15_シェイクスピア『ハムレット』解釈:ローゼンクランツが海綿なのはなぜか?
Q. ローゼンクランツが海綿なのはなぜか?
シェイクスピアの『ハムレット』では、王子がローゼンクランツを「海綿ふぜい sponge」(182)とばかにするセリフがありますね。なぜここで急に海綿の話が出てくるのでしょうか。本稿の解釈はこう。
A. 魚のように弱い心を持つハムレットの取り巻き役で、干からびる運命にあるから。
今回はもう一つ問いを。
Q. 『ハムレット』に描かれた二つのキャッチャーとは?
『ハムレット』には悲運と幸運をキャッチする、二つの相反する捕り手が描かれています。それは何でしょうか。
A. 命を奪う死神と、幸運を抱くフォーティンブラス。
今回はこの二つのポイントについて考察します。
シェイクスピア『ハムレット』読解をマガジンで連載しています。こちらの記事からでもお楽しみいただけますが、01から順番に辿る場合は下記よりご覧ください。
1 『ハムレット』魚と釣り
『ハムレット』で主人公がポローニアスに「魚屋だ」というセリフの意味については、以下で考察したとおり。脆く崩れて腐りやすい魚が、ハムレットやオフィーリアら、未熟な人間の弱い精神性と重ねられています。
上記でも述べた通り、魚がいるところには、魚を獲る漁師・釣り人もいる。獲られる側の魚と、獲る側の漁師・釣り人・キャッチャーはふとしたことで反転する。シェイクスピア作品では、互いが互いの魚になったり、漁師になったりする。下記では、誰もが誰かの操り人形であり、同時に人形使いでもある、鷹であり、同時に鷹匠でもあると述べました。これと同じことが、魚と釣り人との関係にも重ねられます。
ハムレットが亡霊に会って地獄めぐりを始めるのと同じころ、王子の分身的存在であるレアティーズは「乗船だ、乗船だ。/帆は風をいっぱいにはらんで/待っているぞ」(43)と船で旅立つことが強調されますね。二度繰り返されるのは悪い兆候で、レアティーズとその分身ハムレットが世間の荒波に翻弄される者になることを示します。また、オフィーリアが「人魚のようにたゆたいながら」「水に生まれ水に棲む生き物のよう」(223)に死んでしまうとき、ハムレットは「水夫のコートを羽織り」(244)、命の危機を脱して、船で国へと帰還する。
さらに、この作品には釣りのイメージがいくつか出てきます。「王を食った蛆虫を餌に魚を釣り、その蛆を食った魚を人が食うかもしれない」(185)という言葉の意味は下記で考察したとおり。
ポローニアスは出まかせをいって息子レアティーズの行動を探ることを、「嘘の餌で真実の鯉を釣り上げる Your bait of falsehood take this carp of truth」(73)と表現する。また大廊下の場面では、ハムレットの本音を釣り上げるために、「娘を放してみましょう I’ll loose my daughter to him.」(89)といいます。
ハムレットは、ポローニアスのそんな思惑に気づいているからこそ、この直後にポローニアスに向かって「魚屋だ」という。このとき、ハムレットは自分の本音という魚が、ポローニアスという釣り人に狙われていると勘づいている。餌であるオフィーリアを目の前にぶら下げられて、わざと自由に泳がされ、食いつくのを待たれている。そのことへの不快感が、ハムレットのとげとげしい口調に現れています。
2 ホンネを釣り上げろ
この本音を釣り上げるという表現が、ハムレットが芝居によってクローディアスの悪事を暴こうとする場面と鏡映しになる。ハムレットは、「罪を犯した者が芝居を見ているうちに/真に迫った舞台に/魂をゆさぶられ、/その場で犯行を自白したという」(113)話を思い出し、「殺人そのものに口はないが/不思議な力の働きでひとりでに語りだすものだ」(114)と考えて、役者たちに先王殺しの場面を演じさせ、クローディアスの反応を見るという作戦を思いたつ。
