場で具体的に答えられる体制を整えます。そしてプレゼンテーション後も、指導教員から出た懸念や追加の要望に対して、後日きちんとフォローアップを返します。この一連の姿勢に、企業が大学の研究をどれだけ本気で位置づけているかが、そのまま表れますこのプレゼンテーションを、担当者一人に丸投げし、準備もそこそこに済ませようとするような企業は、そもそも大学との研究を望んではいけません。大学の研究時間という有限なリソースを借りる以上、それに見合う本気度を持たない企業が、この段階に臨むべきではありません。

 大学側の手続きについても、一つ知っておきたい事実があります。大学に研究の受け入れを申し込む際の申込書等の要否・書式は、大学・部局によって差があり(東北大学は2021年4月から申込書の提出を不要化)、大学側の提出書式が不要な大学も実際にあります。これは大学ごとのフォーマットやルールの問題であり、書式が不要なこと自体は何の問題でもありません。書式がなくても実質が担保されるのは、ここまで見てきたとおり、指導教員への事前提案とプレゼンテーションという、事実上の内容審査をすでに通っているからです

5-3. 3. 学生への確認(主体:あなた自身)

 あなたが案件を選び取る番は、ここから始まります。指導教員がテーマを引き受けると判断したら、次に、研究室の学生にその案件が持ちかけられます。この時点で、話はすでに、企業内での起案と、指導教員による審査という、2段階の検討を経てきています。企業側での現状分析から仮説設定までの検討、そして指導教員によるプレゼンテーションでの審査。この2つが尽くされたうえで、初めて案件はあなたのもとに届きます。

 ここから先、研究を実際に担う実務者はあなた自身です。学生という身分であっても、研究における役割は、企業側の技術者と対等な協力者です。修士学生といえど、あなたは一人の研究者として、企業と対等な立場にあります。このシリーズが技術面接や日々の開発で繰り返し確認してきた「対等な対話」という向き合い方は、研究の現場でも変わりません。話の詳細や、企業内での検討資料・指導教員へのプレゼンテーション資料を求めることは、実務者として当然の権利であり、遠慮すべきことではありません。指導教員が担っているのは、主に研究テーマとしての意義や指導体制の判断であり、企業側が社内でどう検討したかという契約や事務の経緯までを、必ずしも学生に代わって深く確認しているとは限りません。指導教員による審査を経ているとはいえ、そこから先、契約や実務の中身を確かめるのは、実務者であるあなた自身の役割です。

社内検討資料の実在を確認する

 この確認で、あなた自身が見ておきたいものがあります。企業側が社内検討のために作成した資料そのものが、実在するかどうかです。企業が研究の申し入れを社内の稟議にかけ、指導教員にプレゼンテーションをしている以上、その稟議・プレゼンのために作成した提案資料は、本来どの企業にも残っているはずのものです。社内で検討した中身を、口頭の説明だけでなく、実物の資料をエビデンスとして見せてもらえるかどうかが、物差しになります。実物の資料には検討の深さがそのまま表れますし、形に残るもので語ってもらうことは、学生・企業の双方にとってフェアな確認方法です。この資料が一切ない、あるいは見せてもらえないなら、それ自体が重く受け止めるべき兆候です検討の記録すら残していない、あるいは学生に見せることを拒む企業は、実務者であるあなたに対してフェアであろうとしていません。そのような企業を、あなたが遠慮して問い詰めずにいる必要はありません。

この段階を軽く扱えない理由

 この段階を軽く扱えない理由があります。修士課程の2年間は、あなた自身の研究者としての成長にとって、取り戻せない時間です。そして、ここで積む研究の質は、あなた自身の実績として残ります。大学教員の公募では、応募者に研究業績リストの提出を求めるのが一般的で、難関大学ほど、国内外のトップクラスの学会・論文誌での実績を重視する傾向があります。弱いテーマ、あるいは格の低い学会・論文誌への投稿という形で研究実績が積み上がってしまうと、その業績リストの中に見劣りする実績が混じること自体が、のちに研究者や大学教員としてのキャリアを志すときに、不利に働く可能性があります。そして、この記事の読者の多くを占める、一般のエンジニアとして企業に就職する道を選ぶ場合にも、無縁な話ではありません。弱いテーマでは、試行錯誤の質と量そのものが確保しにくくなり、技術面接やポートフォリオで「何を、なぜ、どう試行錯誤したか」を語る材料が薄くなります。研究の質と発表先は、あとから取り消して積み直せるものではありません。

投稿先の格付けを、印象ではなく確認する

 「格の低い学会・論文誌」がどれかは、印象ではなく、分野ごとに存在する格付けを確認することで判断できます。計算機科学の分野では、オーストラリア・ニュージーランドの計算機科学系学会が運営するCORE(カンファレンスをA・B・Cにランク付け)、中国計算機学会が分野別に国際ジャーナル・国際会議をA類・B類・C類で格付けするCCF推奨リスト、研究者・カンファレンス情報を横断的に集約するresearch.comなどが、実際に参照されている格付けです。CORE・CCFは学会が公式に運営する格付けである一方、research.comは民間の情報集約サービスという性質の違いがあり、どれか一つを絶対視するのではなく、自分の専門分野に対応する格付けを確認する習慣を持つとよいでしょう。学会発表や論文化を、どのくらい前向きに考えていらっしゃいますか」という質問への答えを聞くときも、単に発表するかどうかだけでなく、どの水準の学会・論文誌を想定しているかまで踏み込んで確認しておくと、あとになって見劣りする投稿先だったと気づく事態を避けやすくなります。だからこそ、この段階での見極めは、単なる契約確認以上の重みを持ちます。この記事でこれからお話しする見極めは、この段階のためのものです。

5-4. 4. 契約の締結(主体:大学の手続き窓口と企業)

 学生が確認を終え、参加する意思を固めたら、指導教員から大学の産学連携部門に話がつながれ、大学と企業のあいだで、正式な契約手続きが進みます。この段階の主な担い手は、もう指導教員や学生ではなく、大学側の産学連携部門(手続き窓口)と、企業側の契約担当部門です

 大学の産学連携部門は、指導教員がまとめたテーマや役割分担の内容をもとに、契約書の案を作成、または企業側が用意した契約書案を審査します。ここで確認されるのは、契約の型(共同研究か受託研究か)が実務の想定と合っているか、対価や費用負担の扱いが明記されているか、成果の帰属や発表の裁量、そして知的財産の扱いや秘密保持条項が、大学の規程や、就職先選択の自由を不当に制約しないという原則と整合しているか、といった点です。企業側も、法務や契約の担当部門が同様の観点で内容を確認し、双方が合意した内容で契約書を確定させ、社内の決裁を経て締結に至ります。

