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今回の受験の結果に不満な方への応援歌 成功するまでバッターボックスに立ち続ける こうして私は受験を乗り越えた その3.484 最難関大学受験の顛末 流石に懲(こ)りた結果 乗り越えた先の景色の美しさは格別… 表面物理学分野での研究 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

成功するまでバッターボックスに立ち続ける


これは私の座右の銘。


運と勘としつこさの人生

のしつこさの部分に相当します。

……

 此方の続編です。

経緯
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此処から心の深い位置に… 準備しなくても普通に生きていれば何とかなると思い込む勘違い人生(笑)がスタート

初めての受験失敗が小学校受験でした。

 そして公立小学校に入学。大学生活の様な知的欲求の赴くままという毎日… 

 その辺りの極一部は此方から

https://note.com/lincoln246/n/n055b15e17b7f

無手勝流でも四谷大塚の補欠試験にまぐれで合格するのでした。

運と勘しつこさの人生の運…

 小学校5年生の時に与えられたfast track:

への乗り移り。この運を完全には活かせなかった。先頭集団からはオマケしても2周遅れ(2年分)のままの中学校受験。最難関中高一貫の進学校と、最難関私立大学附属中学校2校、当たりですが全て不合格。バッターボックスに立つも惨敗。

 地元の区立中学校に進学。四谷大塚のお陰で授業だけで好成績、実力テストでも偏差値72と云う現実に… またも勘違い。

此処から心の深い位置に… 準備しなくても普通に生きていれば何とかなると思い込む勘違い人生(笑)が再スタート

 特段勉強しなくても今度こそ最難関校には合格できると思い込んでしまいました。生徒会活動にのめり込み充実した中学生生活。それが2年生秋の学校主催のマラソン大会での骨折で休学、治療。復学するも期末テスト、実力テスト共には散々。それでも楽観的に最後迄生徒会中心に楽しみ切っての受験。希望の最難関附属高校は全滅と云う…

バッターボックスに立つも同じ失敗を繰り返した…

 某総合大学の附属高校に入学。2周回遅れのままで、しかも内部進学前提ののんびりした附属高校の中で、生徒会活動からも足を洗いイジメも受けつつの孤軍奮闘しました。当時難関大学入試に最強だった駿台予備校の入学試験に合格、四谷大塚に居た方々に混じっての受験勉強。

欲を出して本来の志望校ではなく最難関国立大学を目指したのが記憶力ハンディの私には身の丈を越えていた… 

入試科目が増え、5教科7科目。これは結果としてキツかった。ですから

①記憶量が少なくて済む理系に進学すること
②日本史、世界史は受験科目から外すこと
③その分、英語、倫理社会、政治経済は逃げないこと

当初の私立最難関校狙いには無用の倫理社会、政治経済、現代国語、古文、漢文は大好物。受験勉強と云うよりは自分の趣味を受験に被せ、ただでさえ課題のある記憶力を浪費。結果として

2周回遅れでの戦線拡大はやり過ぎ。
手を広げすぎ…(笑)

でした。それでも工夫して例えば主要科目の英語は、  

これで得意科目にしました。少女漫画や学校行事は萎えた気分を転換するには、特効薬でした(笑)
 
 その現役でのバッターボックスでは完敗と云う顛末。 駿台予備校に対しては、附属高校卒業生と云うよりは、駿台予備校卒業生と思える程学び尽くしました。先頭集団からは2周遅れ、距離を縮めるのは困難と諦め、それ以上は引き離されない様にと。駿台予備校の授業は、受験対策と云うよりは大学への基礎学力構築と云うスタンス。それに魅了されました。

そんなこんなで迎えたバッターボックス。
最難関国立/私立大学、全滅… 捨てる神。 
卒業式の日に通い詰めた図書室管理の女子から… 拾う神。

 そして浪人生としての駿台予備校通い。人生で1番学業に集中できた心地良い時間でした。此方に網羅的にまとめてありますので宜しければお楽しみ下さい。

 学習の進捗としては、2周回遅れの分の1周回分は取り戻せたものの… まぁ中高一貫最難関進学校の方々の高校2年生の出来なんだろうなぁと云う感じ。

 そして迎えバッターボックス。予想通り… 最難関国立大学と最難関私立大学は不合格。母校の医学部と理工学部は合格と云う感じ。再度のバッターボックスをお願いしつつ、取り敢えず電子工学科なら申し分ないとの親心での仮面浪人のスタートでした。

