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記憶の針を落とす[邦楽編]扉


日本の音楽が、新しい姿を見せていた時代


私が音楽に夢中になった1970年代から1980年代にかけて、日本の音楽は大きく姿を変えていました。

初めて自分で選んだレコード、仲間と通ったレコード店、雑誌で覚えた名前、ライブ会場の熱気、ラジオから流れてきた新しい音を思い出すと、その頃にいた街や、隣にいた人の顔まで戻ってきます。

海外から届いたロック、ブルース、R&B、ソウル、ジャズ、フォークは、日本語や日本の風景と出会い、日本独自の音へ変わっていきました。海外への憧れをそのまま鳴らすだけではなく、日本で暮らす人々の感情や、都市の空気、若者たちの苛立ちや孤独を、自分たちの言葉で歌う音楽が次々と生まれていました。

私は、その変化を歴史として理解していたわけではなく、ただその時々に鳴ってくる音を受け取っていました。

高校生の頃には、ブルースやR&Bなどの黒人音楽へ傾きながら、日本のロックやフュージョン、ニューミュージック、シティポップにも耳を奪われていました。ジャンルを意識して聴き分けていたわけでもなく、今振り返れば、それらは同じ時代の空気の中で鳴っていました。

ただ「格好いい」と思っていた歌の奥に、作詞家や編曲家、演奏家たちの緻密な仕事があったことにも気づきました。大きく売れなかったバンドの音楽が、何十年経っても誰かの記憶に残り続けていることもあります。

昔の音楽を聴き返すことは、懐かしさに浸ることだけではありません。当時の自分には聴こえなかったものを、今の耳でもう一度拾い直すことでもあります。

「記憶の針を落とす[邦楽編]」では、日本の音楽が生まれた背景と、それを聴いていた自分の時間をたどります。

最初から順番に読む必要はありません。知っている名前、懐かしいアルバム、気になったタイトルから、針を落としてみてください。


記憶の中で、今も鳴っている日本の音楽


Vol.1|ダウン・タウン・ブギウギ・バンド『続・脱どん底』

初めて自分で選んだレコードをきっかけに、まだ名前も知らなかったブルースの入口へ踏み込みました。
少年がブルースに出会った夜。
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Vol.2|センチメンタル・シティ・ロマンス『歌さえあれば』

野外ステージ、バンド仲間、まだ遠かった音楽の世界。アルバムを聴くたび、1970年代の日本のロックと、自分の青春が一緒に戻ってきます。
青春とともに蘇る、日本のロックの匂い。
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Vol.6|山下達郎『IT’S A POPPIN’ TIME』

演奏者と観客の距離が消え、音楽がその場の空気ごと記録されたライブ盤。完成された演奏だけでは生まれない緊張と親密さが刻まれています。
音が呼吸し、時間が溶ける。私にとって、邦楽ライブ盤の金字塔。
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Vol.8|萩原健一『DONJUAN LIVE』

歌というより、身体ごと崩れながら感情を差し出すような声。華やかなステージの奥で、熱と孤独がせめぎ合っています。
熱と孤独が交差した、青いステージ。
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Vol.9|RCサクセション『RHAPSODY』

客席の歓声も、演奏の揺れも、すべてが1980年の空気として残っています。ライブ盤を聴くたび、あの時代の熱がもう一度立ち上がります。
汗と歓声の1980年が、今も息づいている。
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Vol.11|Native Son『Coast To Coast』

日本のフュージョンを聴きながら、まだ見たことのないアメリカを想像していました。音楽は、遠い場所と自分を結ぶ最初の地図でした。
アメリカと自分をつないだ、針の記憶。
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Vol.17|鈴木慶一とムーンライダーズ『火の玉ボーイ』

無垢で、ひねくれていて、それでもどこか温かい音楽。映画の隙間に流れ込み、場面の奥に別の物語を生み出します。
映画の隙間を満たすような音。北野武が惹かれた、若々しく奇妙な輝き。
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Vol.35|愛しすぎて――光の当たり方が、違っただけ「ウシャコダ」

実力も個性もありながら、なぜ広く知られる場所まで届かなかったのか。売れた音楽と、届いた音楽は、必ずしも同じではありません。
なぜ、あれほどの音楽が売れなかったのか。
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Vol.39|松田聖子を、ただのアイドルだと思っていた。

テレビの中の華やかな存在として見過ごしていた声を、何十年後かに聴き直しました。そこには、優れた歌手と、当時の日本のポップスを支えた多くの才能がありました。
「ただのアイドル」という思い込みが崩れた。
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Vol.40|想い出は、モノクローム。——大滝詠一『A LONG VACATION』

高校3年の夏、友人の家を訪ねるたびに流れていた一枚。鮮やかな音の奥に、松本隆が言葉を取り戻すまでの喪失と、大滝詠一がその言葉を待ち続けた時間がありました。
あの部屋に残る夏の光を、いまの耳でもう一度。
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Vol.41|山下達郎『COME ALONG』

まだ山下達郎が広く知られる前につくられた、一本のカセット。小林克也のDJとワイキキの波の音は、まだ見たことのないハワイの風景を、私の中につくりました。
夏は、音楽だけではなく、カセットの中の風景から生まれていた。
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Vol.43|TAKANAKAの音を支えたキーボード──小林泉美という天才

高中正義の古いライブ映像で、ふと目に留まったひとりのキーボード奏者。追いかけてみると、米軍キャンプ、Flying Mimi Band、アニメ音楽へと続く、知らなかった才能の軌跡が見えてきました。

日本にはまだまだ私の知らない才能がいた。
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懐かしさの、その先へ


ここに並んでいるのは、単なる名盤紹介ではありません。

ある作品が日本の音楽史の中でどこに位置していたのかを考えながら、その音を聴いていた頃の自分についても書いています。

若い頃には夢中になった理由を説明できなかった音楽があります。反対に、当時は軽く見ていたのに、今になって深さが分かる音楽もあります。
聴き手が変われば、同じ曲の中から別のものが聴こえてきます。

音楽を聴き返すことは、過去を美しく塗り直すことではなく、あの頃には見えなかったものを、今の自分で確かめ直すことなのだと思います。

これからも、忘れられない一枚や、今になって意味が変わった一曲について書き加えていきます。


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「記憶の針を落とす[洋楽編]」はこちら
「記憶の針を落とす[音楽の背景編]」はこちら


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浅川幸三 | クリエイティブプロデューサー 共感でも、違和感でも。 何かが残ったなら、それで本望です。 サポートは次の一行のために。