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シェイクスピア作品のshakeについて〈後半〉

前回は『リア王』のshakeについて考察しました。今回は他のシェイクスピア作品のshake、および揺れ、震えの表現について考察します。前半は以下よりご覧ください。



2 『マクベス』

2-1 悪魔的な感情

『リア王』以外のシェイクスピア作品にも、shakeをはじめ、震えや揺らぎの表現が印象的な使われ方をしているものがいくつかあります。私もすべてを読んで分析できているわけではないのですが、いまの時点で気になったものをいくつか挙げておきます。
 
まずは『マクベス』。序盤、マクベスが魔女に会い、王位につくと予言され、現王の殺害を思いつく場面。

心に浮かぶ殺人は、まだ空想にすぎないのに
俺の五感をゆさぶり、
思っただけで体が利かなくなる。
何ひとつ無い、在るのは無いものだけだ。
見ろ、心ここにあらずだ。
My thought, whose murder yet is but fantastical,
Shakes so my single state of man
That function is smothered in surmise,
And nothing is but what is not.

(25)

心の奥底から悪魔的な考えが浮かび上がって心が動揺することが、shakeという言葉で表現されています。ここで心を迷わせ、選択を間違えたことで、彼は悪の道へ進んでいく。正気を失って、悪魔に心をのっとられてしまう。その分かれ目でshakeが使われています。
 
以下はマクベス夫人が王殺しの計画を立て、実行への決意を自分自身に言い聞かせる場面。

人間らしい優しさが顔を出し、
必殺の決意を鈍らせたり
決意の実現を妨げたりしないように
That no compunctious visitings of nature
Shake my fell purpose, nor keep peace between
Th’ effect and it. 

(35)

夫を王にするためなら人殺しもいとわないという悪魔的な感情と、人間らしい良心に揺らぐ内面を表すのに、shakeという言葉が使われています。人殺しを実行するか、思いとどまるか、悪か善か、死ぬか生きるか。悪の道に走るという決断が夫婦で対になっていて、shakeで結ばれている。三叉路で右へ行くか左へ進むかというような、運命を左右する決定的な場面。それにしてもすごいセリフですね。思いとどまれよ・笑。

2-2 驚天動地

以下はマクベスが王ダンカンを殺した夜について、貴族たちが噂するセリフ。

昨夜はひどい荒模様でした。我々の宿舎では
煙突が吹き倒された。(略)
大地までが熱病にかかり
震えていたと言う者もいる。
The night has been unruly. Where we lay,
Our chimneys were blown down …
Some say the Earth
Was feverous and did shake.

(62)

王殺しの不吉な予感と動揺が、国じゅうに広がっていく様子が、大地までshake揺るがすようなひどい嵐として表現されています。煙突が倒れることが、ダンカンが倒れたことと呼応して、一時代の終わりを伝えていますね。

2-3 恐怖

以下は王が殺されたことにショックを受け、犯人を捜そうと呼びかけるバンクォーのセリフ。

この血なまぐさい凶行を徹底的に
追求しよう。我々は恐怖と疑惑に震えている
And question this most bloody piece of work
To know it further. Fears and scruples shake us.

(69)

臣下や民衆たちがみな怯え、震えている様子がshakeという言葉で表されています。以下は王を殺した罪悪感に苛まれるマクベスのセリフ。

食事のあいだもびくびくし、眠っていても
夜ごと悪夢にうなされ、苛まれるくらいなら。
Ere we will eat our meal in fear, and sleep
In the affliction of these terrible dreams
That shake us nightly. 

(87)

悪夢にうなされて心が揺さぶられる様子がshakeという言葉で語られています。

2-4 髪を振る亡霊

そしてクライマックス。殺したはずのバンクォーの亡霊が酒宴に現れてマクベスの席に座り、マクベスが「席がない」と取り乱す場面。過去記事でも書きましたが、シェイクスピア作品において、椅子に座ることは心のなかの玉座に座ること、自分の心という領土を支配する王になること。自分の席=精神をコントロールする力を亡霊にのっとられたマクベスは、正気を失って狂気におちいります。亡霊が見えず、マクベスがなぜ動揺しているのかが分からない臣下たちのなかで、マクベスだけが亡霊に向かって「貴様」と語りかけ、以下のセリフをいう。

血まみれの髪を
俺に向かって振り立てるな。
Never shake
Thy gory locks at me.