ハムレットが「芝居だ。/この罠で王の罪の意識をあぶり出してみせる」(114)「隠れた罪を/巣穴から追い出す」(133)というとき、クローディアスが隠している罪や悪意は、脆い魚から、より強い獣のイメージへ変わっています。
王もまた、ローゼンクランツとギルデンスターンという餌を撒いて、ハムレットの真意を探ろうとしますが、思い通りにはいかない(115)。互いに餌を撒き、釣り糸を垂らし、罠を仕掛け合って、心の奥底に隠した罪や企みを暴きあおうとする義父と息子の心理戦が繰り広げられていきます。『ハムレット』は親世代と子供世代、父と息子の対決の物語としても読めることは過去記事でふれてきたとおりですが、それが釣り/狩りという形で表現されているんですね。
義父たちがハムレットの中から釣りだそうとする本音、ハムレットがクローディアスの中からおびき出そうとする悪意は、下記で見た心の奥深くでいまにも暴れ出しそうな狂ったヘラクレス、うるさく鳴き声をあげる猫や犬とも重なりあうように思います。
周りの人たちに隠している本音や秘密、子供っぽい欲求から殺人などの重い罪、あるいは自分でも気づかないような深層心理まで、ふとした瞬間に釣り上げられてしまう。これが以下でみた、「運命の女神の笛になって/いいなりの音を出す」という表現とも結びついていくのではないでしょうか。
3 海綿ふぜい
ハムレットがローゼンクランツを「海綿ふぜい sponge」(182)というのも、さりげないけれど面白いですね。ハムレットはここで、王の手下=餌となって自分にまとわりつき、本心を探り出そうとする友人たちを海綿に例えてけん制している。こんなお粗末な餌には喰いつかないぞ、という意思を示している。同時に、自分もまた魚のように脆く弱い心を持つ未熟者である、それを自覚していることを間接的に白状してしまってもいる。
ハムレットは「スポンジ野郎」という言葉に、皮肉を込めたユーモアの餌をつけて、自分を裏切った友人の本音を逆に探り出すべく釣り針を投げ返す。けれど、その餌に釣りだされたのは、他でもないハムレット自身の本音、というか弱音。敵に向かって投げた釣り針が、鏡に反射して自分にはね返ってくるという、なんとも秀逸な表現だと思う。
4 干からびる海綿
神話において、雨や洪水は大地を浄化し豊饒をもたらすもの。T.S.エリオットの『荒地』でも、荒れ果てた大地を行く苦しさが「ここは岩ばかりで水がない」「ひからびた貯水池や水のつきた井戸」と描写されたあと、最後に雷がとどろき、雨の気配が訪れるのが救いになる。
シェイクスピアも、恵みの雨や洪水をさまざまな作品に描いていますね。『アントニーとクレオパトラ』ではナイル川の氾濫について記されていますし、『ハムレット』では、レアティーズの反乱が「大津波が堰を切って押し寄せ/一挙に大地を呑みつくすように」「烏合の衆は彼を王と呼び/いまこそ新たな世界が始まると言わんばかり」(200)と記され、発狂したオフィーリアは「お墓に涙の雨が降る」(205)と歌って水死する。
ハムレットと墓掘りは「人間は生まれてから腐るまでどのくらいかかるのかな?」「大抵は八、九年てとこかな。革なめし屋だと九年は大丈夫だ」「商売がらてめえの革がなめしてあるから、長いこと水をはじくんだ。なんせ死体を腐らす張本人は水だからな」(234)という会話をする。水がある方がはやく腐り、水をはじく革は腐りにくい。水夫のコートを羽織るハムレットや、水死するオフィーリアら、魚に例えられる者たちは脆く崩れやすいけれど、はやく母なる海や川、水に還って浄化され、再生へ導かれる者でもある。