 共同研究の費用構成は、大学ごとに規程が整備されています。たとえば京都大学の場合、企業が負担する共同研究経費は、消耗品費・旅費・賃金などの直接経費、共同研究員を大学に派遣するための研究料、そして特許出願や産学連携推進の体制維持にあてる産官学連携推進経費(直接経費と研究料の合計の30%相当額以上)で構成されています。研究成果として生じた発明等は、貢献度に応じて原則、大学と企業の共有です。こうした費用の内訳が、契約の中で具体的に説明されているかどうかも、確認しておきたいポイントです。

 対価の設計については、もう一つ知っておきたい考え方があります。文部科学省・経済産業省のガイドラインでは、共同研究の費用を単純な「コスト積み上げ」として計算するのではなく、教員が共同研究に関わった時間そのものに価値を認めるタイムチャージ(研究者の関与時間に対する報酬)という考え方が示されています。これは、研究を「タダ働きに近い協力」としてではなく、「専門知識を持つ人材の時間への正当な対価」として扱おうとする発想です。同じガイドラインは、企業側に向けて、学生の研究参画についても「適切な対価を支払い、プロジェクトに学生等の参画を得る」ことを明記しています。共同研究プロジェクトに学生を参加させることは、企業にとって新鮮な視点と熱意を得る機会であると同時に、研究開発の魅力を学生に伝える機会でもある、という位置づけです。学生であるあなた自身の時間と労力にも、この考え方がそのまま当てはまります。教員や学生の時間を、対価の裏付けもないまま無償の協力として当てにする企業は、この考え方をまだ理解していません。研究への協力は好意ではなく、正当な対価が支払われるべき専門的な貢献です。

 契約締結後の実務が、この契約の中身とずれていないかを確かめ続けることが、この記事全体を貫く物差しです。契約書に定められた型と、日々の実務の担い手や役割分担が一致しているか。ここまでの4段階を経て契約が結ばれたあとも、この一致を確かめ続けることが、あなた自身の役割として続きます。

5-5. 5. 企業内での体制整備(主体:企業)

 契約の締結は、企業にとってのゴールではありません。研究テーマを受け入れたあと、企業社内でどのような体制を整えているかにも、その企業が研究をどれだけ大切に扱っているかが表れます。

研究倫理教育

 良い企業は、研究倫理についての教育を、担当者任せにしません。研究不正(捏造・改ざん・盗用)や、人を対象とする研究における倫理審査の考え方を、研究に関わる社員が新人研修や定期的な研修の中で学ぶ機会を持っています。大学の研究に企業側の技術者として関わる以上、大学と同じ水準の研究倫理の理解を持っておくことは、担当者個人の心がけの問題ではなく、組織としての備えの問題です。

 文部科学省の「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」は、この点をはっきりと述べています。「産学官連携の深化に伴い、学生等が共同研究や技術移転活動に参画する機会も増えてきていることから、大学の教職員や研究者のみならず、研究活動に関わる学生等が、実際に起こり得る課題に対応できるような判断力を養うために、利益相反の考え方や守秘義務についても知識として修得することが重要である」。これは大学だけに向けられた要請ではなく、研究活動に関わる者すべてを対象にした要請であり、企業側の技術者もその対象に含まれます。同じガイドラインは、研究不正への対応を「研究費の多寡や出所の如何を問わず絶対に許されない」と明記しており、この研究倫理教育を整備しないまま学生を研究に関与させる企業は、この原則をまだ理解していません

利益相反の確認体制

 良い企業は、利益相反(企業の利益と、研究の公正性が衝突しうる状態)についても、確認のプロセスを持っています。このテーマを、自社の利益のために都合よくねじ曲げていないかを、研究を担当する社員本人だけでなく、上司や関連部門が確認できる体制があるかどうかです。この確認が、社内の誰か一人の判断に委ねられていないことが、良い企業の目印になります。文部科学省の利益相反ワーキング・グループ報告書は、「学生を産学官連携活動に関与させる場合には、教育指導の観点だけでなく、学生の教育を受ける権利の保障、学生が選択できる自由の確保、といった観点も併せて考慮する必要がある」としたうえで、指導教員が関連企業との共同研究に学生を参加させた結果、学生の就職活動に支障が生じた事例を、利益相反が生じやすい具体的な場面として挙げています。この配慮を欠いたまま、学生をただの実務要員として扱う企業は、利益相反マネジメントの出発点にすら立てていません

学術的妥当性の社内レビュー

 もう一つ、良い企業は、研究テーマの学術的な妥当性についても、社内でレビューする目を持っています。指導教員へのプレゼンテーションを準備する段階で、社内の別のメンバーや、可能であれば社外の専門家の意見を仰ぎ、テーマが本当に学術的に成立するものかを、企業側からも確かめています。これは、指導教員による審査に丸投げするのではなく、企業自身も研究の質に責任を持つという向き合い方の表れです。

体制が機能しているかの目安

 産学官連携ガイドラインは、この体制整備を複層的なコミュニケーションと進捗管理という言葉で表現しています。「事業推進や知的財産などの様々な関係部署におけるミドル層から現場の担当者、実際に共同研究を行う研究者まで、各層が連携の目指す目標と理念を共有することが重要」とされ、研究テーマを受け入れた現場の担当者一人だけが状況を把握しているのではなく、上司や関連部署までが、研究の目的と進捗を共有できている状態が、良い体制の目安になります。あなたが研究の相談をしたときに、担当者が「自分では判断できないので確認します」とすぐに答えられるか、あるいは誰に聞いても要領を得ないままなのかで、この体制が実際に機能しているかどうかが見えてきます。研究倫理教育も利益相反の確認体制も持たず、担当者個人の良心だけに研究の公正性を委ねている企業は、大学の研究を受け入れる資格を、まだ整えられていません。体制の不在は、担当者個人の落ち度ではなく、経営の責任です。事実、文部科学省のガイドラインでは、研究倫理教育や不正行為対応の体制整備が不十分な研究機関に対して、間接経費の削減(上限15%)や競争的資金の配分停止といった具体的な措置が定められています。大学に対してこれだけの体制整備が制度として求められている以上、企業側だけがこの水準を免除される理由はありません

 この段階を踏まえたうえで、次から、参加を決める前に見極めておきたいことを、具体的にお話しします。

6. 指導教員から企業との研究を持ちかけられたときに、見極めること

 ここからは「3. 学生への確認(主体:あなた自身)」のさらなる深堀りとなります。指導教員から案件を持ちかけられてから、参加する意思を固めるまでのあいだに、あなた自身が能動的に何を、どう確かめ、選び取ればよいかを、具体的にお話しします。