(97)

ダンカンを暗殺して王座を奪い、表向きはきらびやかな衣装で着飾って、国の頂点に君臨するマクベスは、誰もがうらやむ栄華の極みにいる。けれど、心の中では自分にしか見えない亡霊におびえ、罪悪感に苦しみ、正気を失って震えている。その震えが、ここでは亡霊が髪を振り乱す姿に投影されています。亡霊が髪を振り乱すのは、それを見ているマクベスの心が激しく乱れているから。この戯曲では、表面的な華やかさと、内面に隠した悪魔的な性質の乖離が、キーワードである〈fair美しい〉と〈foul卑劣な〉の対比と重ねられます(この詳細は「バナナフィッシュ」読解をご覧ください)。そしてこの落差、shakeする振れ幅が広くなるほど、マクベス夫妻の心は引き裂かれ、狂気が悪化し、破滅に近づいていきます。

2-5 震えるものか

以下もマクベスがバンクォーの亡霊に向かって挑みかかるセリフ。マクベスはここで亡霊に、熊でも犀でも虎でもいい、姿を変えて現れろといって下記のように続けます。

その姿でさえなければ、俺の五体は筋金入りだ、
震えるものか。もう一度生き返り
剣を取って荒野で挑んでこい。
そのとき俺が震えでもしたら、乳臭い小娘と
ののしるがいい。消えろ、不気味な影!
幻め、
Take any shape but that, and my firm nerves
Shall never tremble. Or be alive again
And dare me to the desert with thy sword.
If trembling I inhabit then, protest me
The baby of a girl. Hence, horrible shadow!
Unreal mock’ry, hence!

(101)

マクベスは、バンクォーの亡霊が血まみれの髪をshake振り乱す姿を異様に怖がる。それなら凶暴な獣の方がましだ、あるいは人間として生き返って仕返しに来い、それなら自分はnever tremble震えずにすむのだといいます。マクベスは亡霊が自分にしか見えない不気味な影、罪悪感からくる幻影であることを自覚している。亡霊が髪を振り乱すのは、自分の心が震えているからだということにも気づいているのだけれど、それを認めてしまったら終わりだから、どうにか抗おうとする。亡霊=幻覚に向かって震えるなと叫びながら、彼は自分に向かって震えるなといっているようにも思えます。
 
以下は物語の後半、マクベスが、敵の襲来を恐れながらも、「女から生まれた者には殺されない」という魔女の予言を信じようとするときのセリフ。

俺を導く理性も、俺の心も
疑惑に挫けたり、恐怖におののいたりはしない。
The mind I sway by and the heart I bear
Shall never sag with doubt nor shake with fear.

(160)

勝つか負けるか、生きるか死ぬか、希望と恐怖に揺らぎながら、自分は震えないのだと強がりを言う場面でも、shakeが使われています。こうして抜き出してみると、『マクベス』でも〈震え〉が鍵になっていることが分かりますね。主人公の震える姿が、悪意と良心、欲望に屈する弱い心と、道徳的な罪悪感に引き裂かれ葛藤する精神状態、一国の頂点にのぼりつめながら、殺人の罪がいつ暴かれるかと怯える心を象徴している。shakeやtrembleは、fairとfoulに引き裂かれ、「きれいは汚い、汚いはきれい Fair is foul, and foul is fair.」(10)と揺らぐマクベスの心を表現する言葉といえるのではないでしょうか。

3 『ジュリアス・シーザー』

3-1 震える神さま

『ジュリアス・シーザー』でも、shakeやtrembleが印象的な使われ方をしています。以下は、今は民衆の頂点に立ち、次期王とも目されるシーザーの若いころの出来事を語った一節。現在は威風堂々たる姿で国を支配しようとしているシーザーも、かつては「ひよわな意気地なし」(25)で、「いぬ並みの惨めな体たらく」であり、「熱病に罹った」ときの様子は以下のようであったのだという。

ガタガタ震えた。嘘じゃない、神さまが震えたのだ。
How he did shake. ’Tis true, this god did shake.