一方、ハムレットはローゼンクランツのことを「王の寵愛や恩賞や権威を吸い取る海綿だ」、王は海綿のような者たちが「集めたものが必要になれば、ぎゅっと絞り上げるまでのこと。そうすれば貴様ら海綿はまたもやかさかさに干からびるというわけだ」(182)と皮肉をいう。これは、ローゼンクランツやギルデンスターンのような、友を裏切り、汚れた王に取り入って目先の利益を得ようと考える浅はかな心の持ち主は、利用されるだけされたあとには干からびて朽ちてしまうだけ。恵みの水で洗われて、再生に導かれることはないという意味にとれます。
この後、ローゼンクランツやギルデンスターンは、ハムレットが書きかえた勅書によって処刑される。最後に死ぬという意味では、ハムレットやオフィーリアらと同じですが、かさかさに干からびた彼らには救いがない。そんな風に考えると、「海綿 sponge」という軽い冗談のような罵り言葉も、深刻な呪詛の言葉のように思えてきます。
5 地球の真ん中から
ポローニアスは、ハムレットの発狂の原因について王に、「手掛かりさえあれば、真相を/探り出してご覧に入れます。たとえ地球のまん中に/隠されておりましょうと If circumstances lead me, I will find/Where truth is hid, though it were hid, indeed,/Within the center.」(88)という言い方をします。このセリフでは、ハムレットの本心が地球のまん中、地底に埋められているイメージで語られていますね。王子の本音が海の魚に例えられたり、クローディアスの罪が巣穴に隠れた動物に例えられたりしているのは前述のとおりですが、それがさらに奥深く、地球のまん中にまで降りていく。
また、ハムレットは、ホレイショーのような、「運命が下す打撃も恩賞も/等しく感謝の心で受け止め」て「激情の虜にならない」性質を「心の中心に、心の奥底にしまっておこう In my heart’s core, ay, in my heart of heart,」(133)といいます。心の奥の奥に、核のような領域がある、という感覚でしょうか。
さらに、壁掛けの裏に隠れてちょろちょろ動き回り、ハムレットの動向を探ろうとするポローニアスやクローディアスを、ハムレットは「鼠」と呼びますね(144・164・178)。先王の亡霊に対しては、「モグラ先生。地下でも素早く動けるんだな?/大した坑夫だ old mole. Canst work i’ th’ earth so fast?—A worthy pioner!」(66)と呼びかける。いずれも陽の光の当たらない場所、暗闇や目に見えない場所でうごめく不気味な存在を想起させます。
これは、ハムレットがポローニアスを殺した直後、死体に対して「でしゃばりな阿呆」「お前の主人と間違えた」(164)とつぶやくこと、ポローニアス自身が、もしも娘のオフィーリアを安売りすれば「バカを見るのはこのわしだ Me a fool.」と自らをfoolに例えることとも呼応している。〈fool・阿呆・道化〉もまた、目には見えない場所でうごめくもう一人の自分。分身や深層心理といわれます。
ハムレット自身が内面化している象徴的父たちが、壁掛けの裏でうごめく鼠や、地中でうごめくモグラ、坑夫のイメージと重なり響きあう。これが[05_したい放題するヘラクレスとは?](上記リンク)でみた、ハムレットの敵が、父たちから自分自身、兄弟へと移り変わっていくことと呼応する。
ハムレットがオフィーリアに、「お前の親父はどこにいる?」家に「しっかり閉じ込めておけ、よそへ行って馬鹿な真似をしないようにな」(124)といい、ポローニアスを殺してしまった後、「うろちょろすると危ない目に遭うんだ」(164)というのは、鼠としてのポローニアスが、ハムレットの心の奥深くでうごめく象徴的父たちの投影だからかもしれない。モグラや鼠は後にハムレットが「したい放題するヘラクレス」というものと重ねられ、「しっかり閉じ込めておけ」というのは、それらが「したい放題」しないように抑え込もうとしているから、という解釈もできると思う。