6-1. 下調べをする

 ここでの下調べは、フェーズ3-3フェーズ3-5でお話しする、JDの裏取りをするときの考え方と同じです。企業が対外的に開示している情報を、複数の情報源から積み上げて読み、言葉と実態が一致しているかを確かめます。研究の相手企業についても、指導教員から聞いた説明を鵜呑みにせず、自分の目で下調べをしておくと、この後の質問や見極めの解像度が上がります。

 次の情報源は、いずれも学生が自分でアクセスでき、指導教員への相談や企業側への質問の材料になります。

  • 企業の公式ホームページ:事業内容、研究開発への姿勢、技術者向けの採用ページの有無を確認します。研究開発に関する記載が具体的か、抽象的なスローガンにとどまっているかを見ておいてください

  • researchmap(研究者総覧データベース):企業に所属する研究者・技術者の論文・学会発表・共同研究実績を確認できます。この後の「技術的適格性」の確認でも使います

  • 学会:全国大会の企業展示ブースで、企業の研究者の発表テーマを直接確認できます。登壇実績があれば、その企業の技術者が対外的にどんな水準で発信しているかもわかります

  • J-PlatPat(特許情報プラットフォーム):企業名で検索すれば、特許出願の有無や技術分野の力の入れどころを確認できます。この後の確認でも使います

  • プレスリリース・IR情報:上場企業であれば、研究開発費や技術投資に関するプレスリリース、有価証券報告書のセグメント情報から、その分野に本気で投資しているかを確認できます(詳しい読み方はフェーズ3-5を参照してください)

  • 就職四季報などの企業情報誌:離職率や平均勤続年数など、求人票やホームページには載らない数字が確認できることがあります

  • 大学の産学連携部門が公開する共同研究事例集:大学側が把握している、その企業との過去の共同研究実績を確認できます

  • GitHubや技術ブログ、採用ページ:企業の技術者が実際に手を動かしているか、扱う技術スタックが具体的に開示されているかを確認できます

 あなたはITエンジニアを志望する学生です。ホームページやプレスリリースが研究の学術的な意義を語る一方で、GitHubや技術ブログ、採用ページは、その企業が、あなたにとってエンジニアとして育つ環境になりうるかを確かめるための、特に重要な情報源です。一つの情報源だけで判断せず、複数の情報源を重ね合わせ、語られていることと、実際に確認できる実態が一致しているかを見てください。

 下調べをしても、researchmapやJ-PlatPatで何もヒットしない、就職四季報に情報が載っていない、ということもあります。情報が見つからなかったこと自体を、悪いシグナルと決めつける必要はありません。専任の研究開発部門を持たない中小企業やスタートアップでは、公開できる実績自体がまだ少ないことも珍しくないからです。ただし、見つからなかった情報は、そのまま次の質問に変えてください。「researchmapでお名前が見つからなかったのですが、この研究で技術的な相談役になってくださるのはどなたですか」というように、下調べの空振りを、対話で確かめる具体的な質問に変換する。これが、下調べを実のあるものにする使い方です。

6-2. 積極的に尋ねてよい質問(話が持ち上がった初期段階で)

 こうした下調べを踏まえたうえで、指導教員や研究室訪問の場面、あるいは共同研究の話が持ち上がった初期段階で、次の質問を尋ねてみてください。これは企業や教員を問い詰めるための質問ではなく、企業に、誇らしく語ってもらう形の質問です。良い教員・良い企業は、こうした質問にむしろ答えたがります。

  • このテーマを、社内でどう検討されたのか、資料を見せてください という尋ね方:企業内での検討から、教員へのプレゼンテーションまでの経緯を、筋道立てて、書面や資料をもとに語ってもらえるかを確かめます。これから実務を担う当事者として、資料を求めるのは当然のことです

  • この研究が、私の研究者としての成長にどうつながるか、教えてください という尋ね方:教育上の意義を、具体的に語れるかを確かめます

  • この研究で、技術的にどんな相手と、どんなやり取りをすることになりますか という尋ね方:研究を実際に担当する技術者がどんな人物で、どんな技術的な議論ができる相手かを確かめます。あなたはこの先、就職活動で「どんな技術者と、どんな課題に向き合ったか」を語ることになります。相手が見えない研究には、語れる経験も積み上がりません

  • 学会発表や論文化を、どのくらい前向きに考えていらっしゃいますか という尋ね方:発表への姿勢が前向きか、関心が薄いままかを確かめます

  • この研究は、共同研究と受託研究、どちらの型で進んでいますか という尋ね方:型と実態の一致を確かめる、いちばん基本の質問です

 これらの質問に、担当者や指導教員が具体的に、自分の言葉で答えられるかどうかには、この研究をどれだけ理解し、大切に扱っているかが表れます。相手の役職や学位といった肩書きは、この確認作業の代わりにはなりません。どれだけ立派な肩書きの持ち主でも、質問に具体的に答えられるかどうかで見てください

 ここから先は、参加を決める前に確かめておきたいことです。まずは、契約や合意の前に押さえておきたい、知的財産の扱い就職先選択の自由という、バイトやインターンにはない固有の論点です。

6-3. 知的財産と、就職先選択の自由

 知的財産については、学部生・大学院生は大学と雇用関係にあるわけではありません。研究室に配属された学生が発明者になった場合でも、大学が自動的にその発明を引き継ぐ法的な根拠はなく、多くの大学では、学生に発明規程への同意を得たうえで、特許を受ける権利を大学に譲渡してもらう運用を取っています。産業界で実施され対価が得られた場合には、発明者である学生にも、教員と同様に対価が還元され、卒業・修了後もその対価還元は続く、という仕組みを持つ大学もあります。これは法律で一律に定められた権利ではなく、大学ごとの発明規程による制度なので、還元の有無や範囲は大学によって異なります。共同研究であれば発明は大学と企業の共有に、受託研究であれば発明は基本的に大学に帰属しますが、対価還元という考え方自体は、どちらの型でも共通です。自分の大学の知財ルールを確認しておいてください。

 就職先選択の自由については、企業と関わる研究では秘密保持契約(NDA)を結ぶことが一般的です。秘密保持契約が本来求めてよいのは、秘密情報を第三者に漏らさないという秘密保持の義務であり、就職先を制約する条項は、公序良俗に反するとして無効と判断される可能性が高いとされています。「この企業の競合には就職できなくなる」といった説明を受けたなら、その条項が有効かどうかを鵜呑みにせず、大学の産学連携部門やキャリアセンターに確認したほうがよい話です。