閑話
 電子工学は小学校の学研の科学と学習の付録、鉄道模型、誠文堂新光社の子供の科学/初歩のラジオ/無線と実験からのオーディオアンプと云う趣味の流れ

の自然な延長でした。物理学科も有ったのですが大学での研究のレベル的には電子工学科の方が理学と工学を両方扱うと云う意味で先んじていました。

閑話休題

 これで仮面浪人確定でした。

 その時に父親に
順当に詰めてきたんだね。医学部受かるって事は希望校にも殆ど入れるレベルになったんだね。
と、ポツリ。

 これは忘れられない一言になりました。

 所謂仮面浪人生活がスタート。
仮面浪人の学業部分は…

 理工学部なのでめちゃくちゃ多忙。通学は都心部の端から端までで片道2時間半。
 生活は附属高校の生活の延長線と云う感じで…。でも教養課程では、文学から物理学まで教養とは思えない深堀の授業でした。専門科目は電磁気学から回路理論、アナログ設計、ロジック設計、そして最先端機器の構造等多岐に渡り学べました。構内の例えば図書館等施設も充実していて…
 余りに楽しくてこのままでも良いかなぁと云う思いが心に過(よぎ)ったのは事実…

  一方…仮面浪人の私生活部分は…
 流石に高校からでも2時間弱は掛かるので高校の仲間には殆ど会うことは無し、一方同じ電子工学科で仮面浪人友達ができました。彼は超難関国立大学大学医学部狙いの既に3浪生。彼の電子工学科での下宿仲間ってのがつるんでいて、3人組。
 希少な女子を交えての草野球をしたりと健康的な学内でのオフの時間。一方、学外では吉祥寺の煉瓦館と云うミュージックバーに行ったりして

何とも頽廃的な大人の世界…

も、強制的に楽しませて貰いました。

仮面浪人ならでは感が

 仲良し3+1なので、極偶に結局3回かなぁ。下宿に私が泊まる事も有りました。 

 私生活部分の裏面…
 
 下宿組は自由を謳歌していました。
 出始めはバイク。構内の滑走路に深夜闇に紛れて持ち込んで… 爆走させるのです。その後友人宅で飲んで盛り上がった勢いで海外からのアダルト8mm映画鑑賞会。

 別の機会では、仲良し3+1の3浪の仮面浪人の友人が悪ノリ。強引に私を誘って理工学部と近い生産工学部の学生の下宿でのチョットしたパーティー(笑)に参加。安焼酎メインで酔っ払っての深夜のプロレス連続再放送の番組の鑑賞会。

 口直し(笑)に… クラスで2人だけの女子を交えてのとの草野球。リケジョの差し入れもまた乙。

 とまぁこんな感じで仮面浪人なのにキャンパスライフは表裏楽しみました。

 そしていよいよ2周回遅れの仮面浪人さんの年貢の納め時がやって来ることに…

 横に最難関国立大学医学部狙いで3浪の仮面浪人が居たので気は楽でした… 夏休みと冬休みは仕上げの受験勉強。流石に5年目なので追いついてきた感が有りました。中高一貫の最難関進学校の3年生の気分… 
 お正月。家族は親族の集まりに行ったのですが、私は1人自宅で勉強。1人っきりの自宅での年末年始で心が弱っている時… 口の悪い人に揶揄された

十で神童、十五で才子、二十(はたち)過ぎれば只(ただ)の人

 三賀日の夜中。こんな言葉を思い出して震撼した事を今でも覚えています。

 共通一次試験は、まぁまぁ。最難関国立大学の二次試験の数学がキツかった。残念ながら最難関国立大学は不合格。しかし捨てる神あれば拾う神あり。本来狙っていた最難関私立大学の理工学部に合格と云う事になりました。

仮面浪人の末の勝利


喜びは一入(ひとしお)でした。なんか区切りを着けた感じでした。四谷大塚の時の2周回遅れの感覚は正しく、キッチリそのツケを払ったとの思い。
 ところが… 2浪に難色を示す親。親の伝(つて)で、その難関私立大学のシニアな方を訪問し、客観的な意見を貰うことに。結論は金属工学科は鉄鋼会社等基幹産業に直結していて理系としての就職は安泰。専攻したい表面物理学はスタンフォード研究所からの教授なので筋が良い。電子工学科で学んだ事も活かせるし、希望すれば大手電気会社への就職も大丈夫。折角だからうちの大学に来て樂しんだら… と云う結論でした。不安解消。安堵しての希望校でのキャンパスライフが始まりました。