(24)

今は神さまのように民衆から崇められている英雄が、shakeガタガタ震えていたというのが、その惨めさを伝えるための言葉として選択されています。
 
『ハムレット』では、王子が亡くなった父王について、神話で最強の英雄といわれるヘラクレスのように強くて偉大だ、男の中の男だったと回想する。けれど、実は先王もかつては王子と同じ、弱く未熟な若者だった。そこからノルウェイとの戦争という試練を経て立派な強い男性になった。これが神話のなかで、若い頃は狂気にとりつかれて過ちを犯したが、試練に打ち勝って立派な英雄に成長したヘラクレスと重ねられているのではないか、という考察については、以下で述べた通り。

『ジュリアス・シーザー』にもこれと似た考え方が示されています。誰もが若い頃には未熟者であり、試練を経て立派な英雄へと成長する。その若いころの未熟さを表現するために、shakeという言葉が使われています。

3-2 揺さぶり落とす

下記はキャシアスが、暗殺によってシーザーを玉座から引きずり降ろしてやるという決意を述べたセリフ。

シーザーの椅子が安泰なら、俺たちが揺さぶり
落としてやる
 let Caesar seat him sure,
For we will shake him

(37)

この言葉の直後、場面が変わってすぐに雷鳴と稲妻が起こり、嵐が以下のように表現されます。

大地が根底からゆるみ、
がたがた震えたんだぞ
when all the sway of earth
Shakes like a thing unfirm?

(37)

〈椅子・玉座〉と〈震え〉、さらに国に動乱が起こることが、天候の悪化と大地の震えとして表現されるのも、先に見た『マクベス』と同じですね。場面の切り替え前後に、キーワードや鍵となるモチーフを重ねて印象付けるのもシェイクスピア作品にしばしば見られる手法。私は普段は日本語で読んでいるので、見落としている言葉もたくさんあると思いますが、英語で読んだり観劇したりすれば、立て続けにshakeが繰り返されるのは、やはり印象に残るのではないでしょうか。

3-3 おののくのが人間

以下は、キャシアスらがクーデターを企てていることに、天が人身を切り裂く稲妻を起こして反応し、そこに身を投げ出したと語るキャシアスをキャスカがたしなめるセリフ。

恐れおののくのが人間の役目だろう
最強の神々があんなものすごい伝令を異変の先触れとして
送ってよこし、我々の肝を潰させるときは。
It is the part of men to fear and tremble
When the most mighty gods by tokens send
Such dreadful heralds to astonish us.

(41)

先にふれたように、この戯曲でシーザーは神にも例えられる偉大な存在。天が起こす稲妻は、シーザーの怒りと重なります。そんな偉大な力の前ではtremble恐れおののくのが人間というものなのに、キャシアスは無謀にもひるむことなく立ち向かおうとしている。そんな傲慢さを戒めるセリフ。この後キャシアスはシーザーを殺害しますが、それからも偉大なシーザーの亡霊に苦しめられ、最後には屈していく。上記はその伏線にもなっています。
 
先に見た『マクベス』では、主人公がshake震えながら大変な事件を起こしていく。〈震え〉は悪いことが起こる予兆ですが、同時に、人知を超えた力を恐れて震えずにはいられない未熟さや弱さこそが人間らしさでもある。本当は怖いくせに震えるものかと虚勢をはって、身の丈に合わない陰謀を企て、偉大な力に歯向かっていったキャシアスもまた、最後には身を亡ぼすことになる。シェイクスピアは〈震え〉を、困難にぶつかるたびに迷い、人間離れした力に慄く、人間のちっぽけな性質を表す言葉として使っているように思います。

3-4 阿呆のロバ耳

以下は、アントニーがレピダスを馬鹿にするセリフ。

そうなりゃ背中も頭も空っぽのロバよろしく
耳を振り振り野っ原で草でも食ってるだろう。
Then take we down his load and turn him off
(Like to the empty ass) to shake his ears
And graze in commons.