6-4. 技術的適格性という、もう一つの物差し

 もう一つ、確認しておきたい観点があります。ここまでは企業側の悪意を見抜くための物差しでしたが、ここからは、相手に悪意がなくても、そもそも研究として成立する技術力や理解を持っているかという別の物差しです。特に修士論文は、共同研究のテーマをそのまま論文化するケースが少なくありません。新しく尋ね直す質問ではなく、前の質問リストの答えを、今度は技術的に成立するかどうかという物差しで確認し直してみてください。

 あなたはITエンジニアを志望する学生です。この物差しには、研究として成立するかという学術的な観点だけでなく、その企業が、あなたにとってエンジニアとして育つ環境として成立しているかという、もう一つの側面があります。修士課程を終えたあと、研究の道に進むかどうかにかかわらず、多くの学生は就職活動をして企業に入ります。この研究で得た経験を、エンジニアとしての成長や、その後の就職活動で語れる経験として持ち帰れるかどうかは、研究テーマの学術的な妥当性と並んで、大切な確認事項です。

  • 企業側に、共同研究の実績があるか:学会発表や論文化まで至った実績を、researchmapやJ-PlatPatで確認できます。実績がまだなくても不適格と判断せず、担当者の反応が前向きかを見ておいてください

  • 企業側の技術者に博士号を持つ人がいる場合、その研究活動の水準はどうか:博士号の保有はそれ自体が技術力の保証にはなりません。researchmapで確認できるその人の投稿先が、CORE・CCF推奨リストなどで格付けされた水準の学会・論文誌かどうかも、あわせて見ておくとよいでしょう。学位取得のためだけに、格の低い媒体で数をこなしてきたと思われる実績が並んでいる場合、その技術者との研究が、あなた自身の水準を引き上げてくれるとは限りません

  • 研究を実際に担当する技術者自身が、現役でコードを書く・設計するエンジニアか:企画職や管理職だけが窓口になっていて、実務を担う技術者の顔が見えないままでは、あなたが技術的な議論を交わす相手が定まりません。GitHubや技術ブログ、登壇実績などで、担当者自身の技術的な活動を確認できるかを見ておいてください

  • テーマが、企業の目先の製品課題そのままではなく、学術的に一般化されているか:特定の課題に直結しすぎていると、学術的な体裁を保ちにくくなる、という産学連携の専門家の指摘があります

  • 研究テーマの検討が、採用や早期選考の話より先に、実質を伴って進んでいるか:企業と関わる研究には、教育的な意義よりも、優秀な学生と早期に接点を持つことを主な目的とする案件が混ざることがあります。テーマの中身や進め方の議論より先に、インターン選考や早期選考、内定に関する話が持ち出されているなら、それは研究そのものへの関心が薄いサインです。良い企業は、研究テーマの相談と採用の話を、時期も担当者も分けて進めます

  • 行き詰まったときに、技術的に相談に乗ってもらえる体制があるか:企業側に相談できる体制があるかで、2年間の中身は変わります

  • 契約の名称(共同研究/受託研究)と、研究実務の主な担い手が一致しているか:仮説構築・実験・論文執筆の大半を担っているのが誰かを、契約の型と照らし合わせてください。ここでのずれこそ、いちばん確かめておきたい点です

  • 対価が、契約に明記されているか:共同研究の場合、対価という形は取らず、大学と企業が費用を対等に負担する仕組みです。受託研究の場合、企業から大学への対価の支払いが原則です

6-5. 研究をお受けするかどうか、考えるときの11の観点(最終判断のための採点)

 ここまでお話ししてきたことを、参加を決める前の最終チェックとして、11項目にまとめ直します。これは、企業や指導教員から与えられる評価表ではありません。あなた自身が、自分の目で相手を測るための物差しです。このリストだけを取り出して、実際に確認するときの手元の物差しとして使ってもらえるように書いています。各項目を確認できたら、それぞれ1点として数えてみてください。

  • [ ] 社内での検討経緯を、実物の資料で確認できるか:企業内での検討から指導教員へのプレゼンテーションまでの経緯を、口頭の説明だけでなく、実物の資料をエビデンスとして見せてもらえるかを確認します(詳しくは「学生への確認」参照)

  • [ ] 企業が学生や技術を大事にしてきたことを、対話と実績の両面で確認できるか:担当者が、過去にこの会社で研究に関わった学生のその後を話してくれるか。そして担当者の上司にあたる部課長級、あるいは技術の意思決定を担う立場の人物が、対外的な技術活動を過去の実績としてだけでなく現在も続けているかを、researchmapや学会、社外の技術コミュニティ(フェーズ2-12参照)の場で確認します。あわせて、研究を実際に担当する技術者自身が、現役のエンジニアとして活動し、GitHubや技術ブログ、登壇などで対外的な技術発信を続けているかも確認します

  • [ ] 研究の意義を、教育面と社会還元の両面で具体的に説明してもらえるか:この研究が、あなたの研究者としての成長にどうつながるか。そして、企業の利益だけでなく社会にどう還元されうるかを、具体的に語ってもらえるかを確認します

  • [ ] このテーマは、学術的に一般化できる問いになっているか:自社の受注案件や製品課題をそのまま「研究」と呼び替えているだけの案件は、学会や論文誌で通用する一般化された問いに組み立て直されていません。「この研究テーマは、御社以外の企業や、この分野の他の研究にも一般化できる問いになっていますか」と尋ねたとき、担当者が具体的に答えられるかを確認します。ここで言葉に詰まる、あるいは自社の課題の説明に終始するなら、それは研究という題目を借りた別の目的の活動である可能性があります(詳しくは「共同研究・受託研究のはじまりかた」参照)

  • [ ] 学会発表や論文化への前向きな姿勢を、変わらず聞けるか:話が持ち上がった初期段階で確かめた姿勢が、参加を決める段階でも変わっていないかを、もう一度尋ねて確認します。あわせて、想定している学会・論文誌の水準(CORE・CCF推奨リストなど、分野ごとの格付けで確認できます)も具体的に聞けるかを確認します

  • [ ] 契約の型と、実務の担い手が一致しているか:この研究が共同研究か受託研究かを、担当者が明確に答えられるか。そして、仮説構築・実験・論文執筆の大半を実際に担っているのが誰かが、その契約の型と食い違っていないかを確認します

