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11_シェイクスピア『ハムレット』考察:笛が鳴らされないのはなぜか?

Q. ハムレットが持って来させた笛が鳴らされないのはなぜか?
『ハムレット』の中盤、王子は父の仇クローディアスに劇中劇を見せて追い詰めたあと、「さあ、音楽だ、さあ、笛だ」(147)と笛を持ってこさせます。
 
役者たちが笛を持って登場すると、ハムレットは学友ギルデンスターンに笛を吹くように頼むのですが、ギルデンスターンは頑なに断る。結局舞台に持ち込まれた笛は吹かれないまま次のシーンに移り、以後、笛への言及はありません。この笛はなぜ鳴らされないのでしょうか。
 
本稿の解釈はこう。
A. 笛の音は人を狂気へ導き、運命に操られる者にするから。
以下に理由を述べます。




シェイクスピア『ハムレット』読解をマガジンで連載しています。こちらの記事からでもお楽しみいただけますが、01から順番に辿る場合は下記よりご覧ください。

1 『夏の夜の夢』子供の笛ともつれた鎖

前回(下記)、『夏の夜の夢』で娘は「父の手で蝋の上に型押しされた人形にすぎない」(12)「ニセ人間!指人形! you counterfeit, you puppet, you!」(98)といわれており、これが操り人形に結びつく。別の場面では、「髭には丈夫な紐をつけ、靴のリボンは新しいのに取り替えて」(130)という紐やリボンのイメージがあり、これらを操り人形の糸と結びつけて考えることもできる。「シスビーのガーターで首つり自殺をすれば、結構いい悲劇になっただろう」(156)という悪い冗談も、操り人形が神話の英雄のように死ぬ運命にあることを暗示しているのではないか、という解釈を示しました。

劇中劇を見る場面では、素人芝居のつたなさが「子供が吹く笛のよう」「もつれた鎖のようでもある。どこも切れてはいないのだが、ごちゃごちゃにからまっている」(140)と表現されます。『マクベス』において、糸のもつれが運命を操る女神と重なりあうことも前回みたとおり。ここではそれが、もつれた鎖に言い換えられ、さらに子供が吹くつたない笛と重ねられています。

2 『リア王』口笛と糸巻き

『リア王』ではゴネリルが、夫オールバニーが自分に呼びかけてくれないことを嘆いて、「以前は口笛で呼ぶくらいはして下さったのに I have been worth the whistle.」(169)といいます。下記の記事で『リア王』では、心の奥深くに隠した本音や悪魔的な欲望が犬や猫に例えられ、ゴネリルの中の悪魔は猫として描かれていると述べました。口笛は犬や猫などの獣を呼ぶときに使う音でもありますね。するとここでの口笛は、心の奥深くに隠した本音や悪魔を引き出そうとする行為の暗示かもしれない。

また別の場面では、王宮から追い出されたケントが身をやつしてあらわれ、コーンウォール邸のまえで足枷をはめられて夜を越さなければならなくなった際に、「口笛でも吹いてます。 I’ll whistle. / 善人でも運に見放されることはある」(90)「運命の女神よ、おやすみ、/もう一度微笑みかけてくれ。運命の車輪を回してくれ!」(91)という。ケントはリアと鏡像関係にあるひとり。このあとリアは、最後の頼みだったリーガンにも裏切られ、宮廷を追われて嵐の荒野を彷徨うことになる。運命の車輪が悪い方向へとまわって、リアは運に見放され、悲劇へと導かれていきますね。
 
前回、シェイクスピア作品に描かれた未熟者たちはみな操り人形であり、『リア王』ではゴネリルがオールバニーに渡す糸巻き棒がそれを象徴しているのではないかと述べました。リアも正気を失い、狂気にとりつかれて、残酷な運命の操り人形になる一人。上記のゴネリルのセリフは、糸巻き棒についての発言の直後。ケントも口笛を吹くといったすぐあとに、運命の女神や運命の車輪について言及しています。

下記の記事でも書きましたが、『尺には尺を』で「音楽には魔力があり、それが/悪しきものを善く見せ、善きものを害あるものに変える」(123)と語られるように、『リチャード二世』で「音楽が狂人を正気に戻すこともあるだろうが、/私に言わせれば、いまの音楽は賢者をも狂わしかねない」(199)と訴えるように、シェイクスピア作品において、音楽はときに人の心を狂わせ、ときには病んだ心を癒して正気に戻す、両義的な働きを持ちます(参考下記)。