6 『トロイラスとクレシダ』引力
『トロイラスとクレシダ』では、クレシダがギリシャ軍にとらわれ、恋人トロイラスと引き裂かれることを嘆いて、二人を結び付けたパンダロスが「深い地の底に生き埋めにしてくれ!」と叫ぶ。そして、クレシダが次のようにつづけます。
私の愛の堅固な土台と建物は、
地球の中心のように、
万物を引きつけている
魔性の女クレシダが引きつけている万物とは、トロイラスの心であり、敵であるギリシャ軍の男性たちの心。多くの男性を虜にする魅力が、ここでは強い引力を持つ地球の中心に例えられています。シェイクスピア作品で、地球の中心は心の中心とつながっている。すると魔性の女は、男性たちの心の奥深くに居座り、彼等の運命を左右する究極の女神、ユングのいうアニマ、男性の中にある女性性とも重ねられるのではないでしょうか。
7 『アントニーとクレオパトラ』魚釣り
[10_ポローニアスが壁掛けの裏に隠れるのはなぜか?](上記リンク)のなかで、『アントニーとクレオパトラ』では、クレオパトラがアントニーにとっての運命の女神だと述べました。また、[11_笛が鳴らされないのはなぜか?](上記リンク)では、クレオパトラ=運命の女神が操る糸が、口笛にも例えられていることを確認しました。
この作品では、クレオパトラが瀕死のアントニーを魚釣りに見立てて釣り上げる場面があります。運命の女神クレオパトラは釣り人、釣り上げられるアントニーは魚。この場面については改めてまとめますが、釣り人と魚の関係も、人形使いと操り人形と同じ。釣り糸は操り人形からつながる糸、口笛と重なる。クレオパトラは、アントニーの心の奥深くにいた究極の女神・理想の恋人像が具現化した人物。理想の恋人=運命の相手と現実に出会ってしまったとき、相手は彼の運命を左右する女神=釣り人になる。クレオパトラはアントニーにとっての運命の相手=釣り人であり、そんな相手と出会ってしまったアントニーは、彼女の前ではただ釣られるだけの無力な魚になってしまう。
『アントニーとクレオパトラ』のクレオパトラと、『トロイラスとクレシダ』のクレシダは同じ。愚かな魚を引き寄せて釣り上げる魔性の女、運命を操る究極の女神。彼女たちは永遠の少年を呑みこもうとする母なる大地・海とも結びつき、運命の女神が操る人形の糸=釣り糸は、地球の中心から伸びる引力とも重なります。
8 大地に還るトロイの城壁
『トロイラスとクレシダ』では、クレシダがギリシャ軍の男性と浮気をし、それをトロイラスが目撃する。トロイラスが失恋に心を痛めるのと並行して、戦争でもトロイ軍がギリシャ軍に倒される。トロイの名を持つトロイラスの心が崩れるのと同時に、トロイの城壁も崩れ落ち、大地に還る。
このトロイア戦争でトロイの城が崩れる場面が、『ハムレット』の中でも語られる。旅役者が王子の前で以下のように朗読します。
ここぞとばかり駆け寄るピラス、怒りこめたる一刀は
狙いはずれて空を切るも、激しき太刀風に煽られて、
脆くも王は倒れたり。五感持たざるトロイの城も
この一撃を感じてか、燃え盛る櫓もろともに
一挙にどうと崩れ落ち、大地も揺らぐ轟音に
ピラスは耳を聾されり
これが、心のなかに積み上げた世界観が崩壊し、大地に還ることを暗示しているのではないか、という解釈については、過去記事でみてきた通り。シェイクスピアの劇団、グローブ座の表象は天球globeを担いだヘラクレス。劇中、ハムレットはヘラクレスに例えられ、「狂った頭 distracted globe」(61)という言葉が、ヘラクレスが担ぐ天球と結びつくことは、すでに指摘されています。トロイの城壁が崩れる際の大地の揺らぎは、ヘラクレスが肩に担ぐ globe が動揺することでもある。トロイラス=ハムレット=ヘラクレスの頭や心が揺れて崩れることだといえるのではないでしょうか。