  • [ ] 対価・費用負担の対等性と、学生が発明者になった場合の知財の扱いを、説明してもらえるか:共同研究であれば大学と企業が費用を対等に負担する仕組みに、受託研究であれば企業から大学への対価の支払いになっているか。あわせて、学生が発明者になった場合の特許を受ける権利の扱いや、対価還元の有無を、自分の大学の発明規程で確認します。金額の詳細まで開示されるとは限りませんが、その大枠や契約の存在は説明してもらえるかを確認します

  • [ ] 秘密保持契約が、就職先選択の自由を制約しないと、正しく理解されているか:秘密保持契約は秘密情報を漏らさない義務を求めるものであり、就職先を制約する条項は無効と判断される可能性が高いことを、担当者が正しく理解し、具体的に説明してくれるかを確認します

  • [ ] 行き詰まったときに、技術的に相談できる体制があるか:企業側の担当者や指導教員に、技術的な壁にぶつかったときに相談できる窓口や仕組みがあるかを確認します

  • [ ] 研究テーマの検討が、採用や早期選考の話より先に進んでいるか:テーマの中身や進め方の議論より先に、インターン選考や早期選考、内定に関する話が持ち出されていないかを確認します(詳しくは「技術的適格性という、もう一つの物差し」参照)

  • [ ] その企業と過去に関わった学生の経験を、複数の経路から確認できるか:企業側の説明だけでなく、指導教員や研究室内の先輩・後輩など、企業と利害関係のない身近な経路からも、過去に関わった学生の経験を確認します

 合計点に、絶対の基準があるわけではありません。ただ、点数が高いほど、ここまで確認してきたことに、相手が具体的に答えられているということです。逆に、なかなか点が伸びない項目があれば、そこを重点的に、もう一度尋ねてみてください。

 研究開発の体制の大きさで、企業を判定する必要はありません。専任の研究開発部門を持たない中小企業やスタートアップでも、担当者一人が研究の意義を理解し、疑問に丁寧に向き合ってくれるなら、それは十分に適格な相手です。企業側の担当者が、研究の目的と、あなたに期待する役割を、自分の言葉で語れるか。これは、ここまでの観点をまとめて映し出す、基本の物差しです。

 ここまでの見極めを経て参加を決めたら、次は、この研究がどんな実績として積み上がっていくかを、具体的にお話しします。

7. 研究で積める、ポートフォリオとしての強さ

 企業と関わる研究がポートフォリオとして強いのは、成果が、大学という第三者機関を通じて、客観的な形で残るからです。この客観性が正当に機能するのは、型と実態が一致し、成果の帰属や発表の裁量が契約どおりに扱われているときです

 積める実績は、共同研究か受託研究かにかかわらずどちらの型でも得られる5つです。共著論文(企業の技術者と連名で投稿できれば、実力と協働の両方を示す記録になります)、学会発表(客観的な成果として就活でも明確にインパクトを持ちます)、学会賞などの受賞歴(明確な差別化材料になります)、査読プロセスの経験(指摘を受け止めて改善する姿勢を示す実績として語れます)、学会での質疑応答の経験(面接での技術的な受け答えの予行演習になります)です。

 ここに、もう一つ加わる実績があります。産学の橋渡し役としての経験です。企業の実務的な課題意識と、学術的な一般化の両方を理解し、その間を橋渡ししてきた経験は、大学単独の研究にはない強みですが、これは学生自身が企業の技術者と協働で実務を担う共同研究ならではの実績で、受託研究には当てはまりません。この実績の質は、協働の相手が現役のエンジニアであったかどうかに左右されます。「見極めること」で確認した技術的適格性は、ここでもう一度、効いてきます。これらの実績は、「何を明らかにしようとしたか」「なぜその方法を選んだか」「企業側の課題意識とどう向き合ったか」を順につなげて語れると、あなた自身の考え方の筋道が伝わりやすくなります。

 ここで一つ、区別しておきたいことがあります。企業の課題意識と向き合うことと、企業の課題をそのまま押し付けられることは、外から見ると似ていますが、中身は違います。違いは、その課題がなぜ重要なのかを、企業側があなたに説明できるかどうかに表れます。

8. 研究というキャリアの、その先にあるもの

 ここまで見てきた研究活動は、この先どんなキャリアにつながっていくのでしょうか。大きく分けると、学の世界で研究を続ける道企業内研究者として研究を続ける道、そして一般のエンジニアとして企業に就職する道の3つがあります。この記事の読者の多くは、修士課程を終えたあと、研究者としてではなく、一般のエンジニアとして企業に就職します。まずこの3つ目の道から見ていきます。

 修士課程で企業と関わる研究に取り組んだ経験は、研究者を目指さない場合でも、そのままエンジニアとしてのキャリアの土台になります。「見極めること」で確認した技術的にどんな相手と向き合ったか、「ポートフォリオとしての強さ」で見た共著論文・学会発表・査読プロセスといった実績は、就職活動の技術面接で「何を、なぜ、どう試行錯誤したか」を語る土台になります。課題を設定し、仮説を立て、検証し、批判を受け止めて改善するという研究のプロセスそのものが、日々の開発における設計・実装・レビューのプロセスと、根っこの部分で重なっています。研究者になるかどうかにかかわらず、この経験は無駄になりません。

 ここから先は、研究者としての道を選ぶ場合の話です。学の世界で研究を続ける道を選ぶ場合、修士課程の先には博士課程があり、その先には、ポストドクター(ポスドク、博士号取得後に任期付きの立場で研究に従事する期間)を経て、助教、准教授、教授とステップアップしていく道筋が一般的です。ただし、日本は博士課程修了者数に対して、大学や研究機関の正規ポスト(任期の定めのないテニュアポスト)の数が少なく、正規ポストへの就職は狭き門とされています。この道を選ぶかどうかを考えるうえで、この実情は知っておいて損はありません。

 企業内研究者として研究を続ける道もあります。文部科学省の調査によれば、日本の博士課程修了者のうち、民間企業・公的機関の研究開発職に就く人は約2割、研究開発職以外も含めると約36%にのぼります。ただし、研究者に占める博士号保持者の割合は、日本は全産業平均で4.2%にとどまり、米国の10.6%と比べると低い水準です(経済産業省調査、2024年)。企業内研究者としてのキャリアでは、研究員として実務を積んだあと、主任研究員、そして研究チームやプロジェクトを率いる立場へとステップアップしていく道筋が一般的とされ、研究開発の経験を積んだ先に、技術責任者(CTO)といった立場を目指す道も開かれています。