笛や口笛もこれと近い。さらに、一本の笛の音や口笛が宙空へ舞い上がるイメージは、一本の線となって運命の女神が操る糸のイメージとも重なりあう。相手から口笛で呼ばれることは、意に反して心の中の本音が引きだされてしまうこと。気分が良いときなどに無意識に出てしまう口笛には、無意識の領域から本音が釣りだされ、運命の女神に導かれて、たやすく操られる人形になるイメージがあるのではないでしょうか。

3 『アントニーとクレオパトラ』口笛と玉座

前回、『アントニーとクレオパトラ』では、クレオパトラがアントニーにとっての運命の女神であり、アントニーはクレオパトラが持つ糸に操られる人形であると述べました。この作品では、アントニーが船上にいる魔性の女クレオパトラをはじめて目にしたときのことが以下のように語られます。

女王(クレオパトラ)が身を預けた船はさながら磨き上げた玉座(中略)
かぐわしさのあまり
風も恋に落ちて慕い寄る。無数の櫂は銀、
笛の音に合わせて水を打ち、その愛撫を求める波が
競ってあとを追う。女王その人は、
筆舌に尽くしがたい美しさ

(72)

絶世の美貌で、クレオパトラはたちまち「アントニーの心を自分のものにしてしまった」(72)。その時の様子は以下のようにいわれます。

(陸にいる)市民たちは
その姿をひと目見ようと繰り出し、街は空っぽだ。
アントニーはただ一人市場の玉座に座ったまま取り残され、
空に向かって口笛を吹いていた

(74)

ここでの口笛も、同じ意味にとれると思う。アントニーは陸から船上のクレオパトラを見て、その美しさに惹きつけられている。体は陸にありながら、心だけが海の方へ引き寄せられていく様子が、クレオパトラの船から聴こえてくる笛の音につられて、アントニーも思わず口笛を吹き、そのメロディーに乗って魂が漂いでていくかのように表現されているんですね。このとき、クレオパトラはエジプトの女王、アントニーはローマの支配者の一人。そのことが、それぞれが玉座に座っているという姿で現されています。下記の記事でも述べたように、神話やシェイクスピア作品では、玉座に座っていることが自分の心の領土を支配していること、己の精神を掌握していることとも重なります。

上記の時点では、アントニーはまだかろうじて自分の玉座に座っている。けれどクレオパトラの美しさに魅せられて恋に落ちたアントニーの心は、クレオパトラと紐づけられてしまう。そうしてアントニーは、自ら吹く口笛に釣りだされるようにローマを離れ、クレオパトラがいるエジプトに入り浸るようになる。自分の玉座を離れ、心の領土を愛人に明け渡したところから、戦争の能力も、政治的な信頼も失い、失墜していく。アントニーにとってクレオパトラは運命の女神。愚か者が無意識に吹く口笛は、自ら操られる人形になりたいと望み、運命の女神へと伸ばした、目には見えない運命の糸ではないでしょうか。

4 『ハムレット』問題の場面

『ハムレット』では〈聴覚〉や〈耳〉〈音〉がキーワードであることは、下記でみた通り。

劇中劇を観て現王クローディアスが動揺したことを喜んだハムレットが、「さあ、音楽だ、さあ、笛だ」(147)と笛を持ってこさせる場面もまた、音楽、聴くことに関連しますね。詳しく読んでいきましょう。
 
役者たちが笛を持って登場すると、学友ギルデンスターンに対して、ハムレットが、「どうして君は僕の風上に立とうとするんだ」(151)と首をひねる。そして以下のような会話が続きます。

ハムレット この笛を吹いてみてくれないか?
ギルデンスターン 吹けません。
ハムレット 頼む。
ギルデンスターン 本当に吹けないのです。
ハムレット お願いだ。
ギルデンスターン さわったこともございませんので。
ハムレット 嘘をつくのと同じくらい簡単さ。この孔を両手の指で押え、口をあてて息を吹き込めば、素晴らしい音楽を奏でてくれる。ほら、孔をこう押えるんだ。
ギルデンスターン しかし、仰せのとおりに孔を押えても、いい音色は出せません。まるで心得がございませんので。
ハムレット おい、いいか、この俺をずいぶんみくびってくれたな。俺なら吹きこなせる、押えどころもわかっている、心の秘密も引き出せる、いちばん低い音から高い音まで本音が探れるというわけか。この小さな笛には妙なる調べ、見事な声音がこもっているんだぞ。それなのに鳴らすことも出来ないという。畜生、俺を笛よりカンタンにあしらえると思っているのか? どんな楽器扱いしようと勝手だが、貴様の指は俺の神経を逆撫でするだけ、音を上げさせようたってそうはいかない。