心の奥深くには主人公にとっての運命の女神・アニマがいて、それが彼を引っ張りまわし、最終的には破滅させ、彼が築き上げた世界観を崩壊させて、大地へと呑みこんでしまう。それが、運命の女神に釣られ、もろく崩れて母なる海へ還る魚とも重ねられる。これが、ユング派の神話学者がいう、グレートマザーが永遠の少年を愛人とし、抱き込んで大地に還らせるイメージとも呼応するように思います(参考:下記、参考文献:『意識の起源史』エーリッヒ・ノイマン、林 道義訳)。
9 墓掘りが掘り出すもの
戯曲の序盤に、ハムレット自身が「地獄があんぐり口を開け」(37)といっているように、憂鬱症にとりつかれ、他の人たちには見えない亡霊が見えるハムレットは、すでに地獄を彷徨う者になっている。パラレルワールドにいるという解釈については、下記で示しました。ハムレットが地獄めぐりをすることは、自らの深層心理をめぐることとも重なるでしょう。
「地獄があんぐり口を開け」(37)は、「墓はあんぐり口を開け」(153)と対になっていて、シーザー暗殺の際には「墓という墓は空になり、経帷子を纏った死人の群れが/金切り声を挙げてローマの街をうろついた」(17)という言い伝えや、ハムレットが亡霊を見た際の「墓が重い大理石の口を開け、/再び死者を地上に吐き出したのか?」(51)という驚きの言葉、「大地の胎内」(18)「土に還られた/お父さま」(26)「土に還してやった、もとは一緒だからな」(181)といった表現とも響きあい、後半の道化二人がオフィーリアの墓穴を掘る場面へと結びついていきます。
本音や秘密、過去に犯した罪や、自覚していない深層心理、理想の恋人像が、心の奥深くの例えである地球のまん中、地面の下に埋まっているのだとしたら、墓掘りが大地を掘りおこし、地中から頭蓋骨、かつてglobeだったものを取り出す行為は、心の奥深くに沈めていたそれらの記憶や感情を明るみに出すことなのかもかもしれない。それが、法律家の頭やヨリックの頭蓋骨を通して、父の言葉という呪い、父の影と重なりあう。
[02_クローディアスが黙劇に反応しないのはなぜか?](上記リンク)で述べたように、『ハムレット』には光と闇、此岸と彼岸のパラレルワールドが描かれているのだとしたら、「地獄があんぐり口を開け」(37)は、「墓はあんぐり口を開け」(153)に加えて、墓掘りが地面を掘り返す場面で、この二つの並行世界、地上と地下、此岸と彼岸、意識と無意識の境界線が揺らぎ、二つの領域が混ざり合うような感じがしますよね。生者の世界と亡霊の世界が同時にあるようなひとときを経て、ハムレットは大地へと還っていく。
続けて歌わなきゃ駄目、あなたは「ずん、ずん、ずん」よ、それからあなたは「呼んでごらん、ずん」ってね。ああ、糸車の調子にぴったりね。
You must sing “A-down a-down”—and you “Call him a-down-a.”—O, how the wheel becomes it!
発狂したオフィーリアはこう呼びかける。運命の糸車が回転する「ずん、ずん、ずん A-down a-down」は、大地へ、地中の奥深くへ、心の奥底へと降りていく言葉としても読める。
俺は胡桃の殻に閉じ込められても、無限の宇宙を支配する王者だと思っていられる——悪い夢さえ見なければ
I could be bounded in a nutshell and count myself a king of infinite space, were it not that I have bad dreams.