 どちらの道を選ぶにせよ、共通していることがあります。経団連の調査(2024年)では、理系博士人材の配属先は「研究・開発系」が最も多い一方、「IT・システムエンジニアリング・プログラミング系」や「数理・データサイエンス・AI系」など、研究開発職に限らない多様な職種にも配属されている実態が示されています。博士課程まで進んで研究を続けるかどうかにかかわらず、修士課程で積んだ研究の経験そのものが、将来の選択肢を広げる土台になる、ということです。

 この記事でここまでお話ししてきた見極めは、目の前の研究に真剣に向き合うためのものであると同時に、その先に研究者の道を選ぶとしても、一般のエンジニアとして企業に就職する道を選ぶとしても、あなた自身のキャリアの土台を、確かなものにするためのものでもあります。

9. 関わったあとに気づいておきたいこと:型と実態がずれていく兆候

 次に挙げる兆候は、研究が実際に進み始めてから表面化するものがほとんどです。研究室で実際に起きている運用を、次の物差しに照らしてみてください。項目が多くなってきたので、5つのグループに分けてお話しします。

A 研究が、いつのまにか労働になっていないか

  • 企業への常駐や来社を、研究の一部として求められていないか:研究の本拠は大学であり、企業のオフィスで過ごすことが日常的に前提になっている状態は、通常の共同研究・受託研究では想定されていません。もし常駐や頻繁な来社を求められているなら、それが研究計画のどの部分に、なぜ必要なのかを、指導教員が説明できるかを確認してください。受託研究の場合、研究実務を担うのは本来大学側であり、対価を支払っていることは、学生を実務者として常駐・来社させてよい理由にはなりません

  • 指導教員を介さず、企業側の担当者から直接、作業の指示や締切が来ていないか:研究の進め方や成果物の扱いは、本来、指導教員と企業側の共同研究責任者(受託研究であれば委託元の担当者)の間で合意されるものです。この経路を飛び越えて学生に直接、実務のタスクとして降りてくる状態が続いているなら、それは研究指導ではなく、労働の指示に近づいています

  • 研究テーマの背景を、あなた自身の言葉で説明できるか:なぜこの課題が重要なのかを、企業側の担当者が説明していない、あるいはあなた自身が説明できないままテーマだけが渡されているなら、それは課題の共有ではなく、テーマの丸投げです。受託研究の場合、企業が課題を提示すること自体は正当な行為です。ここで確かめるべきは、対価が妥当かどうか、そして発表の裁量が大学側に残っているかどうかです

  • 研究が進んだあと、企業側が担うべき検討まで、あなたに委ねられていないか:仮説の精緻化、実験設計、技術選定。これらは本来、企業側の技術者があなたと対等に持ち寄るべき検討です。それが研究の進行につれて、気づけばほとんどあなた一人の役割になっていないか。「学生さんの専門分野だから、お任せします」という言葉は、あなたの主体性を尊重しているように聞こえて、実際には企業側が検討そのものを担う力も気力もないことの、体のいい言い訳である場合があります。契約上は共同研究という対等な協働のはずなのに、実務のほとんどをあなたが一人で背負っているなら、それは型と実態がずれている、いちばん分かりやすいサインです

  • 研究テーマの範囲外の作業を、研究の一部として求められていないか:研究テーマ自体は明確でも、そのテーマとは直接関係のない雑務や資料作成を継続的に求められているなら、それは研究ではなく労働力としての使われ方に近づいています。共同研究・受託研究のどちらでも起こり得ます

  • 定期的な進捗MTGにおいて、企業側の準備や姿勢が、回を追うごとに疎かになっていないか:前回のMTGで何を話し、どこまで進んだかを、企業側の担当者が踏まえたうえで臨んでいるか。分厚い資料や毎回新規のプレゼン資料までは、地方の中小企業であれば難しいこともあり、それ自体は問題ではありません。見るべきは、その場での質問に、担当者が具体的に答えられるか。そして、当初はできていたはずのこの向き合い方が、時間とともに崩れていっていないかです。「忙しいから」は、資料を毎回作れない理由にはなっても、前回の話を覚えていない、その場で何も答えられないことの理由にはなりません。対等な共同研究の相手であれば、事前に議事録に目を通し、その場の質問に応じられる程度の備えは、本来当然のことです

B 対等な研究者という立場が、すり替えられていないか

  • 研究を始めたときと、今とで、企業側の顔ぶれや扱われ方が変わっていないか:契約時や研究の初期に紹介されていた技術者が、その後、経験の浅いメンバーに差し替わっていないか。担当者の交代自体は、人事異動や体制の都合で起こりえます。ただしその場合でも、なぜその人物になったのか、どんな技術的な背景を持つ人物かを、企業側は具体的に説明できるはずです。説明がないまま、当初より技術的な議論が成立しにくい相手に変わっているなら、それは兆候です。あわせて、対等な研究パートナーとして接してもらえていたはずが、いつのまにか下請けや外注先を扱うのと同じやり方で接されるようになっていないかも見ておいてください。契約の看板を対等な協働のままにしておきながら、実態だけを下請け仕事にすり替える企業は、最初から対等に向き合うつもりなどなかったということです

  • 企業側から、対等な研究者としてではなく、すでに自社に入社した学生であるかのように扱われていないか:早期から学生を歓迎し、将来の同僚候補として大切に扱ってくれること自体は、良いことです。問題になるのは、その歓迎の延長で、研究者としての立場そのものが、なし崩し的に「入社後の関係」へすり替えられてしまうことです。研究とは無関係な社内の新人研修や会議への参加を求められていないか。研究の場でも、社員と同じ服装や呼称、振る舞いを求められていないか。研究テーマの相談より先に、入社後の待遇や配属の話が繰り返されていないか。研究と無関係な社内の人間関係や力学に、巻き込まれていないか。大切にされることと、意思決定の主体性を失うことは別の話です。あなたが今、研究者としての自分の立場のまま関わり続けられているか、確認してみてください。なお、これは採用選考そのものの是非を扱う話ではありません。研究者としての関わりの最中に、なし崩し的に入社後の関係へすり替えられることが、ここでの論点です

C 個人的な距離感を、一方的に詰められていないか

  • 研究以外の誘いや連絡が、研究の枠を超えていないか:食事や私的な集まりへの誘いが、研究と関係のない頻度や形で続いていないか。指導教員が同席しない形で、学生だけが企業側に呼ばれる誘いが続いているなら、それも確認しておきたい兆候です。企業側とのやり取りは、大学メールや共同研究の窓口など、大学が把握できる経路を基本にしてください。個人の連絡先を、研究の必要以上に企業側に伝える必要はありません