(151)

こうして、しつこいほどのやりとりが繰り返されたのち、笛は結局鳴らされず、そのことについて特に説明もないまま次へと進んでいきます。チェーホフが、「舞台に銃がでてきたら、それは発射されなければならない」といったことは有名ですよね。ならば、舞台に笛が出てきたにもかかわらず吹かれなかった場合、そのことに意味があるはず。上記の場面について、ひとつずつ考えてみたいと思います。

5 風上に立つギルデンスターン

ヘボナの謎や、クローディアスが黙劇に反応しない理由(上記リンク)で考察した通り、『ハムレット』では、最後に主人公が「あとは沈黙」(267)ということや、弔砲は「聴く方の耳にはもはや届かない」(269)と語られることで、此岸の音は生者・正気の者にしか聞こえない、彼岸の音は死者・狂気の者にしか聞こえないという聴覚のパラレルワールドが表現されています。

するとギルデンスターンが風上に立とうとする理由は明らかですね。クローディアスが芝居の途中で席を立ったことで、ハムレットは彼が先王を殺した犯人だと確信する。計画段階だった復讐が一気に現実味を帯びたことで、ここまでは半ば演技だった狂気に、王子は本格的にとりつかれていきます。

ギルデンスターンは、この場面でハムレットが音楽を求める理由が、後に発狂したオフィーリアが歌をうたうのと同じように、狂気の兆候であることを感じ取っている。だから狂気やそれがもたらす悲劇の渦に巻き込まれる危険を察知して、笛を吹くのを頑なに拒否する。ハムレットより風上に立ち、例えハムレットが笛を吹いたとしても、狂気へ誘う音楽を聴くまい、自分は正気を保って此岸に留まりたいと考えているのではないでしょうか。

笛を吹いて欲しいハムレットと、それを断るギルデンスターンのやり取りには、本格的な狂気の領域に自ら足を踏み入れようとするハムレットと、正気の側に留まろうとするギルデンスターンの対比が表れているように思います。

『オセロー』ではオセローが狂気にとりつかれ、場がカーニバル化して人々の運命が狂っていくさまが、「最大の不協和音」「弦をゆるめてその音色を狂わせてやる」(69)と表現されます。これを察知した道化は楽師に向かって、「頼むからもう音をたてないで欲しい」「聞こえない音楽ならやってもかまわん」(104)と訴えますね。

また『テンペスト』でも精霊がたびたび音楽を奏でながら登場する。それが人々を狂気へ誘う合図になっている作品ですが、アロンゾーはうるさいおしゃべりを嫌って、「頼む、黙ってくれ」「頼む、やめてくれ」(54)と繰り返す。これらも、『ハムレット』で笛の音を聴くまいとするギルデンスターンと似ていると思う。周りが狂気に引きずり込まれていくなかで、なんとか理性を保とう、正気のままでいようとする人たちの言葉ではないでしょうか。

6 嘘をつくことも、秘密を引き出すことも

兄を殺しておきながら罪を隠して王座につき、ハムレットを最愛の息子だと語るクローディアスの言葉は明らかに偽り。学友ギルデンスターンとローゼンクランツも、デンマークへ来た本当の理由を教えてくれない。オフィーリアもハムレットの愛の誓いを一度は信じた素振りを見せながら、父の言いつけを守って拒絶する。周囲の人々から嘘をつかれ、ハムレットは他人の言葉が信じられなくなっている。そんなハムレット自身も、腹の中ではクローディアスへの復讐をたくらみながらそれを隠し、オフィーリアを愛していながら尼寺へ行けといって恋人を遠ざける。ホンネとタテマエの乖離が、ハムレットを狂気へ導いていくことは下記で考察しました。

ハムレットがいう、笛を吹くのは「嘘をつくのと同じくらい簡単さ」「俺なら吹きこなせる、押えどころもわかっている、心の秘密も引き出せる」というセリフの意図もこれと関連しているのでしょう。笛で心地よいメロディーを奏でるのは、腹の中では復讐をたくらみながら、上辺は耳に快い言葉で場を取り繕うのと同じ。許されない罪を犯しながら、何食わぬ顔で王位につき、すらすらと嘘をついて人々を欺くのと同じ。
 