これはハムレットの言葉。胡桃の殻 nutshell も globe のバリエーションかもしれない。憂鬱にとりつかれて、心の奥へ奥へ、さらに奥へとどこまでも降りていき、閉じこもる。自分がどこまでも沈んでいく感じがして、地獄のふたがあく。
10 奈落の底へ
物語の中盤、ハムレットは以下のように言って現実を憂います。
地球という見事な建造物も、海に突き出た崖っぷちにしか見えない
the Earth, seems to me a sterile promontory
引力に引き寄せられて、崖から落ちれば海の中。それは魚になることとも言えるでしょう。さらにこの後、役者が朗読として以下を読み上げる。
失せよ、失せよ、運命の女神、心なき女郎め!
天に集う神々よ、女神の力を奪いたまえ
運命の車輪の輪も輻も微塵に打ち砕き
天界の峰の頂きより
奈落の悪鬼に打ち投げたまえ
天界の峰の頂から運命の車輪が投げられるということは、栄華を極めていた人物の運命が急降下して打ち砕かれるということ。好青年で前途洋々だった王子ハムレットが、ふとしたきっかけで悲劇に巻き込まれていく、この戯曲全体を予言するかのような表現ですね。神話において、イカロスのような未熟者は急上昇ののち、墜落死するのが宿命。前々回見たオイディプス王もこのパターンでした。峰の頂から奈落の底に投げ落とすイメージは、海に突き出た崖っぷちから転落するイメージと重なりあう。
悪鬼がいる場所といえば地獄。先王の亡霊がその苦痛を語って聞かせる、地獄の苦しみとも結びつく。『ハムレット』では、峰の頂から地獄へ堕ちること、運命の車輪が奈落へ投げ落とされることと、崖から落下すること、大地へ還ること、墓穴へ埋められること、魚になって海へ還ることもまた、つながっているのではないでしょうか。
11 キャッチャーになりたい
良心や、善悪を判断する能力を意味する〈conscience〉という言葉が、『ハムレット』のキーワードの一つではないか、これはアダムが知恵の実を食べたことで手に入れた分別を示す言葉で、これこそがハムレットの苦悩の根源なのでは、という解釈については、下記で考察したとおり。
上記でも引用しましたが、ハムレットは役者に芝居を演じさせて、クローディアスの反応を見ようと思いつく場面で、以下のようにいいます。
芝居だ。/この罠で王の罪の意識をあぶり出してみせる
The play’s the thing, / Wherein I’ll catch the conscience of the King.
〈conscience 良心・善悪の判断力〉を〈I’ll catch 捕まえたい〉という。ここでハムレットが狙うのは、第一にはクローディアスの罪の意識、汚れた感情。ですがハムレットもまた、クローディアスへの復讐を企んでいる、人を殺す機会をうかがっているという点では、似たような悪意を持っている。ということは、過去記事で指摘したとおり。
ちくま文庫の注釈によれば、劇中劇ゴンザゴー殺しで、庭で昼寝をしている相手に耳に毒を流し込む殺害方法が、クローディアスの兄殺しの再現になっているのと同時に、甥が叔父を殺すという関係性においてはハムレットがクローディアスの命を狙っている予告とも読めるとのこと。すると、ハムレットが catch したいクローディアスの conscience は、ハムレット自身の心の奥深くにある conscience とも鏡映しということになる。
キャッチャー・捕り手になることは、釣り人になること。釣り人になって catch することは、自分の心の奥深くに閉じ込められている深層心理を意識の側へ引き上げること、自分の中に隠されたもう一人の自分と対峙すること。魚になって catch されることは、自分の運命の女神がどんな顔をしているのか、彼女が持っている釣り竿の根元には、どんな〈糸のもつれ〉があるのかを発見すること(詳細[10_ポローニアスが壁掛けの裏に隠れるのはなぜか?]上記リンク参照)。魚釣りについては、下記もあわせてご覧ください。
12 残忍な捕り手、幸福を抱く腕