  • 研究以外の場面で、友人や家族のような距離感を、一方的に求められていないか:「もう家族みたいなもんだから」「そんな水臭いこと言うなよ」といった言葉とともに、個人的な連絡先を必要以上に求められたり、休日の集まりへの参加を断りにくくされたりしていないか。距離が近いこと自体は、悪いことではありません。良い企業には、その場合でも、フレンドリーで面倒見の良い社風を持つところもあります。問題は、その距離の近さを、あなた自身が選べているかどうかです。そして、この種の距離感が、対価や役割分担といった、本来きちんと話し合うべきことをうやむやにする理由に使われていないかも見ておいてください。「家族なんだから、そこは任せてよ」という言葉が、検討や対価の話を避ける言い訳になっている場合があります。こうした距離の近さが先に作られていると、その後の不適切な要求や不快な扱いに対して、声を上げにくくなることがあります

  • 共同研究の相手として、対等な敬意(リスペクト)を持って接してもらえているか:学生という身分であっても、研究における役割は、企業側の技術者と対等な協力者です。敬称の有無や「くん」付け、呼び捨てといった呼ばれ方は、それだけで良し悪しを決められるものではありません。対等な扱いの延長にある場合もあれば、格下として扱われている表れの場合もあり、関係性や文脈によって変わります。自分の意向を確認されないまま、それが続いているかどうかが見極めどころです。「学生さん」という呼び方も、研究者としてではなく、お客様扱いしていることの表れである場合があります。一方で、はっきりさせておきたいことがあります。関係の初期段階から、あなたの意向を確認しないまま、一方的に呼び捨てにしたり、あだ名をつけたり、タメ口で話しかけてきたりする担当者がいます。関係が深まった結果、双方の合意のもとで自然に砕けた呼び方になっていくのは、対等な関係の証です。しかし、初対面や研究の初期から、相手の合意を取らずに一方的に距離感を詰めてくるふるまいは別です。それは、対等な協力者に敬意を払うという、共同研究に関わる社会人としての基本ができていないことの表れです。社内で砕けた呼び方をする文化を持つ企業は少なくありませんが、それは社内の人間関係の話であり、社外の対等な協力者であるあなたへの接し方とは別の話です。呼ばれ方だけで機械的に判断せず、他の兆候ともあわせて総合的に見てください

D 研究者・エンジニアとして、育つ機会が失われていないか

 ここまでのA・B・Cは、企業がどう振る舞っているかを見る兆候でした。ここからは少し視点を変えます。企業側に特段の問題行動が見当たらなくても、議論やフィードバックの機会そのものが、いつのまにか失われていくことがあります。これはあなたの実力不足のサインではなく、その研究環境が持つ構造の問題です

  • 最初は成立していた技術的な議論が、途中から一方通行の指示に変わっていっていないか:Aの「検討の丸投げ」やBの「顔ぶれの変化」が起きているとき、その裏側では、あなたが議論の相手として鍛えられる機会そのものが失われています

  • 疑問や質問を投げても、技術的な理由や背景が返ってこなくなっていないか:「そういうものだから」で片づけられ、なぜそうするのかという理由が語られない状態が続いているなら、それは学びの機会が乏しくなっているサインです

  • 進捗の報告だけを求められ、内容そのものへのフィードバックが失われていないか:進んだかどうかだけを確認され、その中身の良し悪しについて意見をもらえない状態が続いていないか

  • うまくいかなかった実験や失敗を、一緒に振り返り、次に生かす機会が失われていないか:失敗を報告しても、なぜ失敗したのかを一緒に考えてもらえず、テーマだけを差し替えられて終わっていないか

  • 技術的に行き詰まったときに、相談できる相手が実質的にいなくなっていないか:企業側に相談できる体制があるかで、2年間の中身は変わります(詳しくは「技術的適格性という、もう一つの物差し」参照)

E 安全と公正が、守られる備えはあるか

  • もし性的な言動を含む不快な扱いを受けたときの相談先を、あらかじめ知っているか:大学のハラスメント相談窓口は、多くの大学で、共同研究先の企業関係者とのやり取りも相談対象に含む運用をしています。相談したこと自体が、学位審査や指導教員との関係に不利益をもたらすのではと、不安に思う必要はありません。何かあったときに一人で抱え込まず、大学の窓口に相談できることを知っておいてください

  • 企業側のコンプライアンス・ガバナンス・法令・研究倫理に関わる問題を、目撃したり、巻き込まれそうになったりしたときの備えを知っているか:研究不正(捏造・改ざん・盗用)や、人を対象とする研究・動物実験などにおける研究倫理審査は、大学の授業で深く扱われる機会が少ない分野です。共同研究や受託研究を通じて企業と接点を持つ中で、秘密保持契約の範囲を超えて他社の機密情報を共有するよう求められたり、企業側の不適切な対応を偶然知ってしまったりする可能性は、ゼロではありません。もしそうした場面に遭遇したり、不正行為への加担を求められたりした場合は、断ってよいことを知っておいてください。断ったことを理由に不利益を受けるべきではありません。ここでも同じです。相談すること自体が、あなたにとっての不利益になるのではという不安を持つ必要はありません。相談先は、まず指導教員、次に大学の産学連携部門です。大学によっては研究倫理委員会やコンプライアンス相談窓口が設けられている場合もあるので、あわせて確認しておいてください。研究不正は、文部科学省のガイドラインが明記するとおり、研究費の多寡や出所を問わず絶対に許されない行為です。学生に不正行為への加担を求める、あるいは拒否したことを理由に不利益な扱いをしようとする企業は、大学の研究相手として振る舞う資格を欠いています

 A・Bの兆候は、研究という関係そのものが、労働や別の関係にすり替わっていく話です。Cの兆候は、その関係の中で、個人としての距離感や敬意が損なわれていく話です。Dの兆候は、悪意の有無にかかわらず、育つ機会そのものが失われていく話です。A〜Dは、これらのいくつかが同時に重なっている場合、それはもう、教育の一環としての研究ではなく、研究という名目のもとで、学生の時間と技術力が、対価の説明もないまま企業の労働力として使われている状態に近づいている、ということです。一つだけなら運用の詰めが甘いだけの場合もありますが、いくつも折り重なっているなら見過ごしていい状態ではありません。一方、Eの兆候は、重なりの有無にかかわらず、一つでも見過ごしてよいものではありません。気づいたときは、指導教員、大学の産学連携部門、あるいはハラスメント相談窓口に、遠慮せず相談してください。それは指導教員への不信ではなく、自分の研究者としてのキャリアに、責任を持つという向き合い方の表れです。