また音楽には、人を狂気に導いて、普段は心の奥深くに隠している本音を引き出すちからもある。『トロイラスとクレシダ』では、恋に舞い上がったクレシダが、心の中に隠しておきたい感情をつい口に出してしまう場面で、以下のようにいいます。

ああ、馬鹿みたい!
どうしてべらべらしゃべるの? 自分で自分の秘密を
漏らしてしまったら、ほかに誰を信用したらいいの?(中略)
お願い、もう黙れと言って、
だって、こんなに有頂天になったら、あとで悔やむようなことまで
言ってしまう。ほら、ほら、黙ってるなんてずるい、
その沈黙が、私の弱みに付け込んで、心の底の秘密を
引き出してしまう。私の口をふさいで。

(127)

心にやましいことがあって鬱々としていたり、恋に舞い上がっていたり、平常心ではないとき、狂気の状態にあるとき、自分の意志に反して、ついつい隠しておきたいことまで話してしまうことがある。『ハムレット』には、「殺人そのものには口はないが/不思議な力の働きでひとりでに語りだすものだ」(114)という一節がありますね。
 
この言葉どおり、ハムレットはクローディアスに兄殺しを再現した劇中劇を見せて相手を怒らせ、隠している罪を暴き出すことに成功する。心の秘密を引き出すのはたやすい、音楽にも似たような効果があると、ハムレットはいっているのだと思う。

さらにハムレットは、「俺を笛よりカンタンにあしらえると思っているのか? どんな楽器扱いしようと勝手だが」と続けています。ここでハムレットは自分と笛を重ねている。このときハムレットもまた、クローディアスと同様、秘密を心の内に隠している。
 
表面上は聞き分けの良い義理の息子のふりをしながら、心のなかでは復讐の機会をうかがっている。ハムレットはそれを後ろめたく感じているからこそ、ここで笛をクローディアスではなく自分自身に重ねている。そして、自分の本心を探ろうとするギルデンスターンをけん制しているんですね。

7 運命の女神の笛

劇中劇を見て、ギルデンスターンと笛のやり取りをする前、ハムレットはホレイショーの性格を以下のように褒めて羨みます。

運命が下す打撃も恩賞も
等しく感謝の心で受け止める。いいなあ、そういう人間は、
情熱と理性が見事に調和しているから、
運命の女神の笛になって
いいなりの音を出すこともない
they are not a pipe for Fortune’s finger
To sound what stop she please.

(132)

一方ハムレットは、父の死から四カ月たった今も喪服を脱がず、悲しみに沈んで、恋人には愛しているといった直後に愛していないといい、何事にもすぐに動揺して気分の急上昇と急降下を繰り返している。ホレイショーとは真逆の人間。まさに運命の女神の笛になって、いいなりの音を出しそうな性格。
 
運命の女神の笛になることは、操り人形になることと同じ。そして、心の奥深くに隠しておきたい秘密を狂気的に喋ってしまうこと。実行したいと思いながら我慢していたことを、激情に突き動かされてやってしまうことと同じではないでしょうか。

8 運命への抵抗

『ハムレット』の大きな謎のひとつ、クローディアスへの絶好の復讐の機会があったにもかかわらず、ハムレットがそこで剣を抜かなかった理由もここから考えられると思う。
 
気持ちが乱高下しやすい未熟者のハムレットは、「運命の女神の笛になって/いいなりの音を出すこともない」ホレイショーを羨みながら、自分は運命の女神のいいなりになる操り人形でしかないことを自覚している。だからこそ、その苛立ちをギルデンスターンに向かって「俺を笛よりカンタンにあしらえると思っているのか? どんな楽器扱いしようと勝手だが」とぶつける。半ば狂気の演技をし、なかば本物の狂気に引きずり込まれそうになりながら、ハムレットは運命の女神のいいなりにはなるまいと、必死に抵抗しようとしている。

騎士道のおきてにのっとって復讐せよという亡霊の言葉、自らすすんで記憶に刻みつけた呪いの言葉の操り人形となって、深く悩まずにクローディアスを殺してしまう方が、あるいは楽な道だったのかもしれない。けれど、劇中劇の内容に激怒して席を立ったクローディアスが、部屋でひとりハムレットに背を向けて懺悔しているのを見たとき、ハムレットの中の自立心、運命の女神の笛になっていいなりの音を出したくない、呪いのとおりには行動したくない、操り人形の糸を切って自分の足で立ちたいという思いが、ハムレットが剣を抜くのを思いとどまらせる。

