【5大ジュエラー編|第3話:カルティエ(Cartier)—“王の宝石商”が描く歴史と革新(前編)】
「アールデコを牽引した“王の宝石商”の原点」
19世紀パリ、ルイ=フランソワ・カルティエが立ち上げた工房から始まり、ヨーロッパ王室に愛される“王の宝石商、宝石商の王”へと君臨していくカルティエの歴史。アールデコ様式を宝飾に持ち込んだ先駆けや、“パンテール(豹)”モチーフに見る大胆さ、そして世界的名作“サントス”ウォッチ誕生のドラマに迫ります。パリのエスプリと王室との絆が織り成すエレガンスを体感しながら、なぜカルティエはここまで特別なのか、きっと理解したくなるはず。
●ハイブランド・ジュエリー編
①5大ジュエラー
前編 / 後編
②ティファニー
前編 / 後編
③カルティエ
前編 / 後編
④ヴァンクリーフ&アーペル
前編 / 後編
⑤ハリーウィンストン
前編 / 後編
⑥ブルガリ
前編 / 後編
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パリのエスプリを宿す、王の宝石商との出会い
「ユキくん、前回はティファニーの物語を掘り下げたね。ニューヨーク発のブランドがどうやって“6本爪エンゲージリング”や映画『ティファニーで朝食を』で世界的地位を築いたかが分かったと思う。今回はいよいよフランスのカルティエ(Cartier)について語ってみようか。王侯貴族の愛を勝ち取り、“王の宝石商、宝石商の王”と呼ばれるに至った歴史にはいろんなドラマがあるんだよ」
夜ふかしの部屋で、私は“うさぎ先生”の声に耳を傾けながらPCに向かう。先生は闇の組織の陰謀によってウサギの姿に変えられてしまった元大学教授で、「ビジネスモデル調査ノート」作成に協力してくれる頼れる相棒だ。今回の「5大ジュエラー編」の第3話で取り上げるのは、カルティエ――ティファニーとはまた違うヨーロッパの歴史と芸術性を背負ったブランドだ。
「カルティエにはパンテール(豹)モチーフとかラブブレス、サントスウォッチなど有名なデザインが多いですけど、それぞれにどんな背景があるんですかね?」
私(ユキ)がそう問いかけると、先生はやわらかい笑みを浮かべ、ウサギの耳をぴょこんとさせる。「そう、今回は前編だからカルティエがどのように誕生してヨーロッパ王室を虜にしたのか、そしてアールデコやパンテールなど革新的デザインをどう世に出したのかを中心に見ていこう。後編では“ラブブレス”や現代のカルティエの挑戦も詳しく解説する予定だから、まずは“王の宝石商”と呼ばれた理由をしっかり押さえていこうか」

【1】カルティエ創業の歴史と“王の宝石商”の由来
1.1 1847年、ルイ=フランソワ・カルティエの工房
「カルティエは1847年、パリでルイ=フランソワ・カルティエ(Louis-François Cartier)が師匠の工房を引き継ぐ形で創業したんだ。当時のパリは七月王政の末期から第二帝政(ナポレオン三世)へ移行する動乱期で、一方でパリ万博などが盛んに行われ産業や芸術が花開く時期でもあった。そこを上手に捉えて急速に発展していったんだよ」と先生が耳を動かしながら解説する。
カルティエはルイ=フランソワの次の世代、すなわちアルフレッド・カルティエやその息子たちがヨーロッパ各地の王室や上流階級への営業を拡大し、一気に国際的な知名度を得ていく。
「王の宝石商、宝石商の王」という称号は、イギリス王エドワード7世がカルティエを高く評価し、王室御用達を与えたことで広まったと言われる。私(ユキ)は「なるほど、王侯貴族との結びつきがカルティエの大きな歴史的背景なんですね。ティファニーとはまた違うヨーロッパの文脈だ…」と感じ入る。
1.2 “三兄弟の分業”で国際的な拠点を確立
カルティエの成長を支えた要素として、“カルティエ三兄弟”の存在が大きいと言われている。ルイ・ピエール・ジャックの三人がそれぞれパリ、ロンドン、ニューヨークを拠点に事業を拡張し、欧米を跨ぐ高級宝飾ネットワークを作り上げたのだ。先生は「これはブランド戦略としても秀逸だよ。パリで新しいデザインを開発しつつ、ロンドンやニューヨークで上流階級を取り込み、顧客との接点を強めていったんだから」と説明。
そして、イギリス王室をはじめヨーロッパ各地の王侯貴族に宝冠やティアラ、宝石セットを納品することで“王侯貴族御用達”のイメージを固め、王宮のような格式がなくても常に華やかな社交界に顔を出すブランドとして存在感を高めていった。

【2】アールデコ様式とカルティエの革新
2.1 幾何学的デザインが貴族文化を塗り替えた
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