 相談してもなお状況が変わらないなら、その案件から距離を置くことも、正当な選択です。指導教員のもとで進める研究テーマは、企業との共同研究に限りません。企業と関わる研究は、実績の積み方の一つの選択肢であって、唯一の道ではないことを、知っておいてください。

10. こじれたとき、実際にどう動けばよいか

 ここまでの相談窓口を使ってもなお解決しない場合や、より深刻な事態に発展した場合に、実務としてどう動けばよいかを、知っておきましょう。

研究不正を目撃した、あるいは加担を求められた場合

 多くの大学は、研究倫理・研究公正に関する規程を持ち、学内に申立ての窓口を設けています。申立ては、指導教員や大学の産学連携部門を経由しなくても、直接その窓口に行うことができる運用が一般的です。申立てをしたことを理由に不利益な扱いを受けるべきではない、という考え方は、多くの大学の規程で明文化されています。

案件から距離を置いた場合の、学位審査への影響

 修士論文や学位審査への影響が気になるところです。指導教員との関係や研究テーマの再設定は、研究科の学務窓口やキャリアセンターも交えて相談できることが一般的で、一つの企業との案件を離れることが、直ちに学位取得そのものを危うくするわけではありません。ただし、具体的な影響は大学・研究科ごとの規程やスケジュールによって異なるため、早めに指導教員以外の相談先(研究科の学務窓口、ハラスメント相談窓口、産学連携部門)に相談し、選択肢を確認しておくことが大切です。

契約トラブル(対価の未払い、秘密保持契約の範囲を超えた要求など)

 学生個人で企業と直接交渉する必要はありません。契約の当事者は大学と企業であり、大学の産学連携部門や法務部門が、契約に基づいて対応する役割を担っています。学生の役割は、起きていることを事実として正確に記録し、大学の窓口に伝えることです(対価の考え方については「契約の締結」で見たタイムチャージの原則を参照してください)。

11. プロフェッションとして育つ環境を持つ会社は、大学の研究を公共の福祉につながるものとして扱っている

 シリーズ全体を貫く上位原則を、この記事でも確認します。その会社は、エンジニアをプロフェッションとして育つ環境を持っているか

 序章-1で見たとおり、エンジニアとは、公衆の福祉に対する責任を負う、高潔な高度専門職業です。大学における研究は、この原則がもっとも直接に問われる場です。大学は公共の福祉に資することを目的とする機関であり、そこで進める研究もまた、特定企業の内部だけに閉じるものではなく、学会発表や論文という形で、社会に開かれた知として積み上がっていくことを、本来求められています。

 この視座に立つと、「研究で積める、ポートフォリオとしての強さ」で見た産学の橋渡し役としての経験の意味が、一段はっきりします。企業の実務的な課題意識と、学術的な一般化の両方を理解し、その間を橋渡しする経験は、公共の福祉につながる研究を、企業と大学が共同で育てる活動そのものです。学会発表や論文化に前向きな企業は、研究を自社の利益だけに囲い込まず、その先にある社会に開いていく姿勢を持っています。11の観点のうち、研究が企業の利益だけでなく社会にどう還元されうるかを、具体的に説明してもらえるかは、この姿勢をそのまま尋ねる質問です。

 この姿勢がどれだけ組織に根づいているかは、11の観点のうち、部課長級、あるいは技術の意思決定を担う立場の人物が、対外的な技術活動を現在進行形で続けているかにも表れます。過去に一度登壇した実績があるだけでは足りません。序章-1で見た「経営層と部課長の日常の言葉遣いに、いちばん正直に映ります」という観察は、この記事にもそのまま当てはまります。技術の意思決定を担う立場の人が、大学の研究を、公共の福祉につながる活動として語れるか。それとも、目先の製品課題の延長としてしか語れないか。そこに、この会社が研究とどう向き合っているかが、じわりと現れます。

 共同研究・受託研究を、公共の福祉につながる教育の場として丁寧に育てている会社は、学生を目先の労働力としてではなく、将来この分野を担う一人の技術者として育てるという視座を持っています。この視座は、指導教員だけの責任ではなく、企業側の技術者にも等しく求められる責任です。

まとめ

 研究テーマも、相手企業も、指導教員から与えられるものではなく、あなた自身が能動的に選び取るものです。エンジニアとしてあなたを育てる見込みのない相手、型と実態がずれている相手、そもそもエンジニア企業として成立していない相手とは、研究するべきではありません。型がずれること自体は、必ずしも悪意を意味しません。ですが、ずれに気づかないまま参加すると、発表の裁量や対価の扱いで、あとから困ることがあります。指導教員から持ちかけられた案件は、企業の公式情報から就職四季報まで、複数の情報源を重ね合わせて下調べしたうえで、質問リストを使って尋ねてみてください。良い教員・良い企業ほど、その質問にむしろ答えたがるはずです。経営層や担当者の言葉のなかに、研究と若手への向き合い方は、いちばん正直に表れます。それは、前段で確認した、大学の研究を公共の福祉につながるものとして扱えているかという上位原則と、同じ根から出ている観察です。

 自分の研究が、共同研究なのか受託研究なのか。そして、その型と、日々の実務は、一致しているか。この問いに自分の言葉で答えられることが、あなたを研究の担い手として、そしてこの先エンジニアとして働く一人としても、一歩前に立たせてくれます

 次にフェーズ2の記事を読むなら、フェーズ2-10(学生バイト)、フェーズ2-11(長期インターン)、フェーズ2-12(社外エンジニアコミュニティ)もあわせてどうぞ。次のフェーズ2-14では、フェーズ2の総まとめとして、フェーズ2の歩き方。点で作らず、線で。そして面まで。その先に立体があるというお話に進みます。

エンジニアの卵のみなさんへ、エール

 研究活動は、本来、あなた自身の知的好奇心と、指導教員や企業の技術者との、対等な対話の中で育っていくものです。研究室という閉じた環境の中では、疑問があっても声を上げにくい場面もありますが、この記事に挙げた確認事項を知識として持っておくこと自体が、あなたを守る力になります。研究者の道を選ぶ人にとっても、一般のエンジニアとして企業に就職する人にとっても、ここで積む経験は、これから先のキャリアの土台になります。

 今週、なにか一つ、始めてみてください。いま関わっている研究の型と実態が一致しているか、指導教員に一度尋ねてみる。それだけで、あなたは、研究の担い手として、そしてこの先エンジニアとして働く一人としても、一歩前に立てます。

 一緒に歩きましょう。ボン・ボヤージュ。素敵な旅を。


次の記事はフェーズ2-14「フェーズ2の歩き方。点で作らず、線で。そして面まで。その先に立体がある」です。


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