上述の正月三賀日に私が味わった感覚を、
今味わっている方が居たら…
或いは将来味わう事になってら…
この突き抜ける未来がやって来た事例を思い出して頂ければと思っています。 


 なんですが一応、受験を乗り越えたその後も少しご紹介しますね。

 受験と云う特殊な世界では2周回遅れのツケはキッチリ払わされました。一方で人間としては、教養も専門知識も最先端に身を置いて居たので、寧ろ大学では2年分の余裕を持ってのキャンパス生活を楽しむことができました。しかも、電子工学科での専門/教養課程の単位や成績はそのまま生きて移行出来たので、卒業迄単位取得には全く困りませんでした。

 受験を乗り越え…

知的自由を取り戻したのでした。10年間。丁度20歳の時ですからそこまでだと人生の半分は受験に関わっていた…

と云う感じ。今振り返っても凄い時間配分だったと思います。ネタバレですが、それは…

方針(例えば大学で通用する基礎学力の取得と位置付けて取り組む)が正しかったので全く無駄ではなく、寧ろ人生の基礎固めと云う意味で極めて有効に働きました。

 その開放感から、またまた欲張って、

学業、研究、勤労の3本建てでの生活

 最先端の学問や研究にどっぷり浸かる毎日。

 学業は理工学部なので実験や実習が有り、広範な守備範囲を与えられました。勿論望むところ。設備も教官も私立大学としては最高でしたので…

 教養課程

 科目も充実。例えば英語も理系出身のネイティブの先生による英会話授業でした。しかも教材としては例えば最先端のコンピューター技術の話題等も有り、圧巻の授業でした。ここでも受験で培った英語力が本領発揮。スタートラインが高いので、テキストの内容理解は簡単で、ヒアリングとリスニングに集中することが出来ました。法律、政治、経済、文学と興味の赴(おもむ)くままに授業を楽しみました。

 教職課程の授業もまた深いものでした。事例研究での… 例えば狼に育てられた子どもと云った極端な事例迄、そこまで研究の範疇に入れるのかと思う程の深さでした。

 駿台予備校のコンセプトであった、

大学で通用する基礎学力があれば、大学受験は簡単に熟(こな)せる

と云う意味が良く理解できました。正にその恩恵に預かって居ました。
 
 良い意味で1年間の助走期間を貰った感じでした。

 理学/工学の実習。

 基本的な溶接や鋳物作りから当時最先端のメインフレームのコンピューターを使ったプログラミング迄と云う感じ。チューター制度が効いていて、手厚い実習のサポートも心地良かった… 実習後のレポートは本格的な論文レベルと、全てが洗練されていてしかも深い…。実習項目の網羅性が高く、実社会を向いた構成。流石伝統有る大学の看板学部なのでノウハウの蓄積が凄い…

 これまた勤めることになる鉄鋼会社には、造船やエンジニアリングからIT会社、果ては商社迄グループには有ったのですが… この経験が活きました。
 こんな感じで此処でも、受験を乗り越えた先の景色の美しさは格別だったのです。

 対面授業編についても…

 授業内容は手加減無しに高度。数学、物理、化学。数学は偏微分や行列が高校の内容を拡張、一般化する形ですんなり… 駿台予備校での予防接種が見事に効いていました。

数学を道具として使うのが物理学…。

 これもまた駿台予備校での予防接種が見事に効いていました。

 そして極めつけは、名物教授の大槻義彦さん

 正にこの授業だけ受ければ、後は専門書や論文を読んで独学でもイケそうな感覚を持つ事ができました。実際、大学生協はパラダイス。特に専門書は、長年の先輩や教官の嗜好が反映されていて、今で云うセレクトショップ。どれを取っても流石理工学部の生協に並ぶ価値ありと云うものばかりです。勿論洋書も豊富。

 企業から来られ教授になられた方の授業は、学究の世界にすっと居らした教授とは一味違う実践的内容。その教授が無限の話をされた時に…

人生は無限の選択肢がある
生きると云う事は、その選択肢を一つ一つ選択して行くこと。

歳を重ねる毎に選択出来る範囲は狭まって行くけれど、数学を学んだ皆さんには理解出来ると思うがそれでも無限の選択肢は有る…

 これは齢60を越えた今でも至言だと関心します。

 圧巻だったのは、研究室配属に勝ち残り担当教官となった教授の表面物理学の授業。教科書にもなっていない最先端の研究事例が目白押しでした。父が良く本になっているものは古いと雑誌や放送を好んで情報源にしていましたが、それが正しいアプローチだと再認識しました。