(134)

ロバは阿呆foolの象徴。ちっぽけな人間=阿呆がshake震える者であるのは、『リア王』の考察でもふれたとおり。耳を振り振りって、ちょっとかわいいですけども・笑。

3-5 引き裂かれる友情

以下はブルータスとキャシアスが喧嘩をして、一時的に心が離れる場面で、ブルータスがキャシアスにいうセリフ。

君がどれほど
癇癪持ちかを見せつけ、下郎どもを震え上がらせろ。
Go show your slaves how choleric you are
And make your bondmen tremble.

(143)

このtrembleは、表面的には奴隷・下郎を脅し、震え上がらせるという意味ですが、ブルータスとキャシアスが仲たがいして、心が引き裂かれているときに使われる点に注目したい。シェイクスピア作品では、人と人の仲や心がバラバラになることから破滅がはじまることは、過去記事でも何度か触れたたとおり。この後二人は和解し、一丸となってシーザーの後継者との闘いへと向かっていきますが、二人は負けてしまう。ここで出来た亀裂は、そんな結末への伏線であり、そこに震えがある。『ジュリアス・シーザー』でも、shakeやtrembleが、未熟な心や、天地を揺るがす政変、人々の心を引き裂く予兆を表す言葉として使われていることが分かりますね。

4 『リチャード三世』

4-1 恐怖

『リチャード三世』は、リチャードの悪魔的な所業がこれでもかと描かれる物語。王になるという自らの野心を叶えるために、兄弟や幼い子供たち、自分に尽くしてくれた臣下や美しい女性など、罪なき人々を容赦なく殺してしまう、どこまでも残酷なストーリーです。そんな彼の悪魔ぶりや恐怖を表すのに、やはりshakeやtrembleが使われている。以下は悪魔のような男リチャードが現れたときに、アンが震え上がる護衛たちに向かっていうセリフ。

まあ、震えているの? みんな恐いのね?
でも、責められはしない、お前たちは人間だもの。
人間の目に悪魔は見るに耐えない。
What, do you tremble? Are you all afraid?
Alas, I blame you not, for you are mortal,
And mortal eyes cannot endure the devil.—

(23)

先に見た『ジュリアス・シーザー』で、キャシアスが稲妻の前では震えるものだといわれていたのと同じ考え方。弱くちっぽけな人間は、人知を超えた存在の前では、恐ろしくて震えてしまう。リチャードは見た目も醜く、性格も悪魔のような男だから仕方ないわね、という間接的にはリチャードへのあてこすり。

4-2 殺人

以下では剣を振り下ろすしぐさ、人殺しの瞬間を示すのにshakeが使われています。

幼い弟ラットランドが、陰険なクリフォードの振り下ろす剣に
哀れなうめき声をあげたとき
To hear the piteous moan that Rutland made
When black-faced Clifford shook his sword at him

(30)

4-3 高い樹を揺さぶる風

マーガレットは新米貴族に位を失う惨めさを説くとき、以下のように言います。

高々とそびえる樹ほど風当たりは強い
They that stand high have many blasts to shake them

(55)

表面上は新米貴族への忠告ですが、これをその場にいたリチャードへのあてつけと解釈してもいいと思う。リチャードは後に王位にのぼりつめたあと、リッチモンドに攻撃されて転落し、破滅する。上記はそんなリチャードの運命の予言にもなっています。傲慢な心で、人の命を奪ってまで身の丈に合わない高みへ昇りつめようとした者は、いつか神や周囲の人々の怒りにふれ、揺さぶられて倒される。そんな世の理がshakeで示されています。