海に突き出た崖っぷちから、天界の峰の頂から、奈落の底へ落下する者を catch できるのは、〈強い腕〉を持った者。ところがハムレットもオフィーリアも、弱い腕しか持っていない。ハムレットがオフィーリアの部屋で、恋人の「腕を軽く振り、/こんなふうに頭を三度上げ下げなさり/悲し気な深いため息をおつきになった」のは、彼らが柳のように弱い腕しか持っていないことを悲しむしぐさではないか、という解釈については、前回(下記)述べた通り。
強い腕を持っている者、弱い魚をキャッチする能力を持っている者は、〈強い腕〉を意味する名を持つノルウェイの王子フォーティンブラス。それを知るハムレットは、「王位を継ぐのはフォーティンブラス/それが死に臨んだ俺の意志だ」(267)と言い残して果てる。
前回もふれたように、『リア王』『テンペスト』『トロイラスとクレシダ』など、シェイクスピア作品では、両腕で抱きしめることが、敵対する相手と和解すること、悪や罪を赦し、弱さや未熟さを受容、包摂することを意味します。だからこそ、シェイクスピア作品には腕、手、手袋、肘、袖にまつわる表現が多い。ピエタ像でイエス・キリストを抱きしめる聖母マリアの腕、ギリシャ神話でアドニスを抱きしめるアフロディーテの腕、聖書で帰還した放蕩息子を抱きしめる父の腕などを連想してもいいかもしれない。己の愚かさのために傷ついた永遠の少年は、誰かの腕のなかで癒される。
『リチャード三世』では、幼くして殺された王子兄弟が、「アラバスターのように白い両腕にお互いをかきいだ」(189)いた状態で亡くなっていたと語られます。アラバスター・雪花石膏にはマグダラのマリア、聖杯のイメージがあり、『オセロー』のヒロインに対してもこの言葉が使われていることは、下記で述べた通り。『リチャード三世』は、幼い兄弟が互いの聖杯となる形で死んでいたと読むことで、悲劇に救済の意味が加わる。旧約聖書では「神の手」が神の力の隠喩とのこと。救世主や救いは〈手〉として表現されてきた伝統があり、それが聖杯のイメージにも結びついている。
戯曲の最後、ハムレットは死に際に「死神は残忍な捕り手だ Death, / Is strict in his arrest」(266)といいます。ここでの〈arrest〉は、漁師が魚を獲ること〈catch〉をより強く表現した言葉ともいえる。この〈残忍な捕り手〉のイメージが、そのあとに続く〈強い腕〉フォーティンブラスの「悲しみつつも(この場に居合わせ、デンマークの統治を任された)幸運を抱き締めたい I embrace my fortune.」(270_カッコ内引用者追記)という言葉でひっくり返る。
フォーティンブラスが抱きしめる〈fortune 幸運〉は、ここまでハムレットらが口にしてきた〈fortune 運命の女神〉と同じ。ハムレット自身のなかにあり、彼を操って悲劇へと導いた狂気のヘラクレスや、象徴的父、言葉の呪い、究極の女神とも結びつくもの。悲運も幸運も、自分の内側にあるどうしようもない〈fortune 運命〉として、すべて受け入れ抱きしめるとき、「運命が下す打撃も恩賞も/等しく感謝の心で受け止め」(132)られたとき、最悪の悲劇が、最高の救済とともにあることを知る。死の残酷さと安らぎが同時に語られて、弔砲が響きわたる中、幕が下りる。この余韻たるや。ただただ、ため息、ですね。
以上で『ハムレット』読解の連載を終わります。ここまでお読みいただきまして、本当にありがとうございました。次回からは別の作品について読み解いていきますので、引き続きお読みいただけたらうれしいです。
『ハムレット』からも間違いなく多大な影響を受けているであろう、サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のキャッチャー、崖から落ちそうな子供たちを捕まえる手は、〈聖杯〉なのだという解釈については、以下にまとめています。ぜひ、あわせてご覧ください。
J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。
J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。
J.D.サリンジャー「コネティカットのひょこひょこおじさん/アンクル・ウィギリー」読解はこちらから。ぜひご覧ください。
J.D.サリンジャー「エズミに捧ぐ——愛と汚辱のうちに」読解はこちらから。ぜひご覧ください。