 ことほど左様に、相変わらずどの授業も極めて効率的に構成されていて心地良い… 流石私学の雄。
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 そして今回は学業の締めくくりとしての研究。卒論。

 表面物理学研究室。金属工学科は国からの研究委託以外にも学科に対しての寄附等も有り予算は他の学科に比べると圧倒的に潤沢でした。そのお陰で理工学部の敷地ではなく、大学本部に近い場所に独自の広大な研究施設を持って居ました。設立が古く、名前は渋く歴史を感じさせる鋳物研究所と云う名前が残っていました。その研究所だけで独自に月刊誌を出版していて積極的に研究成果を対外的に発表している程でした。
 因みに私の所属していた表面物理学研究室の研究成果はPhysical Reviewと云う勿論レフリー付きの国際的な学会誌が主な研究成果の発表先でした。

 相対的にですが、理論は独学できるけど、実験物理は高価な設備が無いと無理なので迷わず実験物理の分野を選びました。

 電子工学からの表面物理学。対象は単結晶シリコンと、まぁ当時から鉄鋼の次の基幹産業との位置づけとなる半導体デバイス研究開発の礎(いしずえ)となる基礎研究の分野でした。スタンフォード出の教授だったので流石狙う分野も最先端研究のど真ん中。研究室には輪講が学部生と大学院生で日を分けて開催されていました。

 私は研究室に配属された5人の学部生の内の1人だったのですが、私だけは大学院生の輪講にも参加していました。

 前報に生協書籍部ネタでも話題にしましたが… 最先端表面物理学ど真ん中の研究領域を選んだので、大学生協書籍部の新刊雑誌にその最先端研究のホットなサマリーが一冊だけ入荷していたのでした。表面物理学の最新の優良論文のみを集めた書籍。これで卒業論文迄、短期間で表面物理学の最先端に躍り出て、極めて充実した研究ができた最大の礎の1つとなりました。

 この本に出会えて無ければ、私の人生は変わったのかも知れない程の私の研究領域と完全に一致し、かつ的を得た網羅性有る雑誌でした。これを参考に最新の論文を取り上げて輪講に参加しました。コンピューターを使った電子軌道の理論を研究していたドクターの方が私のチューターとして着いて居たのですが、〇〇(私の名前)は手間が掛からないと…
 当たり前ですが、選ぶ論文全て教授が唸る程の選択で輪講も盛り上がりました。

 研究室で扱っていた実験物理の領域は、大きくは
·超高真空電子顕微鏡を使った構造解析
·Auger/XPS/ESCAを使った電子状態の解析


に分かれて居ました。私は後者を選びました。前者は研究室に専用機が有って毎日学部生が別棟にある倉庫からリアカーで液体窒素を運んで超高真空のお守りをしていました。敷地が広いのでこれは結構大変な作業量だったんです。一方私の使ったAuger/XPS/ESCAは形式上研究所の共通設備となっていて設備保守担当の職員の方が保守はして下さっていました。ですからいいとこ取りできました。これまた私の研究生活に余裕を与えてくれたのでした。

 共通設備ですが許可を取って私が設計/製作した電子回路を取り付けて貰っての実験をしました。この実験用の電子機器の開発も研究の内で、独学と電子工学科で仕上げた知識(電磁気学から回路理論、アナログ設計、ロジック設計、そして最先端機器の構造等)が大いに役立ちました。これをしたのも研究室の中では私が初めてで、教授には驚かれました。

 研究内容は、シリコン単結晶清浄表面の7x7構造の電子状態の解析です、

 Auger/XPS/ESCAの分光装置の超高真空のチェンバーの中でシリコン単結晶を劈開(へきかい)して大気に暴露していないシリコンの7x7構造を出現させて、その特異の電子状態を観測しました。その装置開発と実験結果が私の卒論となりました。
 もしそのまま大学院に進むのであればその結果を踏まえて電子状態をシュミレーションすると云うのもアリだったのですが、まぁ社会に出ようと思い学生時代を卒業するのでした。

 この様に、


受験を乗り越えた先の景色の美しさは格別… 

表面物理学分野での研究を楽しみました。

 前回が学業、今回が研究、お次は3本建ての最後の勤労…
 

つづく


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