4-4 震える悪魔

物語が展開し、リチャードの悪事がますます酷くなっていくと、リチャードは身の危険を感じるようになる。そこでリチャードと臣下のバッキンガムは、身を守るために市長や市民の前で恐怖に襲われて半狂乱になった振りしてみせます。二人はロンドン塔の城壁の前で、わざと錆びた不格好な鎧を身につけ、大げさに震えてみせる演技をする。以下はその段取りを打ち合わせる場面。

おい、うまくやれるか? 身を震わせ、顔色を変える(略)
恐怖に襲われて半狂乱といったふりが?(略)
深刻ぶった悲劇役者の真似などお安いご用。(略)
ぶるぶる震え、藁しべ一本揺れてもぎょっとする
Come, cousin, canst thou quake and change thy color, …
As if thou were distraught and mad with terror? …
Tut, I can counterfeit the deep tragedian, …
Tremble and start at wagging of a straw

(145)

この戯曲はリチャードが周囲の人々の命をためらいなく奪っていく、どこまでも凄惨な物語ですが、上記の場面ではリチャードの悪魔ぶり、狂気ぶりが大変滑稽に描かれています。以下でもふれた通り、シェイクスピア作品では、演じることは操り人形になるということ。リチャードは悪魔に心を操られる愚者であり、それは道化・foolであることとイコールで、残酷さが極まるほど、滑稽さも比例して増していく。心が分裂している愚者は二人組で現れるのがお決まりで、バッキンガムはリチャードの鏡像の役割を担う。

表面的には身を守るために演技をしている設定ですが、深層ではリチャードがバッキンガムという鏡像を通して自分の中にいる悪魔と対峙し、それに震えているとも読めます。リチャードのなかにいた悪魔が、バッキンガムの方に乗り移る、外側に出てくることで、リチャードは人間らしさを取り戻して恐れおののく。錆びた鎧は、悪魔の醜さや現実とのズレを強調するもの。自分の中の悪魔的な資質に揺さぶられ、誰よりも震えているのは、実はリチャードその人なのではないでしょうか。

5 『アントニーとクレオパトラ』

5-1 運命に振り回される

『アントニーとクレオパトラ』では、アントニーがクレオパトラに恋した瞬間が以下のように語られます。

(陸にいる)市民たちは
その(美しいクレオパトラの)姿をひと目見ようと繰り出し、街は空っぽだ。
アントニーはただ一人市場の玉座に座ったまま取り残され、
空に向かって口笛を吹いていた

(74)

クレオパトラの美しさに魅せられて、アントニーが思わず吹く口笛が、一本の線となってクレオパトラの方へ伸びていく。それが操り人形の糸となる。この瞬間、アントニーは惚れた弱みで、クレオパトラに操られる人形になり下がる(詳細下記参照)。

シーザーとの対決の際にも、ともに参戦したクレオパトラの船が逃げていくと、アントニーも「雌の尻を追う雄鴨のように、/まさにたけなわという戦を棄て、女のあとにくっついて逃げた」(153)。それで、味方の仲間たちからも呆れられ、見放される。そのときのことを、アントニーはクレオパトラに、以下のように嘆く(詳細上記リンク[10_ポローニアスが壁掛けの裏に隠れるのはなぜか?]参照)。

俺はお前の舵に心の琴線でくくりつけられている、
お前に引かれてゆくしかないのだ。
俺の魂も完全にお前に支配されている、
お前が手招きひとつすれば、俺は神々の命令に背いても
お前のもとへ駆けつける

(160)

その後アントニーは、クレオパトラが死んだという偽の情報を信じ、後を追うため自殺する。剣を刺して血を流すアントニーは最後、瀕死の状態でクレオパトラのもとへ運ばれます。檀上にいるクレオパトラは、「魚を釣り上げているみたい! 私の旦那様の重いこと!」(233)といいながら、下まで運ばれてきた今にも死にそうな恋人を、侍女たちに手伝わせて自分のところまでひきあげようとする。この戯曲でアントニーは、クレオパトラに振り回されて運命を狂わされ、醜態をさらし、最後はクレオパトラの魚釣りごっこのおもちゃにされ、情けない姿で死んでいきます。リチャード三世は悪魔の操り人形でしたが、アントニーは愛人クレオパトラという運命の女神の操り人形なんですね。
 