復讐するにせよ、しないにせよ、ハムレットはまだ迷っているのであり、自分が心から納得がいく答えを見つけるまでは実行できないと考える。ハムレットがここで剣を抜かないのは、運命の女神に対する必死の抵抗なのではないでしょうか。

9 口笛の反対語としての吃音

笛や口笛を吹くことは、運命の女神のいいなりの操り人形になること。ハムレットは頭を空っぽにして、自分では何も考えず、先王の命じるまま、なめらかに口笛を吹くように、クローディアスの背中に剣を振り下ろすこともできた。笛を吹くのは、自分の良心に「嘘をつくのと同じくらい簡単」だった。

けれどハムレットはこれに抵抗し、復讐を思いとどまった。口笛の反対、復讐を思いとどまったハムレットを言い表す言葉として、吃音を考えると分かりやすいのではないかと思う。

下記の記事で、『お気に召すまま』に出てくる「ああ、あなたが吃りだったらいいのに、そうすれば細口瓶に入ったワインみたいに、あなたの口からその謎の男の名前がどっと出てくるか、ちっとも出てこないか、どっちかだもの」(103)という言葉を引用しました。シーリアが吃りだったら、愛しいオーランドーの名前を何度も聴けるのに、という意味ですね。ここでは吃音によって反復される言葉に、詩的な意味合いが見出されている。

さらに上記では吃音が、運命が扉を叩く音、心の奥深くに隠した秘密や罪悪感が暴れて、意識の側に浮上しようとしているときの葛藤とも重ねられるのではないかと考察しました。深層心理に押し込めて自分でも忘れようとしている記憶や気持ちが、意識と無意識の境界にある扉をこじ開けて突破しようとするちから。これが闇の領域に抑え込もうとするちからとぶつかって拮抗し、運命が扉を叩く音として現れるのではないか。それは自分の心の奥深くにある真実が、言葉にしたとたんに何か違うものになってしまう、真実と現実の乖離への抵抗として、言葉をなめらかに外に出すことをためらい、無意識に口もとで留めてしまう事態と近いのではないか。

ハムレットの復讐の留保にも、これと似たところがあるのでは。クローディアスが独りで祈りを捧げている、復讐の絶好の機会に出くわしたとき、運命の神は糸を操って、彼が剣を抜くように命じる。けれど、ハムレットは「なんだ、これでは雇われ仕事 Why, this is hire and salary」(160)、彼を天国に送るのは本意ではないといって復讐を思いとどまる。わずかに残ったハムレットの正気や自立心が、父の亡霊に、言葉の呪いに、運命の女神に雇われ、彼らの操り人形として復讐を果たすのは嫌だと抵抗する。

剣を抜けという運命の女神の命令と、それを思いとどまろうとする良心の逡巡が、ハムレットの手もとで吃るように迷う。そして、ハムレットはみっともなくも実行を思いとどまる。この場面のハムレットは、騎士道精神から見れば、復讐を果たせない情けない男。だけれどここに表れる彼の弱さは、自分の心に誠実であろうとしたという別の強さの結果なのかもしれない。

運命の女神のいいなりになって、気持ち良く口笛を吹くように復讐を果たせれば、表面的には強い男として、カッコ良く見えたでしょう。だけれど、ハムレットは無様でも見苦しくても、運命に抵抗し、自分の意志で復讐を留保することを選んだ。自分の人生の手綱を手放さない選択をした。この戯曲においては、後々これが裏目に出て、運命の糸をよけいにもつれさせてしまう。ハムレットは間違えてポローニアスを殺し、運命の女神の操る糸に屈していく。そして最悪の悲劇へ至る。

けれど『お気に召すまま』に描かれているように、心の奥深くにある真実と現実の裂け目で迷いもがく吃音や、他者からは情けない振舞いに見える優柔不断なためらい、滑稽にも映る道化的なみっともなさこそが、自分に正直でいよう、運命に屈せず真実に手を伸ばそうとする人間が生みだす詩なのかもしれない。ここににじむ人間味こそが、この作品を名作たらしめているポイントなのかもしれないとも思うのです。

今回はここまで。お読みいただき、ありがとうございました。
つづきはこちらから。ぜひご覧ください。


J.D.サリンジャー「エズミに捧ぐ——愛と汚辱のうちに」読解はこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。


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