対するクレオパトラは、アントニーが自分の嘘のために死んだ後も、悲しみはしても、正気を失うことも、直ちに恋人の後を追って死のうと考えることもありません。クレオパトラは最後には自分の意志で自殺をしますが、それは恋人アントニーの後を追うためというより、エジプト女王としてのプライドを守るため。シーザーに捕らえられて醜態をさらすことはできないという判断によるもの。生死の決断の主軸はあくまで女王としての地位にあり、恋愛は従属的なものにとどまっている。
 
この物語は恋人クレオパトラに振り回されて命を落とすアントニーと、恋人に振り回されることなく、自分の女王としての誇りをかけて死んでいく、揺るぎない強さを持つ女王クレオパトラの対比がひとつの読みどころ。この対比がshakeを使って示されています。以下は敵方の臣下がクレオパトラに敬意を表する言葉。

英知と運命が闘うとき、英知が全力で当たれば、
どんな運命にも振り回されません。
Wisdom and fortune combating together,
If that the former dare but what it can,
No chance may shake it.

(172)

一国の女王として強い意志を持つクレオパトラは、恋人や運命にたやすく操られたりはしない。この戯曲の要となる主人公二人の対比が、shakeという言葉を使って示されています。クレオパトラは最後、シーザーに「山車に乗せられ見世物になる」(262)、シーザーに引っ張りまわされるのは絶対に嫌だという言い方をして死を選ぶ。この作品では、目には見えない口笛や心の琴線と、目に見える魚釣りの糸や山車が、操り人形の糸と重ねられ、それをshake振り回すイメージがあるのも面白い。これについては改めてまとめます。

5-2 心の揺れは大地の揺れ

以下はクレオパトラがアントニーの不実を責め、信じられないと嘆く場面。

たとえ天にまします神々を揺るがすような声で誓っても無理——
Though you in swearing shake the thronèd gods—

(32)

注釈によれば、ジュピターが誓うと、神々の住むオリンポスの山が振動するとされたことを踏まえている、とのこと。シェイクスピアが使うshakeの基本には、神話において、重大な場面で山や大地が震動するイメージがあるんですね。ここでは神々を揺るがすイメージが、動揺するクレオパトラの心情や、揺れ動くクレオパトラとアントニーの恋愛関係と響きあいます。
 
以下は上記と呼応して、アントニーの死後、クレオパトラが恋人をしのんで言う言葉。アントニーが生きて、正妻と自分のあいだをふらふらしていたときには、上記のような嫌味をいっていたけれど、武将としては天地を震わすような偉大な人物だったと称えています。

天地をおののかせ震えあがらせようとするときは、
届き渡る雷鳴だった。
when he meant to quail and shake the orb,
He was as rattling thunder.

(251)

以下はシーザーがアントニーの死を嘆く場面。

あれほど偉大なものが破滅するなら
轟音が響きわたるはずだ。丸い地球が振動して
都市の街路に南東ものライオンを解き放ち、
市民をその巣穴に追い込むだろう
The breaking of so great a thing should make
A greater crack. The round world
Should have shook lions into civil streets
And citizens to their dens. 

(239)

偉大な人物の死が、神々が住む山や地球、大地を揺るがせるようなイメージで表現されています。地球や大地の意味は、以下でも考察したとおり。大地は登場人物の心、内なる世界の象徴であり、地震は精神が激しく動揺することを意味します。ローマの頂点に立つアントニーと、エジプト女王クレオパトラの、地中海を挟んだ恋と戦いの物語が、地球という壮大なイメージとともに語られる。その心の震えが、大地が震えるイメージや、shakeという言葉で表されていますね。

5-3 性別の揺れ

この作品では、クレオパトラがアントニーを「酔わせて寝かしつけた、/それから私のティアラをかぶせ、マントを着せ掛け、/私はあの人の名剣フィリパンを腰につけた。」(84)という場面があります。男女の服と武器を交換する。注釈によれば、「アントニーに女装させたわけだが、これは、リディアの女王オムパレが奴隷としたヘラクレス(アントニーの先祖とされる)に女装させて侍らせたという逸話を想起させる」とのこと。
 
また別の場面では、クレオパトラが戦地に「私は男として/出陣する」(144)と宣言する。アントニーの男性の臣下が「私たちを女にしないでください!」(187)といったり、クレオパトラが率いる兵士たちが「我々は女どもの部下なのだ」(148)といったりする。クレオパトラは女性でありながら、男性ばかりの軍を率いて勇敢に戦地へ出ていく。(そのあと逃げてしまうという卑怯な一面もありますが、これについては改めて)
 
クレオパトラは死を覚悟したとき「私の中の女は消えた。もう頭から爪先まで/大理石のように揺るぎはない。もう変わりやすい月は/私を支配する星ではない。」(264)と宣言する。クレオパトラは類まれなる美しさと、他国の男性支配者たちと対等に渡り合う、一国の女王としての強さを併せ持つ人物。それをシェイクスピアは、上記の男装や性別にまつわるセリフで表現しています。
 
これが前回の記事[『リア王』他、シェイクスピア作品のshakeについて〈前半〉](上記リンク)で述べた『リア王』のリーガンの髭、ゴネリルと夫の糸巻き棒と武器の交換とも重なりあう。男性的、女性的というイメージをshake揺さぶり、ゴネリルとオールバニーのように入れ替わったり、リーガンやクレオパトラのように、両方の性質を併せ持つ者として表現されたりする。作中でクレオパトラはアントニーを「that great medicine」に例えています。注釈によれば、これは「錬金術師が非金属を金に変えるとされたelixir(錬金薬液)」(49)のこと。ここで金色に輝いているといわれているのは臣下のアレクサスですが、クレオパトラは自分の特徴を臣下に向かって鏡に反射させるようにいう癖がある(自分の震えを亡霊の震えに投影させていたマクベスと同じ)。アントニーとの恋愛によって、さらなる強さと美しさを手に入れ、男性性と女性性を併せ持つ者へ、錬金術的な統合を達成したクレオパトラ本人を示す表現ではないかと思います。

5-4 観客の頭をshake

対立物の一致、錬金術的な統合は、シェイクスピア作品の重要なテーマ。錬金術師が硫黄や水銀やelixir(賢者の石)を入れたフラスコをshakeすると、奇跡的に黄金に変わる。ならば、こうもいえるかもしれない。elixirとは、シェイクスピアが描く物語そのもの。フラスコとは、シェイクスピア作品を観る観客、戯曲を読む読者の頭のなか。作品を鑑賞し、頭のなかに衝撃的な物語やセリフを放り込まれ、shakeされることで、いままであたりまえだと思っていた価値観、男女、善悪、聖俗などの区別が混ざりあう。ひとときの混乱を経て、既存の価値観が変化し、今までとは少し違う角度から世界を見られるようになる。それこそが錬金術が目指す、精神の黄金につながるのではないか、と。

6 『ロミオとジュリエット』大地震

別の記事でもふれたことがありますが、『ロミオとジュリエット』では、乳母が以下のように語ります。

あの大地震からもう十一年 
Tis since the earthquake now eleven years
(ジュリエットは)あの日に乳ばなれなさった
she was weaned upon that day

(36)

シェイクスピア作品で、大地は内面の象徴。母(乳母)と一体だった赤ん坊が、乳母の胸から離れて自立する。その時の精神的な動揺が、大地の激しい揺れと重ねて表現されているのではないかと思う(詳細下記参照)。

また別の場面には、「きれいな足とまっすぐな脛と震える太股に賭けて By her fine foot, straight leg, and quivering thigh」(63)というセリフがあります。マキューシオが、過去の恋人ロザラインを忘れてジュリエットに心変わりしたロミオにかける言葉で、美しい女性に会うとすぐに心を震わせてしまう友人をからかうもの。この場面については次回考察します。

7 『冬物語』船のようにぐらり、ゆらり

前回見たとおり、『リア王』では、震えが冬の寒さとも結びつけられていました。『冬物語』はそのタイトルのとおり、前半で語られる冬の厳しい試練の時代を経て、後半で春のハッピーエンドがやってくるというストーリー。前半の試練の時代には、登場人物たちはみな精神的に不安定で、迷い揺らぐ姿が描かれています。
 
例えば、アンティゴナスは、王に不貞の疑いをかけられて処刑された(と思われている)王妃ハーマイオニが夢に出てきたといい、その様子を以下のように語る。

まるで目が覚めているような
あんなにはっきりした夢は初めてだ。頭を右に傾げ
左に傾げして、私に近づいてきた。まるで帆をいっぱいに張った船、
あれほど悲しみに満ち、しかも美しい人は見たことがない 
for ne’er was dream
So like a waking. To me comes a creature,
Sometimes her head on one side, some another.
I never saw a vessel of like sorrow,
So filled and so becoming.

(106)

美しい王妃が船のように左右に揺らぎながら近づいて来る鮮明な夢のイメージで、愛する夫に処刑され、生んだばかりの赤ん坊を捨てられる悲しみが印象的に表現されています。生か死か、愛か憎かと揺らぐ心情が伝わってきますね。この場面も次回のテーマを解く鍵になります。
 
同作には他にも、パーディタが、恋人との身分違いを恐れていう「震えてきます」(131)、青年フロリゼルのいう「僕たちは運命の奴隷、風の吹くままにもてあそばれる/ハエのようなものだ」(169)、カミローが、盗みがばれて捕まるのを恐れるオートリカスにいう「なぜそんなに震えている?」(175)など、未熟な若者が震える様子が描かれています。

8 シェイクスピア作品の震えや揺らぎ

シェイクスピア作品に〈震える shake/tremble/quake〉などの言葉が多いのは、舞台で演じるときに、観客に分かりやすいからということもあったかもしれない。恐怖や寒さ、怒りや迷い、大きな衝撃を受けたときの心の動揺が体の震えとして現れるのは自然なこと。だけれど、シェイクスピア作品の〈震え〉にはそれを超えたものがありますよね。服を脱ぐ、浅はかな知恵を振るい落とす、国に動乱が起こる、悪魔にとりつかれる、恋に落ちる、汚れを浄化する、運命に振り回されるなど、多様な意味に使われており、その多くが物語の核となる事柄にかかわっている。
 
なぜこんな奇妙な言い回しをと、首を傾げたくなるようなセリフもいくつかある。あえて意味の取りにくい言い方をすることで、シェイクスピアは観客の心をshake揺さぶろうとしているような気さえしてきます。それが、観客の価値観や常識に根底から揺さぶりをかけるという、舞台を見ること、物語を楽しむことのそもそもの目的とも結びつく。そのおおもとには、おそらく、神話の起源である豊穣祭祀、道化カーニバルで、日常空間を非日常化し、価値観を揺さぶり、ひっくり返して停滞したムードに活気をもたらし、翌年の豊作を願ったり、街に新しい風を吹き込んだりした歴史があるのだと思う。
 
シェイクスピア作品は、観客や読者の価値観を〈shake揺さぶる〉ために書かれたものである。さらにいえば、観客や読者の頭や心の中に凝り固まった価値観を〈shake揺さぶる〉〈spear槍〉である、というのが私の仮説です。というわけで、次回はシェイクスピアの〈spear槍〉について(シェイクスピア本名説を否定し、ペンネーム説を肯定するものではありません)。次回もぜひご覧ください。
 

今回の内容は、サリンジャーの「エズメに捧ぐ——愛と汚辱のうちに」の震えの記述とも結びつきます。詳しくは、以下よりご覧ください。


シェイクスピア『ハムレット』読解はこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー「エズミに捧ぐ——愛と汚辱のうちに」読解はこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー「コネティカットのひょこひょこおじさん/アンクル・ウィギリー」読解はこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。


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